第4話

 東京第一ダンジョンは、世界最大規模の洞窟型ダンジョンであり、十年前に杉並区に出現した際は大勢の死者を出し、周辺地域は立ち入り禁止区域に指定された。

 しかし時が進み、ダンジョン内に新たなエネルギー資源、エーテニウム鉱石の存在が確認されると事情が変わり、複数の巨大企業がダンジョン探索に乗り出し、エーテニウム採掘事業が軌道に乗る頃には、禁忌の地は経済の中心地となった。


 そしてすっかり様変わりしたダンジョンは、すり鉢状に形成された入り口から上層第一階と第二階までを人類の領域に浸食され、地底の街【埋葬都】が築かれていた。

 今や街は、政府からダンジョン探索を委託された巨大企業群の施設、社員居住区、政府施設、通信基地といったダンジョン関連施設ほか商業施設まで設置され、300万人を超える人口で賑わっている。


 さらには、ダンジョン配信が最盛期を迎えると大勢のダンジョン配信者が住む埋葬都は、ダンジョン探索の最前線のみならず、娯楽の最前線ともなった。

 しかし、光あらば闇もある。この街には、恐ろしい裏の顔があった。


 ―――ダンジョン深度200メートル地点の第二階層にある【最前線地区】は、分厚い岩の天井に閉ざされて空が見えない。代わりに天井に生じた無数のエーテニウム片が常に夜空の星のように微かに輝いていた。

 ここは、上の階では見られない猥雑な繁華街で賑わい、怪しげな事務所や居酒屋、風俗店が立ち並び、ネオンサインが太陽の届かぬ街で日光の代わりとなった。


 雑多な人物でごった返すストリートの端で浮浪者や貧乏人が寝転がり、時折犬ほど大きいネズミに引きずられていく。

 元より企業の力が強い埋葬都では、ただでさえ警察の目が届かない。ましてや更に下の最前線地区など殆ど放置され、治安は非常に悪い。


 そんなストリートから、より物騒な暗い裏道へと一人の少年が入っていく。

 灰色のフード付きパーカーにグレーのズボン。年齢は十五、六と若い。短く黒い髪、身長は170前後、その手には大きめの紙袋がある。

 このような街で至って普通な少年が一人、不用心にも程がある。しかし不思議とカツアゲもキャッチも近寄らない。


 それは、彼の放つ恐ろしい存在感のせいだ。

「よう兄ちゃん。調子は......ヒッ!?」

 不用意にガンを飛ばしたチンピラは、少年の恐ろしい双眸に睨みつけられ腰を抜かす。そもそも埋葬都には探索者が多く住む。見た目で判断するのは迂闊だ。


 それに実際、少年は探索者だった。無所属、無許可のだが。少年の名前は松川ケンシ。またの名をグリムリーパー。

 彼は誰にも邪魔されることなく裏道をどんどん進み、やがて薄汚れた建物の前で立ち止まり、その窓に書かれた「墓暴き」の文字を確認すると、彼はパーカーのフードを目深にかぶった。



 ―――――――



「ハイディングブレードの戻りが遅いな。」

 建物の内部、トゥームレイダーズ・ギルドの事務所でスーツを着たボスの石田は、会議室の高級ソファにどっしりと腰を沈めて、足の低い机を囲む部下たちを厳めしい顔で威圧的に見回し、静かに言った。

「女殺して戻るだけ、ガキでも出来る仕事だろ?」

「その、ついでにモンスター狩りをしてるとかでは...?」

 部下の一人が、機嫌を損ねないよう発言した。


 ギルドは企業直属でなく、企業が抱える面倒を、探索者の力で解決する下請け業者たちの事である。

 その、業務の内容はおおむね非合法な物ばかり。言ってしまえばギルドとは探索者を有するヤクザのような物だ。

 実際、ボスの石田も元はヤクザだ。


 今回の依頼は単純。知るべきで無い事を知った女の始末。

 それをハイディングブレード...ギルド所属の探索者に任せ、拉致は首尾良く行ったため、後はダンジョン内でアシが付かないよう殺すだけなのだが......

