EP 7

旅立ちの準備と、大工の誓い

『至宝』の発見、そして王都行きが決定してからのひと月は、静かに、しかし確実に過ぎていった。

村の空気は一変した。

以前の俺は「少し賢い、アレン君」だったが、今の俺は「規格外の魔力を持つ、アレン様」だ。

村人たちは俺に敬意を払うようになったが、それは同時に、厚い壁を作ることでもあった。一緒に泥遊びをした友人たちでさえ、遠くから俺を見て、どう接していいか分からないという顔をしている。

俺が望んだ平穏な日常は、あの魔力測定器の破片と共に、跡形もなく砕け散ってしまった。

家の中も、静かな悲しみに満ちていた。

母アンナは、気丈に振る舞いながらも、俺の旅支度に没頭することで不安を紛らわしているようだった。丈夫な旅着を何枚も縫い、俺の好物であるドライフルーツを山のように作り、夜になると俺の寝顔を見つめては、静かに涙をこぼしていた。

父ロルフは、口数が減った。しかし、彼は彼なりの方法で、息子への想いを示してくれた。

仕事から帰ると、工房に籠って何日も何かを作っている。そして出発の三日前、彼は一つの木箱を俺に差し出した。

「アレン。これは父さんがお前のために作った、初めての人形だ」

それは、体長30センチほどの、木彫りの人形だった。

関節が滑らかに動き、細部まで丁寧に磨き上げられている。戦士でも、魔術師でもない、ただの素朴な人型。しかし、その手足のバランスは完璧で、大工仕事の粋を集めた逸品だと、素人目にも分かった。

「帝都に行けば、もっと凄い人形が沢山あるだろう。だがな、アレン。お前は『至宝』である前に、俺とアンナの息子で、この村の大工の息子だ。それを、絶対に忘れるな」

父は俺の小さな肩に、節くれだった大きな手を置いた。その手は、温かかった。

「辛くなったら、こいつをいじって大工仕事でも思い出せ。そして、必ず、必ずこの村に帰ってこい。わかったな」

「……うん。父さん」

俺はその人形を、宝物のように強く抱きしめた。

俺自身も、このひと月を無駄にはしなかった。

昼は両親との時間を何よりも大切にし、母の料理の味を舌に、父の木を削る音を耳に焼き付けた。

そして夜。俺は前世の記憶をフル活用し、来るべき帝都での生活に備えていた。

(《万物検索》。検索ワード『王立魔法学校 カリキュラム』『帝都 政治体系』『主要貴族 家紋一覧』……)

これは、もはや転生ではない。未知の土地への『派遣任務』だ。

目的は、魔法を習得し、自らの力を完全に制御下に置くこと。そして、一日でも早くこの村に帰還し、スローライフを再開すること。

そのために、情報は力だ。俺は貪るように、帝都の知識を頭に叩き込んだ。

そして、旅立ちの朝が来た。

村の入り口には、これまで見たこともないような豪華な馬車が停まっていた。磨き上げられた黒い車体に、王家の紋章が金色に輝いている。

村人全員が見送りに来ていた。

俺は、父さんが作ってくれた新しいリュックを背負い、母さんが縫ってくれた旅着を着ていた。手には、あの木彫りの人形を大切に抱えている。

「母さん。父さん。……行ってきます」

「ええ…。体に気をつけるのよ、アレン」

「何かあったら、すぐに帰ってこい。父さんが迎えに行ってやるからな」

両親との、短い抱擁。

こみ上げてくるものを必死にこらえ、俺は背を向けた。

騎士が恭しく馬車のドアを開ける。俺は意を決して、その暗い車内へと足を踏み入れた。

ドアが、重い音を立てて閉まる。

小さな窓から外を見ると、泣き崩れる母さんと、それを支えながら、じっとこちらを見つめる父さんの姿があった。

馬車が、ゆっくりと動き出す。

遠ざかっていく両親の姿、生まれ育った村の風景。

俺はそれが見えなくなるまで、ずっと見つめていた。

やがて、完全に視界から消えた時。

俺は抱きしめていた人形を膝に置き、ふぅ、と一つ息を吐いた。

五歳児の悲しげな表情は、そこにはもうない。

あるのは、未知の任務に赴く、冷静沈着な元・自衛官の顔。

(さて、と。第二の人生、最初のミッションを開始するとしようか)

帝都までの道のりは、およそ二週間。

この馬車の中でさえ、できることは山ほどある。

俺は静かに目を閉じ、再び《万物検索》の意識を深めていった。

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