第5話 九頭竜

 九頭竜の影霊エイリアスの先兵である魍魎もうりょう達を打ち破ったみのる達。

 九頭竜そのものではない、しかし、今、みのる達の敵はこの絶界という世界そのものでもある。

 そして魍魎達は絶界を完成させ、魔界へと変貌させるために九頭竜の意を受けて働いていた。

 それを撃破したのである。

 絶界を覆う「絶望の闇」が心なしか薄くなったようにも感じられる。

 それは、魍魎という障害が排除されたことで、この絶界に囚われている人々の心が軽くなったと言う事でもあるだろう。

 つまり、

「苛立った相手が突っかかってくる可能性がある、ってこった」

 予想通り、と言った風の大堂寺だいどうじ仁三郎にんざぶろう

 彼は幾つもの絶界攻略を様々な神子アマデウスと共に乗り越えてきた。

 その経験とアテナの子と言う特に戦術に優れた素質によって怪物モンスターの動きをある程度読むことが可能なのだ。

 故に、彼の様な万神殿パンテオンのエージェントを担う者達を「導きの子」と称する。

 今まで培った経験が、九頭竜の動きを特定した。

 怪物は神話に添って動くことが多い。

 そうすることで、絶界を特定の神話に取り込み、自身の都合が良い世界、つまりは魔界に生まれ変わらせる訳だ。

 つまり、神話に沿った動きをしない場合、絶界は魔界になるのに時間が掛かり、それだけ神や神子からの介入を受けやすくなる、という事になる。

 九頭竜、正確に言えば九頭竜神の影霊は、

「大自然の化身たる九頭竜の暴威に人々は成す術がない」

 という神話を完成させたい訳だ。

 ところがここで介入したのがみのる達神子である。

 英雄が乱入し、九頭竜の手先をやっつける、それは「九頭竜の神話」ではない。

 その場合、九頭竜は退治される敵役だ。

 本来の神話であれば、日本武尊ヤマトタケルノミコトや、鬼神となった阿久留王あくろおう、高僧である万巻上人まんがんじょうにんに退治される事で善き神として神社に封じられる。

 そして九頭竜神として信奉を集めるのだが、影霊の九頭竜にとってはあくまで己が荒魂あらみたまとして恐怖と絶望を与える存在である事に拘っている。

 故に、調伏されて神に封じられるのは何としても避けたい事なのだ。

 で、あるから。

「この場で英雄の役割をしている俺達を殺しに来るんだよなあ」

 そう、仁三郎はサンドイッチをぱくつきながら言った。


 今、みのる達はのんびりとピクニックマットを広げながら食事をとっていた。

 これから九頭竜との一戦が待っている。

 それまでに、疲弊した心身を回復させておくべし、それが仁三郎の提案だった。

 特に拒否する、と言うよりも、仁三郎の様な大きな相手に嫌だと言えるみのるではなく、冥花、どーせつも賛成したので、周囲にはびこる邪気をものともせず、このようなピクニックまがいの休息をとっているのであった。

「うん、美味うめえ!」

 仁三郎が満面の笑みを浮かべながらそう言う。

「大堂寺さんはいつもそうじゃないですか。

 コンビニのサンドイッチを食べてもそう言ってましたよ?」

 少々あきれながらも冥花がそう返す。

 実際、今食べているサンドイッチのセットはかなり凝った代物だった。

 バスケットに保温機能が付いており、取り出した時点でホットサンドイッチと暖かいお茶が食べられるようになっていた。

 バスケットの側面にはディフォルメされた狐のマーク入り。

 食に関してキ○ガ○じみたこだわりを持つヤマト神群の食品担当者の作であった。

「わふ!(メシがうまいっていいよね!)」

 犬であるどーせつ用のご飯も完備。

 ゆったりとした一幕。

 そして。

「さあてっと、そろそろ、来るぜえ…」

 地鳴りが、した。




 そこにのはあまりにも巨大な敵だった。

 比喩、ではない。

 文字通り巨大。

 目の前にある山、みのる達のいる位置を考えれば300メートル程度か、それにぐるりと人巻きして更に余裕がある。

 体長は10キロメートルを下るまい。

 その重量たるや如何いかほどのものか。

「…ええっと、これ、倒せるの?」

 みのるは唖然とした。

 いくらなんでもこの質量に、みのる達の持っている得物が通用するのか?

 常識的に考えて無理だろう。

 そんな事を考えてしまうみのる

 しかし。

「おっし!

 やぁっと本体のお出ましだぜえ!

 とっととぶっ潰して帰ろうやあ!」

「うむ、晩御飯は家族全員で取るのが家の習わしだ、破る訳にはいかんのでな!」

「わふん!(そのとーり!)」

 仲間たちの戦意は旺盛だ。

 つられてみのるも、これは勝てるのではないか、そう思って相手を睨みつけ。

 …無理だろう。

「いやいやいやいや、あんなのにどうやって勝てっていうんですか!?