「半日経っても戻らねえのはおかしいだろうが!」

「それは...そうなんですが......」


 こうも戻らないからには、何かあったに違いない。ギルドの仕事には危険がつきもの、何があってもおかしくは......

 ガシャンッ!その時、突如事務所の窓が割れ、何か丸いシルエットの物体が投げ込まれた!それは、数度バウンドしてベチャリと水っぽい音を立てて机の上に転がった。


「な!?」「これは!?」

 部下たちが狼狽える中、石田は投げ込まれたものが何かに気づいた。

「ハイディングブレード......!?」

 それは帰りの遅い、ハイディングブレードの頭部だった!


「コイツは...?」

 ハイディングブレードの頭部を囲んで彼らは困惑し、しばし固まった。

「カチコミだーッ!!」

 それからすぐに下の階でギルド構成員たちの叫びと、数度の銃声が響き渡り、すぐに聞こえなくなった。


「お前らッ!」

「「は、はいッ!!」」

 この会議室内にいる部下は四人。石田が呼びかけると彼らはすぐに立ち上がってスーツの懐に手をやり、ドアを睨んで備える。

 ドガンッ!次の瞬間、ドアを粉砕し何かが飛び込み床に転がる!


「「ウオーッ!?」」

 部下たちが、咄嗟に飛び込んできた物に抜いた拳銃を向ける!

「ス、スミヨシ!?」

 それは、ギルドの下級構成員の無残に引き裂かれた上半身!こんな真似ができるのは探索者以外にあり得ない。


 慌ててドアに視線を戻した彼らは、最近裏社会を騒がせる、とある胡乱な噂を思い出した。

 探索者の命を執拗に狙うの話だ。いつの間にか現れ、すぐに殺してすぐ消える。

 そいつはボロボロの黒い外套を着てフードで顔を隠しているが、その死神の殺意にギラギラ輝く双眸だけは、はっきりと見える......


 そういう話だ。そして彼らの視線の先には、その“死神”がいた。輝く瞳が、彼らを射竦める。

「て、テメッ!ま、まさか!?」

「あり得ねえ!死ねッ!!」

 部下達は恐慌状態に陥り、狙いもつけずに拳銃の引き金を引きく!


 次の瞬間、死神は彼らの囲む会議机の上に立っていた。部下たちの首は既に斬り落とされていた。

「き、貴様よくも俺の部下をッ......!」

 残されたのは、最奥に座る石田ただ一人。彼は唸り声を上げて立ち上がる。


 石田は、この瞬間まで死神の噂を与太話と思っていた。それも当然だ。企業と探索者の後ろ盾を得て、全盛期のヤクザさながらに警察すら敵に回すギルドに挑む愚か者など存在する筈がないのだ。

 だが、その与太話は存在していた。恐るべき深刻な脅威として!

「俺達にこんな真似してただで済むと思ってんのか!」


 石田は、後退りしながら死神を脅した。それが無意味なのは彼にも分かっている。

「ただで済ませるつもりはない。」

 死神は処刑宣告のように静かに言った。そして彼は駆け出し、黒い外套が空間に軌跡を染み付かせ、素手でギルド・ボスの首を刎ねるべく迫りくる!


 だが、死神の手刀が彼の首に届く寸前、石田は高速バック転でそれを回避し、壁に掛けられた鉄槌を手に取り、背広を脱いだ!その下には重厚なカーボン製プロテクター!

「そんなら、くたばりやがれッ!」

 ハンマー頭の何らかの機構が展開し、強烈な青い光を発する。


「俺はストロングハンマー!あのハイディングブレードを殺したところで、俺には勝てんぞ!」

 そう、トゥームレイダーズ・ギルドのボス、石田は探索者であり、その名はストロングハンマー!

「......何にせよ結末は同じだ。グリムリーパーです。」

 互いに探索者として名乗り、高級ソファを挟んで睨み合う。空間が互いの殺気で歪む。


 奴は間違いなく強い。ストロングハンマーはすぐにそれは見て取った。しかも、グリムリーパーは会議机の上に陣取り、多少の高低差有利がある。迂闊な攻撃は命取りだ。だが、あの恐ろしい瞳は......

