無人駅より 愛を込めて 序

夜亘り上手

序幕





無人駅より 愛を込めて



I:朝8時の、自分だけの最終電車


今日の夜は、眠れなかった。寝苦しかった訳でも、興奮していた訳でもない。ただ頭の中で、昼に言われた怒号と罵声が蠢いていたのだ。進路がどうだとか将来がどうだとか、耳にもタコができるような時期になってしまった。学校に居場所がなく、これといって優秀でもない上に当たり前のことすらもまともにこなせない。そんな自分すらも、このくどい説教の例外ではない。自分の通っている高校は少し変だから、2年生の3学期は3年生の0学期らしい。今は2学期だから、先生たちにとっては2年生の3学期なのかもしれない。進路も将来も、霧がかかったようにボンヤリとしか見えずにいるままだ。そんな状況で飽きるほど出来もしないことを言われてしまったら、自己肯定感感がマイナスにでもなってしまう。みんなが赤本だか色のついたチャートだかに向かっている間にも、自分は自分の存在意義と居場所を見つけられずに、心の中の隅で希死念慮と睨めっこするしかないのだから。鬱々とした頭の中が、大人たちの強い語気で弄り回されているようで、瞼を閉じることさえ許してくれない。仕方なく、ベッドから起き上がる。もう上には誰もいない2段ベッドの下から両足を出し、手元にあったスマートフォンの通知バナーをスワイプする。コードを抜いて乱暴にそれをポケットに突っ込む。少し寝癖のついた頭をくしゃりと手櫛でとかし、部屋を出る。真正面には母さんの部屋があって、自分の心模様とはかけ離れた優しい音色のジャズミュージックが聞こえてくる。この時間にしては音量が多いが、母さんの世界を邪魔する訳にはいかない。階段を音がしないように降り、キッチンに向かった。処方箋の袋から、自分の名前「茂澄 翔(もずみ かける)」と書かれた袋を取り出し、テーブルにPTPシートをぶちまける。服用量の限界分までプラスチック面を押し、気づけば手には睡眠導入剤が2錠握られていた。キッチンで水を汲み、ぬるいそれと薬を一気に胃にかき込んだ。胃がまだ慣れていなかったのか、水を一気に飲みすぎたのかもしれない。洗い桶に錠剤と水を嚥下した。胸が灼けるように苦しい。洗い桶に溜まった、錠剤が溶けて白濁した水があまりにも不透明で、何故か親近感が湧いてしまった。『それを自分の将来に見立てた』なんて陳腐な文章表現のものではなく、ただどうしても自分に似ていたのだ。さっきの工程をもう一度行って、ようやく薬の服用を終えた。赤子にでも戻った気分だ。1度で薬を飲むことが出来ないだなんて、17歳としてはあってはならない事だろう。そんな当たり前のことが出来ないから、今の弱い自分がいるのかもしれない。ベッドに戻り、横たわる。幾つかの邪な考えがよぎった。その靄を払うようにブランケットに包まり、希死念慮と一緒につかの間の眠りに落ちた。



いつも通りのアラームが、ぼやけた脳を叩き起こす。気づけば5時間が過ぎ、7の数字を短針が指し示していた。起きて一番に意識したのは、遅刻への恐怖でもよく寝たとでも言うありきたりな感想でもない。死のうという意識であり、覚悟だ。オーバードーズ、首吊り、うつ病で不登校だった際に試さなかった訳でもない。ただ、あの時の「死ねたらいいな」という感情での行動ではなく、「今日で人生を終えよう」と決心した覚悟の行動である。母さんに気づかれないように、いつも通り制服に着替える。階段を駆け下り、今日は午後休で弁当が要らないという旨を伝える。

「そういうのは前日に言うものよ」

当たり前だがそういう指摘を受けた。自殺は衝動的なものだから、今日になって決めた事だと母さんに言おうとして、直ぐに口を結んだ。母さんに心配をかけることは言いたくないし、何より引き止めてもらえるとかの、期待ももうなかった。

「ごめん、ありがとう」

形式的に返して、既に半分に切られているトーストにマーガリンを塗って食べる。味はあまりしなかった。学校カバンを背負って、少し早めに支度をする。丁度出勤ラッシュの前の電車に間に合いそうだったからだ。普段とは違い、学校に行くことに意欲的だと勘違いしたのだろうか。母さんは少しだけ驚いた表情をしていた。時刻表を何度も確認した後、

