第4話 わだつみにて眠るもの

 クトゥルフ。

 それはこの世界の神群の中でも独特な神々の集団である「クトゥルフ神群」の中の1柱である。

 とは言え、彼の神は神群の中では上位にいる訳ではない。

 最上位にいるのは盲目にて白痴の神、恐るべき宇宙の原罪と讃えられるアザトース。

 クトゥルフ自身は「旧支配者グレート・オールド・ワン」と呼ばれるクトゥルフ神群の司祭的な役割であるとも言われ、決してクトゥルフ神群の中で神格が高い、と言う訳でもないらしい。

 それが何故、「クトゥルフ神群」と呼ばれるまでになっているのか。

 それは彼の実体がみのる達の世界である地球に存在し、彼の強力なテレパシーを通じて神群の神々がこの世界に介入しているからである。

 極端な話、「余はめんどいからみんなと連絡取るのやめる」とか言われるとクトゥルフ神群の神々はこの世界に干渉する事が出来なくなったりする。

 力は他の神々に劣るが、それ以上にこの現世において最重要な神、それがクトゥルフなのである。

 で、その最重要な神は、

「…眠い」

 うっつらうっつらと船を漕ぎ始めていた。

 みのるはどうしたものか、と首を捻った。

 ここから出ていくにしても、目の前にいる「神」に粗相を働く訳にもいかず、かと言って無視して出ていく訳にもいかないだろう。

 何と言っても相手は一応なりとは言え「万神殿パンテオン」に所属する神なのだから。

「一応ではないぞ。

 余は余なりの算段があってではあるが、間違いなくギリシャやヤマトの連中と連携を取り、この世の安寧を守る『万神殿』の一員であるが故に」

 …そう言えば伝承だとこの神さまは超強力なテレパシーの使い手なんだっけ、と昨今のサブカルチャーにおいて大人気なクトゥルフに関しては若干の知識があるみのるは、隠しごとが無駄なのを実感した。

 それはさておき。

「ええっと、お休み中の所、お邪魔して申し訳ありません。

 で、僕も待っている人がいまして、ここからどうやって出たら良いか分からないんです。

 よかったら教えてもらえないでしょうか?」

 みのるはそうおどおどしながらもクトゥルフにそう言った。

 実際、冥花達はみのるの事を待っているだろう。

 それを考えると、早く行かないと、と気が急くのである。

「…問題ない。

 これは夢だ、汝の夢にして余の夢。

 我らはいくら神子とて、直接に会えばその存在を大きく損ないかねないものだ。

 故に、我らは『夢』という媒体を解して汝らに接触しているのだ」

 クトゥルフはそう言うと、何ともかわいらしく欠伸をし、

「まあ、汝にまみえる為に、怪物モンスター絶界アイランドを利用して呼び寄せてみた、と言う意味合いもあるのだが」

 そう、みのるにとってはどう取るべきか悩む言葉を発した。

「それは一体どういう…」

「それは、の怪物は、九頭竜の神の影霊エイリアスにして余の化身でもあるからだ」

 クトゥルフはそうみのるに告げたのである。

「我ら神はそれが確固たる存在として形成される前に、様々な神話が混じり合うものだ。

 おかしいとは思わぬか?

 主神はさいたる連れ合いの神を持つ事が多いが、まるでハレムの如く複数のさいを持つ。

 逆に連れ合いたる女神は何人もの夫を持つ。

 それが古代なれば当然という見方も出来るが、また神話に矛盾がある事も事実。

 それはすなわち複数の神話が1つに纏められる過程を示している」

 クトゥルフは厳かとすらとれる口調で言った。

「そして同時にそこから取りこぼされた神話の欠片も存在する。

 それらは幾つもの説話と混じり合い、そしてまた別の神話を形成するのだ。

 我が名はクトゥルフ、人の子らによっては『クトゥルー』『クスルー』そして…」

「…『くずりゅうー』ですか」

「そうだ。

 ただの言葉遊びではある。

 しかし、その言葉遊び、それはただの遊びか?

 言葉とはすなわち神聖なもの、汝ら小さき島国の者達には『言霊ことだま』と言う概念があろう?

