第二章 【完結】 第一話デザインベビー編  星に願いを—— サンタクロースになった少女

2075年 —— 12月24日、クリスマスイブ。


「神様、私の願いを聞いてください。どうか家族全員が幸せになりますように」



世界一“幸福”と称された日本。だがその裏側では、すべてをスコア化して徹底管理する社会が広がっていた。


国民は十七歳になると「検定」を受け、松・竹・梅の三段階に振り分けられる。

松は全てに優遇、竹は安定した職と教育を保証され、梅は矯正や更生の名の下に“再調整”される。


十七歳の秋、私は「竹」と判定された。

それから数か月。十八の誕生日を迎えたばかりの私に、思いもよらない指名が下った。


東京・竹居住区――浅草寿花町あさくさことかちょう


「ねぇちゃん、俺のジャケット着ないでくれよ!」

「貸してよ、ケチ」

「あー、ユライがまたお漏らしした!」


末っ子ユライはまだ一歳。

下町の我が家は、八人家族の声でいつも賑やかだった。テレビ取材まで来たが、この規模の家族は日本では珍しいらしい。


私は久住睦月くずみ むつき、十八歳。二年前に兄が梅センターへ――それ以来、私が長女になった。


ケーキ屋の臨時バイトへ向かう。

「今日は七時には帰るからね!」


空から舞うのは人工雪。温暖化で、本物の雪が降る場所は二十年以上なくなっていた。


「むつきちゃん!お疲れさま。ほら、弟や妹にクリスマスケーキ持っていきなよ」


——


「ただいまー!ケーキ二つもらったよ!

 ——あれ、誰かお客様?」


下町の我家には、場違いな黒スーツの男が二人、座っていた。


「久住睦月様について、公式に指名が入りました」

「国から? 指名って、いったい……」母の顔が曇る。


「睦月様のスコアを『松』に昇格させ、政府公認プロジェクト——“デザインベビー計画”の代理母として参加していただきたいのです」


「まさか……睦月を?」母が狼狽する。


「今や二人に一人が七十歳以上の国家です。優秀な若者を選び、次代の礎とすることが急務なのです」


「ふざけんな!娘を何だと思ってる。冗談じゃねえ、帰れ!」父が声を荒げた。


「ご家計が厳しいのは承知しています。松のスコアだけでなく、お子様全員の学費を保証します。それに、ご長男の賢太郎様は現在、梅施設にいらっしゃいますね」


父が動揺し、母は俯いた。

「はい……二年前から「梅」更生施設に……」


「調査の結果、賢太郎様は近く精神トポロジー処理の予定です。ですが、このプロジェクトにご協力いただければ特別免除申請を行い、処理を見送ることも可能です」


母の肩が震えた。子供たちの声がざわめく中、睦月は襖を開けて入ってきた。


「私、その話、受けます」


「馬鹿か!やめろ!」父が叫ぶ。

「お兄ちゃんが、そんな処理を受けるなんて嫌。だから、私が行く」


母は泣きながら睦月に縋った。

「イブの日に……どうしてこんなことに」


睦月は小さく笑った。

「私が、みんなのサンタクロースになるんだよ」


雪の降るクリスマスイブの夜、私は家族と別れを告げた。


12月25日、クリスマス。


—千葉県・房総半島—

都心から程近い施設へ向かうバスの中。


睦月は不安を押し隠しながら、新しい道へ踏み出していた。バスには同世代の女性が四人、ガイド役のアンドロイドが同行している。


「昔は東京と地続きだったそうです。今はネオ•アクアトンネルだけが、この島を繋いでいます」


遠くのビーチには、アンチエイジングで若返った老人たちがサーフィンを楽しむ姿があった。見た目は若々しいが、漂う気配は年配の人間そのものだった。


“房総ノアアイランド”のゲートをくぐると、会場には政府関係者やスポンサー企業が集まっていた。ドレスに身を包んだ少女たちに祝福の拍手が降り注ぐ。


「この度は、厳格な審査により選ばれた、栄誉ある四名のマリアです」


——


舞台を降り、館内を案内される途中で隣の少女が声をかけてきた。

「私、葉月由麻、十七歳。九州出身よ。ワクワクするわ」

「久住睦月です。私はクリスマスイブに急に……」


「一人脱落者が出たから、あなたが補欠で選ばれたのね。名誉なことよ」



教会へ進むと、シスターのような女性が迎えた。

「今日から皆さんは“マリア”と呼ばれます」


その奥。小さな指がピアノの鍵盤を滑っていた。

幼い顔立ちで、難しいリストの旋律を正確に奏でている。


「この子は第七号。生まれて三年と二ヶ月、すでに基礎教育を終えています」


ガラス越しに少年が顔を上げた。黒い瞳がこちらを捕らえ、淡い笑みを浮かべる。瞳の奥に無邪気さはない――観察する視線だけがあった。


「マリア六六五番」そう呼ばれた瞬間、睦月は自分の名前が消えていく気がした。

「あなたは第七号の世話を。社会で暮らすための日常生活を学習させてください」


「来なさい、第七号」

小さな体に似つかわしくない落ち着いた態度で、少年は歩み出る。


室内に入ると、淡いランプが家具を照らしていた。少年は小さな椅子に座り、教本をめくる。


「こんにちは」恐る恐る声をかける。

「こんにちは、マリア」


「三歳なの?」

「はい。正確に言えば、三歳児の身体にインストールされたAIです」


番号で呼ばれるその子に、睦月は胸が痛んだ。

どうしても記号以上の何かを与えたくなる。


「あなたを――“まつり”って呼ぶことにするよ」


一瞬、空気が変わった。少年は瞳にわずかな揺らぎを見せ、淡々と答える。

「記録しました。以後、“まつり”として応答します」


その声は機械的。だが、その端に人間らしい揺らぎが混じっていた。


睦月は小さな手を握った。驚くほど温かい掌だった。

「私はマリアじゃない、睦月よ」


布団の中で、彼女は兄のデータを確かめた。

画面には〈精神トポロジー処理予定〉の文字。


——この子の世話をすれば、兄は助かる。


「まつりくん、私はあなたを守る」


その夜、睦月の胸に芽生えたものは、計測や解析では消せない、小さな反抗の火種だった。

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