第4話 殺生石

 みのる達の目の前にある道観、それは途方もなく強烈な気配を放っていた。

 中では未だ道士、なのかどうか甚だ怪しい人物が民衆に向かって「偽王を倒せ! 本来の主に王座を返すのだ!」と語っていた。

 周囲では民衆が兵士より青銅製の武器を受け取り、気勢を上げている。

「反周復殷! 反周復殷!」

 彼らはそう口々にそう騒いでいた。

「…ふん、殷周革命、か。

 ならば敵は自ずと知れる、かな?」

「どういう事?」

 みのるは冥花の言葉が理解できなかった。

 まあ特に歴史に興味のない学生ならば、それでもおかしくはないだろう。

 冥花は特に苛立ちもせず、みのるに説明をした。

「ああ、君は『封神演義』という物語を知っているかい?」

 一応はみのるにも記憶がある。

 ただしそれは、

「テレビでやっていたアニメ程度には」

 何度目かの再放送を子どもの頃に見た程度であり、「悪い王様をヒーロー達がやっつけた」位の大雑把な記憶しかない。

「…それだとあんまり意味がないな。

 よし説明しよう!

 中国の古代にあった殷という国、これは悪い狐の妖怪に王様が騙されてな、ひどい悪政を敷くようになったんだ。

 で、ここで仙人の修行を積んだ太公望と言う男が軍師となって後に周王となる男に助力、悪政を敷く殷を滅ぼして新しく周と言う国を立ち上げた、その際の物語を伝奇色強めで綴ったのが封神演義だと考えてくれ」

 まあ、実際はそこまで単純ではないのだが、時間がない為に冥花は非常に手っ取り早く勧善懲悪的な内容をみのるに伝えた。

「で、この物語の中には何人か主人公に敵対する存在がいるのだが、ことハッキリと悪役と言えるのが、『千年狐狸精せんねんこりせい』だろう」

 千年狐狸精。

 封神演義においては「妲己だっき」という名前の方が通りが良いだろう。

 殷の時代、冀州侯きしゅうこうの娘・妲己の魂を奪って彼女になりすまし、紂王を堕落させて殷を滅ぼしたという悪女の代名詞だ。

 陰惨な拷問を様々見ては楽しんだという怪女。

「周を滅ぼし、殷を復活させる」と言うスローガンを掲げての反乱ならば千年を生きた狐の妖怪、千年狐狸精がここの「怪物」である可能性が高い、冥花はそう言った。


 みのる達は道観に侵入した。

 中に居る人は多いものの、不思議とみのる達に気を配るものは居ない。

「なんで彼らは僕達がいない様に振舞うんだろ?」

 首を捻るみのる

 それを見て冥花は、肩をすくめて見せた。

「彼らは怪物によって支配されているのさ。

 この絶界は怪物が支配者、取り込まれた人たちは臣民、王である怪物の意志を受けてこの世界を『演じて』いるんだ。

 そうする事でこの絶界は確固とした『魔界』に生まれ変わりつつある。

 今まで私達が常識としていた事、それがこの世界の住人を演じる事でこっちの方が真実だと思い込んでしまう、と言うのかな?

 そうする事で本来の世界と絶界は完全に違うものになる、そうなると絶界は完全に切り離されて怪物が完全に支配する世界、『魔界』となるのさ。

 そうなってしまうと私達アマデウスや、それこそ神からしてもなかなか手出しは出来ない。

 怪物は好き勝手に力をつけて更に魔界を拡大する為に現世を狙うんだ。

 それを阻止するのが私達と言う訳」

 冥花は首にかけたネックレスを弄りながら熱弁した。

「そして私達は現世があることを認識しているし、現代的な服装だろ?

 現世は怪物によってとされているからね、無いものは見えない、そう言う認識なんだよ」

 なるほど。

 ここに居る人達は一種の催眠術を掛けられていて、自分達が古代中国の人間だと思っている、て感じかな、みのるはそう認識した。


 道観の建物に近付いたみのる達。

「うぷっ…」

「これは…、酷いな…」

 濃厚で、あまりにも強い邪気に当てられそうになった。

 その奥にあったもの、それは。

「…殺生石、か」

 狐狸精が変じたという伝説のある、殺生石と呼ばれる岩であった。

 殺生石。

 これは江戸時代に書かれた伝奇物「三国妖婦伝」に詳しい。

 インド、中国、日本と王に取り入り、国を破滅させる妖婦、その正体は金毛白面九尾の狐。

 先ほどから言っている妲己に変じた千年狐狸精の別名である。

 最終的に日本に渡った狐は玉藻の前となり、後鳥羽上皇を籠絡しようとして安部清明に見抜かれ、今日から遁走、現在の栃木県那須郡の辺りで討ち取られた。

 その際に九尾の狐が変じたのが殺生石。

 後に僧侶によって砕かれはしたものの、それでも毒気を放つのを止めなかったといういわくがある。

 本来ならば日本にあるべきものを中国風の絶界に置く所、怪物の復活と言う演出をする事でかつて己の絶頂であった妲己として魔界の女王となるのが望みなのだろう。

「ぬ、うううっ!」

 邪気に圧倒されそうになったみのる、その時、冥花が剣を抜いた。

「喝ぁっ!」

 気合一閃。

 彼女の刀は邪気を切り裂いた!

