家庭的ハーレム-完全版-

藤井杠

第1話 主人公の災難

 はじめまして! あなたがこのページを開いてくれたことをとても嬉しく思います! 

突然ですがあなたは『死にたい』と思ったことはありますか?……ない人は、このウェブページをすぐに閉じてください。

ここには、死にたいと思ったあなたを助けるためのことがたくさん書いてあります。用法用量は守って読んでくださいね!

でまず初めにお伝えしたいことは、大事なこととして──────

♦︎

 スマホの画面を暗くする。隣の席のヒロカズが、人が昼休みに静かな講義室で休憩しているにも関わらず、無遠慮に横から話しかけてきたからだ。ヒロカズの話は脈絡がない突拍子もないものが多く、いつもなら適当に聞き流すことも多いのだけれど、今回俺がスマホを仕舞ってヒロカズの方を向き直るまでの反応をしたのは、ヒロカズがもたらした話題のせいだった。

「……で、何を無くしたって?」

「だから、今言っただろ。前にオレが買ったモバイルバッテリー、先週の部活の合宿先で無くしちゃったんだよ」

「……へー。で、ホテルの人に電話とかしたのか」

「してないけど?」

目の奥が痛くて、自然と眉間にシワが寄る。

「え、でも、見つかるかもしれないだろ」

「見つからないかもしれないだろ。いいよ、また買えばいいんだからさ。……なんでお前がそんな顔になるんだよ、ユウト」

ヒロカズは机に頬杖をついて、『オレは気にしてないんだよ』というポーズをとる。

「何でって、悲しいからだろ」

「オレが自分で落としたモバイルバッテリーを、なんでお前がそんなに気にするんだよ」

「だってあれ、白くて可愛かったじゃん。それに、最近買ったやつなんだろ……もったいないとかさ、思わないのかよ」

「そりゃあまあ、多少は思うけどさ。見つかったとしても、そこからホテルに取りにいくなり、着払いで送ってもらったりするにしても、面倒だろ。たかがモバイルバッテリー1個にさ。あれ、そんなにびっくりするくらい高いやつでもなかったし、普段からよく使うから、もう買った方が早いんだよ」

「……そうかよ」

机の上に置いておいたアイスコーヒーの残りを勢いよく啜り込む。

「にしてもユウトって、いつも冷静っぽく見えるけど、変なところで執着心強いよな」

昼ごはんの代わりに飲み切ったはずのアイスコーヒーの苦味が、舌に張り付いている。ヒロカズは今の言葉をなんとはなしに、何も考えずに言っているのだろう。

俺には、昔から『物』の声がよく聞こえるような気がしていた。一度目が合った物は、どうしてか俺に何かを訴えかけてくる、ような気がしている。ヒロカズのモバイルバッテリーもそうだった。普段のヒロカズの使い方に少し荒いところはありつつも、毎日のように連れ回されているその白い姿の輝きは、店頭で見る同じメーカーのものとは、他の量産品とは何かが違っていた。けれど、この『物の声がなんとなく聞こえるような気がする』という俺の感覚は、一見すれば心の病のようにも取られかねない。だから、俺は長年抱えている、このうまく言語化できないモヤモヤとした心の内を誰かに話したことはない。俺の話を真面目に取り合って聞いてくれるような、耳を傾けてくれる人も、どうせいない。『何言ってんのあんた、気にしすぎよ』とろくに人の話も聞かずに返されるに決まっている。

どうせうまく話すことも出来ないし、聞いてももらえないなら、もういいか。そうしてこの思いはずっと、心の中に入れっぱなしのままになっている。

また、いつもの癖で思考が内々に沈み混んでしまっていた。はっと思考を講義室に座る自分に戻すと、ヒロカズは机に肘をついて、俺の返事を待っているのかいないのか、自分のスマホを触り始めていた。ヒロカズがなんとなくで投げた言葉には何も言い返せないまま、俺も先ほどまで見ていたスマホの画面に再度向き直ろうとする。画面を消していたから、起動させてパスコードを打とうとしたところで、昼からの講義の開始を告げるチャイムが定刻通り頭上で鳴り響いた。にわかに講義室の中が騒がしくなりはじめた。耳が、脳が痛い。早く講義が始まらないだろうか。講義が始まるまでのこの数分間が1番苦痛だ。俺の耳元には意味のない雑多な会話が大小定まらない声で聴こえてくる。自分に向けられていないはずの声音に、脳がどうにか解釈をしようとして無理な意味づけをしようとする。これは止めようにも止められない。勝手に思考が止まればいいのに。教授が講義室に入ってきた。教壇に立つ頃には波が引くように、すっと講義室の中は静まり返った。ああ、ようやく講義に集中できそうだ。

