第5話 英雄開眼

 きん、きん、きん。

 何かが弾けるような音がみのるの中から聞こえてくる、そんな気がした。

 それはみのるの中の「枷」が外れる音、かもしれない。

 今までとはケタ違いに思考が先鋭化されていく。

 …そうか、この力はそういうものか。

 みのるは今自分の中に湧きあがって来た力を理解した。

 それは元々みのるの中にあった「封印されし力」。

 この解放は強力な「怪物モンスター」の力に反応し、それと戦う為の力を開放する。

 しかし、今の未熟なみのるの素養では強大な力を扱いかねる。

 最悪の場合、強力すぎる力によってみのるの体はズタズタになるかもしれない。

 その為、普段は封印を掛け、「絶望の闇」の上昇に応じて一時的に封印が解かれる、そう言った「ギフト」なのだと。

 どのような神がくれた贈り物ギフトなのか知らないが、よほどみのるに死んでもらっては困るようだ。

 ならば。

 みのるは湧きあがって来る力を頭部に集中する。

 意識がクリアになり、今まで理解し得なかったものを理解できるようになって来る。

 その知性でみのるは考えた。

 今の状況をどう打破すべきか。

 相手に対して有効なものが、自分の中に眠っていは居ないか。

 その時、己が親神であるウケモチからの最後のギフトが自分の中に眠っている事にみのるは気付いた。

 これなら!

 みのるは霊力を束ね、その力を九尾の狐に向かって解き放った!


 冥花は気ばかり急いている自分に腹を立てていた。

 剣の道は清心の道。

 そう剣の師から教え込まれていたというのに。

 分厚い毛皮に遮られて九尾の狐に刃が届いていない。

 辛うじて咬みついてきた狐の顎を刀でいなし、その首を狙うものの、奴は巨大な体躯にも拘らず器用に冥花の剣を避けていった。

 その為、冥花の体が流れた。

 しまった!

 冥花が気がついた時、長大な狐の尾がその体に迫っていた。

 これはまずい!

 怒りに我を忘れていた冥花は、防御が疎かになっていたのだ。

 せめて身を守るべく身を固めた冥花、しかし。

「ぬ、がああっ!」

 眼の前に、みのるが立ちはだかった。

 もちろん、華奢な彼では巨大な尾の壁にはならない。

「うあっ!」

 あっさり弾き飛ばされるみのる

 しかし、彼の稼いだほんの少しの時間、それによって冥花は尾を避ける事に成功した。

 そして見た。

 滑らかであった狐の毛皮にところどころまるで死骸のような生気の無い部分が存在する事に。

「何が起きた…、いやそれは良い! これなら!」

 冥花はまるで死体の様な九尾の狐の喉元を斬りつけた。

 パッと散る血飛沫。

 その色はどす黒く、到底生きているものの血には見えなかった。

「ゲゲェッ!

 貴様あぁっ!!」

 九尾の狐はみのるを睨みつけている。

 それで冥花は気がついた。

 みのるが何かしたのだと。

 

 みのるは狐の神であるウケモチの神子アマデウスだ。

 そして狐は伝承の中でも優れた「変化術」を使い、人を化かす。

 みのるは己の中に「変化」の術を使う事が出来る、そういった「ギフト」を見出した。

 そのギフトを使い、みのるは九尾の狐に「己がアンデッドである」とい

う術を九尾の狐に仕掛けたのだ。

 相棒である冥花は「エジプト神群クラスタのアヌビス神」の神子であり、不死のモノに対する攻撃力が高い。

 ならば、

 今、九尾の狐はになっている。

 それ故、冥花の攻撃はざっくりと九尾の狐の喉元を切り裂き、無駄口を叩けないようにしてしまったのだ。


 九尾の狐は焦った。

 折角ここまで力を取り戻したというのに、このままではまた消滅させられてしまう。

 冗談ではない。

 この小憎らしい神子どもにしてやられるというのか。

 それは嫌だ。

 ここまで力を取り戻すのにどれだけ掛けた事か。

 ここは逃げを打つべきだろう。

 九尾の狐、彼女は名誉の神などとは違い、撤退する事に忌避感を持たない。

 即座に後ろを向き、遁走に入ろうとして、

「無駄です!

 絶対に逃がしません!」

 敵の男の方、田中たなかみのるに前を遮られた。


 相手が及び腰になったのをみのるは見て取った。

 ならばここは押し込み、追撃をすべきだろう、その為には相手を逃がさない必要がある。

 咆哮で威嚇をする九尾の狐を睨みつけながら、みのるは黒い狐に指示を出した。

「狐君、あいつの尾を!」

 先ほどから攻撃の起点としている噛みつきと尾によるなぎ払い、このどちらかを潰せば九尾の狐にとっては大きな戦力ダウンになる。

 黒い狐は一閃の黒い屋となって九尾の狐に突進し、

 ざんっ!