「行ってきます」

と母さんに呼びかけてから

家のドアストッパーに手をかけ、ドアノブを押して外に出る。表札をいつも通り横目で見てから、学校の方向へゆっくりと歩き始める。後ろから、

「翔、行ってらっしゃい」

と言ういつもの優しい母さんの声が聞こえる。

「行ってきます」

と簡単に返す。母さんが自分を見送り、家に入るところを見届ける。心の中で申し訳なさと辛さがごった返していたが、頬をパチンと叩いて踵を返す。学校と逆方向に、駅がある。この時間なら、次の電車に間に合うはずだ。駅までの一本道を、小走りで進んでいく。1歩駆ける度に、学生カバンから教材が跳ねる音がした。もう使うことはないだろうが、フェイクは何重に重ねたっていいのだから。夏から秋に変わる時の、急激な涼しさに驚きながら、自分以外の学生たちが乾いた道路を駆けていく。靴鳴りの音が、自分とは逆方向に遠ざかって行った。風の音と、スマートフォンから聞こえるバイブレーションが、自分の意志を問いただすように強くなる。8時17分。学校に行くなら、遅刻確定の時間だ。学生のくせに平日からサボりなんて、いいご身分だなと自分でも思った。今となっては空の匣となったスマートフォンの電源ボタンを強く押す。17という齢ながらも、随分と力が弱くなった気がした。今日で全てが終わる。それだったらサボりなんてもう関係の無いことだと、覚悟の糸を緩めようとする通知音を必死になって止めた。


駅までの道は意外にも近くて、特に怪しまれずに入場券だけ買ってホームに入った。7番ホーム、ここが自分の最後に入った場所になる。電光掲示板が無機質に光り、あと5分で電車が来ることを知らせてくれる。時計を見ながら小走りで階段を駆け下りてホームに並ぶサラリーマン風の男性、まだ生まれてから1年も経っていないだろう赤子を抱いた女性、それぞれに思うところがあった。あのサラリーマン風の男性のように、一生懸命今を生きれたら。あの女性のように、希望を持つことが出来たら。実行の準備が整ったのに、何故だかもどかしい。今までの人生、そこまで辛いことは無かった気もした。親とだって、仲が悪いわけではない。ただ普通の人よりスペックがなくて、ただ普通の人よりも要領が悪い。ほんの少しの生きづらさ。それに耐え切る事が出来なかったのも、自分の弱さなのかもしれない。昔の総合学習の時間に、自分の名前を付けた意味を親に聞くという宿題が出された。自分の名前に付いている漢字は「翔(かける)」。元気に生きて欲しいという意味に使われることが多いそうだ。今の自分を見たら、母さんはその文字をつけたことを後悔するだろうか。電車が来る時間だと、機械的なアナウンスが話し始めた。他の人にバレないように、警告ブロックのほんの少し後ろに立つ。黄色い線の内側には立っているのだし、咎められることは無いだろう。このホームに向かって、電車のライトの双眸が迫ってくる。やけに耳障りがいい風の音が、電車の方へと吹き抜ける。今しか、ない。警告ブロックの内側から、ホームへと飛び込んだ。あるかもしれない来世を願って。出来るかもしれない、自分の存在意義と居場所を願って。ホームへと身を投げ出した1歩は、憎たらしいほどに軽やかだった。ホーム上の誰かの、叫ぶような声が聞こえる。返す暇もなく、眩いばかりの電車のライトが、視界を一瞬でホワイトアウトさせる。痛みを感じたか分からないほどに、意識がプツンと切れた。最後に聞こえたのは悲鳴と、破裂音にも似た爆音だった。




Ⅱ:無人駅の「1日駅長」


ざらついたコンクリートの感触。自分の頬を撫でる風の冷たさ。思っていた死の感覚とは似て非なる感想に驚いたのか、自分の意識は直ぐに揺り起こされた。

目を開けてみる。有り得ない。駅のホームだった。しかも、自分が入ったはずのホームではない。灰色のコンクリートで固められているのは変わらないが、どこか別の駅のホームだった。そこに、自分はうつ伏せで寝転がっている。自殺を失敗したかと最初は疑ったが、どうやらそうでは無い。向かい側のホームなどなく、向かい側のホームがあるべき場所には砂浜と海が続いていた。