 窓越しに見ていた気持ちの良さそうな秋晴れの空も、講義終わりに外に出て帰る頃にはあっという間に暗闇に覆われてしまう。静かになった講義棟から一歩出ると、ツンと冷たい空気が肌を、特に顔の部分を差してくる。上着の襟元をかきあわせて、大学正門前の横断歩道を渡り、定刻から数分遅れでやってきた市内バスに乗り込んだ。十分ほど揺られて、錆びついたバス停に降りるとそのまま短い帰路へと着く。気を抜くと、体に残る言いそびれたような気怠さがまたすぐに足取りを重くした。気を紛らわそうと頭を二、三度振ると伸びてきた前髪が耳元で擦れて、カユい。冷たい風が体の隙間を通り抜けていく。上着のチャックを首元まで閉めて、少しだけ緩めた。歩道のない道路を等間隔で照らす街灯の下を、足を動かして進んでいく。しばらくして角を曲がると、長年の排気ガスで色褪せたクリーム色の外壁をしたアパートに到着する。歩き慣れた道であるのと、そう長い距離ではないので、バスを降りてから物思いにふける間はあまりない。アパートの古びた赤茶色の外階段がカンカンと音をたてる。上着のポケットを探り、紛失防止用のキャラクターキーホルダーがついた小さな自宅用の鍵を取り出す。鍵を回そうとして、寒さからか鍵そのものをキーホルダーごと手から取り落としてしまった。

「あ、ごめん」

『痛い』と、こちらを責めるような、小さな声が聞こえたような気がした。でも、実際にアパートの部屋の前にいるのは、ここにいるのは俺1人だけだ。それでも、声は聞こえるような気がする。だから、誰に対してでもなく謝ってしまうのが癖になっている。

「とりあえずご飯食べて風呂に入って……そういえば、来週までのレポートも1個出たんだったな」

玄関の鍵を回しながら、1人で呟く。独り言でかぶせてしまえば、少しは物の声が聞こえてくるのも抑えられるかもしれない。そう思いながら、この後部屋に入ってやるべきことを確認するように、口にする。いつも通りの日常を問題なく通り過ごすためにするべきこと、それは年齢を重ねていくごとに増えていく。大学に入って一人暮らしを始めて、自分1人でやらなければいけないことが一気に増えた。自由な時間もその分増えたはず。なのに、その財産にも等しいはずの自由な時間は、睡眠とスマホに簡単にあっけなく吸い取られていく。対して大学での勉強は、高校の時に想像していたよりもずっと覚えにくくて、なんやかんやと課題も多い。でも周りの人間たちは代返と過去問に頼る、女とも男とも取れる耳障りな甲高い声をした学生ばかりだ。

『今日の授業だるいね』

『アタシ後半ほとんど寝てたわ……(笑)』

『マジで眠い……』

講義室にいると、特に授業が始まるまでの数分の間、学生たちが講義室に集まり始めた頃にそんな声が聞こえてくる。少しでも授業に集中したくて、俺は講義室の1番前に座っている。そんな行為でさえ、後方からの声が頭に入ってくると、自分がそれなりに真面目に勉強していることが馬鹿みたいに思えてくる。十代後半の貴重な時間を使って勉強していた、中学や高校のあの期間は何だったんだろうか。周りの言うことを聞いているだけ、言われたことをしているだけの、盲目で無知な期間はなんて幸せだったのだろう。気づいてしまったのだ。真面目なだけでは上手く生きられないのだと。でも、どうやったら上手くできるのかは分からない。だから、大学二年目の秋を迎えても、まだどこかこの大学生活に慣れない自分がいた。

人間関係は、出来なくはない。この世界に生まれて19年間が経過して、彼女ができたことは未だないけれども。友人関係はそれなりに出来ていると思う。在籍番号の近いことをきっかけに、入学してすぐに友人になったのがヒロカズだ。彼を始めとして、同じゼミの知り合いやバイト先にも何人か知り合いがいる。人間関係は、出来なくはない、はずなのに。大学の講義の合間や、アパートの自分の部屋に戻ってふと一人になると、言葉にできかねるような、不安と寂しさとモヤモヤに似た、夏の離岸流のような、冬の冷たく重い波のようなものが胸の奥にどうしようもなく、そして避けようのないものが押し寄せてくる。この時間はとてもしんどい。けれど、それを親や周りの人間に言ったとしても