「クソッたれ!舐めるんじゃねえぞ!」

 ストロングハンマーは一向に動かぬ死神の視線に痺れを切らし、先に仕掛ける!


 グリムリーパーは、そのハンマー振り上げ動作中に飛び掛かった!

「ッラアアア!!」

 ストロングハンマーは目前の高級ソファを蹴り飛ばして牽制!グリムリーパーは構わずソファを粉砕する。がしかし、中身の羽毛やスプリングが飛び散り、彼の視界を思いがけず塞いだ!


「チッ...」

 視界不良のグリムリーパー目掛け、恐るべきハンマーが先端部から青白い雷をバチバチと放って宙を舞う羽毛を焼き焦がしながら、頭を粉砕するべく迫る!

「死ねいやあッ!」

 だが、グリムリーパーはその一撃を驚異的直感でギリギリ搔い潜って回避し、ストロングハンマーの懐に入る!


「ガフッ!?」

 グリムリーパーの強烈な膝蹴りが、ストロングハンマーの顎に炸裂!宙に浮いた胴体へ間髪入れず正拳突き!

「オオッ!?」

 間一髪、ストロングハンマーは柄の部分で正拳突きを防ぐが、壁に叩き付けられる。


「て、メエ!舐めんじゃねえぞ......!」

 ストロングハンマーは体勢を立て直し啖呵を切るが、グリムリーパーは構わず彼を壁に押し付けるように攻める!顔面に右フック!さらには左ボディブロー!

「グウッ......ウオオーッ!」

 ストロングハンマーは一か八か頭突きで反撃を......「グウッ!?」


 グリムリーパーは完璧なタイミングで頭突きを返してカウンター!

「む?」

 しかし、グリムリーパーは首を傾げる。互いの頑強な頭部が衝突したことによる凄まじい衝撃によって、ストロングハンマーが背にしていた壁が崩壊し、わずかに彼に有利な間合いが生じたのだ!


「ダッシャラオラーッ!!」

 ストロングハンマーはそれを逃さず、手にしていた鉄槌の柄を縮小!トンカチほどコンパクトになった鉄槌を強引に叩き付けた!

「チイッ!!」

 グリムリーパーは舌打ちし、咄嗟にクロス字に腕を固めて防御態勢!


 ドゴアッ!インパクトの瞬間に、展開していた鉄槌の機構部分がより強く輝き、凄まじい衝撃波を発した!

「ぐ、ああッ!?」

 グリムリーパーは防御態勢のまま「墓暴き」の文字が書かれた窓を突き破り、外へ投げ出される!


 この鉄槌は、頭の部分に極小のエーテニウム鉱石を利用した衝撃を増幅する特殊機構が仕込まれており、打撃の瞬間に対象の肉体に凄まじいダメージを叩き込む。これは、下層のモンスターですら一撃で屠れる強力な武器だ!

(だが、勢いが足りねえ。遠心力の籠らない打撃では殺しきれん!)


 ここで、ストロングハンマーには二つの選択肢がある。今の内に逃走するか、追撃して死神を討ち取る。

(致命傷とまでは行かんが、与えたダメージは無視できんはず......!)

 ストロングハンマーは追撃を選択!そもそも、ここまで暴れられて逃げるようでは、ギルドの沽券に係わる!


「ヤクザ舐めて生きて帰れると思うなよ死神が!」

 彼らはヤクザではなくギルドだ。だが、ギルドはヤクザと大差がないので問題ない!ストロングハンマーはグリムリーパーを追って窓から外へ飛び出す。

「イイヤアッ!」

「グワーッ!?」

 その時、背中に凄まじい衝撃!いつの間にか彼の後方にいた死神の飛び蹴りが直撃したのだ!


 外へはじき出されたグリムリーパーはストロングハンマーが追撃に出ることを見越し、奇襲を仕掛けるべく待ち構えていたのだ!