「う…み?」

頭が理解するには、少し時間がかかった。理解して直ぐに自分の体は驚いたようで、直ぐに体を起こした。まさに田舎の駅のホームといったようで不安定に支えられた屋根に、少し変色した成形合板で出来た何人掛けかのベンチ。振り返ると、人が二人入れるかどうかの窓口とがある。これはまるで、無人駅だ。陳腐な田舎の、青春アニメの主人公が通学に使ってそうな、駅が自分の目の前に広がっている。駅名が書いてあるはず看板もあったが、砂や風に削られたのか看板という役目をそれは放棄していた。少し頭を整理しようと、少し砂利がついた服を払う。

「思いっきりついてるな…。そりゃそうだ、うつ伏せだったもんな…」

チラリと体を見ると、服装はいつも学校に通う時と同じ制服で、よれた白ワイシャツにダボッとしたズボン。決して綺麗な格好とは言えないが、右腕に目立つものが着いているのに気づいた。無機質なゴシック体で書かれた、「1日駅長」の文字がある腕章。蛍光素材が使われているのか、よれた白黒の服には似合わない黄緑色が光っていた。とりあえず、座れとでも言うかのように設置されている3人がけのベンチに座ることにした。自分が置かれている状況を、理解したかった。

「まず、自分は自殺を決行した。それは、合っているはずだ。」

自分を見つめて、反芻するように呟いた。

「それが失敗したのかもしれないが、起きたのはその駅ではなくて、別の駅。そして、自分の服には腕章がある。」

状況の確認はこんな所だろうか。しかし、それが分かったとして何をどうすればいいのだろうか。突然、強い風が自分の左側に打ち付けられる。否が応でも、その原因を確認するかのように体が左を向いてしまった。気づくと、駅員用の窓口のドアが開いている。

「入れ…ということで合ってるのか?」

先程の風に驚いた体を叩き起し、ドアの方へと入っていく。中に入れば、一脚の回転する椅子に受付台、横にはホイッスルに改札鋏がある。やはり、本当に駅なんだろうか。辺りを睨め回していると、やがて受付台1つのクリップボードに目が向く。変に魅力があった訳ではないが、視線がそこに吸い込まれていくのだ。

「まぁ…、見た方がいいよな」

抵抗なんてする気も起きないので、手を伸ばしてボードを持つ。チラリと見えたが、何かの説明が書いてあるようだ。


|無人駅にようこそ

・貴方はこの駅、「無人駅」の1日駅長です。

・貴方が自殺した罰が、この仕事です。しっかりとこなすようにしてください。

・貴方の仕事は、この窓口に座って、この駅に来た乗客の行き先を決めることです。

・横にかかっている幾つかの改札鋏を使って、乗客が持ってきた切符を切ってあげてください。苦しみから解放されたい乗客には"赤"の鋏を、辛い中でも今のまま生きたいという意志を持つ乗客には"青"の改札鋏を、生きたいという意志を持ちつつも青の改札鋏で切符を切れなかった乗客、そして新しい生を迎えたいという乗客には"黄"の改札鋏を使ってください。

・何か分からない事があった際は、外に取り付けてある質問箱に質問を書いた紙を入れてください。


この場所が、貴方の存在意義になりますように。


無人駅より 愛を込めて


紙を読み終えて、刹那。

「自殺は…成功はしたんだな。」

そんな事を一番に考えてしまった自分に、また嫌気がさす。よく見てみれば、改札鋏は3つほどある。クリップボードに書いてあった話は本当なのだろうか。生と死、それに近いことが書かれていて、自分には少し難しかった。それに、自分という駅長がいるのに、無人駅というネーミングは少しピンとこなかった。ボードの通り、外を少し確認してみれば質問箱がある。窓口内にはペンと紙があるのは確認済みだ。この紙に質問を書いて、この箱に入れればいいのだろう。試しに、紙の一部を千切って簡単な質問を書いてみた。

『この場所は何ですか?』

箱に紙を入れた。サイズ的にもスポりと入ったから、少しスッキリとした。ただ同時に少し疑問が頭に浮かんだ。一般的な質問箱は紙が入れられて、それを鍵を持った職員が開けて紙を見るようなスタイルだったはずだ。それを考えると、自分の書いた質問はどうやって人に見られ、返ってくるのだろうか。答えは意外と、簡単だった。突然底が抜けたように質問箱の下から紙が落ちる。