 彼女らの周囲にあった邪気は吹き散らされ、清浄な空気が戻って来た。

みのる君、大丈夫かい!?」

 肩で息をするみのるの背を撫でつつ、冥花は尋ねた。

「な、なんとか…。

 …ごめん」

「ん? 何がだい?」

 みっともない所を女の子に見せた、彼女は何ともないのに。

 情けなさを感じつつ、みのるは冥花に謝っていた。

「…それは駄目だ」

 冥花はそう呟いた。

「え…?」

 その言葉に、みのるは顔を上げた。

「良いかい?

 私達はここで出会った。

 つまり、私達は『運命共同体パーティ』なんだ」

 運命共同体。

 それはみのると冥花の様に絶界にて運命的に出会う、同じ絶界を攻略する予言を受ける、などで試練に挑む神子のチームの事である。

 本来は関わる事のない違う神群クラスタの者達が肩を並べ戦う。

 それが運命共同体。

「その名の通り、私と君の運命は共同なんだ。

 ここで私は君に、君は私に必要とされている。

 君がどうしようもない時には私がいるし、私がどうしようもない時には君がいるんだ。

 だから、謝る必要はない。

 私が情けない時には君に頼るからね」

 そう言って冥花はにっと笑った。

 冥花さんは男前だなあ、などとみのるは思ったが、実際に言ったならひどい目に会う気がしたので彼女に微笑むだけに留めた。

「じゃあ、行こうか」

「そうだね、僕も頑張るよ!」

 みのるは気合を入れ、道観の中に入っていった。




 道観の深い邪気の先。

 そこには。

 濃い瘴気、本来ならば伸ばした手の先すら見えないような、どろりとした闇の先には、巨大で、真っ白な肢体を持つ、何とも美しい狐が鎮座しましていた。

 その尾は九本。

 天狐の中でも最も格の高い九尾である。

 しかし、その顔には明らかにおぞましい愉悦の表情がへばりついていた。

 人々が争い、苦しみ、涙する。

 その負の感情が瘴気、邪気となって狐の周囲に集まって来る。

 その気を喰らい、狐はかつて持っていた力を取り戻そうとしているのか。

 余りにも浅ましいその表情は、九尾の狐の持つ神性をことごとく侮辱していた。

 狐はすうっと顔を上げた。

 その所作すら気品に満ちて、しかし。

 ぜろり。

 九尾の狐は舌なめずりをした。

 みのる達を見て、である。

 みのるの背に怖気が走る。

 気持ち悪い。

 ここから逃げたい。

 しかし、そうはいかない。

 ここから出る為にも。

 それに、こいつきゅうびのきつねをこのままにはしておけない。

 余りにもこれは危険だ。

「…僕たちがやらなきゃいけないのなら」

 完膚なきまでに叩き潰さないといけない。

 みのるは別に世界の危機、とか正義の為、などと考えている訳ではない。

 ただ、この怪物が狐である、と言う事が不安を掻き立てた。

 みのるは狐の神であるウケモチの神子である。

 ならば、みのるはこの九尾の狐にとっては途方もなく「おいしい」存在ではないのか。

 …別に死ぬのが嫌という訳でも、実の所無い。

 かつての居場所よりは死の方がよほどましだ、今ならみのるはそう言い切れる。

 あの場所に戻るくらいなら、ここで戦い、息絶えても後悔はない。

 しかし、ウケモチは言った。

“汝は世に仇なす大悪魔の依代となるであろう。その身に訪れる試練も幸運も、全てその瞬間の為と知れ”と。

 これがその大悪魔だとしたら、みのるが死んだ後、冥花はどうなるのか。

 考えたくもない。

 ならば勝つしかないだろう。

 みのるは眼を凝らし、狐の一挙手一投足を見逃さないよう観察した。

 基本的に犬科の動物は咬みつきによる攻撃をしてくるのが定番だ。

 猫がネズミを甚振るが如くし喰らいつき、振り回してくるのではないか。

 みのるはそう予想した。

 冥花はその時、九尾の狐の尾に注目していた。

 あれは強力な武器になるだろう。

 十分に気をつけなければ。

 …九尾の狐の巨大さに目を取られていた2人は見逃していた。

 先ほどから2人を見る九尾の狐の目、そこに邪悪なる知性の輝きがあることを。


「せやぁぁっ!」

 冥花が九尾の狐に斬り込んでいく。

 先のキョンシー達を一閃の元に切り捨てた剣の冴えが狐を襲う。

 しかし。


 餓亜ぁぁっ!

