第5話 停滞
突如として謎の少女が自首し、なぜか動機だけ語らないという異常事態にあたり、捜査方針はガラリと切り替えられた。
三浦捜査一課長が出した指示は単純だ。会津稔と保科透子の関係性について徹底的に調べ上げること。ただそれだけ。
今のところ何ら接点は見いだせていない。手掛かりの一つだけでも欲しい。
高島証券のほうを洗っていた捜査員によると、被害者が家と会社以外のコミュニティに属している様子はないようだった。愛実の言っていた「家と会社を往復するだけの生活」というのはどうやら本当らしい。
保科透子が会津稔殺害の被疑者であることを前提とし、家と会社の両方面から保科透子の存在を浮かび上がらせる。警察の思惑は完全にその方面にシフトした。
南條と堂前に指示されたのは、愛実の身辺調査だった。
堂前が進言する。
「係長、まずは会津家の周辺に聞き込みに行きましょう。保科透子の写真を近隣住民に見せて、見覚えのある顔かどうか確認してもらうのです」
「良い提案だ。そうしよう。まぁそううまく顔を覚えているとは思えないが……」
「このような田舎ですと、見慣れない顔は案外覚えているものです」
と答えてから、堂前は「本部にお勤めの係長にはあまりない感覚かもしれません」と付け足した。彼自身が所轄の警官として日々実感していることなのかもしれない。
南條たちは会津家まで向かった。会津家には別の刑事が出入りしている。南條と堂前に任されたのはあくまで愛実の身辺調査で、家の中に踏み入るのは担当外だ。
周辺は典型的な田園風景だった。三月なので、稲はすっかり刈り取られている。茶色く枯れた根本の部分が一面に広がっていた。田んぼが一番見映えのしない時期と言ってもいい。田んぼの外側には雑木林が広がっている。
会津家以外でパッと目に入る家は三軒しかない。聞き込みはすぐに終わりそうだった。
最初にノックしたのは、道路を挟んで会津家の向かいに位置する
「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんかー?」
南條が声を張り上げると、まもなく眼鏡をかけた老婆が現れた。
彼女は二人を認めると、あからさまに眉間に皺を寄せた。ただでさえ皺だらけの顔がさらにひどいことになっている。
「また警察さん? 昨日も来なかったかい? 昨日は別の人だったけど」
「申し訳ありません。すぐに終わりますので。——この顔に見覚えはありませんでしょうか」
南條は保科透子の顔写真を見せながら言った。
老婆は十秒ほど写真を見つめてから、首を横に振った。
「ないね。こんなに可愛らしい子に会ったら覚えてるだろうね。こう見えてわたしゃ記憶力だけはいいからね」
「そうですか……ありがとうございます」
南條は頭を回転させる。
老婆がもしここで「見覚えがある」と答えたら、南條たちはさらに詳しく話をうかがうことになる。当然そんなことは老婆も承知だろうし、面倒事からは逃れたいと思うだろう。
本当は知っているのに「面倒だから」という理由だけで首を振る人間を仕事上何度も見てきた。あるいは自分の見聞きしたことに自信が持てずに言い出せないという場合もある。
だが、この老婆はそのどちらにも当てはまらないように思えた。口では面倒そうにしているが、滑舌よく聞き取りやすいスピードで話しているところからして聡明さを感じさせる。記憶力がいいというのは本当のように思える。
南條は老婆の証言を信用に値すると判断し、その場を辞することにした。
続いて堂前ともども他二軒の聞き込みへと向かった。
三十分後、南條と堂前は署への帰路についていた。二人とも足取りは軽くない。結局誰一人として保科透子を見た者はいなかったからだ。今回の収穫はなし。
帰る途中で偶然服部警部補に出くわした。彼はたしか保科透子の家族関係の捜査が担当だったはずだ。
「南條係長と堂前巡査部長じゃないですか。何か収穫はありました?」
南條は首を振る。
「いや、特に何も。会津家の近隣住民は誰も保科透子の顔に見覚えはないと証言した」
「そうですか……。こちらは保科透子の祖父・惣吉さんについての情報を得ました。彼は一年ほど前から痴呆症(※)を患っているらしく、ときどき周辺を徘徊するといった行動が見られるようです。施設に預けるお金がないとのことで、家で三人で暮らしていたとのことです」
「ふむ……。それが今回の殺人動機に関わっているのかどうか。惣吉さんも特に会津家との関係を持っているわけではないんだろう?」
「現時点では見つかっていません」
「八方ふさがりだな。ところで惣吉さんや都子さんは透子が殺人を犯したことを知っていたのか?」
「二人とも知らなかったと証言しています。自首したことすら知らなかったと。まあ惣吉さんは痴呆症なので証言の信憑性は高くないですが」
二人の証言が本当なら、透子は家族に何の相談もすることなく独断専行で殺害を決行したことになる。もちろん惣吉や都子が嘘をついている可能性もある。
頭が痛くなってきた。南條はこめかみを指で揉んだ。
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※注:現在の認知症。
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