「…っ!?どうなってるんだ…」

ありったけの運動神経を使い、紙をすんでのところで掴み、言葉を吐き捨てる。手が攣ってしまいそうだ。激痛に叫ぶ右手の先に、千切った紙ではない真新しい紙がある。大きさも、自分の入れた紙よりかは数寸違う。まさかと思って確認してみれば、コピー機で刷られたような字が書かれている。

『ここは無人駅です。この国で言う際には黄泉国とも言われる、死と生とが混ざり合う場所です。乗客は皆、この場所で死と生の選択を迫られます。 無人駅』

事務的な語調だったが、大体のことは理解できた。ここは死後の世界に近く、ここに来る乗客は皆危篤や瀕死なのだろう。それで乗客の行先を改札鋏を使って決めればいい。単調な仕事という訳ではないが、進路相談に似ていると感じた。自分の昔の夢は教職だったし、天職かもしれない。紙を丁寧に折り畳んで窓口に入り、椅子にどっかりと座る。安堵に近い緩んだ感情が、独りよがりに妄想を始めた。自殺はしたが、死後の世界に関しては別にあると確信していた訳ではない。公共だか政経だかの授業で、変に整髪料が光っていた恰幅の良い教師がよく話していた。ニーチェやマルクスなんかの有名な人は、死後の世界を完全に否定していたとかだ。こういう形で、それに対する反証を得るとは思っていなかった。やっぱり、大人というのは嘘をつく生き物なのだろうか。養護の教師に勝手に入れられたカウンセリングでも、自分の気持ちを吐露したことが無い訳ではない。それでも、答えを得ることすら出来なかった。理解をしたフリをしては自分の考えを復唱するだけで、自分はカウンセラーの音楽教師にでもなったのかとさえ思った。SNSに居場所を求めては疲弊して、リアルを頑張ろうと奔走しては疲弊して、もしも自分がチャット形式で人生を送っていたなら、疲れたという言葉はとっくに辞書登録されているのだろうなと、息を一つ吐いた。感情の濁流があっという間に脳から意識を洗い流してしまった


Ⅲ:離れられないテディベア


緩んで綻んだ「1日駅長」という職務の意識をピンと張らせたのは、窓口の方から聞こえたベルの音だった。不快に思えるはずの秋暑の太陽は意外と礼儀が正しいようで、駅は暑さよりも静けさが支配していた。眠い瞼をこじ開ければ、窓口の先には誰も居やしない。疲れのせいにしては、がらんどうの構内全体に響くような冴えた音だった。神や幽霊の類のいたづらなのだろうか。死後の世界があるような場所なんだ。居たとしてそれは普通のことなのかもしれない。一応の確認として窓口の丸ノブを回して、ホームに足を踏み入れる。ベルの鳴らした音の正体は案外普通で、言ってはなんだが興ざめした。小学校にいっているだろうか。背丈の低い少女がつま先立ちを駆使してもう一度ベルを押そうとしていた。白い無地のTシャツに色の浅くなった半ズボン。一瞬男児とも思ったが、雰囲気から何となく分かった。一生懸命につま先立ちをする少女に

「君、大丈夫?駅長さんならここにいるよ」

と優しく声をかければ、その少女はパァっと顔を明るくして駆け寄ってくる。

「お兄さん…、じゃなくて駅長さん!私、乗客です!」

たどたどしい言葉遣いは、年相応の少女そのものだった。先程の考察があっていたとしたら、初めての乗客にしてはあまりにも意外な年齢だった。とりあえず窓口のカウンターで受け答えはするとして、この少女の背ではカウンターに上半身を出すことは叶わないだろう。

「ちょっと、待っててね。駅員室にステップスツールがあるかもしれない」

ステップスツールなんて言葉が出たのは、教職になりたいとほざいていた子供の頃に知った紛い物の知識からだ。ただその少女には運良くこの言葉の意味が伝わったそうで、

「うん!」

と返された。初仕事は未知の事だらけだが、この子なら多少のミスにも気づかないかもしれない。案外窓口内の目立った所にステップスツールはあって、窓口のカウンター前にそれを置いてあげた。少女は難なく立つことが出来たようで、親に褒めて貰うのを待つ子供に似ている雰囲気があった。自分も窓口にある椅子に腰掛けて、少女の方に向き直る。とりあえず、ここからが1日駅長の仕事になるのだろう。

