第2話 違う自分へ
ある朝、いつものように学校に行けなかった諒一に、父親が珍しく声をかけた。
「今日はお父さんと一緒に出掛けるぞ」
そう言って、諒一に支度を促した。
そこでふと思い出した。そういえば、中学一年の半ばくらいだったか、たぶんあまりに学校に行かな過ぎて市役所に呼び出された事があったな。
少年の目線で見た市役所は、とても大きく見えて、無機質で……怖かった。
何も言おうとしない父親に黙ってついていくと、係員に案内され、父親とは別室に連れていかれて面談のような状況になった。
記憶では父親と離された不安と、学校に行っていない罪悪感と恐怖で、ひたすら泣き続けて一言も話さなかったと思う。
あまり広くない部屋に案内された。真ん中に事務所にあるようなテーブルが一脚、そこにパイプ椅子が四脚置いてある。そこで諒一は、年配の職員と向かい合わせで座っていた。
「どうして学校に行かないのかな?」
柔らかい雰囲気と口調で年配の職員が聞いてくる。当時はこのまま少年院みたいなところに連れていかれるんじゃないかとか勝手に想像して、めちゃくちゃ不安だったのも思い出した。
「……なんとなく」
記憶にある自分と違い、変に落ち着いている諒一がそう返すと職員は分かりやすく困った顔になる。
どうせこのまま学校に行かない理由を問い詰められるものだと思っていたが話の流れが想定とは違う方向に行く。
「お父さんは好きかい?一緒にいたいかい?」
「え……?」
予想外の事を聞かれて思わず答えに詰まっていると職員は手元のあるファイルをめくりながらゆっくりと話し出した。
「諒一君が学校に行かない理由を調べたんだけど、これといった理由が見つからなかったんだよね。もしおじさん達が分からない所でいじめられたりしているなら言ってほしいんだけど……どうかな?」
そう尋ねられ、そう言った事実もないので首を振る。
そうすると職員は深い息をついた。なんとなく安心したような、やっぱりかといったような雰囲気だ。
「諒一君のお父さんの事も調べたんだけど……なんていうか子供を養育できる環境ではないと言わざるをえないんだよねぇ」
苦笑交じりにそういう職員は、なんとなくこっちに同情するような視線を向けている。
――まあ、その意見には反論できない。
当時父親は定職にもついていなかったし、毎日パチンコに行く。朝から閉店まで。裕福な家でもないのに仕事もせずに毎日パチンコをできる理由は後になって分かったが……
そのくせ授業参観や運動会など父兄の参加するものにはほぼ来たことがない。卒業式や入学式すら用事があると嘘をついて来なかった。普段よりきちんとした服装の同級生やその親達の中で、普段と変わらない格好の諒一が一人でいた。
学費や給食費なども常に滞納気味だった。消費者金融らしきところからもよく電話がかかってきていたし、その電話さえ権利を質に流してしまい、それからずっと家に固定電話はなかった。
その事では同級生からずいぶん馬鹿にされた記憶がある。番号を聞かれた時は電話が壊れてるって言い張っていたもんな。
冷蔵庫の中はいつもカラだったし、洋服もほとんど持ってなかった。
改めて考えると確かにろくな環境じゃなかったな。電気なんかちょくちょく止まってたもんな……。
そこに一人ポツンといる引っ込み思案で人見知りの少年。
……なんか自分がすごく可哀想な子供に思えてきた。よそう、考えるのは。
毎晩しっかり閉店時間までいて帰ってくる父親に不満を訴えてもろくに話も聞いてくれなかった。
「お前はそんな事心配しなくていいんだ!」とか、どの口が言うのか。
「諒一くん?」
昔を思い出していると諒一を面接している職員が困ったような顔で声をかけてきた。
「すいません、考え事してました」
「うん、ショックをうけるのはわかるけどね。色々調べた結果しばらく諒一君をお父さんから離したほうがいいんじゃないかという結論になってね。今お父さんも面談をうけているんだけど……なんというか」
