第1話 違う自分へ
「ふ……あっけない人生だった……な。」
ため息混じりにポツリと言葉が溢れる。力のこもってない、隙間からこぼれ落ちたような言葉だ。
ベッドに横たわっているのは五十代ほどの男性。名を
誰もそばにいる事もなく、もう終わりが近そうな雰囲気が部屋を支配している。
ピッピッと規則正しい医療器具の、諒一の生命を表している音が鳴っているだけの病室で、先ほどまでは意識もなくしていた諒一が震える息を吐いた。
このまま終わってしまうのだろう。そう思ったし普通に受け入れていた。
ちりん
――だめですよ。
いくら「引っ込み知り」といっても、そっちに行っちゃだめです。
「うっ……」
意識を失っていたみたいだ。身体が痛む……
若い頃から患っている病は今も諒一の体を苛んでいる。原因不明の発熱から始まり、次第に痛みを伴ってきたそれは長い間原因がはっきりせず、病名すらはっきりせず、わかったのはだいぶ後になってからだった。
四六時中共にある痛みは、病名の診断と共に処方された薬でかなり楽にはなったものの、決して無くなることはひと時もなかった。薬が効いている時は、それなりの副作用もあったもののなんとか生活していくことはできた。しかし……
薬の副作用に強い眠気とふらつきがある。さらに不眠と過眠を繰り返す不規則な睡眠状況が続いていた。
ある日、突然ふっと意識を飛んだ。時間にすればわずか数秒。時々ある事だ。
ただその時が運転中であった事が諒一の運の尽きということだったのか………。気づいた時はガードレールにぶつかる寸前で、強い衝撃と共にふたたび意識がなくなり、気づいたのか病室のベッドの上で、激しい痛みに迎えられた。
事故の痛みだけではない。もちろんそれもあるが持病の痛みだ。長く付き合っているのだからわかる。
どれくらいの時間意識をなくしていたか知らないが、その間痛み止めを使っていなかったためだろう。久しく感じてなかった痛みに顔をしかめつつ、身を起こそうとしたが体はもう諒一の言う事を聞いてはくれなかった。
ちりん
−−こっちに来て下さい。
……そうですね、あなたは自分の事をおろそかにしがちなんですよね。だから、来てくれないと私が困るんです。いいですか?私のためにこっちに来るのですよ?"
……目を覚ました後で、医師から受けた説明は、諒一が思っていたよりも事故は重大で、激しくぶつけたらしき頭部に重い障害があり手の出しようがないという事だった。脳にダメージを負った事で今も周期的に昏睡しているようで、おそらくは昏睡の間隔がだんだん短くなっていき、そのまま…………と、いうものだった。
「はは……」
話を聞いた諒一が力のない笑いをこぼす。死の宣告を告げたばかりだというのに、笑い出した諒一を宣告した立場の医師は怪訝そうに見ている。
「ああ、父親も脳幹部梗塞というやつで、似たような感じで亡くなったので……」
そう言った諒一に、間近に迫った死への衝撃が見えず医師は密かに困惑する。
「正直に言いますと、不思議です。私はあなたに今し方まもなく死ぬだろう。と、告げたのですが……あなたには焦りが見えません」
困惑を隠さずに問うてきた医師に諒一は苦笑を返す。
「そうですね……何も思わないと言えば嘘になりますが……そこまでではない事に自分でも戸惑ってますよ。まぁ、大した人生でもなかったし、心残りがあるわけでもない。長年付き合ってきた痛みから解放されるのであればそれもありかな……と」
そう返した諒一に医師は何も言えず、俯いてそうですか。とだけ返してきた。
おそらく医師が思っていたよりも冷静だった諒一は、スムーズにこれからの事を医師と話し、残った時間は痛み止めの投与をしてせめて安らかにその時を迎えようという事になった。いわゆるターミナルケアというやつだ。
◆◆◆
時間は深夜。医療器具の音以外何もない静かな病室で諒一は一度大きく息をついた。…………そして吐き出された息は再び吸われる事はなかった。規則的に鳴っていた医療器具の音が最後の音を鳴らした。
ちりん
薄れゆく意識のなか、どこかで聞いたような音が耳に届いた。
「は?」
思わず声を上げてしまい、その声にさらに混乱が深くなる。最後の時の事はうっすらと意識に残っている。もう二度と目覚める事はないのか、と妙に他人事ように考えていた事も。
ところが目を覚ました。覚ましただけではない。諒一を混乱の渦に誘い込んでいるのは目を覚ました時に飛び込んできた光景だ。
病室ではない。もちろん知らない天井でも真っ白い空間でもない。かつて見慣れていた天井だ。諒一が小学生の頃、両親の離婚と共に父親に引き取られ、連れてこられた父親の実家。それから二十歳まで過ごした家の天井だった。
さらにその天井を見て、思わず出してしまった自分の声と思われる幼い声。
古臭い布団から手を出してみると記憶よりも小さくきれいな手がある。手を動かすということも久しぶりに感じて思わず苦笑したがそれならばと起き上がって見ると軽く体が持ち上がるではないか。
周りを見ても間違いなく父親の実家に間違いない。さらに、視線を巡らせると諒一の布団と並べて敷いてある布団にはとうに亡くなったはずの父親がいびきをかきながら寝ている。
(いったいどういうことか……)
混乱の極致にあったが、ゆっくり深呼吸をくりかえすうちにだんだんと落ち着いてくる。読書が好きで幅広いジャンルで読む諒一はライトノベルも読む。これが知らない天井で自分が違う自分にでもなっていれば、荒唐無稽な話だが異世界転生という線もあったが、過去に戻る話はあまり聞いたことがなかった。
「まあ、死ぬ間際に夢をみているかもしれないし、少しイメージと違うと思うが走馬灯という可能性もあるかもしれないし……」
声に出してそう言ってみれば声変りしたばかりの頃の自分の声になんだかくすぐったくなってしまう。先ほどまでは指一本満足に動かせずに最後の時を迎えていたはずなのに、軽々と動く体に感動が隠せない。それにとても大きな違いがある。
「痛くない……体が。薬を使っていても常に痛かったのに。そうか……痛みがない体ってこんな感じだったか」
常に数種類の痛み止めを併用して、それでも体の後ろ、肩からふくらはぎまで全体的に重く痛みがあったのだがそれが全くない。
これはもしかしたら違う自分へ……変わるチャンスをもらえたのか?などと都合の良い事を考えてしまうくらいには軽快に動く。
「諒一、起きたのか」
一人感動していると、実に懐かしい声が聞こえてくる。声の方を見ると父親が起き上がって髪の毛を手櫛で整えている。そう言った何気ない仕草を見ていると記憶が次々に蘇ってくる。
自分を見るとおそらく中学生くらいだと思う。絶賛不登校だった時期だ。
諒一が小学校一年の頃に離婚した両親は父親が諒一を、母親が姉と妹を引き取った。父親の実家に連れてこられた諒一は当然学校も転校することになった。
……どうしても馴染めなかったんだよな。静かにその時を思い出す。
どちらかといえば物静かな同級生達と一年生を過ごし、急に環境が変わった先では……
少し渋ればすぐに休ませる父親に甘えて、逃げた。
休み明けに、なんで休んだのか純粋な訪ねてくる同級生達からも……逃げた。
そして……不登校になってしまった。
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