第5話
カチャカチャ...ガチャリ。ぎこちない音と共に、マンションの分厚い扉が開いた。恐らく、義姉のコトネの物だろう。彼女は手元を見ないでドアを開けようとするから、いつもあんな音を立てる。
松川ケンシは玄関に向かい、何週間も家を空けたまま帰ってこず、連絡一つ寄こさなかったことを、問い詰めようとした。
「コト姉さん!今までどこ......に?」
だが、そこにいたのは、ケンシの怒りにバツの悪そうな顔をするいつもの義姉ではない。
下駄箱にもたれかかるように体を支える彼女は、傷だらけで血に塗れていた。
「あ......ケンシ。はは、ただいま.......」
コトネは、ケンシの声に反応し彼の顔を見上げて安堵の表情を浮かべた。
「ただいま、じゃない!何があったんだ?」
義姉がこのように怪我を負ってくることは、珍しくはない。しかし、これほどの重傷は初めてだった。
「あー、この匂いは......カレーかな?私の分もある?」
「ある...けど、今はそんなことより怪我をなんとかしないと!」
ケンシはコトネに肩を貸し、リビングの方まで連れて行く。ひとまず応急処置、それから救急車だ!
だが、ケンシがコトネを運んでリビングにたどり着いた時。
「うん。美味い。レトルトだけどさ、なんていうかさ愛情?的な美味さがあるよねうん。」
既に“奴”が食卓に座って二人を待っていた。勝手に夕飯のカレーに舌鼓を打つそいつは、異様な格好をしていた。モザイクとグリッチノイズのローブを纏い、深く被ったフードに隠れてその顔は見えない。
「お前は......?」
ケンシが呆然とそいつに問いかけると、弱々しく支えられていたコトネの体に力が戻り、彼を背中に隠した。
「この子は関係ない......!」
「そんなこと言われても、自分の家に逃げ込んだら、関係無く無くなるのは当然だろ?」
男はふざけたように言って立ち上がった。フードの奥に、侮蔑と愉悦に歪んだ口元が見える。その手には、鉄の棒のようにシンプルな白銀色の槍。
「そもそも、どっちにしろ君の家族は助からなかったと思うよ?最近みんな残酷だしさ。」
「オマエ!!」
コトネは吠え、構えるが、明らかに力が籠っていない。
「まあ、死に目に家族に会えただけ良いだろ?オレは優しいからな。」
「くッ......ケンシ、今すぐ逃げて。」
「でも」「でもじゃない!」
有無を言わせぬ口調で、コトネは言った。その背中には悲壮な覚悟が滲んでいた。
「ここで逃げても、もっと苦しい思いをするだけだぞ?」
コトネは挑発に応じず、後ろ手に何やら書かれたメモをケンシの服の間に捻じ込んだ。
「大丈夫、大丈夫だから。行って。」
コトネはケンシに言い聞かせた。しかし、彼女の“大丈夫”は無理して強がっている時の口癖だと、ケンシは知っていた。しかし、だからといって彼にできることは無い。今までもそうだった。彼には、何の力も無い。
ケンシは、コトネの背中を目に焼き付け、玄関に向かって走り、外へ。
その時、後ろで轟音。咄嗟にケンシが振り返ると、徐々に閉じていくドアの隙間から、槍がコトネの心臓を貫く瞬間と、彼女の死体越しに喜悦に満ちた笑みに口元を歪めて、こちらを見据える奴の姿が見え、ドアが閉じ切る前に、ケンシは駆け出した。
その時、彼の心にあったのは怒りでも悲しみでも悔恨でもない。ただの恐怖。奴に対する恐怖だけがあった。
埋葬都上層特有の、ダンジョン入り口に阻まれた狭い夜空が見える。ケンシは走って、走って...そして――
「意外と早かったな。足には自信ある方?ハハッ」
モザイクのローブを纏ったそいつが、ケンシの前に立っていた。
「ゴボッ?」
ケンシは、内側からこみ上げてくる物を、抑えきれずに吐き出した。それは彼の血だった。
ケンシの心臓に、何気なく槍が突き刺さっている。それから奴は槍を引き抜いた。ただそれだけで終わった。胸に開いた穴から、とめどなく鮮血が溢れ出し、視界が暗くなっていく。
