第5話「追及」

 午後、三時半。

 三々五々下校するキタ高の生徒達の流れに逆らって、一人の若い女性が颯爽と校門をくぐった。北校舎の玄関に向かって、大股でカツカツと歩きながら、彼女は右手に持っていたスマホを耳に当てた。

「あ、ペータついたわよ。今、校舎の前だけど……ここからどこに行くの?………………うん……うん……」

 一平太の従姉、楠由利はぺったんこの胸だけはマイナスポイントかもしれないが、控えめに言ってもかなりの美人である。茶色に染めたショートカットの髪型が、日本的で涼しげな顔立ちに良く似合っている。花柄のタンクトップも、とんでもなく短いスカートも、全てを極彩色で固めた出で立ちは、地味な制服を着た生徒達の中に入ると、恐ろしく異彩を放っていた。

 由利は、一平太からメールを受け取ると、大学の午後の講義の一つをサボってまでキタ高に向かうことにしたのだ。いつものように、大船駅前のファーストフード店で集まるのではなく、事件が起こった現地に足を運んで、直に事件の空気を読み取りたいというのが、由利自身の希望だった。

 やがて、由利は一平太の案内に従って、北校舎の西端にある「生徒ホール」に向かった。生徒ホールは、普段はパンやドリンク類の売店、休憩所として使われている多目的施設だ。ホール内では既に一平太と佳子、そして比呂がパイプ椅子に座って待っていた。

 由利の姿を認めた時、佳子は自分を始終苦しめていた胸の圧迫感が幾分緩んだように感じた。従兄弟の一平太と同様、やや変人のきらいはあるが、美人で頭の回転も速く、霊能力者を目指しているという由利は、佳子の憧れの存在でもあった。今の彼女の眼には、小柄な彼女の姿が、自分の危機を救うために駆けつけた勇猛な騎士のように映ったのだ。

「あ、姉ちゃん。早かったね」

 ホールに入って来た由利は、一平太の言葉に答えることはせずに、

「ちょっと、ペータ! 何よ、ここ! 凄く気持ち悪い!」

 開口一番、眉をひそませてそんなことを叫んだ。

 佳子はその言葉に即座に反応した。

「え? 何ですか、由利さん。気持ち悪いって? このホールが?」

「そうじゃないのよ。この学校全体! 校門に近づいた辺りから、凄く気持ち悪い! 見てよ、これ!」

 そう言って、由利は右の前腕部を差し出した。雪のように白い肌が、びっしりと粟立っている。

 少し身を乗り出して、由利の鳥肌を確認した比呂は怪訝な顔をした。

「あの、その気持ち悪いって……いわゆる『霊的』に良くないってことですか?」

「そういうこと! ちょっとペータ! あんたカバンの中に何入れてんの? 変な紙が入ってない?」

「ええっ!」

 思わず声を上げたのは佳子のみだったが、驚いた事については比呂や一平太も同じだった。

「やっぱり、姉ちゃんにはかなわねえな……お見通しかよ。わざとこれの事は教えてなかったんだけど」

 一平太はカバンを開けると、クリアファイルを取り出した。その中には、学校で配布されたプリント類と共に、佳子の机の中に入っていた、例の資料集のページが入っていた。

「それ、一体…………うわッ!」

 一平太が取り出した物体を見た瞬間、由利は声を上げながらのけぞり、数歩後ずさりをした。

「な、何よ、それ! 一体何なの? ……ちょっと! そんなもの近づけないでよ!」

 そんな由利の反応を目の当たりにして、一平太はいかにも嬉しそうな表情になった。

「おい、比呂どうする? やっぱり全部話すしかないみたいだぞ? こうなったら、情報を共有した方がいいぜ」

 比呂は、それに対して何も言わず、眉をひそめたまま小さく頷いた。 

「よし、比呂の同意も得られたな。おい、佳子。お前に色々と話さなきゃいけないことがあるんだよ」

「え? 私? 何何? 私に? どういうこと?」

 いきなり一平太から自分の名前を振られて、佳子は面食らった。

「いやさ、昨晩比呂から俺へ、珍しく電話がかかったんだ。それで重大な話を幾つかされたんだよ。でも、佳子を無闇に怖がらせたくないっていう比呂の希望で、当面は隠しておくことにしたんだ。だけど、朝になってこの事件が起こっただろ?」