『何言ってんの!気合いだよ』

『そんなのいっぱい食べてめちゃくちゃ寝ればすぐに治るって』

……と、返されてしまうのだ。そもそもそんな話をするまでに俺のことなんて聞いてもらえない。だから、話もしないし、何を言っても仕方がない、と俺自身が親との対話を諦めるのにそう時間はかからなかった。だから誰にも言えない不安や寂しさやモヤモヤは俺の胸の奥にずっとあって、消えてくれない。事あるごとに波のように揺れているこの気持ちは、きっと間違ったものなのだろう。胸の中にあるモヤモヤは、生きているうちには避けられないもの。だから、割り切るんだよ。そう考えないと、見えない何かに押し潰されそうだった。そう思うと、生きるって一体なんなんだろうか。

そこまで考え付いて、いつも俺の思考は自動的にストップして、手の指は最近見つけたあのウェブサイトへとスマホの画面を動かした。最近頭が上手く働かなくて、文章を読むのにもずいぶん時間がかかってしまう。これが衰えなのだろうか。高校を卒業してから、体育の時間、および定期的に身体を動かす機会がぐっと少なくなったからか、体力の低下をひしひしと感じている。ウェブページはまだ最後のページまで読めていないけれど、ここなら『生きる』以外で楽になれる方法を見つけられそうな気がしていた。

「……課題のレポートもう少し進めたら、サイトの続きでも見るかな」

玄関前での長考を終えて、冷え始めた身体を再起動させる。解錠済みの玄関ドアのハンドルを右に回し、手前に引いた。

───それは普段と変わらない、いつも通りの行動、のはずだった。


「お帰りなさい! ユウト!」

 鬱々とした空気を、体の内から吹き飛ばしてしまいそうな快活な声が、アパートの玄関先で俺を出迎えた。玄関扉を開いた途端、段々と肌寒く固まっていく外の世界へと、開かれたドアの間から一気に季節外れの春風のような、透き通った温かい風が吹き抜けていったようだ。ドアノブの位置で固まっていた視線を上げると、頭の後ろでふりん、と一つ結びの髪が揺れるポニーテールの女性が1人、桃色のエプロンに身を包んで玄関に立っていた。

「かっ……」可愛い。第一印象はそれで決まりだった。

ちょっと待てよ。一旦玄関ドアを閉める。陽が落ちて冷え切った外の空気に再度触れて、昇華しそうになった頭をクールダウンさせる。……ここ、俺の部屋だよな。先程危うく本音をこぼしそうになった緩んだ口元を抑えつつ、玄関横の表札を指差しで確かめる。2、0、3……間違いない。この部屋は俺が大学に入学した時から借りている、アパートの2階のちょうど真ん中にある、203号室だ。この部屋に住む俺以外にこの部屋の合鍵を持っている、つまり俺以外に自由にこの部屋に出入りできるのは、県外にいる俺の両親だけだ。父母二人のうちどちらかが連絡もなしに突然この部屋を訪ねてくることは、まあ月に1回あるかないか位の頻度であるけれども、基本は俺の自由気ままな一人暮らしだ。この部屋に遊びに来てくれるような女友達、彼女と呼べるような存在は今の俺には当然いない。「今から遊びに行くからな〜」なんていう友人からの連絡も今日は無い。基本は俺1人だけの静かな部屋だ。そんな場所で、玄関前で見知らぬ、女の子が俺の帰りを出迎えてくれるはずはない。じゃあさっきの……か、可愛い女の子は一体誰なんだ? さっき咄嗟に閉めてしまった玄関のドアをもう一度、そっと引き開けた。

「お帰り!」

「お帰りなさい!」

「おかえり」

玄関の1番前に立っていたポニーテールの女の子を押し退けるように、狭い部屋の奥から次々と、同じように顔の整った女子が複数人で出迎えてきた。彼女たちのビジュアルは、まるでネットの広告でよく見るゲームのキャラクターみたいに、皆とても容姿端麗で、それでいてどこか個性的なパーツを持っていて……

「って増えた⁉︎」

何事かと慌てて玄関の奥を覗き込んでみれば、見慣れたはずのアパートの手狭な廊下には、大勢の女の子達がたむろしていた。しかも、全員、いわゆる美少女ときている。最初は部屋かアパート自体を間違えたのかとも思ったが、アパートの位置、ドア前の表札、何よりたった今この鍵で玄関扉を開けたこと。そのどれもが、ここが俺の部屋の中であることを証明している。考えたいことは色々あったが、このままずっと外で立ち尽くしているわけにもいかない。秋の終わりの風がジャンパーの隙間から再び身体を震わせる。困惑を隠せないまま、俺はいつもとは違う温もりを秘めた自分の部屋の中に、足を踏み入れることにした。

