第3話

 時間は少し遡る。

 ルシード・シンクレアは全力で妹を追いかけていた。

 自分の静止の声すら聞かず、状況の把握すらしないで飛び出した手のかかる妹を。

 本当は力づくでも止めたかったし、一緒に駆け出してもやりたかった。

 けれどルシードはそれをせずにユーディットを見送った。

 誰よりも妹の性格を把握している兄だからこそ、そのどちらをも選ぶ事が出来なかったのだ。

 結果ルシードが取った選択は、ユーディットを信じ、彼女の足らないところを補う事だった。

 ルシードはまず、サインガンで使い手捨ての送受信機を打ち上げると、デバイスを取り出し情報を集める事にした。

 救難信号が上がる理由は諸々考えられるが、大抵の場合一番高いのは戦闘によるモノだろう。

 まず潰すべきはその可能性だと考え、ルシードはギルドが掲載している討伐名簿を閲覧した。

 検索モードをオートにして、周辺の情報だけどさらえば、ドンピシャで一件ヒットする。

 それはこのすぐ近くの森に三週間前に出現を確認された妖の情報。

 だがそこに書かれていた内容に、ルシードは即座に走り出した。

「クソ! 最悪の展開になってるなよ!」

 妖には強さを示すランク付けがされているのだが、問題の妖のランクはFだった。

 Fは下から数えて二番目になるランクで、駆け出しの傭兵たちが最初に苦戦を感じる程度の強さだ。事前準備をしていれば、大怪我をするかもしれないが全滅はあり得ないし、それこそ能力を過信した未熟者でもなければピンチにおちいる事は無い……のだ。

 が、妖は時間が経過する事で、強さが上がっていく存在だ。

 まだその生態を完全に把握してる者はおらず、どういった原理で出現し、強くなっていくのか解明すらされていない。

 ランク付けは、その手探りの中で統計を取り得たモノだ。

 だが能力の上がり幅、限界値には個人差があり、得た情報と出合った時では乖離が起こる事もあるのだ。

 だからこそ、今回の救難信号はそれが原因なのだろうが、問題は三週間という期間だった。

 これは極端に短い部類に入る。成長限界というモノもあるにあるが、妖は成長速度か早い程に限界値が高い個体になるのだ。

 今回はランクF。

 ルシードの今までの経験則からして、三週間でランクが上がる個体は簡単にCまで駆け上がる。そしてランクCの妖は特殊な能力『怪異』を持つ妖怪へと変貌する個体が現れてくるのだ。

 流れる腐敗した景色に、ルシードはさらに顔を曇らせ、苦々しく舌打ちをうつ。

 腰に下げた鞘からブロードソードを抜き放ち、ルシードは体内に魔力を走らせた。身体能力が爆発的に上がり、駆けるスピードも飛躍的に上がった。

「……やめて! いや! 痛い! 死にたくない! 死にた、あああぁぁぁ!」

 遠く人の叫びが耳を襲う。

 幸いと言って良いのか、枯れ木しかない森は視界が遠くまで見通せた。

 ルシードの視界に大きな塊が映る。

 近づくにつれて、それが剛毛に覆われた大きな動物だと視認出来た。

 ルシードが知ってる動物に無理やり当て嵌めるなら猿の妖と言ったところだうろうか。

(あれか)

 今度は視力を強化して、周辺をザッと確認する。

 原型を留めない人の死体が――多分三人だろうか?――転がり、妖が手に一人持ち上手そうに喰らっていた。

(全滅か……ユーディーはどこだ? まだ着いてない? まさか、な…………)

 先に行った筈の妹の姿が見えない事に、ルシードの頭に嫌なイメージが浮かぶが、戦闘音すら聞こえなかった事と、惨状的に欠片すら残っていないのはあり得ないと、まだ着いてないと判断した。

 生存者は無し、森は朽ちている。

(アイツがここに居なくて正解だったな)

 この惨状を妹がまだ目にして無い事に、ルシードは少しだけ安堵した。

 猿の妖に駆け寄りながら、ルシードは剣を持たない方の手を妖に向かって掲げた。

『盟約の言葉により、世界よ、我の意に従え』

 力ある言葉により、ルシードの前に五芒星が展開し、

「爆炎よ、数百の剣となり、我が敵を焼き尽くせ!」

 指向性を与える言葉によって、無数の炎の刃が妖に向かって解き放たれた。

 妖がルシードの魔術に気づいた時には、もう炎が全てを飲み込んでいた。

 強烈な爆発が起こり、余韻を残す様に黒煙が上がる。

 やった。と、ルシードは考えて無かった。確か証を見るまでは、どんな判断をもしない。それが傭兵として生きていく上での常識だ。

「――――――!」

 耳をつんざくような声が響き、煙の中からなにかがルシードに向かって飛んでくる。

 それは猿の妖が持っていた人間の残骸だった。

 ルシードは足を止める事なく、それを剣で躊躇なく払い除けた。

 それと同時に猿の妖が躍り出てくる。

 予備動作もなく、剛腕が風を切りながらルシードに迫る。

 踏み込み、体を沈める事で頭上をギリギリで腕が通過していく。流れる動作のままルシードはガラ空きの腹に剣を振るった。

 ガキン!

