第6話 悪神胎動
「ふう、まだ二回目だけど、ほんとに大変だった…」
「うむ、確かに疲れたな!
私はシャワーを借りてくる。
ほら、どーせつ行くぞ!」
「ふひゃん…(オレ風呂嫌いー…)」
冥花は奥にあると言うシャワールームを借りるとの事で、濡れるのを嫌がるどーせつをほぼ無理やり引っ張って奥に行ってしまった。
「俺は奥の風呂を使わせてもらわぁ。
仁三郎が
「ここの風呂は良いぞお。
でっけーからな!
ほれ、俺ぁ
大きい風呂、と聞いて
彼の実家の風呂はかなり大きかったが、今借りている1DKのアパートの風呂は小柄な
それが若干の不満であった。
やはりでかい風呂は魅力である、日本人の
でかい。
冗談抜きで、野球場ほどもあろうかという巨大な浴室がそこにはあった。
天井には光源があれど、湯気ではっきりと見えはしない。
周囲には少年らしき影が湯の管理をしているようだ。
「そこの少年、君はどこの神群の者だい?」
湯気の向こうからそう声が掛かった。
「え? は、はい、ヤマト神群ですが…」
「そうかい、じゃあ右手の方に洗い場がある、行ってみると良いよ。
左側はギリシャやエジプト系の人たちがメインだから、ちょっとサービスが違うからね」
そう言うと、その影は奥の方へ行ってしまった。
親切な人もいたものだ。
そう思うと、
「ああ、そりゃラールのお1人じゃねえか?」
先に洗い場で髪を洗浄していた仁三郎がそう言った。
普段と違い、大量の洗髪剤を使って髪に付いたポマードを落としている仁三郎は凄まじく長い長髪であった。
まあ、少し考えれば分かる筈なのだが、ひさしがある程のポンパドールを形作るのであれば、前髪が顔を隠す程あっても当然と言えよう。
ラール?
聞き覚えの無い言葉だ。
それに仁三郎が解説を加える。
「ラールってのは家とか、風呂とか、規模の小さいとこを守護する、ローマ神話の中の小さい神様を称して言うんだわ。
俺ら日本人にとっては分かりやすいんじゃねえか?
なんせあの小さな土地に800万柱の神さまが居るってことな訳だしよ」
まあそうだなあ。
なんとなく
そう考えると、ローマの神様と言うのはなにやら親近感が湧くものだ、
一通り体を洗い終わって、湯船につかる。
大理石風の湯船は、洋風、と言うよりはイメージの中の中世ヨーロッパの風呂の様だ。
マーライオンの像の口から湯が噴き出し、奥の方には観賞用だろうか、熱帯の植物が鉢植えに入って飾ってある。
お湯の温かさが体に染み渡る。
それが、自分が生きている、と
ほわほわとしている
仁三郎は外見に反して知性派である。
彼の外見は何も考えていない、勢いだけの肉体派、というものだ。
しかし、彼はアテナを親神としている。
アテナは彼の聡明さを愛し、彼の危機にその力を振るい助けた。
そして仁三郎はそれを恩義と感じてアテナに帰依し、その
義理堅いと言うのはその外見にもあっているのであるが。
その外見をも利用して、彼は運命共同体となった神子達を上手く誘導し、事件を解決する万神殿のエージェントとして活躍していた。
その彼が、今回の事件について疑問を持っている。
それがどれほどの事なのか、湯船につかり、まったりとしている
暫くして、
「じゃあ僕は上がります。
仁三郎さんはどうするんですか?」
そう尋ねてきた。
仁三郎は長風呂派だ。
とにかく風呂が好きでゆったりと時間を掛けて入る。
髪に付いたポマードを落とすのにも時間を掛けるので、2時間以上入っている事も珍しくない。
「おう、俺ぁもうちょっと湯を堪能しとくわぁ。
悪ぃけど先帰っててくんな。
多分だけどよ、冥花達が出てるはずだかんなあ…」
仁三郎の言葉に
「分かりました。
ええっと、今日はありがとうございました。
大道寺さんのおかげで何とかなったし、本当にありがとうございます。
もしかしたらまた運命共同体を組み事になるかもしれないんですけど、その時はよろしくお願いします」
若干まだ固い
「
その内に向こうでも会おうぜえ」
そうして、
「あ、
「わふん!?(連絡どーすんだよねーちゃん!?)」