 そう言って、一平太は、仏像の頭部が全て切り取られたページを、指でつまんでヒラヒラさせた。

「姉ちゃんに見せて、感想を聞こうと思ったんだ。それで、この事件がただ事じゃないってお墨付きが付いたなら、情報公開しようって話になったんだ」

 佳子の顔色から、うっすらと血の気が引いていった。対するに、由利は幾分不満気味だ。

「なによお。あたしを試すようなことしたってこと? リトマス試験紙じゃないんだからね」

 佳子は、比呂が自分の知らない何かを隠しているのだと、うすうす気がついてはいた。しかし、改めてそう言われると、まるで死刑を求刑されている被告が、判決を言い渡される直前のような緊張を覚えるのだった。

「で、比呂……重大なことって何?」

 佳子は、ほのかに罪悪感を滲ませた比呂の表情を伺いながら尋ねた。比呂は、淡々とした声で、しかし、いつに無く深刻な表情で話しはじめた。

 「バリアント・ヘッド」を読み始めた直後、記憶の喪失が起こったこと。菅原が階段から転落する直前、カッターの刃を押し出した時のような金属音が聞こえたこと。転落した菅原が「カッター」と口にした時、そこに居合わせた桐谷の顔色があからさまに変わったこと。そして、昨晩アキラのメアドからメールが届き「V.H.最終章」が添付されていたこと。「最終章」には、カッターナイフを手にした首のない女子高生が登場すること。

 そして最後に、比呂は最も衝撃的な事実、一平太に電話している最中に思い出したことも打ち明けた。

 菅原は階段から転落する直前、レジ袋を頭からかぶった女子高生が、大型のカッターナイフを持って襲い掛かってくる光景を見ていた、少なくとも比呂は見たと思っているということだ。

 どれもこれも、にわかに信じがたい話だった。

 途中、佳子は何度も心臓をわしづかみにされたような衝撃を受け、細い肩をすぼめて縮み上がった。その度に「嘘でしょ?」「冗談言ってるんでしょ?」と問い正した。しかし、冗談一つ言えない生真面目な比呂が、首を縦に振ることはなかった。

 一方、由利は話を聞いている最中、何度もこめかみを押さえていた。酷く頭痛がするということだった。

 一通り比呂の話が終わると、それを引き継いで、一平太が彼の見解を話しはじめた。

「でだ。なんとしても、俺が知りたいことが幾つかある。ひとつ目は、今アキラは一体どこにいるのかだよ」

「そうか、それを忘れてた。まだ、行方不明なのか?」

 神妙な顔で比呂が言った。

「ああ、そうだ。そもそもあいつが今生きているのかどうかってことすら不確定だ。それ自体を俺は疑ってる」

「え? 何言ってんだよ! メールは僕のPCに送られてきたんだぞ。どこかで生きているのは確実だろ? また、心霊スポットで野宿してるとか……」

「何でだよ。少なくとも、今の段階で言えることは、何らかの形でアキラの携帯からメールが送信されたってことだけだ。その事実とアキラの安否は関係ないだろ?」

「いや……そうだろうけど……幾らなんでも……」

 一平太は頭がいい。少なくとも回転は速い。推理小説に登場する名探偵気分になっている今の彼は、論理的に有り得ないと確定しない限り、「あらゆる可能性を排除しない」という思考パターンに陥っているのだ。そこが、「自分の日常感覚で信じられない限り、それは有り得ない事だ」とする、常識人の比呂と相容れない部分だ。

「で、ポイントの二つ目。桐谷は一体何を知っているのかだ。あいつは、『カッター』という単語に異常な反応を示したらしいし、確かに昨日は一日中様子がおかしかった。そして、今日あいつは、結局学校に来なかった」

「桐谷君ってのは、確か『V.H.』の執筆について、アドバイザーだった子よね。オカルト四天王の一人で」

 首筋の辺りを右手でマッサージしながら、由利が口を挟んだ。どうやら肩も凝ってきたらしい。

「そうだ、そこなんだよ。あいつは、『V.H.最終章』のことについても知っていた可能性がある。だから、『最終章』にしか登場しないアイテムの『カッター』について過剰反応したのかもしれない。今日の事件についても、関係していないと思う方がおかしい」

 一平太は、ここでコーラの1Lペットボトルを掴んで、グビグビと喉に流し込んだ。

「で、三番目のポイント。俺は、これに一番興味がある。階段から転落する直前、菅原は本当に『そんな奴』を、『レジ袋を被った女子』なんて、いかれた代物を見たのかってことだ。俺はこれから病院に行って、そのことを菅原に聞いてみようと思う。比呂、お前もついて来るんだぞ!」

