飯テロを受けるくらいなら、潔く死


(俺は、魔王軍の捕虜となったはず……)


 ――それなのに、この状況は何だ?


 シリウスは困惑しながら、目の前の状況を見る。

 テーブルには、温かな料理の数々。

 そして、なぜか魔王城にいる美青年――彼の正体こそが、魔王レイヴァンなのだという。


「どうした?」


 じっと見ていると、男は首を傾げた。


 その直後、シリウスの体は限界を迎えた。

 視界がぐらついて、その場に倒れこむ。そもそも、こうして立っていられるのが奇跡なくらいに、彼の体はボロボロだった。

 すると、レイヴァンが呆れたように言う。


「やっぱり、倒れるほどに腹減ってるんだろ?」


 どうにも見当違いというか、能天気というか……とにかく、シリウスの緊張の糸を断ち切るには充分であった。

 呆然としていると、竜人の声が聞こえた。


「魔王様……。人間は、貧弱……」

「ん?」

「怪我……いたい……」

「おお、そうだったのか。気付いてやれなくてすまなかった」


 レイヴァンが片手を上げると、空中に赤い魔法陣が浮かんだ。

 その光がシリウスの全身を包みこむ。同時に、全身を苛んでいた痛みがすっと消えていった。ハッとして、体を起こす。自分の体を眺めると、傷が塞がり、皮膚を伝っていた血が消えている。


 体が嘘のように軽い。


 だが、安堵するどころか、恐怖が募った。

 シリウスが恐れた理由は2つ。


 魔王が自分の怪我を治した理由がわからない。

 そして、彼が使ったのは見たことがない魔法だった。王国で目にする魔法は、神聖で美しいものだった。

 しかし、レイヴァンの魔法は禍々しい印象だった。

 そちらを見ると、レイヴァンの腕が黒く染まっている。皮膚の表面には血管のような赤黒い光が浮かんでいて、なおさら不気味だった。


 シリウスはよろめきながら立ち上がると、レイヴァンを睨んだ。


「……何のつもりだ」

「治さん方がよかった?」

「理由を聞いている……! 貴様は魔王レイヴァンなのだろう?」

「ああ。お前の名前は?」

「名乗る名などない! なぜ魔王である貴様が、私の怪我を治した……!?」


 レイヴァンは目を細める。その顔全体に『何言ってんのコイツ』と書いてあるかのようだった。


「……だって、倒れてたら、メシ食えねえだろうが」

「なっ……!?」

「ま、座れよ」

「魔物が作った料理など、口にできるものか」

「魔物じゃねえよ。竜人族のロガン」

「名など聞いていない」

「……あ、そ」


 レイヴァンは呆れたように目を細める。

 その横で、竜人のロガンがしょんぼりとうなだれる。大きな体をぎゅっと丸めて、しっぽがしゅんとなっているのは、大型犬が『反省……』しているような雰囲気だった。


「俺……調理した……。頑張って、調理した……」

「おお、そうだな。ロガン。珍しい客人のために、あんなに張り切ったのになあ」


 レイヴァンは気のいい青年のように口元を緩める。


「ま、俺が全部食ってやるからさ」

「魔王様……」


 シリウスが呆気にとられている前で、レイヴァンは骨付き肉を豪快に噛みちぎった。


「おお、美味いな。何の肉だ」

「デスホーンです……魔王様」

「にゃるほど」


(いったい何なんだ、それは!? 何の肉だ!? やはり得体が知れない……!)


 一見すると普通の人間のように見えるが、口内からは鋭利な牙が覗いている。大きな骨付き肉も、たったの2口で食べつくしてしまった。

 骨だけとなったそれを、レイヴァンはシリウスへと向ける。


「お前さ」


 咀嚼を終えると、ゆったりとした声で続けた。


「城に入った時から、ふらふらだったろ? だから、すぐ転移させて俺のとこまで呼んだんだが」

「では、あの転移魔法は……貴様が?」

「だってなあ……顔色が悪ぃ。ボロボロの鎧。栄養失調起こしてるのが丸わかりの細ぇ体。傷だらけだったのは……すぐ気付いてやれなくて、すまんな。悪魔族ならあの程度の怪我、放っておいても治るから。人間はちがうんだな」