 バッサリとその尾を切り落とした。

「きっさまあああぁぁぁっ!」

 九尾の狐が激昂しているがそれもその筈、妖狐の力の源は尾にあると言われている。

 いくらここが九尾の狐に都合の良い世界だったとしても、己を規定する神話まで否定しきる事は出来ないのだ。

 これにより九尾の狐の力は大分衰えたと言って良い。

 とはいえ、この巨体だ。

「咬みいぃ砕いてぇぇやるぅぅっ!」

 その牙がみのる、ではなく、疲労して体力の衰えている冥花に向かう。

「しまった!」

 だからこそ、みのるはわざと尾を攻撃するという挑発的な事を九尾の狐に行った訳だったが、みのるの予想以上に九尾の狐は狡猾だった。

 疲労している冥花を倒せば相手は1人、悠々と逃げることが可能であると。

 そして十分に回復したらば復讐をしよう。

 この神子の大事なものを取り上げ、苦悶と後悔の中で死んでいくように追いこもう。

 なに、かつて散々やり尽くした事、手慣れたものだ。

 非道な事を考えながらその牙が冥花に突き刺さり、


 ぱきぃん!


 甲高い音と共に冥花のネックレスの先に掛かっていた物が砕ける。

 それは冥花が「親父殿」と呼ぶ存在から渡されていた護符。

 変則的な十字架型をした「アンク」と呼ばれるそれは、災いから人を遠ざける効果があるとされる。

 そして親神自ら手渡ししたその効果は大きなものだった。

 無論それだけで巨大な狐の牙のダメージを完全に相殺する事は出来なかった、が。

 それに加えて、

「ケーン!」

 みのるが冥花に付けた「三狐神みけつのかみ」が冥花を庇っていたのである。

 冥花は目の前の、巨大な九尾の狐の目に向かってにやり、と獰猛に笑いかけた。

 圧倒的強者であった筈の九尾の狐の目に怯えが走る。

「ではな、これでっ終りだあっ!」

 冥花は上段に剣を振りかぶり、九尾の狐目掛けて高々と飛びあがった。

 そして、

「犬山流剛剣『悌』・兜割り!」

 真っ向上段から振り下ろされた必殺の一撃が、九尾の狐の眉間に叩き込まれた。

 あり得ざる事に、振り下ろされた刀の剣筋に合わせて巨大な筈の九尾の狐の体が真っ二つに切断されていく!

「そ、そんな、ば、かぁ、なあああっっ!」

 巨大な体躯を見事に両断し、冥花は地面に降り立った。

 2つに割れた九尾の狐は信じられない、といった眼をしながら暫し立っていたが、やがてその目は生気を失い、どうっと言う音と共に倒れ、そして朽ち果てていった。




 ぱきり、ぱきりと空間が剥落していく、そうとしか言いようのない現象が目の前で起きていた。

「ふうん…、はこういう消え方をするのか…」

 呑気に構えている冥花と対照的に、みのるは「え、ええ!? だ、大丈夫なんですか!?」と動揺しまくっていた。

 無理もないだろう、絶界に取り込まれた経験など、みのるには初めてなのだから。

 冥花は笑いながら、

「大丈夫。

 この絶界は別に宙に浮いていたりする訳ではないからね、今、現実世界にこの空間は戻りつつある訳さ。

 だからほっとけば元通り。

 ちょっとした擦り傷や少しくらい汚れたり、壊れたりしたものも、現実世界では『なかった事』にされるからね、ほら」

 冥花は自分の服を指差す。

 彼女の服は戦いによって埃塗れ、擦り傷などもあった筈だが、それが消えていく。

「まあ、流石にこういった『普通じゃないもの』は直らないんだけどね…」

 彼女が胸元から取り出したアンク、それは直る様子もなく罅だらけになっていた。

 最も、みのるは冥花がネックレスを取り出すのを見て、慌てて横を向いたので見えていない。

 みのるが気が付くと、周囲には喧騒が戻っていた。

 夕方、家路に付く人々。

 視覚障害者用の音響信号器が「通りゃんせ」を奏でている。

 バスが目の前を通り、排ガスをまき散らしていった。

 目の前を通り過ぎる子ども達はこれから塾に行くのだろうか。

 近くの総菜屋ではおばちゃん達がタイムサービスの唐揚げを買っていた。

「…どうかな、みのる君」

 冥花がみのるに声を掛けた。

「これが君と私が守ったものだ。

 ちょっと猥雑としているけど、私はこの喧騒が好きだ。

 ここが私の生きる場所だ、そう思えるんだ」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 みのるにとってはまだ騒がしいだけの場所。