「た、ただいま……」

「おかえりなさい」

1番初めに玄関先で迎えてくれたポニーテールの女の子が、真っ先に笑顔で出迎えてくれる。部屋の奥へと向かう俺の後ろを、彼女はにこやかな笑顔を浮かべて着いてくる。靴を脱いで上がり込んだ短い廊下には、いつもなら右手側に備え付けの流し台、左側には浴室・トイレに続く扉がある。けれど今は、見覚えのない女性たちに廊下の両脇を囲まれていて、廊下の元あるべき姿を見ることができないでいた。人一人分の道が開けられた、両側を美少女たちに囲まれた短い廊下を通り過ぎて、玄関前から正面に位置する、リビング兼寝室のドアを開けた。

 このアパートに住みはじめて、一番賑やかと言っていいだろう。部屋の中にも所狭し、と言うほどではないが、置かれている少なくない荷物を隠すように、女性たちが数名部屋の中に立っていて、大学から帰ってきた俺を出迎えていた。いや、待ち構えていたのかもしれない。みんなが皆んな俺を笑顔で出迎えてくれているこの状況に、今更になって背筋が震えてきた。今のところ彼女たちから敵意は感じないが、今のこの現状も原因が何かも分からない分、気は抜けない。

玄関先から、数えてもとりあえず目に入るだけで十人近くの女性が、ワンルームである俺の部屋の中に居た。これは一体、どういうことだろうか。俺は気づかないうちに何らかの事故にでもあって、どこかゲームの世界の中にでも転生してしまったのだろうか。しかし、思い出せる限りでそんな出来事はなかったし、何故か美しい女性たちが沢山居ることを除けば、いつもの俺の部屋となんら変わらない……はずだった。ポケットに入ったスマホは部屋のWi-Fiに繋がったし、SNSのタイムラインも機能している。……ひとまず、いつもの世界、ここは俺の部屋で間違いないはずだ。

もしかしたら新手の詐欺かもしれない、とも考えたが。たかだか大学生の男子1人、親も平凡な見た目と職業で、俺自身も平凡な大学生2年生で、奨学金を借りながら週2回本屋でバイトしている程度。こんなやつを騙したところで、大した金が取れるとも思えない。何があるかわからない世の中だから、それでも可能性として警戒しておくに越したことはないけれど、詐欺だったとして、こんなに派手派手しくやるものかな。部屋の入り口に立ってこの状況について考えてみたところで、ピンとくるものは何も浮かばない。俺の部屋の中で、一体何が起こっているというのだろうか。

「お帰りなさい、ユウトさん。本日も大学での勉学、遅くまでお疲れ様です」

部屋のなかでたむろしている女性たちの中から、一人の少女が俺の前に歩み出てきた。女性ではなく、少女である。というのも俺の前に立つ彼女は部屋の中にいるほかの女性たちと比較して背丈が低めであることと、小さな顔に大きな瞳、少し短めの眉毛というその顔つきが、実年齢は知らないが幾分か幼げに見えたためである。身につけているのは清楚な白いシャツに黒を基調としたハーフパンツ。シャツの色に溶けていくような白髪が肩口で揺れている。

彼女の紅色の瞳が、ゆっくりと俺の方に向けられた。その姿を見た瞬間、咄嗟に言葉にはできないような、普段の胸の圧迫感とは違う、心にかかる重いような軽いような感触を、自分とは違う重力を感じた。胸を手でそっと抑える。辛くはないけれど、むず痒いような、心に刺さるものがあるというか。一番好みといえばいいのだろうか。とにかく、彼女からは笑顔を向けられても嫌な気は全くしない。そう思った。魅力的に輝く紅色の瞳にややたじろぎつつ、俺は咄嗟に敬語で、今の状況を目の前の少女に尋ねていた。

「あの、ここは俺の部屋なんですが……あなたたちは一体、どちら様ですか」

「お分かりになりませんか?」

そう言うと、目の前の彼女は細く短い眉を垂らして目尻を潤ませる。ささやかな膨らみしかない胸の前で手を組んで、俺を上目遣いで見上げてくる。どうしてこう、彼女の行動一つ一つは俺の心に刺さってくるのだろうか。目の前の少女を見続けられなくて、俺は咄嗟に彼女の背景、自分の部屋へと視線を移す。部屋の中には見目麗しい女性たちがいるけれど、目の前の瞳が大きな少女を見続けるよりは辛くないかもしれない。