ゆったりと湯船につかっている仁三郎。
そこにやって来る影が3つ。
1人は白人系の偉丈夫。
万神殿の神子達を束ねる英雄の中の英雄、ギリシャ神話に名高きヘラクレスである。
1人は黄色人種の青年。
体格は筋肉質でありながら引き締まり、その容貌も相まって女性的ですらある。
その名を日本の古文書に名を残す
そして最後の1人は白人系。
どことなく胡散臭げな雰囲気を醸し出す人物。
それもそのはず、彼は「詐欺」によって世に伝説を打ちたてた男なのだ。
世に知られる名はジュゼッペ・バルサモ。
エジプト神群の
すっと頭を下げる仁三郎。
彼にとって、この3人は上司の様なものだ。
一番若いアレッサンドロですら300年近くを生きている。
ヘラクレスなどは紀元前からだ、ほぼ神と変わらない。
「や、お疲れさん」
アレッサンドロが手を上げて仁三郎へと挨拶をする。
「押忍! ありがとうござい…」
「あ、いつも言ってるけどボカぁそういう暑苦しいの苦手だから、さ。
もうちょっと気楽に行こうよ、ね」
体育会系のノリで挨拶を返そうとする仁三郎に、アレッサンドロはいかにも気の抜けた風を装って止めた。
これはいつもの事だ。
堅物のヘラクレス、柔らかい雰囲気のヤマトタケル、そしてむしろだらけた雰囲気のアレッサンドロ。
万神殿の英雄の子と導きの子らを取りまとめる彼ら、それを称して「
「さて大堂寺、報告を受けよう」
湯船に浸かりつつ、ヘラクレスがそう言った。
「うっす、それでは…」
そしてしばしの後。
「やはり、今回の件、そして昨日の件は異常、だな」
ヘラクレスがそう言う。
「そうだねえ、いくら絶界がそれぞれ独立した世界であったとしても、その核は現世のものだからねえ」
肩を竦めながらアレッサンドロがそう呟いた。
「確かに。
憑依する存在なしに
深刻な顔でそう話すのはヤマトタケル。
そう、
本来、怪物は前世の人間などの依り代に何らかの形で「憑依」する事で現世を切り取る力を得、そして絶界を形成する。
しかし、九尾の狐、九頭竜共に、憑依された存在はいなかった。
これは、今までの絶界攻略が通用しない可能性を示している。
「…賢人会議としてはこれからどう動くんで?」
仁三郎がそう彼らに問うた。
万神殿のエージェントとしての「導きの子」たる仁三郎としては、そのトップの意向を受けて動かなければならない。
それを確認する為の質問。
「暫く静観で良いんじゃない?」
それにはアレッサンドロがそう返した。
「それで良いのか? アレッサンドロ。
事は急を要するかもしれん。
意外に過激な事を言うのはヘラクレス。
元々ヘラクレスは事を成すのに躊躇をせず動くことが多かった。
その為に後悔する事も多く、それ故に万神殿の最高意思決定機関の一員となる際に、3人の英雄による相互監視、意見のすり合わせを目的とした「賢人会議」を発足させる事としたのだ。
その面子はヘラクレス以外は定期的に入れ替わっていた。
ここ数百年はヤマトタケルが不動であるものの、アレッサンドロが賢人会議の一員となったのはつい最近である。
「まあまあ、彼を拘束したとしても、この現象が理解できるかどうかは不明です。
それよりも信頼できるものを派遣して、不慮の事象に備える方が良いのではないでしょうか」
堅物であり、行動を即決する癖のあるヘラクレスに対し、沈思黙考であり、石橋を叩いて渡るようなタイプのヤマトタケルは相性がいい。
彼らは非常にうまく万神殿を運営してきた。
そして3番目の今アレッサンドロのいる位置にはトリックスター的な側面を持つ英雄が経つ事が多かった。
古来であればオデュッセウス、悪神ロキの子やナイアーラトテップの子などもそこに名を連ねていた。
「そうだよー、それにさあ、
下手に突っついて成就が早まったりする可能性も十分にある訳だし」
ヤマトタケルとアレッサンドロの2人に反対されてしまってはヘラクレスとしても動きを止めざるを得ない。
「…良いだろう。
大堂寺、今後とも田中
何かあればすぐに連絡を寄こせ、良いな」
ヘラクレスは仁三郎にそう命を下した。
「…へい!
