第7話--首飾りへの約束--

昼休みの教室には、斜めに差し込む柔らかな秋の陽射しが机の上に淡い影を落としていた。外の空気はひんやりと乾いていて、開いた窓から金木犀の香りがかすかに漂う。彩は教科書を広げていたが、文字はほとんど頭に入ってこない。

胸の奥がそわそわして、目の前の世界に集中できなかった。


「ねえ、彩」

隣の席の望月 結が、いたずらっぽく笑いながら顔を覗き込む。

「最近ちょっと雰囲気変わったよね。なんか……心ここにあらずって感じだし」


「えっ、そ、そうかな」

彩は慌てて笑ってみせた。


向かい側に座る小野寺 翠も、興味津々に身を乗り出す。

「うん、わかる。結の言うとおり。しかもここ最近、首元をやたら気にしてるし、

特に今日はそわそわしてるよね」


彩は思わず襟元を押さえた。

「そ、そんなことないよ。ちょっと寒いだけ」


「ふーん?」

結は意味ありげに目を細める。

「もしかしてさ、隠してることあるでしょ。ほら、彼氏できたとか!」


「ちがっ……そんなんじゃないよ!」

思わず大きな声を出してしまい、慌てて口をつぐんだ。

翠がクスクスと笑い、結も少しうれしそうに頷く。


(違う……でも、全然違うって言い切れない自分がいる)


チョーカーの存在が胸の奥でずっしりと重くのしかかる。

解放される日を迎えるはずだったのに、なぜか胸がざわつく。


―――――


放課後のチャイムが鳴ると、彩は急いで教科書を片付けた。結と翠に「今日も急いでるね」と茶化されながらも、笑って誤魔化して教室を出る。階段を上る足取りは自然と早くなる。屋上で待っている凛のことを考えると、心臓が跳ねる。


屋上の扉を開けると、夕暮れの茜色が空を染め、ひやりとした風が頬をなでる。

凛は柵にもたれ、文庫本を閉じるところだった。

その横顔は柔らかい光に包まれながらも、どこか遠くにいるようで静かだった。


「来たんだね」

凛は淡々と目を上げ、彩を見つめる。


「うん……今日で終わりだから、これで――」

彩はチョーカーに手を伸ばしかけた。外せば、元の関係に戻れる。

そう思ったのに、胸の奥が小さく痛んだ。


凛は口元にわずかな笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「彩。今週のお願い、まだ言ってなかったよね」


彩は驚いて手を止める。

「え……お願い?」


凛は視線を少しそらし、夕陽に照らされた街並みを眺めるように言った。

「お願いは……そのチョーカー、もう少しつけていて」


彩は言葉を失った。

「え……でも、、」


「うん。でも、これで終わりにするのはちょっと惜しいなって」

凛の声は冷たいようで、でもどこか微かな柔らかさが含まれていた。

「それに、来週からはチョーカーじゃなくて、ネックレスに変えようと思ってる。

制服でも自然だし、誰にも変に思われないでしょ?」


彩の胸の奥が熱くなる。

解放されるはずの瞬間なのに、なぜか心の奥でうれしさがこみ上げる。


(私……本当は終わりにしたくなかったのかもしれない)


「どうして……?」

思わず問いかけると、凛は肩をすくめ、淡い笑みを残して答えた。

「さあ、どうしてだろうね。ただの気まぐれかも」


その冷たい声に、彩の胸はさらに揺れる。

自由になれるはずだったのに、逆に凛の言葉に縛られたような感覚が生まれる。


風が屋上を吹き抜けるたび、彩の髪が軽く揺れ、夕暮れの色が徐々に紫へと変わっていく。彩はネックレスに変わることを想像しながら、心の奥に渦巻く複雑な感情を押さえきれない。


「わかった……つけてるよ」

小さく頷いた声は、自分でも驚くほど素直だった。


凛は一瞬だけ目を細め、静かに頷く。

「来週も、放課後はここで」


その言葉を残し、凛は屋上の扉を出ていった。

彩は一人残され、チョーカーにそっと触れる。

指先に伝わる金具の冷たさが、心のざわめきを一層強くした。


帰り道、街灯に照らされる街並みを歩きながら、彩は考えた。

(ネックレスに変わったら、もっと自然に見える。

そうしたら、この気持ちも普通のものになるのかな……)


秋の夕暮れは静かに、彩の胸の奥で答えの出ない問いを揺らし続けた。

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