第6話--友達の視線と揺れる放課後--
朝の教室に入った瞬間、空気が少しだけきらきらしているように感じた。窓際の席で、結と翠が何やら盛り上がっている。二人とも机をくっつけてお弁当箱を開け、まだ一時間目も
始まらないうちから恋バナらしい話に夢中だ。
「ねえ彩、聞いてよ」
結が私に気づき、笑顔を向けてくる。
「隣のクラスのサッカー部の子に、告白されたんだって」
「へえ、よかったじゃん」
笑顔で返したけれど、心のどこかで遠い世界の話のように聞こえた。
「でもまだ返事してないの。どうしようかなって。ね、彩ならどうする?」
結の瞳が期待にきらめく。私は一瞬、答えに詰まった。
好きかどうかを考えて返事をするのが普通だ。でも私にとって“好き”は、もう普通の意味じゃなくなっていた。
「うーん……ちゃんと考えてから、答えたほうがいいと思うよ」
それしか言えなかった。
隣で翠が笑いながら結に肘でつつく。
「彩って最近ちょっと雰囲気変わったよね。落ち着いたっていうか、なんか隠してるっていうか。もしかして彩も誰かといい感じなんじゃない?」
「え、ちがうって」
慌てて否定したけれど、胸の奥がどきりとした。
私は今も制服の上まできっちりボタンを留めている。誰にも見せたくないチョーカーを、襟元で隠しているから。
二時間目が始まる前、窓の外を眺めていたとき、自然と凛の姿が頭に浮かんだ。昨日の屋上で見た横顔と、風に揺れる髪。彼女の冷たい声が、耳に残っている。
――外せば裏切り、つければ依存。
その言葉が心の奥を掻き回す。
昼休み、結と翠と一緒に弁当を広げる。結はまだ告白の話をしていて、翠は相槌を打ちながらちらりと私を見た。
「彩さ、最近いつも襟をきっちり閉めてるよね。前はもうちょっとラフだったのに」
翠の指先が私の首元を指しかけた。思わず私は制服の襟を押さえ、笑ってごまかす。
「なんとなく、寒いから」
「この季節に? へえー、まあいいけど」
翠はすぐに興味を失ったように視線を外したが、結がじっと私を見ていた。
午後の授業は、ほとんど上の空だった。黒板の文字を目で追っても頭に入らず、気づけば
ノートの端にペンを走らせていた。描かれていたのは、チョーカーの細い線と金具。
放課後、屋上の扉を開けると、夕暮れの風が頬を撫でた。凛はいつものようにベンチに
座り、本をめくっている。彼女の横顔は、まるで校舎に染み付いた影のように静かだった。
「来たの」
顔も上げずにそう言う。
「……うん」
私は凛の隣に立つ。言いたいことがたくさんあるのに、口からは出てこない。
凛は本を閉じて、ようやくこちらを見た。
「今日は静かだね」
「友達に、最近ちょっと変だって言われた」
ぽつりとこぼした言葉に、凛はわずかに眉を動かした。
「そう見えるなら、それでいい」
「それでいいって……」
思わず反発しかけたが、凛はもう視線を本に戻していた。その冷たさに、胸の奥がきゅっと痛んだ。
屋上の金網越しに見える夕空は、橙から紫にゆっくり変わりつつある。
校庭では部活の掛け声が響き、吹き抜ける風に砂の匂いが混ざる。
私はその景色を見下ろしながら、自分がどこに立っているのか分からなくなりそうだった。結や翠と笑い合ういつもの自分と、ここでチョーカーを隠し続ける自分。その距離が日ごとに広がっていく気がした。
凛は本を閉じて立ち上がり、夕日に照らされた瞳で私を見た。
「帰るなら、一緒に」
その一言が、ひどく遠くから聞こえるように感じた。私はうなずき、並んで屋上を後にした。
昇降口を出て、学校の門をくぐったところで、後ろから結が追いついてきた。
「彩、今日も一緒に帰ろう」
結はいつも通りの笑顔だったが、横に並んだとき、ふと真剣な目を向けてきた。
「ねえ、やっぱり最近ちょっと変わったよね。何かあった?」
「……別に」
笑ってごまかしたけれど、胸の奥ではチョーカーがひどく重く感じられた。
夕暮れの街を歩きながら、私は首元をそっと押さえた。冷たい金具の感触が指先に伝わる。その重みが、友達に囲まれても、どこか遠い世界にいるような気持ちを呼び起こす。
秘密を抱えたままの放課後は、日常とほんの少しずつ、ずれていく。
そのずれがどこへ向かうのか、私はまだ知らなかった。
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