「君、切符って持ってる…かな?」

マニュアル人間という訳では無いが、最初はこれくらいしか聞くことがない。持ってないと言われたらあの質問箱に愚痴でも突っ込んでやろうか。少し意地悪をと考えていると、意外とそれは直ぐに自分のカウンターに置かれた。よく使われているのと似ている型の緑色の切符。少女は何かを探しているのかポケットがあるであろう辺りを漁り、少しくしゃりとした白いA4用紙を一つ自分の手元に押し当ててきた。

「これは何…かな?駅長さんなんだか分からないな…」

ポリポリと頭を掻きながら件名を見てみれば、明らかに印刷されたような『無人駅 利用書』という文字が目に入った。

「これは…誰から貰ったとか分かる?」

マニュアルを見てもこの紙の存在は明記されていない。ある程度意味や誰が書いたかは予想出来ているが、確認はしたかった。

「駅の入口に来たときには、もう貰ってた」

「そっか…。とりあえず、確認させてもらうね。」

利用書と書かれた紙を見てみれば、構成はどうやら簡単なプロフィールとなっているようだ。


|無人駅 利用書


姓:小林

名:莉子

年齢:10

身長:121(cm)

体重:22(kg)

利用理由:2025 9/15現在 急性薬物中毒により危篤状態にあるため


聞きたいことは正直山ほどある。とりあえずは、上から聞いてみることにした。

「小林 莉子って言うのは君の名前で合ってるかな?」

「そうです。私、小林 莉子です!」

利用書のプロフィール通りだ。嘘などは多分書かれていないはずだ。

「そっか…。年齢は10歳なの?」

「そうです…けど。どうかしたんですか?」

「い、いや…。何でもないよ」

言葉上は取り繕ったものの、心と喉は動揺を隠せていなかった。病気でもない限り、10歳にしては身長体重の発育が進んでいない。カウンターに置かれている両腕は少し太めの棒切れのように骨ばってて、十分な栄養を取れていないのだろうか。それにやけに礼儀正しい。最初こそ年相応の少女のような笑顔を見せてはいたが、今は落ち着いており中身が同じなのか分からない。娯楽目的に読み漁った画面越しの冒険譚にもエルフという種族を見た事があるが、現実に例えるならばこの少女がエルフなのかもしれない。そんな雰囲気が、自分の中での莉子という少女の本質だった。

「それで…、言いずらいんだけども、この利用理由については教えてくれる?」

その言葉を飛ばすと、「それは…」と少女は明らかに口ごもる。そりゃあ言いずらいことこの上ないだろう。自分だって、死因を他人にまじまじと見られるのはいい気がしない。

「大丈夫、駅長さんはバカにしたりしないよ。」

この言葉と笑顔(まぁ実際は取り繕った営業スマイルだが)に観念したのか、少女はポツリポツリと話し始めた。聞き漏らさないように、自分も少し前屈みになった。

「お薬を沢山飲ませたのは、私のママです。自分の意識?がボーッとしていたのは覚えていたから、多分それが理由なんだと…思います…。」

消え入りそうな声に自分は、少し申し訳なさを感じた。

息を整えて、吐く。決して鬱や希死念慮に支配されている訳ではないが、自分の今吐いた息の色を例えるとしたら明らかに灰色だろう。

「君…じゃなくて莉子ちゃん。ちょっと待っててね」

紙を素早く千切ってペンをペン立てから取り出し、質問を書き始める。

『乗客の過去や利用理由についてより詳しく知る方法はありますか?』

回答者にはおあつらえ向きだろうと、文末に

『乗客をより良い行き先に送るために回答よろしくお願いします』

と添えてやった。丸ノブを捻ってホームへ出ると、窓口の方から少女のきょとんとした表情が向けられている。質問箱に紙を押し入れると、先程よりも体感早く回答の紙が返ってきた。質問箱の下に既に手を置いておいたので、難なくキャッチできた。一昔前なら2度目だとしても驚いていたかもしれないが、今は"こんな空間があるんだからこんなシステムがあってもおかしくは無い"と割り切ることにした。それ以上に、回答が欲しかった。多分この少女は、虐待されている。貧相な体と進まない発育、無人駅の利用理由が急性薬物中毒であること、その行為が母親からのものであるという証言。家族に恵まれ、家族に対して平和ボケしていると自負している自分ですら、その違和感に気づくのは容易だった。回答の紙を目にぐいと近づけ、斜め読みする。