「え? 今から? 今日は部活があるのに、それを休んでここにいるんだ。この後、直ぐに部室に戻らないといけないんだよ!」

 比呂は写真部に所属しているが、別段活動に熱心な部員では無い。しかし、気味の悪い事件を明らかに面白がっている一平太の「探偵ごっこ」に付き合いたくはないのだろう。

「何言ってんだよ。お前はとんでもないミステイクを犯したんだ。せめてもの罪滅ぼしに、一緒に付き合え! お前が「幻視」したものと、あいつ自身が実際に見た物が一致するかどうか、確かめなきゃいけないだろ?」

「え? 比呂君のミステイクって? 何かやらかしちゃったの?」

 由利と目が合うと、比呂はばつが悪そうに、顔をそむけた。

「そうだよ! こいつ、せっかく受信した『V.H.最終章』とメールを完全に削除しちまったんだ! 何てことしてくれたんだ! この薄ら馬鹿め!」

「いや……それについては済まなかったけど……気持ち悪かったんだよ。動悸が激しくなって、本気で苦しかったんだ」

「比呂君は霊感強いから仕方ないわよ。あたしも話聞いただけでゾワゾワするもの。きっとそれ、凄く嫌な物よ……」

 一平太は、グビグビと残りのコーラを一気に喉に流し込んでから、再び比呂を糾弾した。

「でも、多分完全にファイルが消えている訳じゃない。見えなくなってるだけだ。俺の知り合いでパソコンに強い奴に聞いてみたら、簡単に復活出来るはずだって言ってたよ。でも、明日にならないと、そいつの都合がつかないんだ」

「だったら、比呂君をそんなに責めることも無いじゃない。じゃあ、みんなでこれから菅原君が入院している病院に行きましょうよ。佳子ちゃんはどうするの?」

 突然由利から話を振られて、佳子はビクリと身体を震わせた。

 立て続けに恐ろしい事実を聞かされ、佳子の精神状態は、恐怖を通り越してパニック寸前だった。由利から判断を求められても、思考が全く回転しなかった。

 佳子は、チラと比呂の方へ視線を移し、遠慮がちに、

「ええと……あの……比呂はどうするの?」

 と、聞いた。

 「ノー」と言う事が大の苦手な比呂は、ばつの悪そうな顔で何かを決断したようだった。

「僕も行くよ。確かに、冷静に考えてみれば、何か訳の判らない事態が起こってることは認めなくちゃいけない。自分の耳と目で、可能な限りの情報を知らないといけないんだ。それで、僕やみんなに危害が降りかかるのを防げるかもしれないし……」

 佳子は、ほっと胸をなでおろした。

「じゃあ、私も行く。一人で帰るのも不安だし、今日も比呂に家まで送ってもらいたいから……」

「決まりだな。じゃあ、すぐに行こうぜ。その後も予定は詰まってるんだから!」

 一平太の表情は、ギラギラと脂ぎっていた。表面上は真剣さを装っているが、これから待ち構えている、スリルとサスペンスに満ちた冒険に心が躍っているのが丸判りだ。

 こうして、四人は生徒ホールを後にして、菅原が入院している「大船総合病院」に向かうことにした。

 道中、佳子の心の片隅には、そこはかとない罪悪感がつきまとっていた。彼らの討論の最中、極めて重大な情報、彼女自身も「V.H.」を読み終わった直後に、「カッターの音」を聞いていたということを、遂に言いそびれてしまったからだ。それを明かすことによって、正に、自分自身も奇怪な一連の事件の渦中にいるという事実を、認めてしまうような気がして恐ろしかったのだ。


☆           ☆


 大船総合病院に到着すると、四人は受付で面会の簡単な手続きを済ませ、エレベーターで三階へ昇った。

 菅原が入室している三〇八号室のドアは開いていた。一平太を先頭にして四人が入っていくと、白いカーテンで仕切られた一番奥のベッドに、右足を厳重にギブスで固めた菅原が横たわっていた。

「ああ! どうしたんだよ! 楠木! それから館嶋さんも!」

 菅原は、一平太の顔を見るなり、すっとんきょうな声を上げた。血色は良く、声にも張りがある。一見した限り、病人らしい様子は全く見られない。

「一応見舞いってことで来たんだ。どうだよ、具合は」

「ああ、そうなんだ。ありがとう。昨日検査した限りでは脳波に異常は無いみたいだし、この通り元気だよ。でも、足をかなり酷く骨折してるみたいでね。思ったより治るのに時間がかかりそうなんだ」