 ふと、部屋の中にたむろする彼女たちのさらに後ろ、背景である部屋の中の様子に、俺は妙な違和感を覚えた。

「そこに……確か机とソファがありませんでしたか? あと、そこの壁のところには本棚があったはず」

部屋の真ん中に置いてあった机、その横に置いてあった1人掛けのソファ、右手の壁際の本棚、その反対側の壁際に設置されていた寝具。ベッドフレームは残っているのだけれど、その上に乗っているはずの敷き布団と掛け布団、そして枕が見当たらない。部屋の中に見知らぬ女性たちがいることだけでも十分おかしなこと、異常事態だというのに、自分の部屋の中の家具がこつぜんと無くなっているなんて。部屋のあちこちを見渡して、今来た廊下を振り返る。そこには、廊下にあったはずのキッチンや冷蔵庫も見当たらない。家中の家具・家電が無くなっている。家具が置かれていた場所に、なんだかどこかで見たことがあるような女性の姿はあるのだけれども。消えたのは棚や冷蔵庫、寝具などの比較的大きな家具ばかりで、服や本や小物、食料品など、家具の中に収められていた肝心の中身はそっくりそのまま残っている。妙な物盗りでも入ったっていうのか?そうだとしても、部屋の中にいるこの女性たちは一体……?

「どういうことだ……家中の家具や家電が、中身はそのままで、本体だけが無くなっている」

「ユウトさん。私たちのこと、見覚えありませんか?」

「うわっ!?」

先ほどまで俺の前に立っていたはずの少女の顔が、現状に困惑しきっている俺の視界のど真ん前に突然映り込んだ。少女は頭の先からつま先まで白い部分がほとんどだから、余計に瞳の紅が強調されて、輝いている。その瞳をじっと見続けていることはやっぱりできなくて、ついと視線を外してしまう。けれど先程と違い眼前まで距離を詰められていると視界の逃げ場はなく、少女の胸元についたマークと、それに、裾下からちらりと見えるキャラクターのシールが目についた。そして、思い出した。

「パソコン……」

メーカーマークがデスクトップの裏側にあって、しばしば学校の資料作りや、普段の検索なんかに使っていた。そして自分の好きなキャラクターのシールを目のつくところに、とマウスパッドの横の部分に貼っていた。それは、俺が高校生の時に購入した、白色のノートパソコンだった。

「俺の、ノートパソコン!?」

「はい。ユウトさんに気づいてもらえて、嬉しいです」

目の前の少女は嬉しそうに頬を緩ませた。うん、可愛い。

「で!でも、パソコンがどうしてそんな姿なんかに……」

「あなたの好みは、なんだって知っていますから」

そう言うと、パソコンは幼い顔の上にいたずらっぽい笑みを浮かべる。うわ、この表情も可愛いな。改めてパソコンと名乗る少女の顔を見る。確かに、どこかでみたような顔のような気がする……。少女の持つ面影をどこで見たのか、よく思い出そうとして、俺の部屋の中にいる女性たちの顔が記憶の中の表情と、ついに重なった。

と、同時に思い出される昨日深夜のパソコンの検索履歴画面と、画像達。

「うわー!!!!!」

言い知れぬ羞恥心が、全身を震え上がらせた。どうしてこんなことに!

「ユウトさんが動揺されるのも無理はありません。ですが、私たちはあなたのために生まれたのです」

昨晩のことを他者に知られるなんて、顔が破裂しそうだ。いや、いっそのこと破裂して仕舞えばいい。そんな俺の混乱を知らずか、訳のわからないまま、パソコンは言葉を続ける。ちょっと待って。とりあえず、ちょっと待ってくれない?

女性たちと少女が笑顔で見守る中、俺は部屋の真ん中で一人ひとしきり悶えた後、少し時間を置いて、どうにか落ち着いた所で俺は床に座りなおした。

自らをパソコンと名乗る少女と俺を中心に、女性たちが周りを囲む。……やっぱり落ち着かない。ワンルームの狭い一室の中で男1人に女性数名がフローリングの床に直に座って円になる光景は、異様としか言いようがない。この景色を見ているだけでクラクラと酔ってきそうだ。しかも気持ち悪さだけじゃない、どこか心地よい酩酊感を含んだ甘い空気がこの部屋全体に漂っている気がする。嗅いだこともない場所の匂いを想像してしまう。そんな俺の苦悩をよそに、俺の目の前でしゃんと背筋を伸ばして正座で座るパソコンは、今の俺の部屋の中がどうしてこんな状態になっているのかについての説明を淡々と話し始めた。