「何だ……!? つまり、何が言いたい?」

「……つまり? お前ここ数日、まともなもの食ってねえんだろ。んな体じゃ、持たねえだろうが。だから、まずは食え」


 そこでシリウスは気付いた。

 魔王が自分の怪我を治してくれた理由に。


「……そういうわけか……。私に死なれては困るというわけだな……」

「ん? まあ、そりゃそうだな」

「貴様らは私を拷問し、王国の情報を聞き出そうとしているのだろう? だが、いくら拷問されたところで、私は決して祖国を売ることはしない」

「…………? くっ……はは!」


 きょとんとした顔をしてから、レイヴァンは豪快に笑った。


「ずいぶんと威勢がいいねえ」


 その笑みがすっと消え、部屋の空気が一変する。

 レイヴァンの瞳が細まり、得体の知れない冷たさが滲んだ。


「その上っ面だけの忠義が、どこまで持つか見ものだな。……試してみるとするか」


 その瞬間、レイヴァンの背中には翼が生えた。

 得体のしれない気配にシリウスが戦慄していると、視界がぐにゃりと歪む。転移魔法だ。


 気が付いた時には、シリウスはレイヴァンの隣の席に座らされていた。

 唖然としていると、眼前には肉が迫る。

 レイヴァンがフォークに一口サイズの肉を突き刺して、口元へと持ってきた。


「ほら、口を開けろ」

「何のつもりだ!?」

「だって、自分じゃ食えねえんだろ? だから、給餌。ほら、あーん」

「本当に何のつもりだ!!?」

「食べないと死ぬぞ」


 目の前に突き出されたのは、ロースト肉(何の肉かは不明)だった。

 じゅうじゅうと脂がまだ音を立て、表面には香ばしい焼き目がついている。ハーブと肉汁の匂いが立ちのぼり、胃袋を直撃した。


 思わず喉が鳴りそうになり、シリウスは奥歯を噛みしめる。

 料理から必死で目を逸らした。


「んー……人間は、肉を食わねえのか? じゃあ、何なら食べる?」

「断じて口にするものか!!」


 しつこく口元に持ってこようとするので、シリウスは反射的にレイヴァンの頬を叩いた。

 直後、しまったと肝が冷える。


(魔王を、叩いてしまった……!)


 レイヴァンは頬をさすり、にやりと好戦的な笑みを浮かべる。


「…………やってくれるじゃねえか」


 冷たい怒気を孕んだ声が耳朶を打つ。空気が一気に張りつめた。

 赤い瞳がぎらりと光り、シリウスを捕らえる。それは完全に獲物を捕らえた捕食者の目だった。シリウスの背筋を冷たいものが走る。


「この俺を怒らせたこと、骨の髄まで後悔させてくれる」




 ――その後は、地獄だった。




「騎士よ、お前の覚悟はその程度か!?」


 焼きたてのパンから蜂蜜がとろりと垂れる。更に罪深いことに、ロガンが小鍋からあつあつのチーズをたっぷりとかけた。


「だんだんと目が絶望で曇ってきたなァ……もっともっと、濁らせてやろうではないか」


 骨付きのスペアリブがじゅうっと音を立てる。滴る脂が皿の上で、踊るように弾けた。


「ふはは、空腹で揺らぐ忠誠心など、紙よりも薄っぺらいぞ!」


 コーンポタージュから湯気が立ちのぼり、甘い香りがふわりと漂った。


 目の前に積まれる、ごちそうの数々。

 すさまじく美味しそうな匂いが、手を変え品を変え、空っぽの胃袋を直撃する。


 だが、騎士として……絶対に屈するわけにはいかない。


「ぐっ……、あああ――!」


 シリウスはフォークを自分の太ももに突き刺した。

 痛みでわずかに残った自制心をとり戻し、決死の覚悟で口をつぐむ。

 ついでに溢れそうになるよだれを呑みこんだ。


「くっ、殺せ……! いっそのこと、殺せ……!」

「あーあ。全然、落ちねえな。ロガン、次の候補は」

「次は……うん。スープ……また、スープにしよう……。反応が大きかった……」

「よし、それだ」


 目の前に置かれたのは、スープだった。くたくたに野菜が煮こまれ、こんがりと焼かれたクルトンが浮かんでいる。

 バターの芳醇な匂いが漂って、シリウスの腹がぐうと鳴った。


「貴様らは鬼か!? 悪魔か!!?」


 ――絶対に食べるものか! 魔王相手に陥落するものか!!


 鋼の精神でシリウスは、もう一度、自分の太ももをフォークで刺した。

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