「まあ、仕方ねえな。ゆっくり直せよ」

「でも、まさか楠木が見舞いに来てくれるとは思わなかった。それから館嶋さんも。ええと……それから、そっちの人は?」

「ああ、紹介するよ。こっちは俺の従姉で由利姉ちゃん」

「初めまして。話通りのイケメン君ね」

 菅原が由利を目にとめた時の、浮薄な表情を佳子は見逃さなかった。菅原は学年でも有数の美男子で、特に下級生を中心とする女子から人気があった。なおかつ、生来の女好きであり、女性関係にだらしなくもあった。彼が由利の端正な顔や真っ白い太ももをどんな目で見ているのかと思うと、佳子は生理的嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

「で、こいつの顔は知ってるよな。佳子の従兄弟の比呂だ。お前が事故った時に、駆けつけた奴の一人だよ」

「え……?」

 菅原の表情に曇りが差した。目の前にいる四人がどういう意図で病院に訪れたのか、ようやく理解したのだろう。

「ごめんな。つまり、純粋な見舞いじゃないんだ。俺が来たからには、どういう趣旨なのか判ってるよな」

 菅原はそれには答えず、一平太と視線を合わせようともしなかった。平静を装っているのだろうが、明らかに動揺が見て取れた。

「はっきり言うよ。一体、あの時何が起こったんだ? ぶっちゃけて教えてくれないか?」

「いや……」

 何かを言いかけて、菅原はごくりとつばきを飲み込んだ。それから不自然に長い間を取ってから、ようやく、

「な、何も言うことは無いよ……あの時は足を滑らせて、階段から転げ落ちただけで……」

 とだけ言った。

「菅原。実は、今日も妙な事件が起こったんだ。きっと、お前の事故もこの一連の事件の一部に違いないと俺は思っている。包み隠さず、全部教えてくれ。俺たちも力になる。お互いに情報を交換しよう。それで、対策もとれるかもしれないし、お前に何か危害が及ぶことを防げるかもしれない」

「妙な事件? 今日も?」

 菅原は、僅かに目を見開いて言った。一平太の言葉が、明らかに彼の関心を引いたようだった。

 まず一平太は、朝に起こった「首なし仏像写真事件」のことを説明した。それを引き継いで、比呂が彼自身に起こった一連の出来事を語り始めた。

 事件の概要を一つ聞くごとに、菅原の顔色はみるみる緊張を増していった。

 話の最後に、比呂は決定的な質問を菅原にぶつけた。

「で……その時に僕の頭の中に、ある光景が入り込んできたんだ。頭にすっぽりスーパーのレジ袋を被ったセーラー服の女子が、カッターナイフを握って襲い掛かってくる姿だよ。同じものを君も見たんじゃないのかい? あれは、君の視点から見た物を、こういう言い方は好きじゃないけど……一種の霊感的な能力で、僕が垣間見た物だと思ってるんだ」

 菅原は、呆けたように口を半開きにしたまま、比呂の話に聞き入っていた。その表情が、逆に彼が受けた衝撃の大きさを物語っていた。

「その時僕は、同時に言い知れない恐怖を感じ取ったんだ。しかも、それは僕自身の感情じゃなかった。あれはきっと、視覚情報と同じで、その瞬間に君が抱いた感情だったと思うんだ……」

 決定的証拠を突きつけられた殺人犯のように、菅原は全てを観念し、自白の決意を固めたようだった。そして、上目遣いで比呂の目を正面から見据えたまま、ゆっくりと頷き、肯定の意を示した。

「マジかよ!……」

 一平太が、横から大きな声で叫んだ。すかさず、由利が人差し指を口に当てる。ここは病院なのだから注意しろ、というサインだ。

「菅原……マジかよ……」

 今度は声をひそめて、一平太は同じ言葉を繰り返した。

「俺たちの話に合わせて、冗談を言ってるんじゃないよな。これは大事な話なんだぞ」

「いや……比呂君の言った通りだよ……階段を昇りきった直後、ほんの一瞬だけど……確かに見たんだ……」

 消え入るような菅原の声は、僅かに上ずっていた。それは、これまで堪えていた恐怖を吐露することで、友人たちに救いを求めているかのようであった。

「菅原、その時気が付いたことは無いか? 何でもいい。相手の人相とか、髪とか、体型とか、そいつの正体を突き止めるような手掛かりだよ」

「判らない……本当に一瞬だったから……セーラー服を着ていて、中肉中背ってこと位しか……あと、レジ袋をかぶっていたことも確かだった。でも……そうだな……レジ袋と、あとカッターナイフだけが、妙に印象に残ってる。それだけがくっきり浮かび上がっていてリアルに見えた。レジ袋は細かい印刷まで確認できた。そうだ……確か、ユニバースの袋だった……」