そいつはケンシの死骸を一度も顧みることなく哄笑を残して立ち去り、夜の街へ消えていった。
何故?どうして?そんなことを問う暇も無く、無力な少年は死んだ。薄れゆく意識の中で、彼の心にあったのは、無力な自分への強い怒り。彼はそれを焚きつけ、奴への怒りへと変えた。
恐怖を殺した少年の、穴の開いた心臓に、黒く禍々しい炎が灯った。
───そして少年は死神となって蘇ったのだ。
――――――――
「......ッ!?」
ケンシは飛び起きた。いつもの、しかしけして慣れない悪夢だ。
「うわッ!?どしたのさグリムリーパー君?」
ケンシのすぐそばにいたライフクが、呑気に突然飛び起きたケンシに驚いた。
「お前こそ何の用だ?」
殺意に満ちた瞳で、ライフクを睨みつける。
「そりゃ、なんかずっと魘されてて心配だったからさ?」
ライフクはケンシをなだめるように言った。
「白々しいことを...」
時々、ライフクは何が面白いのか、こうしてケンシが休憩室で寝ている所を見物しに来て、彼をイラつかせる。だがライフクが、こんなでも大事な協力者である以上、少々の奇行は見逃す必要があった。
コトネが最期の瞬間に、ケンシに託したメモは、彼女が頼れる相手をまとめたリストだった。しかし、残念なことにリストの内容の大半は、ケンシが流した血によって汚損され、判別できなかった。
だが、かろうじて一つだけ、無事に読めた名前がこの場所、埋葬都下層、最前線区にあるライフクの経営する古道具屋【ハルテフェスト】だった。
コトネはあの日に至るまで、何らかの陰謀に巻き込まれ、その過程でライフクを頼った。メモが無事なら、他の協力者を当てにできたかもしれないが、現状ケンシが頼ることのできる相手は、このハルテフェストと店主のライフクだけだ。
この店の表看板たる古道具屋は偽装であり、本業は情報屋。そしてモグリの探索者が密猟したモンスターやダンジョン内で見つけたアーティファクトのブローカーである。
「私は縛られてコワーい思いをしてたのに、帰って早々仕事を押し付けて自分だけ寝ちゃうなんてさ。」
「お前がくだらないミスを犯さなければ、そんな思いをする必要は無かった。」
寝慣れつつある簡素なベッドから身を起こして、冷たく言った。
「まあ、それは...そうなんだけどさ、これでも私は君の為にかなり苦労してるんだからもう少し労ってくれても良いじゃんか。」
ライフクは不満そうに唇を尖らせた。
昨日のようにライフクが拉致されたのは初めての事であり、さらにはルナーグレアとかいうダンジョン配信者による無用な苦労、その日のうちの報復で、疲労したケンシは、トゥームレイダーズ・ギルドの事務所から奪い取った書類やスマートフォンなどを彼女に押しつけ、昨日は気絶したように眠りについた。
それがライフクは気に食わないようだった。
「まあ、そもそも情報収集とかって君にはできないから仕方ないんだけどさ。」
仕方なしといった風に、ライフクは呟いた。
「それで、何か分かったのか?」
ケンシは気にせず質問した。
「んー、詳しい話は下で。」
ライフクは手招きし、店の奥へと進んでいく。
ハルテフェストに客が来ることは稀で、薄暗い店内には大量のガラクタが所狭しと積まれ、圧迫感があり人の気配は無い。
それでも、その手の話を店舗内ですることは無い。用心深いわけではない。本人曰く、裏の仕事の方が儲けてるだけで、本業はこっちなんだから持ち込みたくない、のだそうだ。ケンシに言わせれば、古道具屋の方だって半分盗品商のようなものだ。
とにかく、彼女は裏の仕事用のスペースとして地下室を使う。だが、それも大抵の場合はインターネット上で済ませてしまう為、地下室は半ば彼女のプライベート空間兼作業場となっている。