「現在のユウトさんは、大変危険な状態です」

「……危険な状態?」

「はい。私たちは、ユウトさんが今おかれている危険な状況を改善するため、ひいてはユウトさんの『三大欲求』を満たすために、こうして物の形を脱ぎ捨て、人の形を取ったのです」

「さんだい……欲求?」

「はい。人間の基本的な欲求である食欲、睡眠欲、そして性欲。これら3つの欲求が、現在のユウトさんには著しく欠如していると判断されました」

パソコンは顔の横に3本の指を立てる。

「ユウトさんの欠如した欲求を回復させるため、私たち人の形をとった家具は、ユウトさんに満足してもらうまで、この部屋の中で一緒に生活します」

「い、いったい誰が、そんなことをしてくれなんて言ったんだ」

「それは……」

パソコンの後ろに立っていたポニーテールの少女、1番初めに玄関先で出迎えてくれた彼女が話そうとする。彼女も何かしらの家具の擬人化ってことなのか。

「彼女はキッチン」

「えっ」

「流し台やコンロをまとめた、いわゆるシステムキッチンが擬人化したものです」

パソコンは俺の周りに座る、個性豊かな女性たち、彼女たちがそれぞれどの家具の擬人化した存在なのかを説明し始めた。

「そして彼女たちが寝具です。横から敷布団、掛け布団、枕となっています」

身長順に階段状に並んだ3人の女性。ブルー基調でしましま模様のモコモコしたパジャマに身を包んでいる。確かに、俺の部屋にあった寝具シーツの見た目とどことなく似ている。……どうしてみんなハーフパンツなのかは聞かないでおこう。今のところは。

「彼女は本棚」

隅っこの方の壁際に、三角座りで寄りかかっている黒髪三つ編みで黒縁メガネをかけた少女がいた。

「彼女は机さん」

少し後ろの方で四つん這いになっている薄茶色の長髪の女性。……机だから、四つん這いになっているのか。

「そして私は、ノートパソコンです。長いのでパソコン、とお呼びいただければ大丈夫です」

ここにいるのはベッド・敷き布団・掛け布団と寝具の3人娘、本棚、机、ソファ、キッチンや冷蔵庫その他に何人か…そして元パソコンである自分。というように、パソコンはこの家のもの全て、というか…家具やインテリアを中心に擬人化していることを説明してくれた。

どういうご都合主義か、俺の服とか本などの小物類はそのまま、擬人化していないらしい。まぁそこまで擬人化していたらとてもじゃないが日常生活ができないし、そんなに大勢になるとおそらくこの狭い部屋には入りきらなかっただろう。

 俺は、幼い頃から頭の中でモノの声が聞こえるような気がしていた。言葉としてはっきりと聞こえるわけじゃない。ただ、なんとなく。けれど、確かに自分の周りにある『物』たちには、自分と同じ思いや感情を持っているような気がしていた。そんな『物』たち、俺の部屋の中に置かれていた家具たちが、いざこうして目の前に、人間の形となって、それぞれが思い思いの言葉を話しているとなると……。家具たちの各々の思いが声としてはっきりと聞こえる分、今まで俺が胸中に抱えていた言い知れないモヤモヤもスッキリするかと思いきや、反して脳内は強烈な頭痛に襲われていた。家具たちが人間の形になった分、『物』であったときよりも視線や表情、腕の動きなど、人間としての体の動きが見えることで、音として聴こえてくる声に加えて、俺の脳内から、心からは、彼女たちに思いもしないような感情が滲み出てこようとしている。嫌だ、1人になりたい。

そこまで考えて、大きなくしゃみが一発出る。考えすぎていた頭が、一旦思考を止めた。部屋の中は思いがけない人口密度のため、暖房をつけていなくても室温は高かった。女性たちに囲まれて汗もかいて、俺は上着を脱いでいた。冬用の上着は重いため、部屋の中でふたたび着ようとは思わないが、シャツ一枚では流石に少し肌寒い。しかし羽織るのにちょうどいい感じの薄さの上着も、ぱっと見ては部屋の中にはみつからない。

「とりあえず、小さい毛布はないかな。確か布団の近くに折り畳んで置いておいた筈なんだけれど……」

「あぁ、彼女でしたら、こちらにいらっしゃいます」

パソコンは、ベランダにつながる窓側に座る女性を、手で指し示した。ふわふわした衣服に身を包んだ少女が、若干顔を赤らめながら俺の前に立つ。パソコンよりもやや背が低めである。