『窓口内のスキャナーに利用書に書かれている名前をスキャンしてみてください。付属のモニターから利用理由等の詳細を知ることができます。良い仕事ができますように 無人駅』

求めていた答えそのものだった。直ぐに窓口内に戻ると、少女の利用書に手を伸ばす。

「莉子ちゃん、ちょっと待っててね。」

椅子を左に45°回転させた所に、パソコンにも似た形の機械とスキャナーらしきものを見つける。

「莉子ちゃん。君の行き先を決めるために、少しだけこの中に来て欲しいんだ。」

首だけ少女の方に向き直ると、こくりと頷き窓口の入口の方に姿を消す。1人であの丸ノブを回すのは辛いだろうからと、先に回り込んでドアを開けた。少女は転がり込むように窓口内に入ってくる。元々1人用に設計されているのか、成人近い人が1人と子供が1人入ればもう窮屈だ。椅子に先に座った自分は自分の両腿を軽く叩き、ここに座るように促した。少女はまた小さく頷き、おずおずと自分の膝に腰掛ける。軽い。1番に出た感想が仮にも子供に出すものではないだろうが、そう思ってしまうくらいに軽いのだ。叔母の子を抱きかかえさせてもらった際と、ほとんど同じだ。

「駅長さんの膝硬くはないかな?」

案ずる声に少し安心してくれたのか、少女は先程よりかは数段安心したような声で

「うん…!」

と返してきた。もしも親など大人の人に近寄ることにトラウマがあったら?と、またいつもの心配性が自分の脳をノックしてくる。しかしこの少女の様子を見る限りは、自分のことを信頼してくれているようだ。脳内に内鍵をかけ、スキャナーに少女のプロフィールをかざす。短いビープ音が鳴った後、何拍か空けてモニターに似た機械から画質の悪い映像が流れ始める。

6畳半ほどのアパートだろうか。画面中央にはちゃぶ台が置いてあり、畳に影を落としている。横にある扇風機が首を振っている。今くらいの季節ということは、この少女が死ぬ前の映像…VTRという感じだろうか。

「ここは…莉子ちゃんの家?」

「そう。私の家…」

特に進展が無いため、少し会話をする。この少女の家では合っているようだ。

少し待つと、2人の人物の影が出てくる。1人は白い無地のシャツを着た少女。たぶん、莉子本人だろう。もう1人は、画面越しでも分かるほど分厚い化粧をしたブロンドの髪をした長身の女性だ。耳にピアスをしているのか、金属メッキがカーテンに反射光を照り返している。

「ママ…。私のママ」

そう話した少女の声を聞き逃さず、より目を凝らして映像に向き合う。

莉子の母親らしき人はまた画面から出ていき、少しすると戻ってきた。両手で持っているのは、素麺が入ったボウルらしい。昼食なのだろう。ちゃぶ台に置かれた小鉢には麺つゆが並々と注がれている。至って、普通の昼食だ。母親の外見も気にはなるが接待業やモデルなどの類なら全くもっておかしくない。少し経つと、自分の膝に座っていた少女が画面から体を捩って目をを離す。