「え?」

 思わず比呂がもらした声が、そこにいた全員の視線を引き寄せた。

「どうしたの? 比呂」

 佳子が声をかけたが、比呂の反応は鈍かった。しばし虚空を見つめ、自分の記憶と対話しているような表情をしていたが、

「そうだよ……思い出した。確かに、ユニバースだった……」

 と、独り言のように呟いた。「ユニバース」とは鎌倉市では有名なスーパーのチェーン店だ。

「本当かよ、比呂!」

 一平太は色めき立った。

「うん……間違いない……今の話を聞いて、フッと思い出したんだ」

「おい、これは一大事だぞ。どういう事か判ってるか? 幾ら、お前が幻視したと主張していても、同じ物を菅原が見ていないのなら、それは単なるアル中患者の幻覚と同レベルの与太話でしかない。今まで俺は、慎重に発言を控えていたんだが、半分はそう思っていた。しかし、こうして二人の証言が細かい所まで一致したってことは、どうやら本当にそんな殺人鬼が実在したってことを意味してるんだ。とんでもない事だぞ!」

 いよいよ興奮を抑えきれなくなった一平太は、壇上に立った独裁者のごとく力説した。

 由利は、そんな一平太の大演説に水を差すように、冷静な声で付け加えた。

「待ってよ。まだ、人が死んでいる訳じゃないから、せいぜい『殺人未遂鬼』でしょ?」

「まあ……そうだな……」

「もっと言えば『殺人未遂』ですらないかもしれないわ。だって、その『カッター女』はその後で何処に行ったの? 本当に殺意があったのなら、階段から転げ落ちた菅原君を追いかけて行って、頸動脈を切り刻んでなきゃおかしいわよ。単に、驚かせることだけが目的の愉快犯だったかもしれないでしょ?」

「まあ、その点は置いとくけど……こうなると、ポイントは次の二つだ。一体『誰が』『何故』菅原を襲ったのかだ。で、俺は『何故』については、ある仮説を持っているんだ」

 一平太は菅原を正面から見据え、彼に語り掛けるようにそう言ったが、

「仮説……?」

 菅原はおうむ返しに呟いた。

「菅原……確かに、そんな奴に襲い掛かられたら、驚くのは当然だ。しかし、それだけじゃ、お前が階段から落ちた後でそこまで取り乱した理由としては不自然だな。俺は、お前が『カッターナイフを持った女子高生』に、その前から触れていたんじゃないかって思ってるんだ」

 菅原は、図星を突かれたと言わんばかりに、あからさまに視線を泳がせた。

「はっきり言おうか。俺は、。そして、添付されていた『V.H.最終章』を読んだ。さっき、比呂の話を聞いていた時の、お前の表情を見てそう思ったんだよ」

 それは、菅原にとって、最も直視したくない現実だったのだろう。今にも号泣しそうに顔面が歪み、唇は小さく震えていた。その様子は、決定的な告白の第一声が、喉元まで出かかって止まっているようだった。一平太は、菅原が無言であることは、彼の肯定の意であると解釈した。

「やっぱりかよ……で、それはいつだよ」

「お……一昨日の夜……俺の部屋に置いてあるノーパソに送られてきたんだ」

「全部読んだのか?」

「い……いや、比呂君が読んだ所よりも、すこし手前までしか読めなかった……どういう訳か怖くなった……どうしようもなく怖くなったんだ……それでファイルを削除してしまった……すまん、やっぱり完全に削除してしまったんだ……」

「お、お前もかよ! 畜生!」

 二人のやり取りを聞いていた比呂が、ここで口を挟んだ。

「でも、ペータ。さっきお前は『何故』と言ったよね。菅原君がメールを送られたからって、そんな風に襲われる『理由』にはなっていないと思うけど?」

「いや、正確には『理由』じゃない。

「ちょ……ちょっと待ってよ! それじゃ僕もメールを送られたんだから、これから襲われる可能性があるってことか?」

「ああ、俺はそう思ってる」

 一平太は、事もなげに、そんな恐るべきことを言って比呂を唖然とさせた。

 しかし、その仮説に最も衝撃を受けていたのは、実は佳子だった。

「メールを送る事」が襲撃の予告……?

