8 導かれた勇気
正行は再び階段を駆け上がると、またベランダに立った。立ち始めた時から外の暗さは変わらなかったが、風はより冷たくなった。貨物列車が通り過ぎる音を何度も聞いた。足が痛くなり、重心を左右交互に移したり立ったり座ったりを繰り返した。
しかし、瑠夏は現れなかった。ベランダの壁に背中をくっつけて座り込んだままじっとしていると、葵が窓を開けた。
「ごはんできたよって言ってもこないから変だなーって思ったけど、そんなとこで何してるの?」
「おともだちをまってたの」
葵もベランダにしゃがみこむ。
「おともだちなんてこんなとこにいないでしょ?」
正行は立ち上がって、瑠夏の家のベランダを指す。
「あそこにいるんだよ」
瑠夏の家のベランダは暗いままだった。
葵は正行が法律守に閉め出された時を思い出した。あの時、ベランダの窓を開ける直前、正行がベランダで何か独り言のようなことをしゃべっていたように一瞬聞こえたが、やはり「相手」がいたのだ。
「こんなとこでおしゃべりしてたら寒くて風邪ひいちゃうでしょ」
「さむくないよ」そう言った途端に正行はくしゃみをした。
「ほらー。だからその子と仲良くなったら、うちに連れてくればいいのに」
「いいの?」
「うん。うちの中の方があったかいでしょ。おともだちだって、きっとベランダじゃさむいよ? さあ、ごはんたべよ」
「うんっ」
二人はベランダで立ち上がり、台所に降りて行った。食事中、正行は葵にずっと瑠夏のことを話していた。電車で豊橋まで学校に通っていること。上級生の宿題を解いてしまったこと。今日けんかをして仲直りしたこと。瑠夏の両親のこと。
「おとうさんとおかあさんがいなくてかわいそうだからね、だからやめてよっていったの。そしたらね……」
その時の瑠夏の姿を思いだし、正行は顔を曇らせた。
「まさゆきくんはるかちゃんのことをおもって、こわかったけどがんばったんだね。えらいね。……でもね、るかちゃんはきっと、かわいそうっていわれていやだったからおこっちゃったんじゃないかな?」
「だってかわいそうだよ?」
「るかちゃんはね、おとうさんとおかあさんがいなくたってへいきだよって、まさゆきくんにわかってほしかったんだよ」
「でも、るかちゃんはさびしくないの?」
「そりゃあ、きっとさびしくてさびしくてたまらないとおもうよ。まさゆきくんだって、もしおとうさんとおかあさんがいなかったらさびしいでしょ?」
「うん」
「でもね、うーん……そうだなあ」
葵は箸を置き、考え込む。食事はまだ残っている。
「そうだ。じゃあ、まさゆきくんは学校の先生。るかちゃんは学校の生徒。るかちゃんは宿題をわすれました。ほかのみんなはちゃんとやってきました。でもまさゆき先生は、るかちゃんは宿題わすれてもべつにいいよって言いました」
「えーなんで?」
「まさゆき先生はみんなの前で言いました。るかちゃんはおとうさんとおかあさんがいなくてかわいそうだから、宿題をやってなくてもいいんです。って」
「えー、そんなのへんだよー」
「へんでしょー。じゃあ、るかちゃんが先生ありがとうって言ったらどう思う?」
「ずるいって思う」
「そんな子とおともだちになりたい?」
「なりたくなーい」
「でしょう。まさゆきくんにるかちゃんがおこった時も同じだよ。上級生にいじめられてかわいそうだったけど、それはおとうさんとおかあさんがいなくてかわいそうなのとはぜんぜんべっこの話なの。だから、まさゆきくんにおこったるかちゃんはずるくないし、えらいんだよ」
「じゃあ、おにいちゃんたちに何て言えばよかったの?」
「いやがってるからやめてよって、ただそれだけ言えばいいの」
「そっかあ……」
正行は両手で椀を抱えて味噌汁を飲み始めた。
「でもね。もしも、るかちゃんがさびしがってたら、はげましてあげるといいよ。きっとおとうさんにあえるからだいじょうぶだよって」
葵は正行に優しく微笑むと、再び箸を持ち、食事を続ける。
「うん」
正行は自然と顔を暖かくした。味噌汁はすっかり冷めてしまっていたが、正行は自分の胸の中で暖まるような気がした。
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