第28話友という名の安寧
とりあえず、覚えているところはすべて話し終えた。
やはり、ずっと隠し続けていたことを他人に伝えるという行為は耐えがたいものだ。
それでも、吐き出してしまった後は、心の中にある重みが少し軽くなったように感じる。
とはいえ、こんなに長く喋ることもなかなかないので酷くのどが渇いた。
カップを手に取り、コーヒーを啜る。喉を通る温かさが疲弊した心に染み渡る。
「光希君、……あなたは本当にすごいですね。」
「え?……そうか?」
「あなたは、『守られてばっかりの自分が嫌だ』とおっしゃっていましたよね。
でも、少なくともあなたは【クルイモノになってしまった陰陽師】と【暴走してしまったせせらぎさん】の
……あなたは少なくとも彼女たちを守ったんですよ。そもそも、人を守るという行為は傷つけることよりもはるかに難しい。
それでも、あなたはやり抜いた。……だから、あなたはすごいのですよ。」
刹那は朗らかに微笑みながら言った。彼の言葉がすとんと心に落ちて、ひび割れたところに入ってくる。
そうだった。ただ一人【戦う】だけだったら自分のことを第一に考えればいい。
でも、誰かを【守る】となると、守る対象の安全が最優先になる。
誰かを守りながら戦うという行為は、一人で戦うよりもずっと考えなければならない。
だから、守りながらとなると実力を十分に発揮できなくなるなんてことが、よく起こってしまう。
もし、【クルイモノになってしまった陰陽師】達があのまま市街に出てしまっていたら、どうなっていたのだろう。
きっと、平時よりも悲惨な状況になっていたのは想像に難くない。
市民を守るために戦っていた彼らが、本能のまま守るべき対象を食らうのだというのなら、想像を絶する苦痛に苛まれていたに違いない。
もし、せせらぎがあのまま僕を殺めてしまっていたら、彼女は死ぬこともできない苦しさに捕らわれ続けたのかもしれない。
だって、正気に戻ってすぐのあの憔悴具合だ。もしかしたらあの時、僕が死んでしまったら彼女は死のうとしていた可能性がある。
でも、彼女は神だ。死ぬことなんてできなくて、苦しみを耐えるにも限界を迎え、堕ちることもありえたのか。
そうだとしたら、僕の手は誰かの心を守ることができたのか。何もできない、役立たずの大きいだけの手。
彼らの大切なものを取りこぼさずに済んだかと思うと、頭の中で叫び続けている自己否定も少しは和らぐ気がする。
「こうちゃんは強いよ。……いろんな意味で。俺だったら、そんなことが起きたら立ち止まっちゃう。
きっと、何をするにもその時の光景がフラッシュバックして、何もできなくなる。……こうちゃんは向き合おうと頑張ってる。
たくさん傷ついて、恐怖して……ボロボロになっちゃっても、君は前を向こうと頑張ってる。……なかなかできないことだよ。」
その背中は年齢に対して不相応な哀愁が漂っている。
彼は仮定しながら、起きたときの想定を話しているが、あれは過去の自分にでも重ねているのだろうか。
彼は涙こそ流していないが、その激情が肩を激しく揺らしている。
今の彼の目にはいったい何が映っているのだろう。
僕は彼がこの学校に来る前のことをあまり知らない。
弟妹が多いとか、母子家庭だとか言われているけど、本人が言っていないのだから本当のことは誰も知らない。
でも、僕はあの目を知っている。あれは家族を失った人間の目だ。理不尽に家族を失って、絶望して、守ろうとしたものは奪われてしまった。
かつて、水たまりを通して見た自分とそっくりだ。
「こうちゃん、今ここには俺らしかいない。俺ら以外には入ってこられない。」
さっき見せたやけに大人びた表情ではなく、年相応の少しいたずらっ子みたいな笑みを浮かべる。
でも、その声は温かな大人の優しさを孕んでいる。
「だからこうちゃん、今ぐらい我慢しなくていいんだよ。全部吐き出しちゃいな。支離滅裂になってもいいから。」
「なんで、そう思うんだ?」
「俺はね、にーちゃんなんだ。だからな、……そんな今にも泣きそうな顔をしている奴を放っておけるほど、俺は薄情じゃないよ。
刹那も、気づいてんでしょ?そっとするのも今じゃ無けりゃいいのかもしれないけど、こうちゃんの場合そうじゃない。」
「そう、ですね。光希君が溜め込んでしまいがちなのを失念していました。となると……」
泣きそうな顔になっている?別に今は悲しいと思うことも特にないし、泣くようなことをしたわけでもない。
それでも、なぜか視界がぼやけている。一体なぜ?
