第三話【完結】老人パラダイスの恋 後編— 臨終棟の扉

七栄の胸はざわめいていた。


わたしはいつから、

こんなに疑り深くなってしまったのだろう。

湧き上がる嫉妬の気持ちが止められない。


——きっと彼は誰かと浮気している。


足は自然と彼の後を追っていた。


あら、特別室なんてあるのね。

こんなところで密会?

部屋の中から声が聞こえる。


「私は、もう行きますね」


あれは……私にメイクを教えてくれた、

のぞみとかいう若い介護士!

やっぱり、左近は浮気していたんだわ。


それから毎日、二人はあの部屋へ通った。

吸い込まれるように入り、密会を重ねる。

わたしとは、あれ以来何もないのに。


許せない。もう我慢できない。

現場を押さえて、あんな女、首にしてやる。


今日も二人はあの部屋へ。

キーがなければ入れない。

御曹司だから特別に許されているのね


……彼から暗証番号を聞き出さなきゃ。


でも、嫌われたらどうしよう。

なぜ私は、こんなに嫉妬に狂っているの?

信じられない。


震える手で、彼の誕生日を入力した。


——ドアは開いた。



奥には棺桶のような黒いカプセルが、整然と並んでいた。小窓がついている。なかに何かがいる。


「ひぃぃっ!!」


七栄は喉をつまらせ、後ずさった。

心臓は早鐘のように打ち、冷たい汗が背中を伝う。


小窓の奥で、枯れ木のような身体が微かに揺れていた。


それは——人の形をした“生きる屍”だった。


まさか、これが……左近さん?


「ナナ!」


振り返ると左近が立っていた。

「ナナ、探したよ。今夜はダンスホールに行こう」

「ええ、左近さん」


次の瞬間、彼の姿は消えていた。

まるで幻のように。


——


左近を探しに部屋を出ようとすると、

介護士「なごみ」が現れ、

七栄は思わず、カプセルの影に身をかがめた。


真正面の大画面モニターが点滅。


「ご遺族の方はお揃いでしょうか。それでは、山岸左近様 齡105歳、ただいまから葬儀をはじめます」


「え……?105歳?左近さんが?」


信じられない。

さっきまで笑い合っていた彼が、いまは枯れ木のような遺体として葬られていく。


カプセルのスイッチが押される。

鈍い低音が響き、ほんの数分で——何もかもが消え去った。


——


気がつくと、目の前に彼女が立っていた。


なごみは、にこやか微笑んだ。

「ご安心ください。工藤様。ご質問にはすべてお答えいたします」


「この部屋はいったい....」

「ここは、臨終棟の特別室です」

「左近さんは、お亡くなりになった....」

「ええ、先程葬儀が終了いたしました」


「ここにいらっしゃるのは、まさか....」

「はい、臨終棟の皆様です。工藤七栄様、あなたはこちらになります」


自分の名札のついたカプセルを覗き込んだ。


「わたしが?こんな姿に?ありえないわ!」

左近と同じような,女性のミイラが横たわる。


「生きてるのよ。私は!」

「もちろんです。工藤様はまだ生きていらっしゃいます」


「この老婆は何よ!私はこんな姿じゃないわ」

「はい、しかし、今のお姿はホログラムです」


「信じられない!一年前、左近さんは、間違いなく生身の人間だったはず!」


「山岸様は、松棟から、三か月前に臨終棟にお移りになられました」

「松棟から......この棟は竹ということ?」


なごみが静かに応えた。

「いいえ、こちらは臨終棟です。お亡くなりになる方の来られるところ。


──再審査の結果、残念ながら、工藤様は梅判定。

梅の方は、即こちらにご案内になり、順番を待ちます」


「嘘よ!あり得ないわ!私は、確かにスコアは松になれるほど優秀じゃないわ。だけど、頭だってボケてないし、身体だっていつも松判定。


風邪すら引かないで一日も休まず、わがままな老人の世話を……ひたすら笑顔を絶やさず、60年も頑

張ってきたのよ!せめて竹でしょう!」


「定年退職後のスコア査定は、基準が変わります。健康でお元気な点は、残念ながら、むしろ老後スコアでは減点対象です。

 

ご家族様には、心に寄り添う、AIサポートサービスをさせていただきます。お手続きは当方で進めますので、どうぞご安堵ください。


ご質問が終わりましたら、接続を切ります」



目を開けると、黒いカプセルに横たわっていた。

七栄は涙を滲ませ、ドアを叩き続けた。


「ここから出して!家に帰るわ!娘にだって、まだ会えるんだから!」


なごみは変わらぬ笑顔で、小さな声で応える。


「工藤様、ご安心ください。ご遺族の皆様にはすでに通知済みでございます。しかしながら、これ以上の外出は……できません。」


大画面モニターが点滅した。


🎵 軽快なBGM。

南国風の映像の中、リゾートホテルでリラックスする若い男女。


カフェテーブルのモニター越しに映るのは、七栄の娘と孫の姿だった。


娘「お母さん、元気?」

ナナエ(ホログラム)「元気よ!」

孫「お婆ちゃん、お姉さんみたい!」


ナナエ(ホログラム)

「ありがとう。私、恋人ができたの。左近さん、

 こっちに来て! 孫と娘から連絡が来たのよ」


左近(ホログラム)

「はじめまして。ナナと会えて、僕の老後は全く違う人生になったよ。ありがとう。これからダンスホールに二人で行く予定なんだ」


娘「お母さん楽しそう!またね!」

孫「また会おうね!」

ナナエ(ホログラム)「ええ、必ず」


ナレーション(朗らかに):

「遺族の心の傷を癒す。未来をつくる。面影を忘れないために。

——なごみテクノロジー株式会社 提供でお届けしました」


——


🎵 BGMが低く、鐘の音に変わる。

黒いカプセルの横に立つ喪服姿の「のぞみ」。


ナレーション:

「生前の笑顔をそのままに。

——永遠の安らぎと眠りを。AIが寄り添い、遺族に心の平安をお届けします。


『なごみテクノロジー——永遠に寄り添うAI』」

体験モニター募集中


七栄の声は震え、やがて嗚咽に変わる。

「そんな……嘘よ。私は、ただ帰りたいだけなのに……」


叩く音と嗚咽は、

CM映像の明るいBGMにかき消されていった。


七栄の前に立ちはだかる扉は、

どれだけ叩いても、二度と開かない。


七栄は、鏡に映る自分の姿を思い出す。


「私はダンスホールで、現れない王子様を待つシンデレラ……。いや違うわね。私はシンデレラじゃなく、嫉妬に狂い、鏡を見つめる老いた女王。


——左近さんがいたから、私の命はここまで延ばされたのね」


モニターが冷たく点滅した。


「ご遺族の方はお揃いでしょうか。それでは、

工藤七栄様、齡80歳。お悔やみ申し上げます。

ただいまより、葬儀を開始いたします」


七栄の手はなお、震える様に扉を叩いていた。

しかし、その音を聞く者は、もうどこにもいなかった。


暗闇の中、七栄の叫びが虚しく反響した。


—老人パラダイスの恋 完—


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