第3話 冥花の力

 田中たなかみのる犬山いぬやま冥花めいかは、先ほどみのるが通って来た道を逆に進んでいた。

 みのるからこの絶界アイランドを支配している「怪物モンスター」の気配を感じた冥花は、みのるがここまで来た途中で怪物に接触している可能性を示唆したのである。

 みのるは気付かなかったけれども、もしかしたら冥花なら気付くかもしれない。

 三人寄れば文殊の知恵、とも言うし、自分の見つけられなかったものでも冥花ならばあるいは、ともみのるは考える。

 生まれや境遇の影響か、みのるはインドア派、と言うよりは内に籠るタイプだ。

 確かに周囲を警戒するのは今までの生で必要だったから身に付いた。

 とは言え、正直に言えば直感的に何か重要そうなものを見つける、などは得意としていない。

 その分、今ある情報から状況を推測するのは得手としているのだが。

 みのる達はてくてくと歩き続ける。

 と。

 だすっ、だすっ、だすっ!

 何かが飛び跳ねる様な音が聞こえてくる。

 この世界にはあまりにも危険が多い。

 みのるが身構えていると…。

「え? キ、キョンシー!?」

 りーん、りーんと鈴の音が聞こえ、それに合わせて、十数人ほどの人影がこちらに近づいてくるのだ。

 それらは腕を突きだし、膝を全く曲げる事無くジャンプする事で移動をしていた。

 それはまるでみのるが子どもの頃見たことのある中国映画、その中に出てきたリビングデッドである「僵尸キョンシー」そのものであった。

 映画の中に出てきたキョンシーはほとんど中国版の吸血鬼と呼べるものだったが。

 それはともかく、明らかに生きている人の肌の色ではない、血の気の感じられない灰色の肌、光彩が見当たらない白く濁った眼のキョンシーがだすっ、だすっと足首だけを使って飛び跳ねながら近づいてくるのは醜悪の一言に尽きた。

「うぇっ…」

 みのるは緊張感からか、吐き気を覚えた。

 胃から上がって来るものを何とか抑え、冥花を見ると。

「さて、モンスターめ、我らが厄介になったと見えるな。

 みのる、君は下がっていろ。

 奴らが『不死』ならば、私の力が有効だ」

 冥花はその目に闘志をみなぎらせ、手に持っていた奇妙な形の杖を、腰のあたりに構えた。

 みのるはそれを見て、江戸時代の侍の様だと感じたが。

 彼女は剣道か何かを嗜んでいるのだろうか、しかし。

「い、いや、危ないって犬山さん!

 あれって化け物でしょ!?

 犬山さんがどれだけ強いか知らないけど、人外には勝てないと思うんだけど…」

 気弱なみのるの台詞に、しかし冥花は怒るでもなく、

「ふむ、これでも私は『神話災害クラーデ』と何度となく遭遇している。

 あの程度の輩なら問題はないな!

 まあ見ていると良い!」

 そう言ってキョンシーの群れに向かって走り寄って言った。

「あ!」

 危ない! そう言おうとした時だ。

 まるで滑る様に、上半身を揺らさずキョンシーに走り寄った冥花、彼女の手から光が放たれた。

 彼女の持つ杖、それを「死護のウアス杖」と言う。

 エジプトの神、冥府の神アヌビスの持つという杖で、元は蛇追いの杖であったともいうそれはその杖頭にアヌビスの父であり、主神ホルスと敵対するセト神の頭部がフィギュアヘッドとして付けられている。