 馬鹿げている……

 理性ではそう思いながらも、何故か途方も無い恐怖を感じる。身体の奥から高潮のように震えがせり上がって来る。

 では、一体そんなことを何処の誰が……?

 仮説でもいいから、何としてもその正体を知りたいと佳子は思った。その者の姿も目的も判らないままでは、余りに恐ろし過ぎるではないか。

 佳子は、意見表明をするために、一平太の顔を見ながら小さく挙手をした。

「でも、ペータ君。じゃあ『誰が』ってことについては、仮説はあるの?」

 すると、一平太は両手を広げ、おどけた表情で「お手上げ」のポーズをした。

「いや、それについては、まだ特に考えてないんだよ。今はまだね……」

「でも、セーラー服を着ていたんだから、少なくとも女子であることは確実よね?」

 すると、一平太はそれに対して「待ってました」と言わんばかりに、得意げな表情を返した。

「佳子、お前『凄く重大なファクター』忘れてないか? 当事者だろ?」

「当事者……?」

 その言葉は、佳子の胸にチクリと突き刺さった。しかし、彼が何を言わんとしているのかは全く判らなかった。

?」

「あ……」

 佳子は、完全に虚を突かれ、言葉を失った。言われてみれば、確かにそうだ。しかし、あの事件がそういう形で繋がりを持つ可能性があるとは思ってもいなかった。

「ま……まさか、そんな事有り得ないよ!」

 横から大きな声で異議を申し立てたのは、常識人の比呂だった。すかさず、一平太は動じることも無く反駁する。

「何でだよ。俺たちはもう夏服になってるんだぞ。ズボンの裾をまくれば、男子の制服の上から女子の制服を着たり脱いだりするのは、それほど時間のかかる作業じゃないぞ。レジ袋を頭にかぶるなら、顔も髪型も関係ない。小柄で細身の男子だったら、あっという間に、中肉中背の女子の出来上がりだ。

「いや……でも、幾らなんでも……」

 比呂は敢然と反論を試みようとしたが、口ごもってしまった。

「いいか、これは大前提として『馬鹿げた出来事』なんだ。だったら、盗んだ女子の制服を男子が着込むことが『馬鹿げている』なんて考えるのはおかしいだろ。今の時点では、中肉中背の人物なら、性別に関係なくこの学校の全ての生徒が『バリアント・ヘッド』の正体たり得るんだ。いや、ことによったら、学校の外部の人間かもしれないしな……」

 ここで、一平太の独演会に、由利が全く別の角度から疑義を唱えた。

「ちょっとペータ。そこまで可能性を広げるんだったら、そもそも犯人が『生きた人間』だって確証だってないんじゃない?」

「というと?」

姿?」

 一平太は、反論されたにも関わらず、心から楽しそうな表情になった。

「ユニバースのレジ袋をかぶった幽霊なんて、姉ちゃんは聞いたことある?」

 流石の由利も、この突っ込みに対しては、思わずたじろいだようだった。確かに、そんな幽霊話は前代未聞だ。

「う~ん、そりゃ無いけど……しょっちゅう幽霊を見てる私からすると、そういう人間ってのは、それ以上にあり得ないと思うのよ。幽霊の方がまだ説得力があるわ」

「じゃあ、更衣室や佳子のロッカーの鍵が開けられたのも、制服が盗まれた事も幽霊の仕業?」

「う~ん。そうかもしれないし……」

「歴史の資料集の一ページから、仏像の頭部をカッターで切り取って、佳子の机に入れたのも幽霊の仕業?」

「う~ん……」

 一平太はニヤニヤとほくそ笑みながら、考察を続けた。

「ねえちゃん、俺だって常にその可能性は考えてるよ。俺を誰だと思ってるんだ。推理小説は好きだけど、その何倍も怪談が好きで、何かが起こるごとに、心霊現象に結び付けたがってるような人間だよ。でも、そんな俺の目から見ても今回は無いよ。心霊現象として解釈可能な一線を越えている。残念ながらね」