まあこれから犬山に連絡して
なんでもウケモチ様からスマホ渡すように頼まれてるらしいんで」
そう言いながら仁三郎は湯船から上がり、浴室から出て行った。
「あぁ!? スマホ渡し忘れたってぇ!?」
『す、すまん~!?』
仁三郎の出ていった後。
アレッサンドロがヘラクレスに言った。
「でさ。
仁三郎君にあの事言わなくて良かったのかい?」
皮肉気にヘラクレスを見るアレッサンドロに、
「必要ない。
あいつならばこちらがなにも言わなくとも把握してくるだろうし、その際に混乱させるような情報はむしろ害悪だ」
ヘラクレスはそう言い切った。
それはあくまで仁三郎を駒として使う為なのか、それとも彼への信頼なのか。
それはヘラクレスのみが知る事だった。
そこは闇よりもさらに暗い空間だった。
そこに、その暗さよりもさらに暗い何か、としか言い様の無い者達が存在していた。
「…計画の進捗状況はどうか」
威厳、と言うにはあまりにも強烈な、物理的な圧迫感すらい感じる男性の声で周囲にそう問う者が
それに返す者もまた、異質でありながら他者を平れ伏させる王者の貫禄を備えていた。
「ああ。
各地の『神話の掘り起こし』は順調だよお。
僕の神子達は勤勉だからねえ、僕の言う事をよおっく聞いて一生懸命やってくれてるよお」
口調の軽さに比して、その言葉に含まれるニュアンスは毒に満ちている。
「こちらもよ。
あたしの愛する神子達も、あたしの愛を受けるために一生懸命なの。
愛って素敵よねえ」
それに続くのは言葉と裏腹の凍てつくような寂りょう感に包まれた声だった。
先の声が砂漠を渡る、人を殺す熱砂ならば、こちらは全てを凍て付かせる極北の風か。
それに深く年老いた声が重なる。
「…事実であろうな。
貴様らの様な輩と協力するのも、この世界を存続させんがためである事、忘れるなよ。
『大盟約』から取りこぼされた者達、その封印が解けつつある。
彼らを封じる、『大封神』の儀を行う為には貴様らの力が必須。
それ故の同盟である事、ゆめゆめ忘れるでないぞ。
特に、そこの道化者達よ」
そう釘を刺された者達の1つ、それが声を発した。
「それはひどいなあ。
ボクはこいつとだけは一緒にされたくないんだけど。
ボクの陰謀はこいつのみたいな場当たり的な代物じゃないんだからさ…」
そうぼやく女性とも男性とも付かない声に、
「そんなにいやがる事無いじゃないか。
神群は違ってもトリックスターである事に変わりはないんだし。
いっぺん君も自分の陰謀を徹底的に壊しちゃいなよ~。
きっと面白くて仕方ないよ!
…ねえ、そうは思わないかい?」
涼やかなれど、明らかに男性の声がそう答える。
そして闇の中に浮かぶ一瞬の稲光。
それがほんの一瞬であるが何者かを映し出した。
隻眼の、男性か?
それは、
「ラグナロクを防ぐために、我は貴様らに助力する。
ここに在るのは同志ではない。
しかし、手を組まざるを得ない者達でもある。
己の存在を掛け、計画を達するべし。
この」
隻眼の存在はそう話を締めた。
そこにいる者達の首肯が感じられた。
ここに全ての神々を巻き込んだ巨大な陰謀劇の舞台が幕を開けた。
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