10 風に揺れる白いレース

 坂井利仁亜は寝返りを打とうとして、シングルベッドの限られた隙間で意識を取り戻した。腰や肩の筋肉には、まだ数時間前の疲れが残っていた。自身の体を覆っているものがないことに気づき、おぼろげな意識の中でタオルケットを引き寄せようと手を伸ばした。

 その先は毛布ではなく、横で眠っていた青峯瑠夏の素肌だった。指先はゆっくりと毛布を求めて這い回る。腹部、腰、背中、尻、太股、彼女のどの場所にも毛布はかかっていない。風邪をひいているのではないかと思うほど、瑠夏の体温は高い。しかし、彼女が風邪を引いているわけではないことを、彼は知っている。彼女の平熱は人並み外れて高い。

 探る手は瑠夏の体から離れ、彼女の手前、彼とのわずかな隙間に折り重なるタオルケットを見つけ出した。一気にまくり上げ、一人でそれを頭からかぶる。

 利仁亜は一瞬、窓際のカーテンに気づく。風に煽られて白いレースのカーテンがゆっくりと舞い上がる。七月の朝とはいえ、外から入り込む風は、彼にとってはまだ少し寒い。外は薄明るく、白いレースに朝焼けの光がかすかに染まっている。

「ん……、またあ?」

 彼女と出会ってばかりの頃は、気づく度に窓を閉めていたが、今ではそのままにしている。夏だというのに、こうやって横にいる女の匂いと毛布のささやかな暖かさに包まれるのも悪くない。彼は再び眠りに落ちた。

 しばらくして彼は、かすかな湿り気を帯びた柔らかい重みを体中に感じた。しなやかな髪の感触と、そのかすかな香り。熱い素肌。寝起きの時独特の彼女の唾液の匂い。再び目を開け、全てを引き受けようと、彼も応じる。

 彼女は彼の手を握り、頬に当ててこすると、指の一本一本を唇でねぶる。彼はこれぐらいのことでまさか、と思いつつも、小さく声を漏らす。同じ感触を思い出した。彼が彼女にされる時でなく、彼が彼女にする時のそれだった。

 レースのカーテンは風でまくれあがり、ベランダの様子をかすかに覗かせる。彼女の愛撫を受けながら、彼はベランダに洗濯物が干されていることに気づいた。彼女の上下の下着二組とTシャツ二着。

「……ねえ、やっぱ閉めない?」

 彼はつとめてさりげなく問いかける。彼女は動きを止め、ゆっくりと彼に目を合わせてささやく。

「だめ」

「だって、寒いよ」

「すぐにあつくなるわ」

「外から見えるよ」

「ここ、四階よ?」

 瑠夏は利仁亜からふっと目を反らす。利仁亜は思う。まただ。何の躊躇もない。俺がどう思おうが全く関係ないって表情を、こうやって時々する。普段は優しく俺を気遣い、気持ちを確かめようとするのに。先週もそうだった。いつも窓を開けようとする。厚いカーテンがあるのに、レースの白いやつしかかけようとしない。窓を閉めない。

 左の耳元が暖かく湿り、濡れる。これ以上近づき得ない、瑠夏の息とも声ともつかぬ音に獣の気配を感じ、震える。利仁亜は起き上がり、瑠夏に覆い被さる。

 瑠夏は両腕を伸ばし、彼の首に手を回した。その時の瑠夏の表情が利仁亜は好きだった。やっぱり私の所に戻ってきたんだ、とでも言われているような感じだった。もっとも、実際に瑠夏がそんな言葉を口にしたことなどなかった。瑠夏の眠った後、隣でその理由を独りつきつめてみたこともあった。結局のところ、単に自分は瑠夏の手のひらで踊らされているだけではないかという答えに行き着いた。だが、それも悪くはないと思っていた。

 瑠夏は見抜いているのだろうか。そう考えるとしゃくだった。なのに利仁亜は既に、彼女の抱擁に対して、彼の感情をあまりにも素直に体で表現してしまっている。

 行為に夢中になりつつも、利仁亜の心の一点は定まっていた。今日は違う。俺は俺の意志で瑠夏を引き寄せる。

 ベッドの軋みが速さを増し、瑠夏の両腕は利仁亜の背中をますます固く締め付ける。息をきらしながら、利仁亜はゆっくりと確実に言葉を発する。

「なんで、いつもさ……」

 射抜くような視線で利仁亜は瑠夏を見つめながら口を開く。

「……なにっ?」

 不意をつかれたような、あどけなさを帯びた声だった。利仁亜は瑠夏に、心のさらに奥へと入り込める隙間のようなものを感じた。利仁亜の額の汗が瑠夏の髪に垂れる。

「カーテン……かけないの」

 瑠夏が一瞬、ベランダとは反対側に目を反らしたのを利仁亜は見逃さなかった。

「なんでだよっ」

 ベッドの軋みはぴったりと止まった。二人の息づかいだけが部屋に響く。利仁亜の問いかけは何事もなかったかのように、瑠夏は何も答えないまま、利仁亜を柔らかく包み込む。

 二人は乱れた息のまま手をつなぎ、二人並ぶには狭いベッドに仰向けになった。

 白いレースのカーテンは赤みを帯びていたが次第に白さを増し、二人の呼吸は再び穏やかさを取り戻した。瑠夏は眠りにつこうとしたが、利仁亜は違った。つないだ手をそっとほどくと起き上がった。ベッドに腰掛け、窓の外を眺めていた。

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