第3話 陰キャより愛を込めて。
次の日。
おれと桜さんは、放課後に屋上に集合した。昨日座ったベンチに、今日も並んで座る。
「それでは、ご指導よろしくお願いいたします!」
ぺこりとお辞儀をする桜さん。
「あ、はぁ、ありがとうございます」
戸惑いすぎて明らかに文脈にそぐわない返事をしてしまったが、桜さんは気にする素振りもない。
「まずは、なにから始めたらいいかな? やっぱり、『やれやれ、私の平穏な日常を返してくれ』を口癖にするところからスタートかな、とは思っていたんだけど」
「いや、それは上級者向けすぎるから今はやめておこう」
「ちょっと大げさに肩をすくめてみたりとか……」
「なるほど、形から入るタイプなんだね。それも今はやめよう」
なんなら、さっきのセリフはどっちかと言うとおれが言いたい。
「一応、昨日の夜に考えてみたんだ。どうすればおれみたいな無口……いや、陰キャになれるか」
自分のことを「無口なクール系男子」というのはあまりにハードルが高い。桜さんが意味を勘違いしているのをいいことに、ここは陰キャと言わせてもらおう。
「それで思いついたんだけど、キャラ作りをするに当たって1番手っ取り早いのは、しゃべり方を変えてみることなんじゃないかな」
「しゃべり方を?」
「そう。つまり、レッスンその1は、『ボソボソしゃべる』だ」
「なるほど……たしかにWEB小説のクール系主人公も、言葉少なにボソッと話すことが多いかも……さすが佐伯くん!」
よし、どうやら賛同をもらえたようだ。がんばって考えたかいがあった。
「桜さんはいつもハキハキ話すから、わざと少し小さめの声で話すだけでも、かなり印象は変わると思う」
「わかった! さっそくやってみるね! よぉし」
桜さんは目を閉じ、フーッと細く息を吐く。(おそらくわざと)薄く目を開いた桜さんは、小さく唇を動かした。
「……」
「ん?」
「…………」
「なんて?」
ダメだ、まるで聞こえない。おれは耳に手を当てて、桜さんに近づいた。
すると、彼女の方もおれに近づいてきて、耳元で小さく、言った。
「これで……どうかな?」
「うっ……!」
「小さな声で話すの慣れてなくて……ねぇ佐伯くん、私の声、変じゃない?」
ヒソヒソと、ボソボソと、彼女の声が、鼓膜を刺激する。
吐息混じりのその声が、おれの耳の周りの温度を、急激に上げた。
おれは思わず、桜さんと距離をとる。
「あ、ああ! いいんじゃないかな、うん、完璧!」
これ以上この声を聞き続けたら、なにかよくないことが起こりそうで、おれは無理矢理その場を終わらせようとした。
「ほんと? 嬉しい! ……って、ちがうちがう」
彼女はいつもの明るい声で歓声を上げてから、首をふるふると横に振った。
そして、ススっとおれの耳元に寄ってきて、ささやく。
「嬉しい……ねえ、今の私、いつもとちがう? 少しは、クールでかっこいい……かな?」
ゾクゾクっと、背中からつむじにかけて鳥肌がたった。この近距離での桜さんのささやき声は……いろいろとやばい……!
「こーら、佐伯くん。逃げないの。ちゃんと、私の言うことを聞きなさい……?」
「はっ……?!」
「ふふふ、びっくりした? 最近読んだ小説に出てくる、大人なお姉さんのセリフのマネ、してみたんだ。ねえ、大人っぽく聞こえた?」
「あ、ああ……」
「……佐伯くん、顔赤いよ? 具合悪いの? 熱でもあるのかな……おでこ、出して?」
耳元で響く桜さんの甘ったるい声。ささやくたびに耳にあたる、桜さんのあたたかい吐息。
わざとらしいセリフも、この状況で言われると、破壊力が凄まじい。
この上、桜さんの手がおれの額に伸びてきている。
おれは、とっさにその手を振り払ってしまった。
「ひゃっ!」
「あ! ご、ごめん……! でも、セリフの練習はもう大丈夫! 完璧だし!」
「えと……そうじゃなくて、佐伯くん、ほんとに顔真っ赤だよ……? 具合、ほんとに悪くない?」
「え……あ、じゃあ最後のは、セリフの練習じゃなくて、ほんとに心配してくれて……?」
こくん、と頷く桜さん。
「マジでごめん、なにやってんだおれ……」
「ううん、私こそ、ちょっと馴れ馴れしかったよね。なんか、ごめん」
「いや、そんなこと」
…………。
無言。
なんだこの気まずさ。なんて言えばいいんだ、この状況。
すると、桜さんがパッと立ち上がり、こちらに微笑みかけてきた。
「そうそう、私今日、帰りに寄りたいお店があったんだった!」
「え?」
「すっかり忘れてたよ。佐伯くん、急で申し訳ないんだけど、今日はここまでってことでもいいかな?」
「あ、うん、いいんじゃない、かな」
「そしたら、また明日……って、明日は土曜か。また月曜日にここで会おうね! 今日はありがとう!」
そう言って、桜さんは小走りで帰っていった。
バタン、と重い音を立てながらしまった屋上の扉を見て、おれはうなだれる。
「めっちゃくちゃ気を使わせてしまった……」
そもそも、陰キャのレッスンなんて意味のわからないことを引き受けてる時点で、おれもどうかしてる。
その上、あんないい人に気を使わせて……
ふと、自分の耳に手を当てる。
ついさっきまで、この距離に、桜さんがいたのか。
それで、あんなセリフをおれに向かって……。
「ダメだ! 考えるな! おれも帰る!」
ベンチに置いておいたカバンを引っ掴み、おれは家まで全力で走って帰ったのだった。
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