 残念ながら、というのは恐らく一平太の本音なのだろうと佳子は思った。彼の言い分に納得も行った。しかし……何かが、釈然としない。

 由利は、論破されそうになりながらも、一平太に前腕部を差し出して、あくまでも抵抗を試みた。

「まあ、理屈ではペータの言い分も判るのよ。じゃあ、私が感じてるこの気持ち悪さは、一体なんなの?」

 彼女の極めの細かい白い表皮に、びっしりと鳥肌が立っていた。

「理屈ではともかく、本能的に納得が行かないのよ。さっきから、菅原君の話を聞いてる時から、ずっとゾワゾワが止まらないの。先月の比呂君の事件よりも、もっと性質が悪い何かがあるようにしか思えないのよ」

 佳子は身震いをした。自分が感じていた怖れを、正しく由利は代弁してくれたのだ。確かに、それは論理ではなく、あくまでも感覚的な物なのだ。

 由利が言う「先月の事件」とは、比呂が悪質な女性の霊に関わって、危うく命を落とす寸前まで行った件のことだ。その記憶が生々しい佳子にとって、それよりも性質の悪い何かという由利の言葉は、第一級の警報なのだ。

「まあ、慌てる必要は無いよ。俺達は情報が足りないんだから。これから、もう一つ行く所があるだろ?」

 謎かけのように、一平太はゆっくりと三人の顔を見回してから、その後を続けた。

「桐谷の所に行こうぜ。一体、あいつが何で今日欠席したのか、聞かなきゃいけないよ」


☆                    ☆


 四人が「大船」駅からJRに乗り「藤沢」駅に着いた時には、午後5時半になっていた。

 桐谷の自宅は、駅から徒歩八分ほどの場所にある。一平太は、そこへ何度か遊びに行ったこともあるので、地図も見ないで四人を先導して行った。目的の六階建てマンションに着くと、四人はエレベーターで三階へと昇って行った。303号室の表札に「桐谷」の文字を確認すると、一平太は遠慮なくブザーを押した。間もなくして、インターホンから女性の声が返って来た。

「はい」

「あの、二年A組の楠木ですが、今日のプリントを持ってきました」

「ああ、楠木君ね。ありがとう」

 ドアを開けて姿を現したのは、桐谷の母だった。小柄でふっくらした、いかにも人の良さそうな顔立ちの女性だ。外に四人も人間がいたためか、少し驚いた表情をしている。

「まあ、わざわざありがとうございます」

「あの、修二君に何かあったんですか? 今日は無断で欠席したから心配になったんです」

 佳子は、内心で苦笑した。一平太は、オカルト繋がりで桐谷と仲がいいのは確かだが、間違っても欠席した友人を心配するような、殊勝な心がけを持っているとは思えない。

 すると、桐谷の母は急に表情を曇らせて。

「そうなんです。今日は、朝から様子がおかしいんですよ」

と言った。

「病気なんですか?」

「いえ……そういう訳じゃないと思うんですけど、今日はどうしても学校に行きたくないって言って、私と喧嘩になったんです……」

「ええと、修二君と話が出来ますか?」

「ええ、お願いします。友達相手なら素直に話が出来ると思いますから……どうぞ上がって下さい」

 一平太が望んでいた通りの展開になった。桐谷母のお墨付きも得られたので、四人は玄関に入り、奥の部屋へと進んでいった。

 一平太は、桐谷の部屋のドアをノックするや、相手の返答も待たずにノブを捻ろうとした。しかし、内側から施錠されているのか、開ける事が出来ない。

「おい、桐谷! 開けてくれ。俺だよ!」

 一平太は呼びかけたが、しばらく待っても返事は無かった。

 業を煮やした一平太は、財布から十円硬貨を取り出すと、ノブの上にある小さな円形のパーツにはめ、カチャンという音と共に、九十度回転させた。外から簡単に開けられる室内用の鍵なのだ。

 ドアが外側に開かれ、四人は桐谷の自室に足を踏み入れた。趣味のアイテム、脱ぎ捨てた衣服、雑多なゴミの類などが、所狭しと床に散乱している。

 佳子は、男子の部屋と言えば、几帳面に整理が行き届いた比呂の部屋しか入った事が無かった。このような、平均的男子高校生の乱雑な部屋は、佳子にとって少々刺激の強い物だった。

