第3話 自立支援団体 あじさい

 狭い殺風景な部屋の中。父親はパイプ椅子から少し腰を浮かせて言った。


 「うちにはうちのやりかたがあるんですよ!ほら、諒一もなんか言え!お前施設に入れられるんだぞ……いいのか?お父さんとも会えなくなるんだぞ!」


ああ、確かにそんな事言われた気がする。 


 当時の諒一はこの頃はまだ父親が好きであったし、人見知りと引っ込み思案をこじらせまくっていた当時は知らない所で暮らすなんて考えられなかったし父親と離されるのも嫌で大泣きした。


それに、こういう言い方をすれば、諒一が悲しくなって大泣きする事を父親は分かっていたんだと思う。実際に前の時はそうなって、厳重に注意されてこの日は帰された。


 そして、その後も何も変わらなかった。諒一も父親も……


このまま中学校でもほとんど学校に行かなかった。そう言えば、久しぶりに登校したら知らないうちに校舎が新しくなっていて自分の教室が分からないことがあったくらいだ。


そんな事を思い出しながら諒一は意外と冷静に吟味していた。もちろん今の状況が全部父親のせいとは思っていない。自分の自堕落な性格が前面に出ていたとも思うし、学校にいきたくないばかりに仮病を使って休んだこともある。

だが環境が悪い事は確かだ。しかも記憶ではその環境はこれからさらに悪くなる。それならば心機一転するチャンスでは。と思ったのだ。


考え込んだ諒一を見て、父親は顔色を変えた。当然父親と離れるのは嫌だと泣き出すと思っていたのだろう。


「お、おい諒一!お前、お父さんと離れ離れになっていいのか?もう二度と会えないんだぞ……お、お前は施設に入れられて出てこられないようになるんだぞ!」


「何言ってるんですかお父さん!」

 

そんなわけないだろうと突っ込みたくなるような事を言い出し、国分に注意されている父親に向けられたのは冷めた視線だった。


「っ!」


諒一から、これまで見せた事がないであろう冷たい視線を受けて、父親は言葉をなくす。

 それを見て諒一は国分に視線を移す。


「施設というのは強制的に、というわけではないですよね?帰れるようなら帰っても……」


国分をまっすぐ見てそう聞くと、少し笑って頷いてくれた。


「お父さん次第だけどねぇ。お父さんがきちんと諒一君をまともな環境で養育できるなら我々が余計な事を言う必要もないわけだし……」


苦笑いと共に国分がそう言うと父親が食って掛かる。


「それぐらい今ちゃんとしてるじゃないか!」


その言葉を聞いた時、あんなに穏やかに話していた国分が声を張り上げた。


「いいかげんにしなさい!一体どこをさしてちゃんとしてると言うんだ!」


キツめの口調で言われて父親はうろたえた。すると何を思ったのか諒一の方をキッと見た。そしておもむろに手を振り上げると、諒一の頭を叩いた。


「お前が学校に行かないからこうなるんだろうが!」


決定的だった。さすがに国分も他の職員も唖然としていた。原因の一つだから間違いではないのだが、まるで自分は悪くないといわんばかりの言い草には呆れるしかない。


「国分さん、すいませんお世話になります」


諒一の頭を叩き、顔を赤くして怒っている父親の顔を一瞥し、国分の方を向いて頭を下げる。そんな諒一を父親は信じられないものを見るような目で見ていた。



◆◆◆



廊下の向こうから騒いでいる声がまだ聞こえる。それに対して苦笑していた国分が諒一を見て表情を改めた。


「よく決心したね。その年で家を出る決断はなかなかできないだろう」


柔和な表情に戻った国分は諒一の肩に手を置いてそう言った。そして少し不思議な顔をした。


「それにしてもなんというか……聞いていた話とはずいぶん違う感じがするんだけど。」


諒一を見て国分がそう言ってくる。中身の年齢が違いますとも言えないし笑ってごまかす。


「甘ったれた泣き虫の悪ガキって聞いてたんでしょ?」


そう言うと国分の動きがぴたりと止まった。図星のようだ。まあ自分の事だしなぁ。


「きっと君も色々考えていたんだろうね……でも諒一くん。これからはあまり学校に行きたくないは通用しないよ?お父さんじゃなくて福祉のお金を使って暮らしていくんだから」


諒一の学費や生活費は福祉から出ることになるらしいから、甘えるなと言いたいのだろう。


「すぐには無理かもしれないけど……頑張ります」


諒一がそう言うと国分は淡く微笑んで諒一の頭をなでてくれた。



 ◆◆◆◆


 

「こんにちは諒一君。私たちは児童の自立支援をサポートしている「あじさい」の空閑総一郎くが そういちろうと言います。こっちは妻の亜矢子あやこです」


「こんにちは!よろしくね諒一君」


今、諒一の前には二人の男女が並んでいる。これから諒一がお世話になる施設の職員さんらしい。仲良さげに並んでいると思ったら夫婦だったとは。

総一郎は整った顔立ちで優し気なまなざしを諒一を向けて、亜矢子はしっかりと膝をかがめて諒一と目を合わせたうえで挨拶をして頭をなでてくる。


少し距離が近くて戸惑ったが何とか挨拶を返す。


「水篠諒一と言います。これからよろしくお願いします」


そう言って頭を下げると、二人そろって少しきょとんとした後にっこりと笑った。


「話に聞いてたよりもしっかりしてるのね。じゃあとりあえず行きましょうか。これから諒一君が暮らすところに案内するわね?」


亜矢子はそう言うと諒一の手を取って歩き出す。スッと手をつながれた事に、少し動揺したが、これまで誰も握ってくれず、一人で握りしめていた手を、自然に取ってくれた事がなんだか嬉しくて、抵抗しようという気持ちもわかなかった。

 そのまま駐車場まで引っ張って行かれ車の後部座席へと乗せられた。


運転席に座った総一郎はルームミラーで諒一の方を確認しているようだし、亜矢子は助手席から振り返って声をかけてくる。こっちが気恥ずかしくなるくらい構ってくれるのは、それだけ諒一の事を気遣ってくれているのだろう。


「これから君が住むところに行くけど、その……本当にそれだけでいいのかい?」


総一郎はルームミラーで諒一を見ながら少し言いよどんでいる。


 国分に連れられ空閑夫妻と引き合わされた後、まずは諒一の荷物を取りに家まで行ってくれた。


 そこで諒一が持って来た物は学校指定のスポーツバッグに比較的まともな普段着を入れてきただけだ。制服は今着ているし最低限だが勉強道具は学生カバンに入っている。


「家にあるものは特に思い入れのあるものはないです。身の回りの物はこれから揃える事ができるんですよね?それなら大丈夫です」


 はっきりとそう言うと空閑夫妻のまなざしに影がかかった。

嘘は言っていない。洋服は数着しか持ってなかったし、それもほとんど着古している。趣味と言っていい読書も頻繁に本が買えるわけじゃなかったので何度も読み返してしまっている。テレビゲームなんかも一時期はあったが、父親が勝手に持ち出して質屋に入れてしまった。

 

「そうか……まあ、最低限の身の回りの物や学生として必要な物なんかはきちんと申請してくれれば支給できるからちゃんと言うんだよ?」


こちらを気遣うような視線をルームミラー越しに向けられ、諒一は今日初めて少しだけ微笑んだ。

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