「あのー……もしかして毛布も?」

「はい。可憐な、ユウトさん好みの少女の姿になりました」

パソコンはそう答えると、おもむろに毛布の背中に手を添えて、彼女、毛布の胸部を座っている俺の肩に押し付けてきた。やわらかく、かつ温もりのある感触が上着を脱いでシャツ一枚になった俺の右肩から、じんわりと伝わってくる。

「はい?」

「彼女、毛布の役割は暖をとること。そしてユウトさんは今それを求めています。……好きにして、いいんですよ」

パソコンがぬるい息を俺の耳元に吹きかける。

「い、いいいいいや、いい。やっぱりいい!毛布は今はいらない!!!」

慌ててパソコンと毛布の二人から距離をとる。とは言っても、ワンルームの狭い部屋の中なので他の家具達……女性に囲まれていることに変わりはない。俺から距離を取られた毛布は、しゅんとした顔をする。

「この体では、満足できませんか」

そういうことじゃない。そういうことじゃないと思うんだ。俺は頭に手を当てる。

「……えーっと、そりゃ君たちの提案は、魅力的なものなのかもしれないけれど、あなたたちがまだ酔っぱらってるだけだとかそういう可能性も捨てきれないわけで!!……とにかく!魅力的だというだけで手を出す理由にはならないでしょ!」

パソコン、他擬人化した家具たち、もとい部屋の中の女性たちに向き直る。

「俺は、そんな『物』をぞんざいにあつかったりしない。もっと、……優しくするから。俺は、胸を押し付けてもらうとか……嫌いではないですけれど。そんなことを女の子に今望んでるんじゃない!」

……家具とパソコンを相手に何を言ってるんだ、俺は?

「本当に正直で、真面目ですね、ユウトさんは」

パソコンの紅い瞳が真っ直ぐに向けられる。

「でも、好きでしょう?私たちのこと」

そう言われてパソコンたち、そしてその後ろに並ぶ女性たちの姿を改めてしっかりと見つめ、確認する。彼女たちの姿形は、俺がこれまでどこかで、ネットの世界のどこかのページで見たような、俺が好きな『人の姿』だった。パソコンに残っている、俺のこれまでの低俗な検索履歴を参考にしているっていうのか。そう思うのは、彼女たちの姿形がよくお世話になっているサイトのキャラクターたちとよく似ているからだ。まあこんなの、大衆向けするよくあるようなキャラデザだし、きっと偶然の一致だろう。しかし誰が、一体何の目的でこんなことをしたのだろうか。俺の部屋の家具たちを擬人化させた目的は分からないが、俺の三大欲求が不足しているなんて、ずいぶん的外れなことを言うもんだ。欲求なんて、欠けているなんて自分では思ったことはないし、満たされなくても別にいいとも思っている。実際足りないな、とか、寝たいとか食べたいとか、……あの子が好きだなとか、最近特に感じなくなってきたんだから。

この事態を企んだ何者かは、どうやって俺の趣味思考を調べたのか、彼女たちはどうしてここにいるのか、とか、これからどうすれば良いのか、とか。考えれば考えるほどもう、見当がつかない。起きたことが現実離れしすぎている。まともな思考では到底まともな結果に辿り着きそうもない。頭がどうにかなりそうだ。

「俺の望みは……今はとりあえず、元の生活に戻りたい。みんな、元の家具の姿に戻ってくれませんか」

「でも、私たちはあなたのお役にたてないと、元の姿に戻ることは出来ません」

あぁもう、なんだそれは!

「とりあえず一人にしてくれ!」

その場に立ち上がり、一人になれる場所を探す。しかし、この狭い部屋のどこに行っても、女の子たちの姿がある。物が多いな!この部屋は!なんなんだこの部屋は……俺の部屋だよ!!!そして、狭い部屋の中を女性たちの間を縫いながらぐるぐると2、3周したのち、最終的に俺はクローゼットの中に逃げ込んだ。先程までの視界の暴力とは打って変わって、クローゼットの中は真っ暗で、頭を抱えうずくまっていると、荒ぶった思考と感情が少しずつ落ち着いてくる。

「一体、何が起きたっていうんだ……」

とは言っても、とっさに何かいい手だてなんかを思い付くわけもなく。思考停止に陥った俺はいつものようにズボンのポケットに入ったスマホを触ることしか出来なかった。ああ、こいつだけはこのままでよかったな……。