 無理だから! さすがに無理だから!?」

 すっかり腰の引けたみのる

 しかし、仁三郎は言う。

「ばあか、それ言ったら、お前らがこの前倒した狐ってのはどうだったよ?

 十分にでかかった筈だぜ?」

「いや!? そうだけど!?

 あれとはサイズが違い過ぎるじゃないですか!?」

 錯乱気味に言ったみのる

 だが、

「…良いかよ。

 俺達が目にしてんのは上っ面うわっつらだけだ。

 本来の敵はこの『世界』そのものなんだぜえ。

 現実世界を浸食する『絶界』、その要ってだけなんだよ、あのでっけえのはよ。

 だから、だ」

「僕達が戦ったあの狐と、本質的には変わらない、と?」

 みのるの言に仁三郎はにやり、と笑った。

「俺達の戦いは世界対世界の戦いだ。

 俺達の世界が強いか、この絶界が強いか、それに比べりゃただでかいだけの長虫へび何ぞ大したこたあねえよ」

 そう言い切り、仁三郎は槍を構えた。

「来るぞ!

 さっさとぶっとばすぜえ、おい!」

 気合の籠った仁三郎の檄に、みのる達はそれぞれの武器を固めて巨大な『怪物かみ』に対峙した。


「せええぃっ!」

 九頭竜の身じろぎをし、その動きが山から大量の水を吐き出させた。

 まるで周囲が湖になりそうな大量の水、しかし、冥花はその質量を伴って押し寄せる水の壁を、その刀の一振りで切り裂いた。

 現実ではありえない光景。

 しかし、それがみのるのいる「神々の戦場」なのである。

「凄い…!」

 そう呟くみのる

「ぼおっとしてんなみのるぅ!

 次来んぞぉっ!」

 はっと気が付くと、どう見ても100メートルはあるかと思われる直径の胴体がみのる達の前に迫っていた。

「うわあぁっ!?」

 その巨体の跳ね飛ばされ、と言うよりは押しつぶされたみのる

 本来ならば死んでいるだろう、それだけの質量に、しかしみのるは怪我を負ったものの死ぬ事はなかった。

 土石に埋もれたみのるが、

「ぷはっ!?」

 と地面から這い出して来る。

 体のあちこちが痛む。

 しかし、動けないほどではない。

 その事が、みのるに状況を実感させた。

 神と神の戦い。

 そもそも、目の前にいる九頭竜は日本で信仰を集めている九頭竜神とは別物だ。

 あくまでその存在の一部である影霊エイリアス

 ならば、

「狐君!」

 みのるの言葉に、その影から漆黒の四足獣が飛び出し、九頭竜に向かう。

 それは九頭竜の頭の1つ、今しもその口から毒気を吐き出そうとしていたそのあぎとに叩き込まれ、その首を大きく弾け飛ばした。

 その首を、どーせつの咆哮が更に吹き飛ばす。

 どーせつは中型犬だ。

 その一撃が数トンは下らないであろう巨大な頭を吹き飛ばしたのだ。

 これが怪物と神子の戦いである事、それをみのるに理解させていった。


 凄まじい戦いだった。

 なにせ相手は途轍もない大きさだ。

 それがみのる達の攻撃にさらされる度に大きく揺らめく。

 攻撃を繰りだす度に山が砕かれる。

 かつて現世でも行われていた神々の戦いを彷彿とさせる光景だ。

「いよっし!

 あと一息だ!

 気合入れてけよぉ、てめえら!」

 仁三郎の檄が飛び、みのる達がとどめを放とうとした時だ。

 九頭竜から今までとは桁違いの激流が放たれた。

「う、ああぁぁっ!?」

 冥花の刀の切っ先が、その濁流に弾かれる。

 みのる達を圧倒的な量の水が飲み込んだ。


 戦いは一転、みのる達の不利となった。

 とにかく、水の中では身動きが取れない。

「ぎゃん!」

 どーせつが濁流に流されてきた岩にぶち当たる。

「く、剣筋が定まらん!」

 冥花は剣を構えるので精いっぱいだ。

「くっそ、このまんまじゃあ…」

 仁三郎は「無限の盾アイギス」で水の流れを食い止めようとするも、上手くいっていない。

 みのるは焦った。

 自分に何か出来る事がないか。

 自分に出来る事…。

 その時、だ。

 みのるは自分の中に、新しい「ギフト」の使い方を見つけた。

 みのるには「狐」の幻術、変身の「ギフト」がある。

 ならば、それでどうにか出来ないか。

 先ほど仁三郎は言っていたではないか。

「本当の敵は世界そのものである」と。

 今見えている敵は世界の攻撃的な部分でしかない。

 本当の「怪物」は「九頭竜」という世界そのものだと。

 ならば、その要である「怪物」に狐の目くらましを掛けるなら、世界をすら騙せる筈。

 みのるはカッと目を見開き、

「ここは水の中にあらず!

