第三話 救世主様

 地球滅亡回避の鍵となる”星の子”は、天宮あまみや高校に通う「桐谷彗」という少年らしい。

 その噂は、どこからともなく広まり、あっという間に世界中を席巻していた。

 桐谷家や天宮高校の周辺には絶えずマスコミが待ち伏せており、一たび彗が外出しようとでもすれば、そのマスコミや野次馬に取り囲まれて、通常の歩行も困難なほどだった。


 つい先日まで、極めて平凡な男子高校生の日常を過ごしていたはずの彗は、瞬く間に”救世主”に祀り上げられていた。


【”彗”って……まさに彗星じゃん】

【ポローニャ彗星の”ポローニャ”って、英語で”桐”って意味らしい……!】

【うっわ、鳥肌立った!!!】

【しかも、天文部なんだって。もう、これは運命としか】

【奇跡の救世主、”星の子”、桐谷彗様!!! 地球を救ってくれー!!!】


 SNSでは、様々な考察が渦巻くとともに、彗を崇めるような風潮が加速していく。

 彗は、何もしていない自分を置き去りにして独り歩きする、その大それた二つ名に戸惑い、震えるばかりだった。

 それでも、エゴサーチをする手は止まらない。怖いもの見たさとでも言おうか、人間のさがというやつだろう。


【”星の子”、何気にイケメンじゃない?】

 

 時たま現れる、”星”と関係のない賛美のコメントだけが、ほんの少し彼の心を癒してくれた。

 こんな風に知らない人に褒められるのは、初めてだった。


  ◇ 


 2052年10月27日。

 「おっ、救世主様がいらっしゃったぞ!!」


 もみくちゃにされながらなんとか登校した彗が教室に入ると、クラスメイトが囃し立てる。


「なあ、”星の子”の真の力ってのはなんなんだ!? どうやって彗星を止めるんだ!?」


 また別のクラスメイトも便乗し、彗の周りには気づけば続々と生徒たちが集まってきていた。


「いや、俺も突然のことで何が何やら……」


 にべもなくそう答えるが、興奮するクラスメイト達は、なかなか彼を解放してはくれなかった。


 ――それが分かったら、こんなに怯えてねえよ。

 

 この場でそう言ってしまうわけにもいかず、彗は苦笑することしかできなかった。

 ふと、前の席から、助け船が差し伸べられる。


「ねえ、彗困ってるよ。家も学校も、マスコミだらけで大変なんだから、僕たちくらいはそっとしておいてあげよう?」


 蒼生はまた優しく微笑んでいたが、その目は有無を言わさぬ圧を湛えていた。

 クラス内カースト最上位に位置する、野球部のイケメンエース様にそう窘められたクラスメイト達は、不本意そうな顔をしながらも、すごすごとそれぞれの席へと戻っていく。


「……ありがとう」


 またまともに目も見ずに、ぼそりとそう呟く彗に、蒼生も小さな声で囁き返す。


「何か、力になれることがあったら言ってね」


 蒼生は、どこまでも格好いい男だ。

 その優しさとスマートさに、彗はまたちくりと劣等感を刺激された。

 そして、純然たる厚意にそのような鬱屈した感情を抱いてしまったという事実がまた、彼を自己嫌悪に陥らせる。

 ”星の子”に選ばれたとて、その負の連鎖は止まらなかった。


  ◇


 2052年11月17日。

 数週間を経て、校内で彗を取り巻く環境は、ややその色を変えていた。

 相変わらず加熱し続ける、世間の極端な”星の子”賛美の気運に比例するかのように、天宮高校の生徒たちも、次第に彗を恭しく扱い始めたのだ。


「あ、救世主様……桐谷先輩だ」

「やっぱ、雰囲気あるよねー。選ばれし者って感じ」


 彗の知らない下級生たちも、彼を遠巻きに眺めてひそひそ声でそう語らう。

 当初感じた恐怖や当惑は依然胸に渦巻いていたが、数週間も経てば顔見知りになっていた。そうしてできた隙間には、妙なむず痒さと、ほんの少しの高揚感が顔を出し始めていた。

 幼い頃に抱いた「自分は特別だ」という、全能感にも似た感覚。

 自我の目覚めとともに影を潜めていったその感覚が、僅かに戻ってきた気がする。

 周囲の恭しい態度も、それを助長させていたのだろう。


 それが決定的になったのは、その日の放課後のことだった。


「桐谷君、私と、付き合ってください」


 学年で一番可愛いと話題の女子に呼び出された時は、一瞬中学の苦い記憶が蘇りかけたが、今度は伝書鳩の依頼ではなかった。紛れもなく、彗自身への告白だった。

 その子と話すのは初めてだったが、見覚えはある。野球部の試合で、いつも最前列で黄色い歓声を送っていた、蒼生のファンの子だったからだ。


「えと……俺、で合ってる?」


「当たり前だよ。今、桐谷君を間違える人なんていないよ」


 その女の子――もとい、吉田結衣さんは、優しい微笑みを湛えてそう答えた。


「あ、ありがとう。……返事、少し後でもいい?」


 ――いくら学年一の美女に告白されたからと言って、二つ返事でOKしてしまうほど、軽率な俺ではない。

 

 止まらない胸の高鳴りの反面、どうせ”救世主様”の肩書きに惹かれてきたんだろう、という冷めた自分も当然にいた。


「もちろんだよ。……でも、滅亡する前には返事、教えてね? まあ、桐谷君がいれば、滅亡なんてしないのかもだけど」


 そう言ってふわりと笑う吉田さんは、やはりとても可愛かった。

 

 ――やっぱり、即OKでもよかったかもしれない。


 どんどん早くなる心臓の鼓動は、いまや負の感情を追いやる勢いだった。

 

 教室に戻っても、その高揚感は冷めなかった。


 ――俺は今、学年のマドンナ……しかも元・蒼生のファンの、吉田さんの告白を"保留"している。


 SNSを開けば、相変わらず「”星の子”万歳」の声で埋め尽くされている。

 いっそ、その波に乗って楽になってしまいたかっただけなのかもしれない。

 ついに彗は、無意識に、恐怖心に蓋をした。途端、心地よい全能感に包まれ、口角を上げる。


 ――”救世主様”。悪くないかもしれない。

 

 昂った勢いのままに、前の席に向けて声をかけた。


「蒼生。久しぶりに、一緒に帰らないか?」


 彗の方から蒼生に声をかけるのも、直接彼の名前を呼ぶのも、約三年ぶりのことだった。

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