「莉子ちゃん…?どうしたの?」

「いや、ごめん、なさ…い…」

少女の吐き出すように呟いた言葉と、目頭から垂れている雫を見れば分かる。

「(あぁ、"来る"んだな)」

駅長として、見なくちゃならない。ショッキングな映像だろうが、彼女の行き先を決めるために。覚悟して続きを見たが、口の様子から2人が何度か言葉のラリーが続けられているだけで、特に怪しい空気はない。ただ、莉子の顔がどんどんくぐもってるのが分かる。ラリーが少し経てば、莉子の口が動かなくなった。母親が娘に言葉というボールを投げつけるだけの、あまりにも一方的なコミュニケーション。口の開き方から、どんどん語気が強まっているのが分かる。やがて母親は立ち上がり、また画面から消え去る。自分はその空白の間、トラウマから必死に抗おうとしている少女の背中をさすっているだけだった。やがて戻ってきた母親は何かを手に持っている。莉子の座っている場所に近寄り、その何かをちゃぶ台に叩きつける。母親が莉子の元から離れると、自分は直ぐにその何かを確認する。錠剤だ。それも夥しい数の。飲めと命令されたのか、画面の中の莉子はちゃぶ台の上にあるプラスチックコップを左手に持つと、その錠剤が入ったPTPシートを押し、錠剤をちゃぶ台に並べる。右手で掬うようにその錠剤を全て手皿に入れると、莉子はそれを水と一緒に一気に口の中に放り込んだ。オーバードーズをしていた頃の自分を嫌でも連想して、胃から灼けるような痛みが込み上げてくる。莉子も苦しいのか、水を飲み干した後何度もえづいていた。その様子を見ていたのか、莉子がえづく度にまるで見張りでもするかのように母親のブロンドの髪がモニターの左下に映り込む。ようやく飲み込んだのか、莉子は両手をついて上を向く。母親は今度は画面の中央まで来ると、莉子の目の前に座り込む。身構えていた自分だったが、母親のした行動は予想だにしていなかった。莉子の頬を滑らせるように撫で、額に優しくキスをする。いつの間にかモニターの方を向いていた莉子の顔は綻んでいて、薄らに笑みを浮かべていた。暫くの間は特に代わり映えのない画面だったが、自分にはある程度展開が読めていた。当たっては欲しくなかったが、唐突に畳に横たわる白い無地のシャツの少女とそれに駆け寄るブロンド髪の女性の映像が流れてモニターの画面はプツリと切れた。

「莉子ちゃんは見ても…大丈夫だったの?さっきの場面。自分が酷いことをされた人に急に優しくされて、その後薬の飲みすぎで倒れる映像を」

先程母親の虐待行動にあれだけ怯えていた莉子の反応は意外なものだった。

「いいの、ママに優しくしてもらえてる所だから」

どう、返せばいいんだろう。悩んでいた隙にまた短くビープ音がモニターから聞こえてくる。

「この後も…意識はあったの?」

莉子の直前の状態を知るためのものなら、倒れた時点で終わりなはずだ。莉子の方を覗き込んでみたが、質問を投げかけた莉子も

「分からない…。ごめん、なさい」

と言うだけで分からない。やがて起動処理が終わったのか、病院の一室がモニターから映し出される。白に包まれた病室の、備え付けであろうパイプベッドの中に、点滴に繋がれた1人の少女が寝ている。

「莉子ちゃん…だよね」

「たぶん…。でも、私は知らない」

まっさらなキャンバスに異物が付いているかのように、病室の中で眠っている莉子が無性に目立つ。その映像が数十秒流れた後、視点が横にずれる。病室の外まで移動したモニターの画面は、すぐ隣の部屋へ移動していった。少し扉が空いていたのか、画面はその間を抜けてその病室を映し出す。画面いっぱいに広がっていたのは、顔を手で覆いながら泣いているであろう莉子の母親と、それを諭すように柔和な顔で話を続ける医師のような男だ。このモニターからは音声が聞こえることはないから分からないが、雰囲気的には医者が莉子の母親を慰めているのだろうか。医者の手にはカルテがあり、荒い画質ながらも1部は画面に近いため見ることが出来た。内容は薄く、検診や病状報告というよりはカウンセリングに近いような状況だったのだろう。辛うじて読み取れたのは、『娘の自傷行為に悩んでいる』と言う1文だった。口を開こうとした時には遅くて、今度こそモニターは映像を閉じてしまった。

「莉子ちゃん…。辛いことかもしれないけど、駅長さんの話を聞いてはくれるかい?」

「うん…。聞く、しっかり聞く」

本当にいい子だ。自分が親だったら、それこそ誇りの娘だったろう。

「莉子ちゃんのお母さんはね、代理ミュンヒハウゼン症候群っていう病気だと思うんだ」

聞きなれない言葉だろう。年相応の少女のきょとんとした疑問符に溢れる表情が返ってくる。

「代理ミュンヒハウゼン症候群っていう病気はね、簡単に言うと誰かを自分で傷つけてその誰かを看病することで周りの人に可哀想だと思ってもらおうとしちゃう病気なんだ。」

「それがどうしたの?駅長さん」

まだ、理解はしていないらしい。否、理解したくないのかもしれない。なるべく軽く説明してはみたが、歳よりも知識のある彼女にとっては自分の母親が自分を虐待した上に利用して同情を周囲から買うような悪辣な大人だとは信じたくもないはずだ。

