第四話 真の力

 2052年11月17日。

 三年ぶりに二人で歩く帰路は、幼い時のままとはいかないまでも、彼らの距離を少し縮めてくれたように見えた。

 とはいえ、三年の年月をかけて醸成されたわだかまりはそう簡単に溶けるものではない。

 今更何を話せばいいかも分からないが、思い出話をするのは気が引けた彗は、その帰り道、ひたすら"星の子"の話をし続けた。

 蒼生はそれを、優しく微笑み、時には心配そうな表情を浮かべて、うんうんと聞いていた。


「じゃあ、また明日」


「うん。……彗、ありがとう」


 蒼生は嬉しそうに目を細める。

 玄関先で手を振りながら互いの家に帰るその瞬間、デジャヴのようなノスタルジーのような、不思議な感覚が彗を襲っていた。

 

 僅かなぎこちなさを孕んだまま、二人の歯車は再び回り始めた。


 彗は、帰宅後も上機嫌だった。

 長らく心に支えていた蒼生への劣等感が、少しずつ溶けていくような気がした。

 それが、"星の子"のドーピング効果に由来するものだという認識は、その時の彼の頭にはなかった。意識的に排除していたのかもしれない。

 とにかく、久方ぶりの蒼生との時間は、彼を快い高揚感に導いていた。


  ◇


 しかし、世間は、いつまでも彼をお飾りの救世主様でいさせてはくれなかった。


「"星の子"が真の力に目覚めれば、彗星と地球は共に在り続ける」


 彼が礼賛されていたのは、この予言がためだったことを忘れてはならない。

 "星の子"の甘い汁だけを吸い、全能感に浸っていた彗も、この「真の力」とやらについて、そろそろ真剣に向き合わなくてはならない頃合いであった。


 そして、ついに期限デッドラインが設けられた。

 "星の予言"の真偽を検証したあのテレビ番組が、今度は「"星の子"徹底究明」をテーマに制作されるらしい。

 例の高名な天文学者の研究チームとともに、彗もそこに参加し、"星の子"の真の力について議論を行うという構想のようだ。


 以前の彗なら、自分が主役のテレビ番組など、是が非でも拒否していたことだろう。

 しかし、今や世界で一番有名な少年となった彗には、特に失う物などなかった。


 ――それに、俺は"星の子"なんだから。これは選ばれた者の義務だ。


 いつの間にか彼には、救世主としての自負まで芽生えていた。


  ◇


 問題は、どんなに頭を捻っても、彗星を止める「真の力」とやらの手掛かりすらも掴めないことだった。

 しかし、彗はさして不安になってはいなかった。


 ――俺は学者じゃないんだし、そんなの分からなくて当たり前だろ。俺はただ、必要な情報を提供すればいい。そうすれば、学者様たちが答えを導いてくれる。

 

 そんな甘い考えで、研究チームとの収録前の打ち合わせに向かった。


 2052年12月5日。

「――それで、『真の力』とは、どのようなものなのですか?」


 チームを束ねる最も権威ある教授からの明け透けな質問に、彗は頭が真っ白になった。


 ――あんたらが、それを導いてくれるんじゃないのか?


 彗はその時になって初めて、"星の子"に伸し掛かる尋常ならざる重圧に、本当の意味で直面した。

 氷水を被せられた浮ついた頭は、血管が収縮して破裂しそうだった。


 ――俺が、全部やんなきゃいけないのか。俺が、出来なきゃ、地球は滅亡するのか。俺が、……


「桐谷君? 大丈夫かね?」

 

 顔面蒼白で言葉を失う彗に、教授が再び問いかける。

 彗は、なんとか掠れた声を絞り出した。


「……分からないです」


「……どういうことかね?」


 教授の言葉には、明らかな焦りと失望の色が浮かんでいた。


「知りません。僕はたまたま、"星の子"の特徴と一致しているだけで、……あとは何も、知らないんです」


 ――その後のことは、あまり覚えていない。気まずい沈黙、広がっていくざわめき、教授たちから漏れる盛大なため息、全員から向けられる白い目……そんな感じだった気がする。


 一応出来る限りの議論は尽くしたが、当然彗からは何ら役に立つ情報は出て来ず、一欠片の進捗も見せないまま、その日は解散になった。

 番組も、ご破産になるだろうとのことだ。


 呆然と帰宅した彗の頭を占めていたのは、絶望でも焦燥でもなかった。

 猛烈な羞恥心だった。


 ――神輿を担がれて、一丁前に救世主ぶっちまった。それどころか、蒼生に勝ったような気にさえなってた。俺は、何も出来ない、ただの俺のままなのに。


「ああああああああああああああ!!!!!」


 身を捩るほどのその羞恥に、彼は一人叫ばずにはいられなかった。

 地球の未来も、もうどうでもよかった。明日にでも是非滅亡してくれと、いつか吐いたような悪態を、再び心の中で吐いていた。


 その翌日から、彗は学校に行くのをやめた。


  ◇


 2052年12月10日。

 学校のない一日というものは、思った以上に長かった。

 クラスメイトや蒼生からはたくさんの連絡が来ているようだが、中身を確認する気にはなれなかった。

 起きているとまた叫び出したくなってしまうので、可能な限りの時間を睡眠に充てようと試みたが、一定時間を超えると、目が冴えて逆に頭がクリアになってきてしまう。

 彗は仕方なく、テレビの電源を入れた。


<さあ、緊急特番でお送りしております。全国の皆さんには、本日、重大な発表をしなければなりません……>


 聞き覚えのある司会者の声だ。

 そういえば今日は、彗が出るはずだったあの番組の放送予定日だった。


 ――ご破産になったんじゃなかったのか。


 ぼんやりと画面を見続けていると、早くもその「重大な発表」とやらが明かされた。


<"星の子"桐谷彗氏は……「真の力」を有してはいませんでした。彼は、地球を滅亡から救ってくれる、救世主ではありませんでした……!!>


 女性司会者が涙目に芝居がかった口調でそういうと、画面端のテロップが切り替わる。

 

 【"星の子"桐谷彗 偽りの救世主】


 どうやら、これが今日のテーマに据え変わったらしい。

 通常であれば、放送局が地上波を用いて一個人を誹謗中傷する番組を放映するなど、到底許されることではないだろう。

 だが、それは、良心と秩序が正常に機能にしている社会においては、の話だ。


 ――どうせ滅亡するなら、最後に"戦犯"に思う存分石を投げつけろ、てか。


 彗の口からは乾いた笑いが漏れた。

 番組には、ご丁寧に研究室チームの面々も招かれており、彗が如何に何も出来なかったかを懇切丁寧に語ってくれていた。

 次々に展開される自分への集中砲火を、彼はただ黙って見続けていた。

 

 その口は相変わらず半笑いに開かれたままだったが、気づけば頬に幾筋か、涙が流れていた。

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