 

 強烈な咆哮がみのる達を襲う。

 さすがの冥花も足が止まってしまった。

「くっ!

 なんだ今のは!?

 闇が、濃くなる!?」

 九尾の狐はまるで闇そのものを吐き出すように己の周囲に「絶望の闇」をまき散らした。

 闇はみのる達に纏いつき、そして負の圧力を加えていく。

「くそ、『三狐神みけつのかみ』、冥花さんを守って!」

 みのるの影から黒い狐が飛びだし、影が伸びて2匹に分裂した。

 そのうちの1匹が冥花の方へと駆け寄っていく。

 動きの止まった冥花に対し、九尾の狐がその巨体を躍らせた。

「冥花さん! 危ない!」

 みのるが叫ぶ。

 大きく開いた口、そこに並ぶ刃物のような牙が冥花に迫る。

 しかし、 それは冥花にかすり傷を付けるに留まった。

 みのるの放った影の狐、それがまるで盾の如く己の体を伸ばして冥花に突き刺さる筈の牙を弾いたのである。

「助かった!」

 にっと冥花がみのるに笑いかける。

 しかし、九尾の狐はさらに畳みかけてくる。

 その長大な尾がさらに伸び、みのる達をまるで箒で掃除でもするが如くなぎ払おうとするのだ。

 冥花は運動が得意だ。

 その尾をひらりとかわしてのけた。

 しかしみのるはそうもいかない。

「ひっ! げふっ!?」

 尾に弾かれ、吹き飛ばされた。

 黒い狐が守ってくれなければ地面に叩きつけられていただろう。

「大丈夫か、みのる君!?」

 冥花がそう叫んだ。

「だ、大丈夫、冥花さんも気をつけて!!」

 冥花はみのるの言葉を受け、ほっとしていた、そして同時に。

「…斬る!」

 尾を振り、体勢が崩れた九尾の狐、その体に、

「犬山流剛剣『悌』・兜割り!」

 袈裟斬りの一撃が叩き込まれた!

 美しい金色の毛皮に大きく一文字の血の筋が刻まれ、そして、大量の血が噴き出した。

 げああぁぁぁっっ!

 その美しさからは到底信じられないような醜い悲鳴を上げ、九尾の狐はのたうちまわった。

「このまま畳みかける!」

 冥花が更に剣を振り上げた時だ。

 みのる達の頭に声が響いた。

“なにを英雄気取りでいるのかね?

 薄ら汚い『忌み子』に過ぎない君が…”

 みのるの動きが止まった。

「忌み子」。

 それはみのるの生まれた集落でさんざん言われていた言葉。

「あ、う、うあ、あ…」

「要らぬ子」「呪われた子」「忌み子」

 みのるを称して言われた言葉だ。




 田中たなかみのる、彼のそう長くない十数年の人生は「迫害」という言葉で表わされるだろう。

 とにかく彼は人から嫌われた。

 飛騨山中にある彼が生まれた集落。

 みのるは近隣の村落のまとめ役の家に生まれていた。

 記憶にある初めてのものは駕籠の様なものに入った自分自身。

 これは多分母がいなくなった後の記憶なのだろう。

 周囲には世話係と思しき中年女性が働いていた。

 とは言え、みのるにはその女性に世話をしてもらった記憶がない。

 ミルクすら飲ませてもらっていなかったのではないだろうか。

 不思議な事に、子どもの頃のみのるには動物達が寄って来るのだ。

 鳥が花の蜜を口に含ませ、鼠が果物を置いていく。

 驚く事に、おむつの交換すら狐がやって来てしていくのだ。

 逆に言うなれば世話役の女がなにもしていなかった、と言う事でもある訳だが。

 世話役は気味悪がり、長に黙ってみのるを山に捨ててきた事もあったようだ。

 それでも山の動物達がみのるを家に送り届け、事なきを得ていた。

 そう言った事が何度か繰り返された結果、みのるには「忌み子」という呼び名が付いていた。




「あ、ああ、ああ…」

 みのるが頭を抱えているのと同時期、冥花は顔を屈辱に赤らめていた。

 九尾の狐の挑発に乗った彼女は、

「貴様ぁっ! 斬るっ!」

 その体に斬りつけていた。

 しかし、元々居合いに使われる、いわゆる日本刀は扱いが難しい刀剣とされている。

 切断する面に綺麗に振り下ろすことが出来ない場合、

 きぃん!

 先ほどとは違い、彼女の剣は金色の毛皮に傷1つ付ける事無く、あっさりと弾かれていた。

「ぬ、未熟!」

 気ばかりが急く冥花。

 その彼らに更に圧力をかけるべく九尾の狐は咆哮を上げ、その吠え声は更に絶望の闇を濃くした。

 その時だ。


 とくん…

 どくん…!

 どくん…!!


 みのるの体の奥底から何かが湧きあがって来る。

 それは、「本来のみのるの力」そのものであった。

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