第16話:荷馬車

 腹を満たして席を立つころには、外の陽射しはすっかり強くなっていた。

 まだ昼だ。休む理由はない。旅は続く。


 ──だが、アルシュタインは違った。

 水桶のそばに繋がれた巨体は、草を食むふりをしながらも、脚取りの重さを隠しきれない。

 栗毛の毛並みに残る汗の跡が、命を削って駆け抜けてきた距離を物語っていた。


「……アルシュタインは、この宿場に預けよう」

 エリアスの声は低く、しかし迷いがなかった。


「ここで無理をさせるわけにはいかない」


 ローワンは口を開きかけ──けれど声が出なかった。

 頷くしかない。

 命懸けでここまで運んでくれた相棒に、これ以上の負担を背負わせることなどできないのだから。


 アルシュタインは、まるで理解したかのように短く嘶いた。

 その澄んだ瞳が、ほんの少し寂しそうに揺れる。

 ローワンの胸の奥にも、同じ色が広がった。


 ふと、外套の裾をぐいと引かれる。

「……?」

 視線を落とせば、アルシュタインがローワンの服をはみはみと咥えていた。

 それは慰めにも、未練にも似ていたが──不思議とローワンには別の意味に思えた。


(……エリアスを、頼む……?)


 錯覚かもしれない。

 けれど、そう思った瞬間、胸の奥に熱が宿る。

 託されたものを裏切るわけにはいかない。



◇◇


「このまま王都へはどうやって行くんだ?」

 ローワンが尋ねると、エリアスは門の方へ視線を向ける。


「荷馬車に乗せてもらう。ここから王都へ向かう定期便があるはずだ」


「……乗せてもらえるのか?」


「金さえ積めばな」

 エリアスは平然と答え、懐から革袋を取り出した。

「アルシュタインも、あとから運んでもらうよう手は打ってある」


 その背を見送りながら、ローワンは思った。

 交渉の場に立つその姿は、血にまみれて戻ってきた戦士とは別人のようで──

 だが、どちらも間違いなく自分の前にいる「生き残る者」なのだ、と。



◇◇


 荷馬車は軋む音を立てながら街道を進んでいた。

 木の車輪が石畳を叩くたび、がたん、と容赦なく揺れる。


「……う……」

 ローワンは額を押さえ、呻き声をもらす。


「おい、大丈夫か?」

 向かいに座るエリアスが片眉を上げる。


「だ、だいじょうぶ……」

 必死に答えながらも、顔色は明らかに青ざめている。


(……馬に乗っている時とも、全く違う……)

 アルシュタインの背にしがみついていたときは、恐怖はあっても規則的な鼓動のような揺れがあった。

 だが今、木製の車輪が石を噛むたびに、がたん、ごとんと不規則に体を突き上げてくる。

 それはまるで、荒波を進む船のよう──。


「……っ、言うな……」

 情けなさに唇を噛むローワン。吐き気と悔しさで顔が赤くなる。


 その必死さが可笑しいのか、エリアスはふっと息をもらし、肩を震わせた。

「……新しい世界へようこそ、職人殿」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る