第三話【完結】老人パラダイスの恋 後編— 臨終棟の扉
七栄の胸はざわめいていた。
わたしはいつから、
こんなに疑り深くなってしまったのだろう。
湧き上がる嫉妬の気持ちが止められない。
——きっと彼は誰かと浮気している。
足は自然と彼の後を追っていた。
あら、特別室なんてあるのね。
こんなところで密会?
部屋の中から声が聞こえる。
「私は、もう行きますね」
あれは……私にメイクを教えてくれた、
のぞみとかいう若い介護士!
やっぱり、左近は浮気していたんだわ。
それから毎日、二人はあの部屋へ通った。
吸い込まれるように入り、密会を重ねる。
わたしとは、あれ以来何もないのに。
許せない。もう我慢できない。
現場を押さえて、あんな女、首にしてやる。
今日も二人はあの部屋へ。
キーがなければ入れない。
御曹司だから特別に許されているのね
……彼から暗証番号を聞き出さなきゃ。
でも、嫌われたらどうしよう。
なぜ私は、こんなに嫉妬に狂っているの?
信じられない。
震える手で、彼の誕生日を入力した。
——ドアは開いた。
◇
奥には棺桶のような黒いカプセルが、整然と並んでいた。小窓がついている。なかに何かがいる。
「ひぃぃっ!!」
七栄は喉をつまらせ、後ずさった。
心臓は早鐘のように打ち、冷たい汗が背中を伝う。
小窓の奥で、枯れ木のような身体が微かに揺れていた。
それは——人の形をした“生きる屍”だった。
まさか、これが……左近さん?
「ナナ!」
振り返ると左近が立っていた。
「ナナ、探したよ。今夜はダンスホールに行こう」
「ええ、左近さん」
次の瞬間、彼の姿は消えていた。
まるで幻のように。
——
左近を探しに部屋を出ようとすると、
介護士「なごみ」が現れ、
七栄は思わず、カプセルの影に身をかがめた。
真正面の大画面モニターが点滅。
「ご遺族の方はお揃いでしょうか。それでは、山岸左近様 齡105歳、ただいまから葬儀をはじめます」
「え……?105歳?左近さんが?」
信じられない。
さっきまで笑い合っていた彼が、いまは枯れ木のような遺体として葬られていく。
カプセルのスイッチが押される。
鈍い低音が響き、ほんの数分で——何もかもが消え去った。
——
気がつくと、目の前に彼女が立っていた。
なごみは、にこやか微笑んだ。
「ご安心ください。工藤様。ご質問にはすべてお答えいたします」
「この部屋はいったい....」
「ここは、臨終棟の特別室です」
「左近さんは、お亡くなりになった....」
「ええ、先程葬儀が終了いたしました」
「ここにいらっしゃるのは、まさか....」
「はい、臨終棟の皆様です。工藤七栄様、あなたはこちらになります」
自分の名札のついたカプセルを覗き込んだ。
「わたしが?こんな姿に?ありえないわ!」
左近と同じような,女性のミイラが横たわる。
「生きてるのよ。私は!」
「もちろんです。工藤様はまだ生きていらっしゃいます」
「この老婆は何よ!私はこんな姿じゃないわ」
「はい、しかし、今のお姿はホログラムです」
「信じられない!一年前、左近さんは、間違いなく生身の人間だったはず!」
「山岸様は、松棟から、三か月前に臨終棟にお移りになられました」
「松棟から......この棟は竹ということ?」
なごみが静かに応えた。
「いいえ、こちらは臨終棟です。お亡くなりになる方の来られるところ。
──再審査の結果、残念ながら、工藤様は梅判定。
梅の方は、即こちらにご案内になり、順番を待ちます」
「嘘よ!あり得ないわ!私は、確かにスコアは松になれるほど優秀じゃないわ。だけど、頭だってボケてないし、身体だっていつも松判定。
風邪すら引かないで一日も休まず、わがままな老人の世話を……ひたすら笑顔を絶やさず、60年も頑
張ってきたのよ!せめて竹でしょう!」
「定年退職後のスコア査定は、基準が変わります。健康でお元気な点は、残念ながら、むしろ老後スコアでは減点対象です。
ご家族様には、心に寄り添う、AIサポートサービスをさせていただきます。お手続きは当方で進めますので、どうぞご安堵ください。
ご質問が終わりましたら、接続を切ります」
⸻
目を開けると、黒いカプセルに横たわっていた。
七栄は涙を滲ませ、ドアを叩き続けた。
「ここから出して!家に帰るわ!娘にだって、まだ会えるんだから!」
なごみは変わらぬ笑顔で、小さな声で応える。
「工藤様、ご安心ください。ご遺族の皆様にはすでに通知済みでございます。しかしながら、これ以上の外出は……できません。」
大画面モニターが点滅した。
🎵 軽快なBGM。
南国風の映像の中、リゾートホテルでリラックスする若い男女。
カフェテーブルのモニター越しに映るのは、七栄の娘と孫の姿だった。
娘「お母さん、元気?」
ナナエ(ホログラム)「元気よ!」
孫「お婆ちゃん、お姉さんみたい!」
ナナエ(ホログラム)
「ありがとう。私、恋人ができたの。左近さん、
こっちに来て! 孫と娘から連絡が来たのよ」
左近(ホログラム)
「はじめまして。ナナと会えて、僕の老後は全く違う人生になったよ。ありがとう。これからダンスホールに二人で行く予定なんだ」
娘「お母さん楽しそう!またね!」
孫「また会おうね!」
ナナエ(ホログラム)「ええ、必ず」
ナレーション(朗らかに):
「遺族の心の傷を癒す。未来をつくる。面影を忘れないために。
——なごみテクノロジー株式会社 提供でお届けしました」
——
🎵 BGMが低く、鐘の音に変わる。
黒いカプセルの横に立つ喪服姿の「のぞみ」。
ナレーション:
「生前の笑顔をそのままに。
——永遠の安らぎと眠りを。AIが寄り添い、遺族に心の平安をお届けします。
『なごみテクノロジー——永遠に寄り添うAI』」
体験モニター募集中
⸻
七栄の声は震え、やがて嗚咽に変わる。
「そんな……嘘よ。私は、ただ帰りたいだけなのに……」
叩く音と嗚咽は、
CM映像の明るいBGMにかき消されていった。
七栄の前に立ちはだかる扉は、
どれだけ叩いても、二度と開かない。
七栄は、鏡に映る自分の姿を思い出す。
「私はダンスホールで、現れない王子様を待つシンデレラ……。いや違うわね。私はシンデレラじゃなく、嫉妬に狂い、鏡を見つめる老いた女王。
——左近さんがいたから、私の命はここまで延ばされたのね」
モニターが冷たく点滅した。
「ご遺族の方はお揃いでしょうか。それでは、
工藤七栄様、齡80歳。お悔やみ申し上げます。
ただいまより、葬儀を開始いたします」
七栄の手はなお、震える様に扉を叩いていた。
しかし、その音を聞く者は、もうどこにもいなかった。
暗闇の中、七栄の叫びが虚しく反響した。
—老人パラダイスの恋 完—
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