 まるで鉄を叩いたかような手応えに、剣は体の表面だけをなぞっていくだけだった。舌打ちをするルシードに、もう片方の腕が伸びる。咄嗟に剣を引き、刃を拳に合わせるように回避するが、やはり鉄の手応えが襲い、ルシードは踏ん張りすら効かずき後ろに飛ばされた。

「硬すぎるな……」

 たった二回の攻防で、ルシードの腕は痺れ剣は刃こぼれを起こした。対して敵はダメージを負った形跡すらない。

 剣も魔術も効果は無かったが、ルシードが焦る事は無かった。

 妖戦では常識を捨てる事が重要であり、いかに少ない行動で相手の情報を得るかが鍵になる。

 剣を構え直し、ルシードはまた呪文を口ずさむ。

『盟約の言葉により――』

 が、それを阻むように猿の妖が突進してきた。

 魔術は高い攻撃やあらゆる応用が効くが、発動させるためには集中と長い呪文が必要なる。

 中断を余儀なくされて、ルシードは苦々しく顔を歪めなが、妖を躱しもう一度試しに剣を振る。

「どうするか? 最悪を考えて動くべきだけど……」

 その動きが偶々なのか、それとも魔術の発動を阻止する為の行動なのか判断は出来ないが、猿の妖はこの前にすでに一つの戦闘を終えているのだ。そこで確実に魔術を、もしくは呪術を目の当たりをして筈だ。

 そこで仕組みを理解した可能性もあるが、もしそうなら一人で戦うのは分が悪すぎた。

 撤退の二文字が頭に浮かぶ。

 だがそれは妖にさらなる時間を、力を増すきっかけを与え事と同義だ。

 目に見えている脅威を放っておくつもりはないが、それは自分の力量があっての事だ。

 それでもルシードが剣を構え続けるのは、妹の事があるからだ。

 戦闘離脱してユーディットに出会えれば良いが、逆に妖と出会ってしまえば目も当てられない。

 どう贔屓に見ても、ユーディットでは実力も経験も足りなさ過ぎる。

「まったく、手のかかる妹だよ」

 ホンの一瞬だけ微笑を浮かべ、ルシードは決意新たに顔を引き締めた。

 体に走らせる魔力を限界以上に増やす。それに合わせて、処理能力を増やす為に視界の色が強制的に白黒へと変化した。

 猿の妖はルシードの変化を敏感に察知して、目にも止まらなぬ速さで間合いを詰めてきた。

 ルシードは動かない。

 彼には勢いよく舞い上がる落ち葉の一枚一枚が、静止したように見えていた。

『盟約の言葉により、世界よ、我に従え』

 ただ静かに呟いたつもりだが、その声は高速の音に変わっていた。

 それでも妖の方が速かった。

 意表をつくように、三歩あった間合いを高く飛ぶ事で一瞬にゼロにしてくる。

 空中で限界まで体を捻り、渾身の右を放ってくる。

 それでも前回と違い、見えてるルシードは集中を途切れさす事なくその拳に向かって剣を振るった。

 動きが見え、それを超えるスピードがあれば、相手のバランスを崩す事は容易になる。

 腕を叩き落とし、

「世界を構成する神気よ、我が意志に応え、鋼の刃に理を断ち切る力を!」

 白く燐光を発した刃を、返す刀で衝撃を往なす為に動きを止めた妖の首に一閃した。

 しかし刃は首を落とす事は出来なかった。

 猿の妖は驚異の速度立ち直り、逆に左腕を刃に向かって振り抜いたのだ。

 腹を叩かれかち剣をかち上げられたルシードだったが、一歩引くとその腕を切り飛ばした。

「グァアギャァァァ!」

 痛みに、猿の妖は地面をのたうち回る。

 追撃のチャンスだったが、ルシードも限界を迎えていた。

 魔力は底を尽き、無理やり能力を上げていた体はその代償にボロボロになっていた。立っている事が出来ずに、地面に膝をついてしまう。

 震える手で紫色の液体が入った小瓶を取り出すが、それよりも早く猿の妖が立ち上がった。

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