 彼女はその杖を掴み、

 冥花の持つ1メートルちょっとの長さを持つウアス杖は仕込み杖となっており、その中に居合い刀が隠れていたのだ。

 みのるにはその剣閃が光として映った。

 剣筋が見えないほどにそれは速かったのだ。

 冥花がキョンシー達の間を剣閃を纏って通り過ぎ、そして。

 ざらっ…。

 キョンシー達の胴が斜めにずれ、そしてその切り口からぼろぼろと砂の様に崩れていく。

「…犬山流居合、『信』・犬走り」

 キョンシーの集団の間を一気に走りぬけ、怪異を全て切り捨てると刀を一閃、血振りを行いすっと鞘に納めた。


「今見たように、私達神子アマデウスには神話災害と戦う為の力を親神から与えられているんだ。

 私は親父殿アヌビスよりこの『死のウアス杖』を『ギフト』として与えられている。

 これが私の手にある限り、あのような『不死』の者達は私の敵ではないよ。

 君にもあるんじゃないのか?」

 そう冥花に言われたみのるは、自分の影に潜む黒い狐、ウケモチが「三狐神みけつのかみ」と呼んでいたそれを思い出した。

「う、うん…まあ…」

 しかし、いかにもギフトを使いこなしている冥花と違い、自分は黒い狐を使いこなしているとは到底思えない。

 むしろ自分はあれの足手纏いにしか過ぎないのでは、と思ってしまう。

 その自身の無さが、みのるに断言をさせないでいた。

「なんだい?

 …どうも君は自信なさげだなあ。

 まあ、君の話は神子の間でも聞いたことがなかったから、もしかしてこの絶界アイランドに飛ばされて初めて自分が神子だって知ったとか?」

「う、うん、そう」

 みのるの言葉に冥花は訳知り顔で頷いた。

「やっぱりか。

 私の時もそうだったんだ。

 電車に乗っていたらいきなり引き込まれてな。

 あの時は先輩諸氏がいなかったら本当に大変な目にあっていたぞ…」

 だんだんと冥花の眉が寄って来るのを見て、みのるは慌てて、

「ああっと…、で、でも何とかなったんだよね、凄いじゃない、犬山さん!」

 不機嫌な相手がいると怖い。

 それは避けたいというみのるの処世術に従って出てきた言葉であったが、

「ん? そうか!

 いや、あれから私も経験を積んだからなあ、みのるの援護くらいは出来ると思うんだ、うん!」

 意外な事に冥花は話に乗った。

 というよりも、みのるのあまりうまくない追従に彼女が乗ってくれたという方が正しいだろうとみのるは思った。

「まあ、それに、だ」

 冥花がすっと表情を変えた。

 まるで獲物を見つけた猟犬の様などこか獰猛な目つき。

「どうやら、当たりの様だ」

 彼女の視線の先には、先ほどみのるが通り過ぎた道観があった。

 今ならみのるにも分かる。

 道観から立ち上る邪悪な黒い瘴気。

 あそこに居るのだ、みのる達の敵、「怪物」が。


「さて、敵のアジトも分かったし…」

 冥花がみのるの目を見てきっぱりと言う。

「まず休憩を取ろう!」

「はい?」

 みのるは何を言われたか分からなかった。

「いやいや、休憩はちゃんととっておかないとな。

 先輩にも言われた事だ」

 意外なほど真面目な顔をして冥花は言った。

「いいかい?

 私達はこの絶界に入ってから緊張しっぱなしだ。

 これは心身ともに大きな負担を受けているんだよ。

 みのる、君はこの絶界に取り込まれてからどれくらい休みを取ったんだい?」

 そう言われてみのるは急激に自分が疲労している事に気付いた。

 すとん、と腰が落ちる。

「今までは緊張していたから気付かなかったんだろうけど、確実に疲労は私達の中に溜まっているんだ。

 だからこそ、敵の首魁と戦う前には一度休息をとっておく必要があるんだよ」

 その言葉に納得するとともに、犬山さんは言葉遣いが古めかしいなあ、などとピントの外れた感想を持つみのる

 そのみのるを見て、

「ああ~っ! 今古臭い物言いだとか考えただろ!」

「いえ、そんなこと考えてません」

「嘘だあぁっ!?

 …どうも私は親父殿の口調が移ってしまったらしくてなあ。

 ちっとだけものの言い方が大仰なんだそうだ。

 特に戦いの前や後だとそうなるらしい…、笑いたければ笑うがいいさ…」

 ちょっと拗ねてきている冥花。

 だからと言ってそこに弄りを入れられるほどみのるは冥花に慣れていないし、そもそもコミュニケーション能力は壊滅的なのだ、無理を言うなと言いたい。

 などと考えていると、冥花がにやりと笑った。

「冗談だ。

 これでも私だって『ジョーク』の1つくらい言えるんだぞ」

 どうやら冥花はみのるが緊張していると思い、場を和ませる為に本人曰く「洒脱しゃだつ」な冗句を言ったようだ。

 実際の所は冥花とて緊張している。

 先の軽口は自分を鼓舞する意味合いもあったのだろう。

「時に、何か食べるものを持っていないだろうか?