 この地は汝の墓標なり!

 疾く移れ!

 せっ!」

 自分の中にある言葉を解き放った!


 仁三郎は自分のいる場所がいきなり切り替わったのを感じた。

 周囲は、巨大な十字架が乱立する「墓地」にも似た景色になっていた。

 無論、先ほどまであった大量の水はどこにもない。

 彼は不敵に、にやりと笑った。

 今まで人としての常識に縛られていたみのるが、神子としての力の振るい方を身に付けたのだ、と理解していた。

 彼は絶界と言う不安定な「世界」に干渉し、九頭竜をこの場所へと「誘導」してのけたのだ。

 これで九頭竜は己の得意な環境を用意できなくなった。

 更にはその鱗の一部が腐った様に剥がれ落ちている。

 みのるの「変化」術である。

 不死の怪物に対し、冥花の刀は途轍もない威力を発揮する。

 ざくりとその一閃が九頭竜の首の一本を切り落とした。

 あとは、

「ぜってえに、逃がさねえ!」

 奴が逃げを打って、この絶界から自分達を締めだすようなことをさせなければこちらの勝ちだ。

 冥花とどーせつも体勢を立て直した。

「わふん!(今なら!)」

 どーせつは今こそ切り札を使う時、と感じた。

 絶望の権化たる闇が濃い時、それはまた光も濃くなるものだ。

 闇に反発し切り裂く光、その力を今こそ。

「うぉうん!」

 どーせつの周囲に光が集まり、それはある文様を描きだした。

 五芒星、その中心には目にも似た文様が描き出されている。

 旧き印エルダーサイン

 クトゥルフ神群の神々、本来邪悪である筈の彼らから与えられる破邪の護符アミュレット

 その力は、周囲の闇に応じて己の使う魔術を強化する。

 その力を体に纏い、どーせつは、

「ぅおおうぅーん!」

 風の魔術を解き放った。

 九頭竜の身を守る筈の絶望の闇がその内包する力に応じて旧き印により分解され、どーせつの魔術を強化していく。

 その一撃は、巨大である筈の九頭竜の頭の1つを吹き飛ばし、地面へと地響きをたてながら叩きつけた。

 九頭竜は己の不利を認めたのだろう。

 その巨体からは想像も出来ないほど速やかに逃げ出そうとした。

 しかし。

「それは、読めてんだってえの!」

 既にそこには仁三郎が陣取っていた。

 彼の明晰な戦術知識と直感は、九頭竜の逃走を予測しており、追撃の為の準備を怠っていなかったのだ。

 しかし、九頭竜は仁三郎を牽き潰して逃げ出そうと圧し掛かって来る。

 そして、

「仁三郎さん!」

 みのるの悲鳴も空しく、仁三郎は九頭竜の下敷きとなった。

 …いや。

 それは本当か?

 10キロメートルを超える巨体の九頭竜。

 それが動きを止めていた。

 本来ならば九頭竜にとって仁三郎は豆粒の様なものだ。

 簡単に跳ね飛ばして逃げ去ることが出来るだろう。

 ならば何故?

 答えは、

「…んぎぎぎぎぎぃっ!」

 仁三郎が、九頭竜を

 2メートルそこそこの、人としては大柄だが、あくまでも人のサイズの仁三郎が、10キロメートルの大蛇、どころでない怪獣を、持ち上げているのだ。

 本人の筋力だけで出来る事ではない。

 彼の親神たるアテナはかつての巨人族との戦いティタノマキアにおいて、巨人エンドラスにシチリア島を投げつけ、押しつぶしたという逸話を持つ。

 その莫迦気ばかげた筋力が、仁三郎をして九頭竜を食い止めていたのである。

 そこで終わらない。

 さらに、

「どおおぉぉっ、せいっ!!」

 仁三郎は巨大な九頭竜を振り回し始めた。

「うわああぁぁっ!」

「ふひゃん!(あの馬鹿あぁっ!)」

「潰れる、潰れちゃうって!?」

 全長10キロメートルの九頭竜を。

 周囲にあったものはなぎ倒され、みのる達はそれに巻き込まれるまいと逃げ惑う。

 そして仁三郎は、九頭竜を天高く

 ごうっ! と風を巻き、九頭竜が空を舞う。

 それは高々と上昇し、豆粒のようになり、はるかかなたへと墜落していく。

 そして、


 ずず~ん…。


 はるか彼方で高々と土煙が上がった。

「いよっし!

 これで俺達の勝ちだあッ!」

 そう、仁三郎は宣言した。

 周囲から呆れの眼で見られながら。

 それが九頭竜との戦いの終りであった。

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