「まぁ…、お母さんについて何か思うことはある…?今までの生活と比べて」

トドメと言っても差支えのない発言だ。無人駅の駅長は、乗客の望む一番の行き先を決めないといけない。その為になる事だろうと、幼い少女の家族への思いを踏みにじることだろうから。心の中でごめんと呟いて目の前の少女の返事を待つ。返ってきた言葉を全部聞いた時、自分の中を諦念が支配した。

「別に…ママは私のことを好きだし、大事にしてくれるってことだから」

この幼い少女もまた、母親に依存していたのだ。母親が自分の我儘を満たすために少女を乱雑に扱い、それを謝っては自分が優しくされる感覚に浸る。まるで幼い少女がオモチャのテディベアを傷つけしまい、それを嘆いた少女に大人がテディベアのほつれを治して少女の笑顔を取り戻させるように。やがて少女はテディベアを傷つけることが、大人が優しくしてくれる条件だと考えるのだろう。頭の中を、縫い付けられた布の笑顔を続けたままのテディベアのイメージがよぎる。少女を窓口に戻した自分は、カウンターに置かれた緑の切符を指さす。

「莉子ちゃん。これからこの改札鋏でこの切符で君が行く先を決める。何個か質問するからさ、答えてくれると嬉しいな」

莉子は今までよりかは大きめに頷いてみせた。決意が、できたのだろう。

「莉子ちゃんは、今の辛い状況でも生きたい?」

「うん…。生きたい。」

思ったよりは、早い回答だった。そしてそれは、予想していた回答でもあった。

「君のお母さんが、君に酷いことをしていても、それでもまだ生きたい?駅長さんはね、凄いんだよ。人を転生させて、新しい人生を送らせることもできるんだ」

縋るような、そんな思いだった。

「ううん。いいの。ママが幸せだと、私も、幸せだから」

今日見た中で1番下手な笑顔を浮かべた少女に向かって、もう何も言うことはなかった。おもむろに青の塗料が塗られた改札鋏を手に取り、切符をもう片方の手に握る。不思議と使い方は分かった。パチンという改札鋏の作動音が、初めての仕事の終わりを告げる鐘になった。少女は自分が切符を切ったことを確認すると無言で歩き出し、3人がけベンチの真ん中に座った。ちょこんという効果音が出そうなほど、丁寧に。少女は自分とは違う空を見ているのかもしれない。初仕事だからか、何かの想いがあったのか、自分も窓口の外に出た。いつの間にか風化していた看板には『無人駅』と書かれた駅名が書かれている。左側だけに矢印があり、『この世』と書かれている。電光掲示板がある訳ではないが、そろそろ電車が来るんだろうなと、直感した。少女にとってはこれはただの始発駅なのだろう。やがて淋しい無人駅に、1両だけのレトロな電車がやってきた。少女は切符を胸に当て、ゆっくりと電車に歩き始める。やがて少女の華奢な体を車両内に収めた電車は、そのウドの大木から溢れんばかりのジョイント音が聞こえ始める。きっと、少女の魂をこの世に届けるのだろう。自分は、正しい行いをした。そう強く念じながら、電車の出発を待った。自分とは向かい合うように座った少女が、自分に向かって大手を振っている。感謝のつもりなのだろうか。自分も、駅長としての最大の敬意として、敬礼をした。直立の姿勢に耐えられなかったのか、蛍光色の腕章がシャツについた安全ピン頼りに垂れ下がっている。電車の初速は自分が思っていたよりも早く、少女を連れ去ってしまった。電車の行く末を見ようともしたが、ホームの端以降は霧がかかっているようで何も見えない。まるで、この無人駅自体が1つの絵画として収められているかのようだ。汗に似た涙が、まだ昼のアスファルトに溶け落ちていく。

「あぁ、いい仕事だ…。いい仕事。」

頷くように何度も繰り返す。淋しい構内に呟いた言葉はホームを超えて、ただ永遠に続く青い空へと飲み込まれた。

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