逃げ場なし

「柚姉様! 次はこれを! これを着てください!」


 そう言って我が妹は、フリルがフリッフリな服を差し出してくる。


 所謂ゴシックロリィタと呼ばれるジャンルであるそれは、およそ年上に差し出すそれではない。


 というか妹よ。そんなコスプレとも呼べるレベルの服、何処で何時入手したんだ? 兄は不思議でならないよ。


 え? ていうかこれ着ろって? ……流石にキツイと思うよ。兄はそれを着たくない。断固拒否する。


「そ、それはちょっと……」


 意識せずとも思わず地声が出てしまった。それ程までに俺の心はこのゴスロリ服を着るのを拒否しているらしい。


「絶対似合いますから! さあ、さあ!」


 そう言って妹の蜜柑は俺に服を差し出してくる。差し出すというか押し付けてくる。目は血走っている。


 フンスフンスしている妹はいつもの面影は無く、それはもう怖かった。普段はこんな子じゃないのに。


 くっ! 俺はこれを着るしかないのか? 何か逃げ道は……。無いな。


 俺が諦めて蜜柑から差し出されている服を受け取ろうとしたその時、神は俺に微笑んだ。


「待ちなさい!」


 俺は思わずその声の主を見る。声の主である我が姉は仁王立ちで俺たちを眺めていた。

 グイグイと押し付けていた蜜柑も流石に止まる。それ程までに姉さんの圧は凄かった。


 姉さん、まさか俺を助けてくれるというのか? 貴方が神か!?


「今の柚ちゃんに似合う服はこれよ!」


 そう言って姉さんは何処からともなく服を取り出した。


 それはぁ~……クラシックロリィタ、所謂クラロリと呼ばれるやつですかね。ほうほう、我が姉はそんなゴスロリよりもこちらのクラロリを着ろと申すか。ほうほう、なるほど。


 神などこの世にはいなかったっ!


「むぅ。楓姉様邪魔しないでください。私は今から柚姉様にこのフリッフリのゴスロリ服を着てもらうんです」


 長女と張り合おうというのか、次女よ。アイツは手強いぞ。一筋縄ではいかん。


「いいえ、柚ちゃんは断然こっちを着るべきね」


 ほらね?


「いいえ、こちらを着てもらいます!」


「いいえ、こっちよ。こっちの方が断然似合うわ」


「ぐぬぬぬぬ。確かにクラロリの柚姉様も捨てがたい。しかし私は今ゴスロリの柚姉様が見たい気分なんです! 大体何を根拠にクラロリの方が似合うと言っているのですか!」


「根拠、根拠ねぇ。……蜜柑、柚ちゃんの今日のメイクを見て見なさい」


「メイクですか? 分かりました」


 何やら一時的に話がまとまったらしく、二人がガンギマリの顔でこちらの顔を見てくる。正直こんなのはホラーだ。今日夢で見そう。ああ、怖いったらありゃしない。


「あ、あのー……。おねーちゃん? それにみかんちゃんも。私の顔に何か付いてる?」


「しいて言うなら可愛らしい目、鼻、口、などがついております」


「あぁ、何度見ても可愛いわぁ柚ちゃん。惚れ惚れしちゃう」


 二人ともそれだけ言って満足したのか、俺から数センチ離れる。そして何やら先程と同じ議論を繰り広げるようだ。


「ね?」


「楓姉様。流石に言葉が少なすぎて分かりません」


「いやだからね、今日のナチュラルピンクに可愛く仕上げている柚ちゃんにはこっちのクラロリの方が似合うって言ってんのよ。こんなフリルたっぷりなゴスロリ服には似合わないわ」


「! 確かに楓姉様の言う通りかもしれません。私はこの服を着せたいがあまり柚姉様の今日のコンディションを見ておりませんでした。何たる不覚っ!」


 あ、なんか蜜柑が膝から崩れ落ちた。どうやら議論の結果クラロリ勢力が勝ったらしい。


 姉さんがランランと目を輝かせながらこちらににじり寄ってくる。そして俺に対し甘ったるい声でこう言った。


「はーいじゃあ柚ちゃん次はこの服にお着替えしましょうねぇ」


 姉さん、涎垂れてるよ。そこまで来るともう怖い通り越してキモイよ。


 なので俺はバッサリとこう言い放った。


「いや着るなんて一言も言ってないけど」


 そう、何やら二人で争っていただけで当事者である俺はその服を着るとは一言も言っていない。そして勿論着るつもりもない。


 俺の一言によって姉さんは足を止めた。というか足だけじゃなくて全身止まってる。その姿はさながら雷に打たれた人のようだ。呼吸をしているかすら、今の姉さんは怪しい。


「着ないの?」


 やっとの思いで復活した姉さんがか細い声で言ったのはそんな一言。その顔は今にも泣きそうだ。なんていうかそう、幼児退行したような顔をしている。


「うん、着ない」


 俺はお茶をすすりながら、バッサリと言い放つ。俺だって人間だ。着たくないもんは着たくない。俺は都合のいいロボットではないのだ。


 姉さんの頭がガクンと下を向く。お? これは諦めてくれたのだろうか? バッサリ効果あった? もしかして。


 数秒後、姉さんがおもむろに顔を上げる。その目は獲物を捕らえる目をしていた。


「やべっ」


 その目を見た途端、俺の全身が警告を鳴らす。ここから逃げろと俺の魂が叫んでいる。


「蜜柑!」


「はい!」


 その掛け声だけで俺の短い逃走劇はあっさり終了。俺は結託した二人に取り押さえられてしまったのだった。


 そこからはもう語るまでもないだろう。二人が満足するまで俺は着せ替え人形と化した。


 ああ、そうそう。俺が解放されたのは夜十時を過ぎてからだと言っておこうかな。

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