 ストロングハンマーは道路に叩き付けられ、数度バウンドしながら受け身を取って衝撃を殺すと、降り立ったグリムリーパーに向かい合った。


「クソッタレが、卑怯な真似を......!」

 ストロングハンマーはグリムリーパーを罵るが、彼は反応しない。

「ハーッ、ハーッ......」

 グリムリーパーは荒い息を整えていた。その腕はだらりと垂れ下がっている。腕が折れたのか。エーテニウム鉄槌の一撃を受ければそれも当然だ。


「は、ハハッ!随分と辛そうだなエエッ!?今更命乞いをしたって無駄だぞ?貴様は俺を怒らせた。その落とし前は命で払え!」

 グリムリーパーは見るからに重症、今畳みかければ仕留められる!ストロングハンマーは、再び柄を伸ばしたリーチを確保したエーテニウム鉄槌を構える。


「貴様のせいで俺のギルドは滅茶苦茶だ!しかし、お前を殺せば俺の名声はさらに高まるッ!」

 それに気分も良い!ストロングハンマーは、エーテニウム鉄槌の柄の端を持つと、ハンマー投げのように高速回転を始める!

 これによって遠心力の回転と、衝撃増幅機構によって無限に強化された一撃は、グリムリーパーの肉体を滅茶苦茶に粉砕する!


 これぞ、ストロングハンマーの一撃で敵対ギルドのビルを粉砕した必殺技!彼の高速回転は今や竜巻に匹敵する勢いで、猛烈にグリムリーパーへ迫る!だが彼は、迫りくる必殺回転ハンマー竜巻を目前に、俯いたまま身じろぎ一つしない。

 ストロングハンマーはそれを訝しむが、その間にもハンマー竜巻と死神の距離は徐々に縮む。2m、1m、50cm、10cm、1cm......その時、グリムリーパーは顔を上げ、殺意に輝く二つの瞳でストロングハンマーを見据えた。


(何か、まずい!?)

 ストロングハンマーは不吉な予感を感じるがしかし、もはやハンマー竜巻の勢いは止まらない!鉄槌が右回転し、グリムリーパーの側頭部に迫る!

 そして......インパクトの瞬間、凄まじい衝撃が走り、周囲の建物の窓ガラスが粉々に砕け散った。


 グリムリーパーは......

「なん、だと...?」

 ストロングハンマーは、目を見開いて驚愕した。死神はハンマーの一撃を左手で受け止めていたのだ。

 ダメージに耐えるようにグリムリーパーは震え、フードの奥から血を吐き出し......否、違う。何だこれは?ストロングハンマーは再度驚愕した。


 黒い炎?不吉な黒炎がフードの奥から、さらに衝撃で所々が裂けた左腕からも左腕からも噴出している!?

「貴様!?これは、これは一体なんだ!?」

 ストロングハンマーは問いかけるが、グリムリーパーは答えない。彼は死神を畏れ、距離を取ろうとハンマーを引いたがびくともしない!


 しかも左腕を伝い、黒炎がエーテニウム鉄槌を侵食するように焼き溶かしている。咄嗟にストロングハンマーが鉄槌を手放したその時、彼は見た。

 フードの奥。黒い炎が渦巻く中で殺意にギラギラと輝く双眸に。そして気付いた。強靭な胸部プロテクタを突き破り、グリムリーパーの右腕が自身の胸に沈み込んでいる。


「ゴボッ...馬鹿な、あり得ない......俺が、負ける?」

 心臓を、死神の手に握られたストロングハンマーの脳は走馬灯を映し出し、今まで踏み躙り殺してきた弱者の顔が浮かんでは消える。それから全ての記憶が、黒炎に焼き尽くされていく......!


「な、何故...こんなことを......?」

 脳と内臓を内側から焼かれながら、ストロングハンマーは恐怖に震え、呆然と問いかけた。

「復讐。」

 グリムリーパーはそれだけ言うと、次の瞬間ストロングハンマーの心臓を引き抜いた。


 ......体から溢れ出す黒い炎が収まるにつれ苦痛が増大し、グリムリーパーはそれに耐えた。

 遠くから、サイレンの音が聞こえる。ここが治安最悪地帯とはいえ、通報があれば警察は飛んでくる。彼らの到着よりも前に、に繋がる手がかりを得なくてはならない。グリムリーパーは、ストロングハンマーの無残な死体を一瞥すると、心臓を握り潰してギルドの事務所へ駆け戻った。

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