第3話 来世への希望・唯

  空が燃える夢を見て目覚めた朝、全部夢だと悟った朝、またもや昨日の続きを生きるため、のろのろと布団から出た。十一月になり、さすがに寒い。その寒さが、よけい心をつらくする。

 夢の、 空が燃えるところ以外、全部本当なら良かった。幸せなユイのまま、あの世界にいたかった。

 そんなことを幾ら考えても仕方がない。学校に行かなくては。唯として。

 お父さんは胃が悪い。だから朝ごはんは欲しくないと言う。食べたほうがいいというお母さんの言葉に、そっぽを向いてタバコを吸っている。

 「早く食べないと遅れるよ。」

お母さんのイライラした声が私に向けられる。

「 わかった……」

「何、ぼそぼそ言ったってわからない。奈緒はもうとっくに行ったよ。」

 奈緒か。最近私の事お姉ちゃんて呼ばないんだ、唯って呼び捨て。バカにしてる。それとも、一つ違いの姉妹なんてこんなものかな。

「奈緒……」

お箸とお茶碗を持ったまま、つい口に出る。

「私、奈緒のこと、あんまり……」

「あんまり、何。」

しまった、お母さんの機嫌、どんどん悪くなってる。

「……あんまり、好きじゃない、というか……」

「何、朝からバカなこと言ってんの。」

お母さんが声を大きくする。

「母さんが何のために痛む腰我慢して、今の所行ってると思ってんの、全部あんたと奈緒のためでしょ。だいたい、あんた、これ以上成績下がったら、受かる高校ないよ、わかってんの……」

「おい、少し静かにしてくれよ、頭が痛くなる。」

お父さんもイライラした声を出す。

「私だって静かにしてたいわよ、なのに、唯がまたバカなこと言って……」

お母さんがお父さんの方を向いている内に、行ってきますを小さく言って、私は家を出た。紺色の重い学生カバンを右手に、とぼとぼと歩き出す。

 お母さん、パートがきついんだな、スーパーの商品センターって大変なんだろうな。でも、辞めるわけにはいかない。もうすぐ私が高校受験だし、次は奈緒だし、お金のかかることばっかりで、なのに、家にはお金がない。お母さんの口癖がそのまま頭に浮かんでくる。

 高校なんて行きたくない、勉強なんてしたくない、特に数学なんて全然わからないし。まあ、全然ダメなのはスポーツもそうだけど。

 だからといって、私が社会に出て働いて通用するとは、とても思えない。

 どこにも行く場所がない。

 少し前方を歩く二人連れの女の子が目に入る。歩くスピードを落とす。ほんとは急がなくちゃ遅刻しそうなんだけど。あの二人に気づかれませんように。

 けれど、こっちが歩く以上にのろのろ歩きの二人は、すぐに私の目の前に来てしまった。

 「何だ、唯じゃない、おはよう。」

ショートカットの髪に、厳しい視線。女の子にしては背の高い麗はスポーツが得意で、成績もかなり良い。

 「ほんとだ。」

小柄な美少女の朝陽が、ボブの髪に手をやって振り向く。頭の回転がすごく早い女子のクラス委員長だ。

 「お、おはよう……」

そそくさと通り抜けようとする私に、

「一緒に行かないんだ。」

呆れたように麗が言う。

「私たちの事、嫌いだもんね、唯は。」

朝陽が重ねて言う。

「そ、んなこと……」

立ち止まって振り返る私。

 と、その私を見て、二人は目配せし合うと突然走り出す。

少し走った所から、

「残念でした、こっちが嫌いです。」

という朝陽の声が聞こえてくる。

「唯、遅刻確定。」

麗の声も。

 私は、遅刻しないように走る気も失くして立ちすくんだ。

 クラスで、この二人に目をつけられているんだ、私は。 

 思えば、三年生に進級した時のクラス替え後に最初に作った班で、この二人と一緒になってから、それから全て始まったのだ。くじ運の悪い私は、女子三人がこのメンバー、男子三人はこれもまたきつい物言いの子達で揃ってしまった。

