第二話 星の子
2052年10月24日。
その日の学校は、いつにも増して"星の予言"の話題で持ちきりだった。
朝刊の記事によれば、昨年までの定期観測では軌道上を周回していたポローニャ彗星が、突如軌道を外れ、地球方向に進んでいることが、昨日の番組上の観測で明らかになったらしい。
あまりに突然の滅亡宣告に、人類は置き去りにされていた。すぐに現実味など到底湧いてくるはずもない。
「”滅亡までにやりたいことリスト”作ろうぜ。俺は、まず吉田さんに告るだろ、それから、A5ランクのステーキ食って……」
蒼生の隣の席の男は、またしても一人で盛り上がっているのかと思いきや、意外にも今度は返事が返ってきた。
「……僕も作ろうかな、”やりたいことリスト”」
「へえ、神崎が乗ってくるなんて珍しいじゃん。やりたいこと一位、なんなの?」
「いや、言わないよ」
蒼生はまた薄く微笑んで、その友人の追及を躱した。
そうこうしているうちに、朝礼の時間となった。
草臥れた顔をした担任の教師は教室に入ってくるや、プリントを配り始める。今朝のニュースを受けての、学校から保護者宛ての連絡のようだった。
前から順に回ってくるそのプリントを、彗は前の席に座る蒼生から受け取った。
腐れ縁とは恐ろしいもので、彗と蒼生は、家が隣同士で、小学校から高校に至るまでクラスも同じというだけに留まらず、出席番号まで前後だった。
――「かんざき」と「きりたに」。……もっと間に、誰かいてもいいだろ。「きたがわ」とか「きむら」とかさ。
中学三年生頃からは、彗は蒼生の広くなった背中と、少し色素の薄い柔らかそうな髪を後ろから眺めながら、何度も心の中でそう呟いていた。
プリントを回してくる時、いつも蒼生の視線は真っ直ぐに彗を捉えている。
彗は何故か怖気付いて、その視線から逃げるように下を向いたままプリントを受け取るのが慣習となってしまった。
あの日狂い始めた歯車は、その後も少しずつずれていき、二人の道は徐々に
――まともに蒼生と喋ったの、……蒼生の目見たの、いつが最後だったかな。
こんな感傷的な気持ちになるのは久しぶりだった。
滅亡宣言に現実味はまだ湧いていないが、無意識のうちに死を見据え、人生を省み始めていたのかもしれない。
◇
一年後に地球が滅びるというのに、その日はいつも通りに授業が行われた。
いつも真面目で成績優秀な蒼生でも、さすがに今日の授業は頭に入らなかったのか、板書を写す手があまり動いていないように見えた。
さらには、いつも通りに部活もあるらしい。
蒼生は、"
まだ感傷の抜けない彗はぼんやりそれを目で追っていたが、しばらくすると、自身も鞄を手にし、部活へと向かい始めた。
◇
「お疲れーす」
気怠い掛け声とともに彗が開けたのは、「天文部」という表札のかけられた、理科準備室の扉だった。
「うーす」
似たようなトーンで返事が返ってくる。
すでに教室の中にいた部員は全員、顔を上げずに、漫画を読んだり、ゲームをしたり、思い思いの興に耽っていた。
彗は、中学卒業とともに野球を辞めた。
蒼生は必死に引き留めてきたが、それはさらに彼の惨めな気持ちを加速させるだけだった。
部活動が義務付けられているこの高校で、他に入りたい部活もない彗は、一番楽そうな天文部に入部することにした。
週に一回、理科準備室に集まり、それぞれ好きなことをするだけ。望遠鏡に触れたこともなければ、夜空の星を見に行ったこともない。
天文部とは名ばかりの、帰宅部の寄せ集めだ。
その日の彗は、特にやりたいこともなく、なんとなくスマホを弄り続けていた。
やはりどのプラットフォームを見ても、話題は"星の予言"のことばかりだったが、その中で一際目を引く新しい見出しがあった。
【"星の予言"の全容明らかに 予言回避の鍵は"星の子"?】
「予言回避」という甘い言葉に釣られ、彗は思わずその記事をクリックする。
【「2053年10月15日、軌道を外れた彗星が衝突し、地球は滅亡する」という、"星の予言"には、知られざる続きがあった。「"星の子"が真の力に目覚めれば、彗星と地球は共に在り続ける」。"星の子"の詳細についても同文書に記載があるようだが、その内容は現在、文書の管理者であるグリニッジ天文台に確認中である。】
"星の子"が地球を滅亡から救う?
いよいよ眉唾ものになってきたな、と心の中で苦笑する。
――結局"星の子"が何なのかも分かんねえし、もう少しまともな記事を書いてくれ。
彗は小さく息をついて、その日は帰宅した。
◇
2052年10月25日。
翌日は土曜日で、彗は昼前まで惰眠を貪っていた。
彼を起こしたのは、母親の呼ぶ声だった。
「彗、蒼生くんが来てるわよ?」
彗は思わず飛び起きた。
――蒼生が玄関を訪ねてくるなんて、いつぶりだろう。
幼い頃はお互いの部屋の窓越しに会話していたし、それをしなくなった頃からは、彗が蒼生を避けているのを察したのか、蒼生も敢えて桐谷家を訪ねてくることはなかった。
彗は寝巻きのまま、慌てて玄関へ降りていく。
蒼生は野球部のジャージを着ていた。朝練帰りに、その足で訪ねてきたのだろう。
久しぶりに正面から見る蒼生の顔は、相変わらず綺麗に整っていたが、その時は少し青ざめているように見えた。
「彗。…………これ、見た?」
蒼生は震える手でスマホを差し出した。
その画面に写っていたのは、昨日彗も見ていた"星の子"に関する記事の続報だった。
【「"星の子"は、2035年7月7日生まれ、イニシャルはK.K、首に星型の痣を持つ、黒髪の男子である」。以上が、グリニッジ天文台より聴取した"星の子"についての記載の詳細だ。】
彗は反射的に首筋を抑えていた。背中には、これまで生きていて感じたことのない強烈な寒気が走るのを感じた。
桐谷彗、2035年7月7日生まれ。
両親共に日本人で、特に髪を染めてもいないので、当然黒髪だ。
その他に取り立てて言うべきものはないが、――強いて言えば、首筋の星型の痣が特徴だと言える。
――俺が、地球を滅亡から救う、"星の子"、なのか?
彗がおそるおそる画面から顔を上げると、蒼生と目が合った。
久しぶりに見るその蒼い瞳は、心配そうに揺れていた。
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