 しばらくスマホをいじって、画面右上の時刻表示を見る。この家に戻ってから、気づけばずいぶんと時間が経っていたようだ。先程の光景、美少女たちに囲まれた自分の姿を思い出す。なんだこの状況は。漫画やアニメじゃあるまいし。俺は悪い夢を、未だ大学のラウンジの硬い机に突っ伏しながら見ているだけじゃないんだろうか。スマホの画面を開いて、何人かの連絡先を眺める。クラスの全員が登録しているトークアプリに、明日の講義の予定やセミナー室の場所が変更になったことが投稿されている。今は見る気にもなれず、画面を流していく。今この瞬間が、紛れもない現実であることをスマホの画面を見れば見るほど、リアルタイムの投稿を適当に流しているだけでも感じざるを得ない。これが明晰夢だというのなら、たちが悪すぎる。……こんなこと、誰にも言えるわけがない。大体なんなんだよ。家の中の家具や物の大半が美少女に擬人化してるって。

……どうしよう。そりゃ可愛い女の子となんとかー。とか考えたことは、星の数ほどあるけれど、現実自分がそうなってみると、そのささいな憧れは一転、気苦労の連続だった。彼女たちの言うことを信じるも信じないにせよ、とにかく、

……とにかく、

………どうすればいいんだ?

そういえば、暗闇の中で悶々と考えているうちに、クローゼットの外がやけに静かになっていることに気がついた。もしかして、時間が経てば目覚める、季節遅れの、夏の寝苦しい夢のようなものだったのかもしれない。クローゼットの外にいるであろう彼女達に気づかれないようにそっと、戸を開ける。誰が消したのか、帰ってきた時から点けられていた部屋の電気は消えていて、室内はひっそりとしていた。まるで、元の部屋に戻ったようだ。しかし静かな中で耳を澄ませると、かすかに、けれど複数の寝息が聞こえてきた。先ほどまでのほんのりとした、人肌による温もりも部屋の中からは無くなっていない。どうやら、彼女たちは部屋の中で雑魚寝しているようだ。スマホのライトをつけて状況を詳しく確認しても良かったが、もし眠っている彼女らを起こすことになれば、また面倒なことになる。部屋の中は暗くてよく見えないが、とりあえず風呂にだけは入ってしまいたい。大学の講義で疲れて帰ってきたところに、たくさんの女子たちに囲まれたことと、妙な室温のせいで汗もかいた。それに狭いクローゼットに長時間居たせいか、身体が妙にうずかゆかった。

暗闇の中、記憶を頼りに無事に風呂場へと到着する。しわになったシャツを脱ごうとして、ふと思い立った。……ここにも擬人化した子達がいるんじゃないだろうな。服を脱ぐ前に、恐る恐る中折れ式のアクリル戸を開ける。

そこには、浴室の中にはいつも通りの浴槽と、シャワーがあった。やわらかい暖色の光に照らされたその空間に、どうしてか俺の心は落ち着いた。家に帰ってきてからようやくほっと一息つくことが出来た。明日も大学に行かないといけないし、今のうちにシャワーだけでも済ませておこう。ズボンに手をかける。

キュキュっと蛇口をひねり、シャワーを頭から浴びる。熱めのお湯が身体を流すと、少しの間ではあるが不思議と気持ちが落ち着いてくる。シャンプーを手にとって、無心で頭を洗い始める。

……そして、俺は過去最高に面倒くさいことを思い出してしまう。

「あー……社会学のレポート、パソコンにデータ入れっぱなしじゃん……」

一気に重たくなった腕を上げて、頭をがしがしとこすり洗う。これで全て忘れることが出来たなら、どれ程良かっただろう。

「どうすんだよ、これ……」

そんなことは無かった。シャワーで泡を流しながら、先程まで擬人化した家具たちについて考えて混乱していた頭の中は、課題一色に染まる。どうやってパソコン無しで課題をこなすか……。いや、レポートの6割近くは既に書けていたはずだし、そもそも課題の提出締め切りまであと1週間。今から1から書き直すのは流石に厳しいから、やっぱりパソコンから書きかけのレポートのデータを取り出すのが最善策だな……

「というか今日、俺どこで寝たらいいの?」

泡を含んだ湯水の流れる音が、浴室内で反響する。体の同じ場所を何度も洗いながら、思考ばかりが空回りしていく。


 お湯を流すユウトの背中側、湯気で曇ったアクリル扉の向こうに、少女の影が写った。

「ユウトさん……私はあなたの願いを叶えてみせますからね……必ずです」

その小さな声は、浴室の中のユウトには届いていない。

擬人化した家具たちとの、関わらざるを得ない女性たちとの不思議な同居生活が、始まった。

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