 無口で人見知りばかりする私は、すっかり萎縮し、それでなくとも要領が悪いのに、そういう部分が増幅した。

 国語の課題図書を読んでの、班討議の結果発表を順番にした時もそうだった。私は、班全員でまとめた発表内容が把握しきれず、繰り返し班の者に聞くこともできず、結果、反対の意見発表をしてしまい、班の皆からさんざん怒られたのだった。

 そんなことばかりで二か月が過ぎ、麗と朝陽は、私を大嫌いになった。

「いつも下向いてばっかりで、こっちが話しかけても何にも言わない。やっとこっち見たと思ったら、すごく機嫌悪そうな顔して。私、そういう人、大嫌い。」

麗と朝陽の意見は一致していた。

 何にも言わないんじゃなくて、何を言えばいいのかわからないの。機嫌悪いんじゃなくて、困ってるの。

 これはもう、登校拒否になっても不思議はないと思った。

 けれど、学校に行きたくないなんて言ったら、親になんて言われるか。自分の部屋に逃げ込もうにも、うちは2DKの団地住まい。妹と一緒の部屋は鍵なんてかからない。

 いいんだ、今更。小さい頃からずっとこうだもの。救いはいつも、クラスの中の一部からの攻撃ということ。もしも、クラス全員からとなると、いくら何でも、でも、それでも、どうしようもない気がする。もう、この世ではどうしようもない。家も、学校も、自分も。

 おばあちゃんが生きてればな。優しかったおばあちゃんは、お母さんのお母さんで、うちの近所に住んでいた。私と妹は、学校帰りや、夏休みみたいな長いお休みの時はいつも、おばあちゃんの家で、お母さんがパートの仕事から帰って来るのを待っていた。もっとも、妹はすぐ友達と遊びに行ってしまい、私とおばあちゃん、二人で過ごすことが多かったのだけど。

 小学校の頃、学校で泣かされて帰って来るたび、おばあちゃんは優しく慰めてくれた。これがお母さんだと、更に怒られるから大変だ。

 お母さんはいつもイライラしてて、でも、それも仕方ないことなんだ。お父さんがすぐ転職先を辞めてしまって、その上病気がちでたびたび入院してしまう。パートの仕事に、看病に、子育てに、家事に、本当に大変。その上、私が小学校の頃は、お父さんに借金があって、取り立ての人が家まで来たりして、本当に嫌だった。

 あの頃、お母さんは時々、

「結婚なんかするんじゃなかった、子供なんて産むんじゃなかった。」

と、つぶやいていた。お母さんにしてみれば、そういう風に言いたくなるだろうと、私も思っていた。

 お父さんは、仕事を辞めるたびに、

「お前たちにはわからない大変なことが、世間にはいっぱいあるんだ。お金だって、お前たちを食べさせるために借りなくちゃならん。」

と、言っていた。きっと、そうなんだろう。

 お父さんもお母さんも、本当に大変。そして、私も。生きて行くのって、本当に大変でつらいことばかりなんだ。

 なのに、どうして人間は生きなくちゃならないの……

 そう言う私におばあちゃんは、誰にも内緒のお話をしてくれた。

 「人間は、悪いことをせず、まじめに生きてさえいれば、死んだら生まれ変わって、今度は自分の望み通りの人生を生きられるんだよ。言っておくけど、自殺なんてダメだよ。また嫌な人生の繰り返しになるからね。」

「それ、ほんとの事……」

最初はぽかんとしていた私だったが、そのうちフツフツと希望が湧いてきた。今我慢して生きていれば、次生まれ変わったら、なんでも望み通りだ。その日のために、どんな風に生まれ変わりたいか、ちゃんと考えておかないと。私はその日から、来世の計画を練りに練った。

 まず、顔がすごくかわいくて、スタイルが整ってて、頭が良くて、スポーツ万能で、明るい性格で、お友達がいっぱいいて、家が大金持ちで(つまり、今の私と正反対だ)……想像しているうちに、今朝のように、時々夢にまで見られるようになった。想像の中の私の名前は、今のところ、自分と同じ名前でカタカナ書きということにしてある。