 今私の持っているのはこれくらいでね」

 彼女の取り出したのはアルミ包装に包まれたブロックタイプの栄養調整食品だ。

 さすがにこれ1つでは寂しい感じだ。

 みのるは鞄から水筒と男子のものにしては小さめの弁当、家庭科の調理時間に作ったクッキーを取り出した。

「ほおっ、凄いな君は。

 これだけ準備して来ていたのか!」

 もちろん違う。

 そもそもみのるは神子として覚醒したのはこの絶界に取り込まれてからだ。

 普段から飲み物代を使わない為に自宅で茶を煎じて水筒に詰め、家では出来るだけガスを使わないように部活動の際に晩御飯として弁当を作らせてもらっているだけの話。

 教師側もみのるの家庭事情を知っている為に黙認してくれているだけである。

 蓋を開けると主食はなく、おかずである卵焼き、茹でたブロッコリー、タコさんウィンナー、プチトマトとナポリタンスパゲティサラダ、さわらの西京焼きに煮詰めた油揚げ、いわゆる「お揚げ」がこじんまりとまとまっていた。

「貰っていいのか?」

 冥花は意外なほどにかわいらしい弁当の中身にワクワクしながらそう言った。

 みのるは自分の作った弁当をよろっ込んでくれている冥花を見ると嬉しくなった。

 みのるにとってそう言った感情を向けられる事は少なかったが故に。

「いいですよ、どうぞ」

 みのるは割り箸を渡しつつそう微笑んだ。


 やはりみのるが持っていたピクニックシートを下に敷き、2人はつかの間の平穏を楽しんでいた。

「ふむ! やはりみのる君の作ったものはおいしいな。

 私はどちらかと言うと料理は得意ではないのな、君がうらやましい」

 正確に言うと、剣道三昧の生活を送っていた冥花は料理の基本こそ出来てはいるものの経験が乏しい。

 その割に凝り性で、手間のかかる料理ばかり作りたがるのだ。

 故に料理をすると時間が掛かり、それが嫌で料理をしない、という連鎖が続いているのである。

「あはは、まあ一応調理部だしね。

 味付けの基本くらい押さえておくと、簡単な料理でも結構食べられるようになるよ」

 冥花はみのるの思っていた以上にコミュニケーション能力が高いようだ。

 人見知りの激しいみのるも、彼女のペースに引き込まれて自然に会話が出来ている。

(良いよなあ、こう言う風に僕も人と会話できるようになったらなあ…)

 微笑んでいる冥花の周囲をふわりと心地よい風が吹き抜けていく。

 余りにも絵になる冥花を見て、みのるはぼうっとしていた。

「…、ん!?」

 みのるは、後ろから突かれて我に返った。

 背後には漆黒の狐。

「おや、それが君の『ギフト』かい?」

 冥花がみのるにそう尋ねる。

「あ、はい。

 ええと確か『三狐神』って言う、らしいんですけど」

 黒い狐はみのるの話などどこ吹く風、弁当箱の方にご執心の様子。

「…なあみのる、この子はもしかしてを気にしてるんじゃないのか?」

 そう言って冥花が持ち上げた物、それは。

「!」

 冥花が摘み上げたそれを視線で追う狐。

 右、左と冥花がそれ、お弁当の中に入っていたお揚げ、を動かすと、狐の鼻先がそれにつられて左右する。

「やっぱりだ。

 なあみのる、彼にこのお揚げを上げても良いだろうか…」

 冥花が狐の様子を見ながらうずうずしているのを見て、みのるは苦笑をしながら首肯した。

 冥花がほいっと狐の方にお揚げを投げると、

「!」

 宙を飛んだお揚げを器用に口でキャッチして、はぐはぐと平らげる狐。

 その様子を見てフルフルと震える冥花。

 狐の様子が彼女の琴線に触れでもしたのだろうか。

 とてもこの絶界の支配者である怪物のすぐ傍まで来ていることを感じさせない、和やかな空気であった。

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