 確かに言葉遊びだ。

 しかし、その中に真実が混じり込む事もままあるのだ。

 それを覚えておくとよい」

 クトゥルフはまるで予言でもするかの様にみのるに話しかけた。

 みのるには理解が出来ない概念。

 しかし、の神の話はきっと覚えておくべき事なのだろう、みのるはそう思ったのだ。

「…そろそろ夢が覚める。

 もう行くが良い。

 …ああ、そうだ、ついでに、汝らに少しの祝福を」

 うつらうつらとし始めたクトゥルフは、つい、とその指を動かした。

「汝らの進む道にはあまりにも『水の気』が強すぎる。

 青のインガは汝らと同時にの怪物の力も強くするであろうからな。

 少々押さえておいてやろう」

 そう言うと、周囲を圧していた「青い気配」が若干抑えられた気がした。

「青から力を奪い、白へと変換した。

 これで若干は楽になろう。

 …ふああぁふ。

 では行け」

 みのるの周囲の水が渦を巻き、彼を上空、いや、海面へと押し上げていく。

 そして…。




「うわっ!」

 ざっぱーんと言う大きな音と共に、みのるは中に打ち上げられ、

「ぐえっ!?」

 地面に叩きつけられる間に、何かに襟首が引っ掛かった。

「…ずいぶんと派手な登場だね、みのる君」

 そう呼ばれてみのるがそちらを見てみると、犬山いぬやま冥花めいかとどーせつが呆れたようにみのるを見ていた。

 襟首を掴んでいるのは大堂寺だいどうじ仁三郎にんざぶろうだ。

 みのるが地面に叩きつけられようとした時に、咄嗟にキャッチしたのだと言う。

「まあ、これで全員集合ってえわけだあ」

 仁三郎はそう言ってにんまりと笑った。


 みのる達がいる所、それは。

「…酷いな、これは」

 荒れ果てた田畑、破壊された木造の家、完膚なきまでに破壊しつくされた「かつて人が生活を営んでいた残骸」がそこにあった。

 怪物はこういう「村を破壊する理不尽な災害」を演じる事で己の世界を完成させつつあるのだ。

「まずよお、この光景を見て、なんか引っ掛かるって奴はいるか?

 俺達に降りてきた『予言』って奴には、神話災害クラーデを治めるヒントみてえなもんが紛れてる事がある。

 そいつを引っ張り出せれば有利になるって訳だ」

 仁三郎はそう言って、皆に予言について思い出すように促した。

 それに反応したのは、

「わふ!」

 どーせつだった。

「わふっ!」

 どーせつが一声吠えると、周囲を風が舞いだした。

 どーせつはクトゥルフ神群における風の神、ハスターの神子である。

 彼の求めに応じ、村の中を通り過ぎた風達が、村を襲撃した者たちの姿を映し出した。

 それは。

「むう、何とも醜怪な…」

 冥花が鼻白む。

 奇っ怪としか言いようの無い怪異がそこには映っていた。

 猪頭の怪人、人の頭を持つ烏、人と虫が奇っ怪に混じり合った妖物、などが群れをなして川の濁流に乗って押し寄せてくる。

 その中に、鬼の様な妖がいる。

 角のようにも見える長い耳をした、赤ら顔の乱杭歯、嗤っているようにも見える三日月の様な眼をした、そこだけは奇妙に美しい黒髪の妖。

 それを見て、

「なるほどなあ、本当に『魍魎もうりょう』って奴か…」

 仁三郎がそう呟いた。

「なんですか? 魍魎って?」

 みのるがそう聞く。

みのる、お前よ、子どもの頃に『妖怪図鑑』とか見なかったか?

 あれに結構載っかってんだけどな」

 そう言われてみると、みのるには某有名な妖怪画家の妖怪図鑑にはこう言ったものが乗っていたと思いだした。

「ああ! アレですか…、うん、確かにそっくりだ」

「だろ。

 んだからよお、人の記憶に残ってる奴ぁ強えんだ。

 神って奴は普通の人間に『覚えて』おいてもらう事で現世での力を維持してる。

 それはこう言った妖怪みてえなのでも一緒なのさ。

 だからよお、九頭竜を退治する前に、この魍魎を叩く事で、怪物の力を削ぐ事が出来る、ってことだろうぜえ」

 仁三郎は指を鳴らしながら、やたらと野太い笑みを浮かべていた。


 みのる達は、この常識の通用しない「絶界」と言う空間で、己が親神によって与えられた神の力、神血イコンより引き出される神子としての能力を最大限に使って魍魎の行方を追った。

 冥花は死者達からの声を聞き、どーせつは「幸運」にもその痕跡を発見し、仁三郎はその明晰な頭脳を以って(彼のポンパドールはこの場合役に立たない)、そして、みのるには周囲の動物達や、この世界に取り込まれた商人達から情報を受け取ることが出来ていた。

