第10話

川の土手にて🌱💧


 ある日、川の土手に車を停めて、真理子に電話する。

「もしもし、真理子。今ね、マンションの前の土手にいるんだ。いま、うち?」

「あ。ちょっと待ってて。」

と真理子は言って、ベランダに出て、僕を見つけて、嬉しそうに手を振っている。僕は、車から降りて、土手の上に立って、真理子に手を振って返した。

 おーい。真理子ー。降りて来いよー。と大きな声をかけようかと思ったが、それはやめた。マンションに住む他の住人のことを慮って。電話で言う。

「いい天気だから。土手に降りて来ませんか?カントちゃん。」

「オーケー!待ってて。」

 空で雲雀が鳴いていた。僕は車の後ろから、シートを出して、緩い土手の斜面の草地に敷いておいた。川を眺めながら、空を眺めながら、寝そべることができるように。しばらくして、真理子は、ポットを右肩から下げて、左手に文庫本を持って、やってきた。そして、

「準備がいいね。」

と笑顔で言う。

「そっちもね。」

と僕が言う。僕は煙草と携帯灰皿だけ。本もCDウォークマンも持って来なかった。こんなお天気のもと、ただ真理子のそばにいたかった。真理子は、

 シートに座ると、ポットの蓋を開けて、その蓋に注いで、飲んでまた蓋を閉めてポットを置いてから、寝そべって、上を向いたり、横を向いたりしながら、

 文庫本を開いて読み始めた。僕は手を頭の下で組んで枕にして、目を閉じている。草の匂いと真理子の匂いとアールグレイの匂いが入り混じって、それはしあわせの香りだった。顔に太陽の熱と光を感じて、脳みそが芯からもみほぐされるような気がした。僕が眠りそうになったとき、真理子が言った。

「隆二。どう思う?相対性理論。」

 おっと。真理子は、今日はアインシュタインか。眠気が飛んじゃうなぁ。いい気持ちだったんだけどなー。

「どう思うっても、どうかな。理論物理学ってのは、人類の夢の領域だって思うな、僕は。」

「夢の領域とは?」

真理子は、大きな目を見開いて、本を開いたまま、横を向いて僕に疑問符を突きつけている。

「科学ってのは、検証して、実証して、なんぼの世界だろう。その精神と基本を無くしたらそれは科学じゃないと思うんだ。」

「それはそうだね。」

「それでも、この世界と世界を取り巻く宇宙は、あまりにも広大で、遠くて、どこまでも神秘的で、手を伸ばそうとしても届かない。人類が今、到達したのは、月面だけだよ。」

「うん。それで、月にはやっぱりウサギはいないってことが検証されるわけだね。」

「そうだよ。月のことが現実になって、検証された。まだ、研究過程にあるけどね。」

「宇宙の広さと神秘に人類は,まだまだ追いついていけない。それゆえ、ロマンが募る。そして、人類の探究の情熱が、理論で到達して、極めようとする。それが夢の領域。そして、理論上は、と言う。」

「なるほど。隆二。天才を迂闊に信じない天才だね。頭いいですね。」

「勿論、アインシュタインは、尊敬してるよ。でもさ、その『相対性理論』を読んでいると、真理子。お前、量子物理学の真骨頂の数式にはぐらかされるだろ?」

「嘘でしょ?!図星ですね。怖いな隆二は。

 」

「それが検証は無いということだと思うよ。しかし、理論上は、このように検証されるという。検証された事は、それはリアルで現実だからね。誰もが納得し、理解できる。」

「・・・・。」

「真理子。悩まないで自分を信じてよく考えてみてくれ。遠い未来なんてものは、現実的には存在しない。あるとすれば、それは人の想像と思考の中だけで存在しうる。未来というのは、現在の進行形で人の想定を現実化しつつ常にそこにある。この地上において、時空の歪みなんてものも存在しない。

 A地点は常にA地点で、B地点は、常にB地点で、時差や温度差や日照時間の違いを保ちつつ、時は常に未来に向かって同じように流れている。あまりにも当たり前で現実的なことを言うけど、地球上を移動したことはあるけれども、時空の歪みのような感覚は認めたことはない。それはより高速で移

 動したとしても同じことだろう。昨日の自分に会うことも、明日の自分に会うこともない。この地上にあるのは、相対性理論じゃなくて、僕は絶対性理論だと思うよ。夢を壊すようなことを言って悪いとは思うけどね。」

「・・・・。」

「悪いな。真理子。今日は、お前のお株とっちゃって。」

真理子は、涙ぐんで、僕をじっと見ている。そして、

「あ〜。隆二。感動しちゃったー。愛してるよー。」

と言って、本を手から離して、いきなり僕に抱きつく。雲雀も騒がしく空で鳴いている。雲雀も恋をしているのかもしれないな。そうだ。僕たちは、今、恋の季節を生きている。少なくとも、それは理論や理屈でなく、現実として。僕は、横を向いて、真理子を抱きしめた。僕だって、真理子。いつもお前には感

 動させられっぱなしだよ。愛してるよ。そして、僕は思う。二人の時間というのは確かに流れている。それでいて、僕たちは、僕には僕の時間が流れ、真理子には真理子の時間が流れている。

 それは、恋の季節が運ぶ夢み心地のいわば相対性理論だ。その相対性理論をいつまでも保とうとする輪廻から解放されるには、二人に常に同じ時間、二人でひとつの時間が流れていくような絶対性理論を構築しなきゃだめなんだ。それは、結婚式というお披露目の儀式で始まり、夫婦としての生活と家族という言葉で置き換えられることを僕は知っている。そして、恋の季節の幕を閉じて、夫婦愛と家族愛を育むということに発展する。かつて、最愛の人が去って行く時に言い放った

「永遠の自由の魂なんてありはしないのよ!