ようやく目の前の職員は諒一の事を心配してくれているのだと理解して、ここに来て初めてまともに相手の顔を見た。柔和な顔つきをした初老の職員は国分という名札をつけている。たぶんだが福祉課の職員なんだろう。
「平気でうそつきますからね。あの人」
諒一も小さい頃は父親になついていたし、一緒にいたかった。前の諒一は、今挙げた問題があってもなお離れたくないと思っていた。
ただ、成長するにつれて信頼はどんどん落ちてしまった。その記憶があるので、どうしても辛辣な評価を口にしてしまう。
国分は少し驚いた顔をしたが、子供が実の親に対してそんな事を言うような環境であると思ったのだろう。どこか苦しそうな顔になっている。
多分……この人はいい人なんだろう。
国分の諒一に対する態度を見て、この人は信用してもいいのかなと思った。
「そうなんだよね。現在定職についていないのに聞いてみれば、真顔で以前少しだけ働いていた会社に今も勤めているというし……諒一君の給食費もずっと滞納しているくらいなのに変なプライドがあるのか福祉の世話にはならないというし……お父さんだけならそこまで立ち入らないんだけど諒一くんがいるからね」
眉を八の字にして国分は可哀そうにという視線を向けてくる。
「じゃあ僕はどこか施設に入れられるんですか?」
諒一がそう言うと国分はまた驚いた顔をする。
「うん、まあ……お父さん次第なんだけど。後は諒一君の気持ちだね。無理やり親と引き離すことが、決して正しい事とは限らないからね」
困ったように国分がそう言った時、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
国分が返事をするとドアが開き、別の職員らしき男性とどこかしゅんとしたような父親が部屋に入ってきた。国分が無言で入ってきた職員に目を向けるとその職員は小さく首を振って、父親を諒一の隣に座らせた。
「はあ……」
国分が大きなため息をついた。
「お父さん」
そして国分は父親に声をかけた。さっきまで諒一と話していたときとはまるでちがう声色で。
「諒一君とも話したけど、お父さんにはこの子を育てる事は難しいと言わざるを得ないんですが」
「い、いや、やっぱり子供は親の元で暮らすのが普通でしょう」
「今の環境でですか?それに諒一君の給食費も払えてないのに?これから諒一君が進学するにつれてかかる費用は今の比ではないですよ?今でも諒一君は食事を一日に一食取るか取らないかって状態だそうですね?」
その国分の言葉に父親は口をつぐむ。さらにファイルをめくって国分は続ける。
「お父さんが毎日パチンコしている間、諒一君は家でご飯も食べずに待ってるそうじゃないですか。家が五右衛門風呂なのは仕方ないとしても、お父さんがいないから風呂も沸かせず、月に一回か二回程度しかお風呂に入れていないとも聞いてますよ?」
それを聞いた父親は、キッと諒一を見ると、「お前余計な事を言うな!」とひそめた声を荒げた。国分はそんな父親の言い草に開いた口を閉じれないでいた。
さらに父親は、平気な顔をして嘘を並べる。
「いや、これからはちゃんと払います。もうすぐ仕事につくようになってるんで。飯は……諒一はあんまり食べないんですよ。食えって言ってるんですけど……。風呂は……薪がないから……」
それを聞いた国分は、ここで何度目かの大きなため息をついた。
「お父さんが言ってる会社は過去に働いていた会社でしょ?すぐに辞めたそうじゃないですか。聞いてみたけどお父さんが今後働く予定なんか無いって言ってましたよ?」
そう言われて、父親が少し気色ばむ。
「聞いたって……なんでそんな事するんですか?あんたには関係ないでしょ!息子の前でそんな事しないでください!」
隣でそう言う父親に、諒一は腹が立つよりも情けなくなってきた。
前の人生の子供の時から何度も思った事、今も強く思う。どうして、この人は、こうなんだろう……
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