 かつて住んでいた所は喧騒とは程遠い土地だったから。

 しかし、みのるは思う。

 犬山さんがそう感じるのなら、僕も頑張った甲斐があったのかも、と。

 ぼうっとしていたみのる、それを冥花は初めて神子として戦った疲労感だと思ったようだ。

「いかんな、みのる君、疲れただろう?

 今日の所は解散しようじゃないか。

 ええっと、みのる君、スマホ持ってるかい?」

 みのるはそういったものを持っていない。

 あいまいな笑みを浮かべているみのる

 冥花はちょっと首を傾げると、

「それじゃあ明日、土曜日だけど時間はあるかい? 一度あって、色々説明したい事があるんだよ」

 そう言った。

 明日は朝に新聞配達、昼はスーパーのレジ打ちがあるが、夕方以降なら時間がある。

「まあ、夕方だったら…」

 みのるの言に冥花はにっと笑うと、

「そうか!

 じゃあ明日の4時に駅前の『カカオ』に集合だ、良いかな?」

 彼女の言った「カカオ」は全世界規模のコーヒーチェーン店だ。

 みのるも知ってはいるが入った事はない。

 そういった店に入れるほどみのるには金銭的余裕がないのだ。

 まあしかし、偶には良いだろう。

 ある意味、美少女とのデートの様なものだし。

 そんな事を考えて、みのるは赤くなった。

「わ、分かった!

 じゃあ、犬山さん、また明日!」

 みのるは赤くなったのを誤魔化すようにそう言うと、冥花と別れて自分の借りている六畳一間のアパートへと帰っていったのだった。




 そしてしばらく後の事。

 ここは神々がその神群を超えて作りあげた組織「万神殿パンテオン」、その本拠地だ。

 そこでは本来交わる事のない別神群の神がであう事もあるのだ。


「…でだな、ウケモチ殿、出来れば貴殿の子に『携帯電話』を何とか持たせてやる訳にはいかんだろうか」

 そう言うのはエジプト神群の冥界の神、アヌビスだ。

「そうだね。

 いまどき持ってないとなると周りから苛められちゃう事もあるしね。

 それは可哀想だ」

 そう返したのはヤマト神群のウケモチ。

 元が犬科の神、という以外の繋がりの無い2柱は、みのるの事について話し合っていたのである。

「しかし、これについては上にばれないようにしないと…」

「? どうかしたのかね、ウケモチ。

 別に何か問題のある様な事でもなかろうに。

 それとも、ヘパイトス殿に制作を依頼したとか?

 余りにもトンデモな物を用意してしまったのですかな?」

「いや、そうじゃなくてね…。

 これがアマテラス様に知れたりすると…」

「すると?」

「絶対アマテラス様『スマホの方が良いわスマホ!!』って推すに決まってるんだもの…」

「は?」

 アヌビスはほうけた。

 彼女ウケモチは何を言っているのだろうか…?

みのるちゃんって今までスマホどころかラップトップのパソコンもいじった事無かったの。

 今、一番大変な授業ってコンピュータリテラシーの授業だって言ってるらしいし。

 そんなみのるちゃんがスマートフォンなんて渡された日には絶対に電話すら出来なくなっちゃうわ…」

 アヌビスは少し考え、

「なれば我が娘からガラケーをプレゼントさせよう。

 それなればアマテラス殿に知れる事もなかろう」

 そう言った。

「ああ、助かるなあ、それならアマテラス様も『スマホに交換しなさい、そして私のどツイッターをフォローしなさい』とか言わないでしょうし」

 ウケモチがほっとしたように言う。

「では、娘に頼んでおこう、代わりに…」

「分かってる。

 みのるちゃんを通して冥花ちゃんにも幸運を分けておくから」

「感謝する。

 …私は冥花が可愛い。

 本当なら戦いになど出したくは無いのだが…」

「私もだよ。

 みのるちゃんは本来戦いに向いた性格じゃないもの。

 でも、戦わなくては彼に将来がないの。

 あの子には戦って、そして未来を掴み取ってもらいたい。

 それは親としての我儘なんだけどね…」

 寂しそうに言うウケモチ。

 そのまま2柱の神は黙って佇んでいた。

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