 」

という言葉によって、明確化して自覚された僕の中にあるという「永遠なる自由の魂」。その彷徨う魂のトラウマと呪縛から、今度こそ、僕は解放される。そして、僕と真理子は、地上の絶対理論の中に組み込まれる。

 ふと気づくと、真理子は、僕の腕の中で、スースーと寝息を立てている。なんて可愛い。さては真理子も昨夜、寝てないなと思う。空高く雲雀は、まだけたたましく鳴いている。空の青と草の緑と川の流れ。吹く風は淡緑色だ。ほら、また、僕は、ずっとこのままでいたいなというような魂の輪廻の兆しに支配されようとしている。真理子の香りがする。それは、ソープとほんのりとしたディオール、シャンプーの香りだ。その香りが僕をさらに癒して、僕も寝てしまった。でもやがて、必ず真理子が僕をその地上の絶対性理論への門へ、そしてその道へと導くだろうなどと思いながら。

 

         ☆


『結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。』キルケゴール

 

         ☆


 いや、待てよ。もし、彼女自身気づかず、真理子の中に、「永遠なる自由の魂」が息づいていて、その魂が彼女を支配しているとしたら、いったいどうなるんだ?!そういえば、彼女は、僕によく似ている。

 あっ!なんだ?僕は、夢をみているらしい。僕が真理子に、

「おい。真理子。自由の魂は、永遠じゃないんだ!」

と言っている。すると、彼女が言う。

「隆二。ごめん。でも私はもう少し自由でいたいの。」

 僕は、そこで、ビクッと目を覚ます。空が青い。雲雀はまだ鳴いている。先にお昼寝から目覚めていた真理子が

「起きたの?」

と言う。僕は、真理子に、

「真理子。自由とはなんだ?」

夢の延長でいきなり彼女に尋ねる。

「自由とは、自然の因果を離れ、絶対的に何かを始める能力で、それを超越的自由というの。バイ、カントです。」

「ハッハッハ。たいへんよくできました!真理子、ナイスキャッチ!」

 僕は、思わず笑ってしまった。真理子の髪を撫でながら考える。二人の「自由の魂」を一つにしたらどうだろう?そして、可能な限りその永遠を求める。

 完全崩壊するか、至上の幸福、愛に辿り着くか。やってみる価値はあるかもしれない。

 

         🌹


 僕は白い薔薇と赤い薔薇がその棘をもつ蔓を絡ませて合っている様子を想像していた。互いにその棘をかわしながら、また互いにその棘を自分の蔓に吸収しながら、成長していく。やがて、その薔薇は、従来の赤い花と白い花と、さらに新たに、輝くような幸せ色、桃色の花を咲かせる。

「それこそが,まさに僕が憧れていた薔薇色の世界なのか?!」

 僕の心が叫ぶ。いや、今この時が薔薇色の世界だろう。僕らが見なければならないのは、この先に永遠に続いていくはずの薔薇色の人生なんだ。

 

         ☆


『人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。』キルケゴール


         ☆


 ルイ・アームストロングの「薔薇色の人生」が、僕の頭の中で、柔らかな川風に乗って聴こえてくる。そして、クラシックなトランペットとしゃがれたボイスがノスタルジックな夕陽を連れてくる。いつしかピーチクパーチク求愛をしていた雲雀はいなくなり、鴉がもう帰ればとでも言うように、

「カア!」

と鳴く。僕らは車に乗って、真理子のマンションのパーキングにとめる。僕は、真理子を彼女の部屋の前まで送る。真理子は、ポットを僕の肩にかけて、手を繋いで階段の前を手を引くようにしてのぼっていく。真理子は、ご機嫌で、ジムペノディのあのメロディを口ずさんでいる。メロディに合わせて歩を進め、休符ごとに立ち止まって、振り向いて、僕にキスを求めた。まるで僕らは、フォークダンスを踊る子供だった。僕は真理子をこんな子に育てたご両親にいつも感謝している。部屋のドアを鍵で開けて、真理子は、

「夕飯食べて行くでしょ?」

と目を見開いて、ね?と目でも同じ事を言った。そして、僕の手をとり、部屋の玄関へ招く。

      

       💡🍽🛏


 僕らは、真理子がおしゃべりしながら作った夕食を、また、仲良くおしゃべりしながら食べて、それから、真理子のシングルベッドを揺らしながら、抱き合って寝た。今日の幸せは、今日の幸せ。真理子、ありがとう。明日もまた、いい日になりますように。そうだ。次の真理子の誕生日に、ディオールのローズ&ローズをプレゼントしよう。薄桃色の薔薇一輪を添えて。真理子は、喜んでくれるかな。

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