 魍魎が率いる百鬼夜行は川に沿って移動している。

 古代の村落は、水源を確保するために川の近くに配置されていたと言う。

 この絶界の世界観はそれに沿ったものになっているのだろう。

 つまり、魍魎達の襲う村は川沿いにあり、そしてその恐怖をあおる為にある程度の人数がいる大きめの村、と言う事になる。

 ならば、的は絞れるというもの。

 一旦方向性が決まれば仁三郎の戦略がものを言う。

 村の造りと今までの襲撃のあとから、仁三郎は怪物たちの襲撃方向とその時間をあっさりと推理してのけた。

「…こっからあいつらは攻めてくるだろうからよ、そこを叩けば勢いは止まる。

 集団てなあ一旦動きを止めちまえばそっからまた動き出すまでに時間が掛かるもんだあな。

 その間に全部叩き潰す。

 そうすりゃあ絶界を安定させんのに手間が掛かるかんな、異物である俺達を怪物本体が叩きに来るのも時間の問題だろうよ」

 仁三郎はそう言って手に持った槍をぶうんと振りまわして見せた。




 その戦いは、戦いと呼べるものではなかった。

 仁三郎の策は見事に当たった。

「どっせい!」

 いざ村へと攻め込もうとした矢先に仁三郎の槍に阻まれた妖怪の群れは、その動きを止めてしまった。

 そこに、

「犬山流居合!『信』・犬走りっ!」

 冥花の必殺の剣術が閃光を放ち、妖怪たちの中心へと切り込んでいく。

 その冴えは、敵陣をズタズタに切り裂いていった。

 これで妖怪達はまとまっての行動など出来るまい。

 ぎぃーっぎぃーっと耳障りな声で魍魎が喚き、妖怪達へ指示を送ろうとしているがどれとして聞いている様子はない。

 完全に恐慌状態である。

「ぅおおうぅん!」

 更にそれを助長するのがどーせつの咆哮である。

 どーせつは中型犬のカテゴリーに所属する。

 10キログラム強の重量の生き物からはとても出せないような強力な咆哮だ。

 しかもその咆哮には風の力が宿り、妖怪達を切り刻み、吹き散らしていく。

 そしてみのるはというと、

「頼むね、狐君」

 みのるの影から飛び出した黒い狐が、みのる達に押し寄せようとしていた虫頭の妖怪達をかみ殺していった。

 無論、妖怪達もただやられていた訳ではない。

 冥花と仁三郎の頭上から、人面の鳥がその爪を持って襲いかかって来たのだ。

 仁三郎は1匹の妖怪を串刺しにした瞬間、冥花は敵陣を突破し、再度切り込みにかかっていた瞬間であり、双方ともにバランスを崩していた。

 しかし、

勝利の女神ニケの加護あれ!」

 そう仁三郎が唱えた瞬間、冥花の足取りが安定した。

「ぬ!? 感謝!」

 そして怪鳥の爪を仕込み刀の鞘であるウアス杖で受け止めた冥花。

 しかし、その為に仁三郎の動きは鈍った。

 その体に怪鳥の爪が食い込もうとし。

 きぃん!

 硬質の音と共に、その爪は金属質の何かに阻まれた。

 仁三郎の体がすっぽりと隠れるほどの巨大な青銅の板、いや、これは盾か。

 巨大な盾が怪鳥の攻撃を弾いたのである。

「『無限の盾アイギス』がある限り、俺を仕留めるのは並大抵の事じゃねえぜえ!」

 別の妖怪をその槍で殴り倒しながら仁三郎が咆える。

 それに焦りを隠せず、とうとう大将である筈の魍魎が前線に出てきた。

 体格的にも周囲にいる妖怪達よりも一回り大きく、確実に強そうだ。

 しかし、

「いよっし! 今だ犬山ぁっ!」

「応っ! くらえ! 犬山流速剣『孝』・村雨むらさめっ!」

 仁三郎の策に嵌り、守るものの無い前線におびき寄せられた大将挌の魍魎。

 冥花の横薙ぎの一閃が魍魎の体を捉えた。

 抜けば玉散る、とはこの事か、魍魎の体から血さえも散る事無く、

「成敗!」

 冥花が血振りをしつつ納刀すると同時に魍魎は倒れ伏し、そして消えていった。

 妖怪達が1匹残らず退治されたのはその後すぐのことである。

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