 おばあちゃん、素敵なことを教えてくれてありがとう。

 でも、そのおばあちゃんも、私が小学校を卒業するとすぐに死んでしまった。

 おばあちゃんは、次生まれ変わったら、女優さんになりたいと言っていたから、きっと今頃、すごい美少女として生まれ変わってるんだろうな。

 そして最近、私はあることに気づいてしまった。私は、唯として生まれる前、悪い人間だったんだということ。だから、幸せに生まれ変わるという願いも叶わず、今、つらいめにあっている。私は、どんな悪いことをして生きていた人間だったんだろう。私のバカ。あんたのせいで私は……あ、でも、あんたも、私自身か。こういうことを、自業自得というんだな。

 こうして思い出に浸っていた私は、見事に遅刻した。これも自業自得。麗と朝陽のせいじゃない。人を恨んじゃだめだ。それはきっと悪いことだから。来世のために、我慢、我慢。

 「今朝、先生に怒られて大変だったね。」

 三、四時間目の美術の授業で、屋上から遠くの街や川を写生している時、紗々が隣にやって来て言った。

 紗々は二学期にになってから二回続けて私の班の班長さんで、とても優しくしてくれる。

 「ちょっと、寝坊しちゃって……」

「そういう時、あるよね。」

紗々は本当に可愛い声をしている。声だけじゃない。色白で、ふわりとした印象の可愛らしい顔。話し方やしぐさも、まるで優しさのヴェールを、全身でまとっているみたいだ。そして、クラスで一番位に成績も良いのだった。

 紗々はそのまま、私の横で写生を続けていた。

 こういう、特に席が決められていない授業の場合、皆、仲のいい者同士集まるのだが、私はいつも一人だった。そんな私を気づかってか、紗々は時々こうやってそばにいてくれる。

 美術の授業が終わって手を洗った時も、ハンカチを忘れている私に、

「二枚持ってきてるから。」

と、自分のハンカチを渡してくれた。ちゃんと洗って返さなくては。

  掃除の時間、麗達を避けて、教室の隅をほうきで掃いていると、突然、

「こっちにばっか掃いてくるなよ。」

と、教室の後ろの引き戸の前でガラスを拭いていた男子に言われてしまった。気づかないうちに、隣の班の掃除区域で掃除をする響君に向かって、ごみを集めてしまっていたんだ。

「ごめ、そんなつもりじゃ……」

こういう時も、上手く言葉が出てこない。響君は、それほど怒った調子で言ったわけじゃない、日頃から穏やかな方で、それなのに。

 「響、今日の宿題のとこさ……」

横から蒼君が現れて、響君を連れて行ってくれた。助かった。

 蒼君は、男子のクラス委員長だ。今は、高校受験を控えて退いてるけど、ずっと

部活でバスケットボールをしていて、背がすごく高い。目立つタイプだけど、普段は静かだ。

 彼を好きな女子は多いと思う。私も、つい目で追ってしまうほどには好意を持っている。

 けど……

 「ね、こうして見ると、やっぱりお似合いだね。」

そばで女子たちが話している。

 ああ、そうだった、蒼君は、紗々の彼氏だった。

 目の前にいる二人は、特に仲がいいところをアピールするわけでもなく、自然に話している。

 悔しいなんて全然思えない。誰が彼女だったとしても、蒼君は私にとって遠すぎる相手だった。

 「あの二人がもし結婚したとしたら、どんな子供が生まれるんだろ。」

「どっちに似ても美形だよね。」

 結婚。中学三年の今じゃ考えられないけど、でも、例えば十年後ぐらいに二人が結婚したら、私は、あの二人の子供に生まれたいと前々から思っている。そしたら、絶対成績優秀な美少女になれる。これは、私の来世の計画の中でも特に重要なものだ。紗々と蒼君には、絶対結婚してもらわないと困る。

 ただ、十年後、私はたぶん、まだ死んでない。ということは、生まれ変わるなんて無理だ。自殺なんてしたら、思ったように生まれ変われないし。

 同じ年の人の子供になりたいなんて、無茶過ぎるのかな。

 でも、もしかしたら病気とか事故で私、死ぬかもしれないし……希望は捨てないでおこう。

 そう、希望は捨てない。私の来世はバラ色だ。 



 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

  

 

 

 

 

 

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