こちらも店内同様、古びたガラクタや、奇妙なオブジェがあちこちに積まれて非常に狭く、壁には不可解な文様の描かれたタペストリー、補修作業途中の時計、吊り下げられたテレビモニター、それから厳めしい顔の先代店主たちの顔写真が飾られている。
「ほら、座って座って。」
「早く話せ。」
ケンシは古びたソファに腰かけ、促した。
「はいはい。何から話したもんかね...まあ、まずはこれを見なよ。」
そう言って、ライフクは最新ノートパソコンの画面を見せる。
「これは?」
画面をざっと眺めてケンシは聞いた。
「ストロングハンマーの取引先のリスト。こいつとか、君も知ってる奴のもあるでしょ。」
スティングバイト...ヘヴンサモナー...スリーボディ......見知らぬ名前から、既に殺した者の名前もある。このように、ライフクが名前を上げるのには理由がある。
義姉のコトネは、どうやら単に陰謀に巻き込まれて命を落としたわけではないようで、なんならその陰謀を阻止しようと画策していたようだった。正義感の強い彼女らしいが、それが寿命を縮めることとなった。
ともかく、コトネは首を突っ込んだ相手の強大さを思い知り、死ぬ前に自分が集めた情報や証拠を、用心深くそれぞれ小分けにメモして複数人の協力者に託したようだった。
ライフクも情報の一つを託されていた。しかし、それは断片的な物でしかない。他の協力者とコンタクトが取れれば、もっとスムーズに話は進んだかもしれないが、コトネの協力者のメモは、残念ながらケンシの血によって殆ど事故のように失われた為、ライフクの持つメモだけを頼りにするしかなかった。
そのメモの内容は、陰謀に関与した人物の名前、それだけが書かれていた。
「これで、ようやく一歩前進。ほら、この名前。トゥームレイダーズ・ギルドの取引相手だった奴の名前。」
「インスティゲーター......」
ケンシは、前のめりになってライフクがカーソルで指した名前を読み上げた。その瞳が殺意に輝き出す。 ついに見つけた。リストにある名前の一つ。
「こいつは、何者だ?」
ケンシは尋ねた。
「......君が寝てる間に調べたけど、インスティゲーターはそこらのギルド探索者とは訳が違う。手を出せば碌な目に合わないよ?」
「良いから、言え。」
ケンシは有無を言わさぬ口調で問うと、観念したようにため息をついて答えた。
「インスティゲーターは企業所属の探索者だ。所属は......スカイピアー。ギルド相手に交渉するのが仕事らしいけど......」
「そうか。」
「待ちなよ、考えなしに企業の探索者に挑むなんて自殺行為!そもそも、コイツの所在地だって分からないのに。」
ライフクは、今すぐにでもスカイピアー本社に突撃をしかねない様子のケンシをなだめて言った。
「こういうのはちゃんと考えないと。」
「.......ではどうする?」
ケンシは低い声で尋ねた。ライフクの本心は、この若く無謀な死神をここで止めたかった。彼は恐らく死ぬだろうし、自分も巻き添えになって死ぬやもしれない。
だがしかし、止めたところで彼は無視して自殺的な行動に打って出ることを、この数ヶ月の短い付き合いある程度理解していた。
「復讐をやり遂げたいなら、ちゃんと頭を使わないといけないんだよケンシ君。」
ライフクは胸を張って言った。
「......」
ケンシは苛立たし気に無言で続きを促した。
「あー、そうだね。よし!じゃあ、こういう手で行くのはどう?」
それから、ライフクの提案した作戦と言うのは、非常に大胆で、彼女の正気を疑うようなものだった。
ダンジョン・死神・マッドネス! A230385 @kurokami446
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ダンジョン・死神・マッドネス!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます