第11話

順子再び

 

「ねえ。真理子。あなた恋してるでしょ?!」

「えっ!どうして?」


         ☆


『彼は対象を理想化し、完成せしめる。女性は、男性が女性に関して感受するものの何であるかを意識しながら、わが身を着飾り、美しく歩行し、舞踏し、こまやかな想いを述べることによって、男性の理想化の努力に迎合する』ニーチェ


         ☆


「なんとなく。ということでもないんだけど。最近、ちょっとお洒落しているなと思うし、また、しぐさや態度からときめきみたいなものを感じるからよ。」

「へぇー。驚いた。さすが、仏文の恋愛キラー。」

 真理子は、目をパチクリさせて言う。

「やっぱり!図星でしょっ!」

順子は、得意げにうんうんと頷いている。

「それで、どうなの?」

と順子は、真理子に訊ねる。

「どうなのと言われてもですね。彼は、二十歳くらい年上なの。」

真理子は、少し戸惑いながら答える。そして、二人の歳の差のサバを読んだ。

すると、順子は、少し顔を歪めて、

「あー。真理子は、やっぱりそのパターンか!不倫ってこと?」

真理子が、俯きかげんで、首を横に振って答える。

「ちがうよ。」

順子は、えっ?という顔をして、

「違うって、そんな歳で独身というのは、なにか問題ありということじゃないの?」

真理子は、順子の顔と目を見て答える。

「問題ありというより、事情ありなの。どこか私たちは、似ているところがあるの。同情ってことじゃなくて、それで彼に惹かれたの。」

順子は、目を大きく見開いて言った。

「へぇーー。それじゃあ、ふたりは、運命の出会いをしたってことなの?」

真理子は、ちょっと照れくさそうにして、

「そういうことかなぁ。」

と言う。そう言いながら、順子の運命という言葉が、真理子の中で、二人の恋愛と出会いを決定づけたような気がした。


         ☆


『しばらく、二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。』キルケゴール


         ☆


 順子は、真理子に聞いた。

「それで、彼は優しいの?」

真理子は、黙って順子を見て頷いた。順子は、安心したようで、それならよろしいというような表情を見せた。そして、

「わかった。二人の恋によろしく!いつか、よかったら、彼に会わせて。」

と言いながら、学食のテーブルの食べ終わたランチのトレーを持って席を立った。真理子は、立った順子を見上げて、

「いいよ。」

とニッコリと微笑んで言った。そして、真理子は、残ったランチのナポリタンをほおばりながら、にこやかだった。その自分に気づいて、なるほど、ときめいていると思った。

 

         ☆


『幸福とは、傾向性の全体の満足である。』カント

 

         ☆


 真理子は思う。この「ときめき」を幸福と言うなら、私と隆二の互いの環境が、満足できる安定の中におかれていて、かつ、二人の恋愛が、互いの自己愛をも満足させているのだろうと。そして、どうかそうでありますようにと心で祈った。


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         ☆


『時間がいかに物理学を基礎づけ外的・内的世界を秩序づける能力をもとうとも(時間の経験的実在性)、時間は実在的な私の自由な行為を秩序づけることができないゆえに、観念的であるにすぎない。』-時間の超越論的観念性-カント

 

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 しかし、エマニュエル。時間が僕が有する超越論的観念によって、僕の自由を秩序づけることはできないとしても、僕は、その超越論をもってしても、経験的実在として時間の流れを止めることは、できないね。


         ☆


『実存は、本質に先行する』サルトル


         ☆。


 そして、ジャン。超越論と実存によって、経験的に、本質的に実在する時の流れと老いというものから、僕の自由が完全に秩序づけられないとしたら、時間に対する超越論的観念性を認めうることができるけれども、僕は、経験的かつ実在的な時の流れという本質に、超越論と実存をもって、先行し続け、優位に立ち続け、秩序づけられないであることは、遺憾ながら、不可能だよ。

 いや、どうなんだ?!僕が時間の流れという本質と老いに秩序づけられたとしても、強い超越論的意志と実存によって自由な行為を保ち続けて死んでいくとすれば、時間は、超越論的観念性を経験的実在的に有するということになるのかもしれない。と言っても、僕は、おそらくあと二十年足らずで、この世界から、消滅する。もっと早く、真理子に会いたかったな。



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 そうよ。隆二。あなたのその時間の超越論的観念性をもって、自由を貫くの。お互いのね。それは、あなたと私の自己愛。それに、二人が所有する環境の全体を合わせれば、幸福になれるの。真理子は、あの時の祈りが叶ったことに感謝している。やはり、二人の出会いは、運命だったんだと。

 昔、隆二がプレゼントしてくれた白い珈琲豆の缶から豆を電動ミキサーに入れ、できるだけ、細かく挽いた。隆二が濃いコーヒーが好きだからだ。沸騰したケトルの湯を、サーバーの上に置かれた白い陶器のドリッパーにペーパーフィルターを備えて、香り立っている細挽きの珈琲豆に注ぐと、苦くてまろ

やかなどこか高貴な香りがあたりに立ち込めた。

「これが、幸せの香りよ。」

と真理子は、独り言を言う。一分ほど経過して、十分にその香りを満喫してから、真理子は、さらに湯を注いだ。濃いハワイコナがコーヒーサーバーに湛えられる。豊穣な香りを放つ濃厚な褐色の熱い飲み物。

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