頬に手を当てる。何かが僕の手をそっと濡らした。これは涙だ。最近、本当に涙が止まらない。
悲しいわけでもないのに、苦しいわけでもないのに泣いてしまう。
「光希君、ゆっくりでいいんですよ。前を向いてとしても、足が進むとは限らない。僕たちはあなたの隣にいますから。」
「こうちゃんは、一人でずぅっと頑張ってきたんだね。俺たちはここにいるよ。」
涙を止めようと目をこすり続けていると、それを止めようとするように2人が僕の手を彼の両手で包み込む。
その姿はまるで何かに祈っているようで、やけに神々しい。やがて、僕の手を放しそっと正面から抱きしめる。
そして、
前に、刹那に抱きしめられた時もそうだったが、僕は抱きしめられると感情が抑えきれなくなるのだ。
暖かい、暖かいこの手が僕を幼くする。
あぁ、本当は僕もずっと寂しかったんだ。
本当はずっと叫びたかった。『行かないで』『そばに居て』『一人になりたくない』って大きな声で。
でも、僕にはできなかった。
だって、失うことは当たり前で、一人でいることも、傷つけられることも慣れ切ってしまっていた。
だから、僕が耐えきれば、大切な人は無駄に傷つかないで済むって本気で思っていた。
本当は、みんな気づいていたのかもしれない。
僕が傷だらけの体を一人で必死に抱えて歩いていたこと。日々降りかかってくる喪失を見ないふりしていたこと。笑い方なんてあんまり分からないこと。
そんなこと自覚していなかった。ずっとそうしてきたのだから、それでうまくいっていたんだから。
誰も、言わなかった。だけど、二人は真正面からぶつかってきてくれた。僕が自分で勝手に造った暗い檻を蹴破って、僕に手を差し伸べてくれた。
「そばに、いて……僕が、立ち上がれるようになるまで、ずっと。」
二人は僕の言葉に相槌を打つように僕を強く抱きしめる。
先ほどよりも強く抱きしめられているのに、不思議と苦しさを感じない。それどころか、もっと浸っていたい。
僕らはしばらく黙って抱きしめあった。あぁ、本当に二人は暖かいな。二人が僕にくれる温もりは僕に安らぎを与えてくれる。
もう少しだけ甘えてもいいよね?
――
目が覚めるとコーヒーの香りが鼻をかすめる。意識がまだぼんやりしているみたいだ。
確か、刹那と
それから、そうだ。あの日のことを彼らに伝えた。その後はどうしたのかを思い出せない。
「こうちゃん、おはよ。よく眠れたみたいだね。目元赤くなってるから顔、洗ってきな。」
そう言われて鏡を見る。そこに映っていたのは目元を赤くはらした僕の顔だった。思い出した。
僕、二人の前で大泣きしたどころか、幼い子供のように二人に抱きしめられてそのまま寝落ちしたんだ。
「~~!!……あぁ、そうする。」
少しやけになりながらも部屋に設置されている洗面所に向かう。幻のクスリと笑う声とそれをたしなめる刹那の声が聞こえる。
顔を洗うと意識がはっきりとする。目覚めてから重く感じることの多かったこの体が、今はとても軽い。それがこんなに喜ばしいことなんて知らなかった。
「ただいま」
「おう、お帰り。……憑き物が落ちたみたいだな。」
「そうですね。どこか清々しそうです。」
二人は戻ってきた僕を見て自分のことのように嬉しそうな顔で笑う。僕も、そんな二人につられて笑う。
「……ありがとな」
僕がお礼を言った瞬間、どこからか鐘の鳴る音がした。
そういえば、泣いたり寝落ちしてしまっていたから忘れていたんだが、時間はどれぐらい経っている?
あわあわしている僕と、全く焦っていない二人。どうして、二人は焦っていないんだ?
「どうして、お前らはそんなに余裕そうなんだ。すごく時間が経ったように感じているんだけど、本当に大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。外は
「あそこの時計を見てください。」
刹那に言われて部屋の後方にある時計を見る。時計の針は刹那が言っていた通り、昼休みが始まってから10分後を指していた。
「あれは一体……どういうことだ?」
「あの時計はこの部屋の
この部屋自体が一つの魔法になっていて、この部屋を作った人はこの部屋でくらい時間を気にせず休めるようにという願いで作られたみたいです。」
刹那は僕に説明しながら一枚の手紙を見せてきた。その手紙は古いのにも関わらず汚れ一つ見当たらない。
手紙の最初にはやや達筆な字で『若人たちへ』と書かれている。そして、手紙の最後には【遥より】と結ばれている。
「鐘がなったということはもう出られるってことか。……うーん、今回は10分経っていたから、10時間滞在してたってことか。」
鐘がなることはこの部屋を出る条件ということか。それよりも、10時間?……10時間⁉いつの間にそんなに経っていたんだ。
あと、なんで1分当たり1時間だってわかるんだよ。
僕がそんな風にぐるぐると考えているとどこかからぐぅと低い音が鳴った。音の鳴る方を向くと恥ずかしそうに顔を赤らめる刹那がいた。
「今からどうします?寝ていたらお腹が空いてきてしまいました。」
「あ、俺も腹減った!!10分だから、あと休み時間30分あるから食堂でラーメンでも食うか!!」
二人の言動に呆れていると僕の腹からも空腹を知らせる音が鳴った。
あぁ、もう仕方がない。そう思いながらも、今までで一番笑えているような気がする。
「あぁ、そうしよう。僕もお腹が空いたし、今はガッツリ食べたい。」
「だよな!そうと決まったら部屋を出よう。」
「そうですね。あ、でも
三人でわちゃわちゃしながら部屋を出る。その時、キンセンカの香りがした。
僕は不思議に思い、後ろを振り返る。そこには誰もいなかった。
いや、本当に一瞬だったがキンセンカの花を髪に挿した女の人がこちらに向かって微笑んでいるように見えた。
『あなたがげんきになってよかった。』
その慈しむような声がやけに耳に残った。
『■■のことをたのみました。』
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