第25話 エピローグ


 あれからいくつもの季節が、この小さな部屋を通り過ぎていった。俺が内気な草食系の大学生から、二人の「雌」を支配する「雄」へと覚醒したあの狂乱の一夜は、もはや遠い昔の夢のようにも感じられる。だが腕を伸ばせばすぐに触れられる距離に、彼女たちがいる。その温もりが、あの夜が紛れもない現実であったことを、何よりも雄弁に、そして温かく俺に教えてくれていた。


 三月。大学の卒業式を数日後に控えた、ある日の夜。俺たちの城であるこの六畳一間は、詩織が作るハンバーグの香ばしい匂いに満ちていた。テーブルには俺の卒業を祝うための、ささやかだが心のこもった料理が並んでいる。俺たちの生活はあの日以来ずっと、この部屋で続いていた。狭いとは、もう誰も感じない。三人分の温もりで満たされたこの部屋は、俺たちにとってこの世界のどの場所よりも広く、安らげる場所となっていた。


 夕食の間、詩織と瑠璃がどこかそわそわとしていることに、俺は気づいていた。時折互いに視線を交わし、何かを言いたげに、しかし躊躇うように視線を逸らす。そのいつもとは違う様子に、俺は何か特別な話があるのだろうと察していた。


 食事が終わり、瑠璃が手際よく食器を片付け終えると、二人は俺の前に、まるで尋問を受ける罪人のようにちょこんと正座をした。そしてしばらくの間、「詩織が言って」「瑠璃ちゃんこそ」という小さな押し付け合いが続いた後、観念したように詩織が深呼吸を一つして口を開いた。その表情は、不安と期待、そして大きな覚悟が入り混じった、複雑な色を浮かべていた。


 「……陽介くん。覚えていますか? 私たちが三人で、ここで一緒に住み始める前の日に、陽介くんが私たちに言ってくれた言葉を」


 俺は黙って頷いた。忘れるはずがない。俺がこの二人と共に生きていくと覚悟した、あの夜の誓いの言葉を。


 詩織は続ける。


 「『もう、どこにも行かなくていい。ずっと、ここにいろ。俺が、お前たちの全部を、一生、面倒見てやる』って……。あの言葉、陽介くんが大学を卒業しても……その、気持ちは変わりませんか?」


 その問いかけに、俺は迷うことなくはっきりと答えた。


 「ああ、言ったな。少なくとも、その覚悟は今もある」


 俺の言葉に、詩織の瞳が安堵にきらりと潤んだ。彼女はそれでも確かめるように、もう一度問いかける。


 「……本当、ですか?」

 「何かあったのか?」


 俺がそう聞き返すと、二人は再び顔を見合わせた。そして今度は、瑠璃が詩織の手をぎゅっと握り、彼女に勇気を与えるように頷いた。詩織は意を決したように、俺の目を真っ直ぐに見つめ返すと、震える手で大切そうに持っていた小さな箱の中から、二本のプラスチックの棒を取り出した。


 「あの、こういうものが、ありまして……。それで、これからどうしようかなって、ご相談、です」


 彼女が俺の前に差し出した、二本の妊娠検査薬。その小さな窓には、どちらにもはっきりと、疑う余地のない陽性を示す線が二本浮かび上がっていた。


 その二本の線を見た瞬間、俺の脳裏に、この数年間の、彼女たちと過ごしてきた愛おしい日々の記憶が、まるで走馬灯のように鮮やかに蘇ってきた。


 初めて彼女たちの肌に触れ、その全てを支配した、あの狂乱の夜。コンビニの無機質な光の下で、大量のコンドームを恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに買う詩織の姿。俺の言葉責めに、屈辱と快感に身を震わせながら絶頂を迎えた瑠璃の顔。朝の光の中で、俺の腕の中で安心しきって眠る二人の寝顔。一緒に料理をし、一緒にテレビを見て、他愛もないことで腹を抱えて笑い合った、数えきれないほどの穏やかな夜。その一つ一つの記憶が、俺にとって何物にも代えがたい、かけがえのない「宝物」だった。


 俺はゆっくりと、その二本の検査薬を彼女の手から受け取った。そして、不安そうに俺の顔を覗き込む、愛する二人の女の顔を、順番に見つめ返す。


 自然と俺の口元に笑みが浮かんでいた。


 ああ、そうか。これが、俺の覚悟の答えか。

 草食系だった俺が、初めて自らの本能に従い、そして、手に入れた俺だけの家族。

 その新しい命の証を、俺は、強くそして優しく握りしめた。

 俺たちの特別な関係は、これから新しいステージへと進んでいくのだ。


 ごくりと、喉が鳴った。俺は一度、強く目を閉じ、そして、開いた。その瞳にもはや一片の迷いもなかった。


 「さすがに二人の両方を入籍するのは無理だが、事実婚で良ければ、俺が、お前たちの全部を、一生、面倒見てやる。もちろん、俺たちの子供もだ。色々大変になるが協力してくれ。ありがとう」


---

**完**

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草食系大学生、覚醒の夜 舞夢宜人 @MyTime1969

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