 壁際に置かれたベッドの上で、桐谷は布団に包まっていた。

「よお、どうしたんだよ。様子を見に来たぜ」

 一平太が声をかけると、桐谷はそれには答えずに、上半身をのそりと起こした。

 寝巻きがわりのジャージを着たままだが、寝ていたわけでは無さそうだった。

「何で、今日無断欠席したんだよ。何かあったのか」

「い、いや……別に何でもない……」

 桐谷の表情には、濃い焦燥の色がにじみ出ていた。目はうつろで、声にも普段のような覇気が全く感じられない。

「いいや、全然何でも無いようには見えないぞ……とりあえずさ……」

 と言いながら、一平太は顔を右へ向けた。

「あれは、一体なんなんだよ。それから説明してくれ」

 佳子は、一平太の視線の移動に誘導されて、とある奇怪な事実にようやく辿り着いた。

 室内が余りにも散らかっていることに気を取られて「それ」に気が付かなかったのだ。

 桐谷の部屋は南側に面しており、ベランダに出るためのサッシがあった。そのガラス面が、一分の隙間も無く、びっしりと新聞紙で目張りされており、サッシの枠も全周に渡ってガムテープで固定されていた。すなわち、外の様子が全く見えないばかりか、開けることも出来なくなっているのだ。さらに奇妙なことに、カーテンレールはついているのに、カーテンが下がっていなかった。すぐに佳子は、サッシの手前の床に、カーテンらしき布が丸めて置いてあることにも気がついた。つまり、カーテンはつけていなかったのではなく「外した」のだろう。

 明らかに尋常な状態ではない。

 佳子は、両の拳を握りしめ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 ふと、横に立っている比呂の顔色を伺うと、その事に気がついているのかいないのか、特に何も感じていない様子だ。一方、由利はしきりと指の腹でこめかみをマッサージし、落ち着かない様子だ。やはり気味の悪い「何か」をこの部屋から感じ取っているのだろうか。

「出たんだよ……あれが……」

 一平太と視線を合わせることなく、虚空で焦点をさまよわせながら、蚊の鳴くような声で桐谷が呟いた。

「出た? 何が?」

 桐谷の声につられて、一平太も声をひそめて尋ねたが、

「出たんだよお! バリアント・ヘッドが! やべえよ! やべえんだよお!」

 突然、桐谷は眉間にしわを寄せ、かすれた声で叫んだ。心臓が跳ね上がり、佳子は思わず小さな悲鳴を飲み込んだ。

「そこ! ドア閉めてくれよ! 鍵をかけてくれよ。早くしてくれよ!」

 桐谷が、四人が入って来た部屋のドアを指さした。一番ドアの近くにいた比呂が、あわててドアを閉め、ロックもかけた。

「お、おい! 何だよ、落ち着けよ。説明してくれ、出たってどういうことだよ!」

 一平太は桐谷をなだめようとしたが、彼自身も興奮を抑えきれていなかった。

「説明って……そのまんま『出た』ってことだよ! 俺は、今朝もベッドで普段通り目を覚ましたんだ。それで、朝飯を食おうと思って、身体を起こして部屋を出ようとしたんだ。そのドアを開けた瞬間の事だった……いきなり、外に立ってたんだよ! 頭の無い、首の切り口からダラダラ血を流した、セーラー服の女が! 俺は心臓が破裂するほど驚いて、振り向いて逃げ出そうとしたんだ。そうしたら、今度は、そのサッシのガラスの向こう側に……ベランダにその女が立ってたんだ! 俺が振り向いたと同時に、そっちへ移動してたんだよ! 俺は悲鳴を上げたんだ! 上げたつもりだったんだ! その時に本当に目を覚ましたんだよ。それまでは目を覚ましたと思っていたけど、まだ夢の中だったんだよ!」

 桐谷は猛烈な早口で一気にまくし立てた。

「なんだよ。じゃあ『出た』ってのは、夢の中でってことか?」

 一平太の声には、途端に失望のトーンが混じっていた。

「そうだよ……俺も、ああ今のはただの夢だったんだなって思って……ようやくほっとして、立ち上がって部屋の中を見回したんだ。確かに、考えてみればおかしいんだ。俺は、寝る前にカーテンを必ず閉めるから、目を覚ました時にベランダの外が見えるはずが無いんだ……そう思って、カーテンが閉じられたサッシを見たんだよ……」

 桐谷の声が、今にも泣きそうに震えていた。きっと、彼の頭の中では、今朝体験したことが、正に目の前で起こっているかのように再生されているのだ。

「そうしたら……そうしたら……カーテンと床の隙間から……足が出ていたんだ! 靴を履いた、女子の足が二つ、床を踏みしめてたんだよ! 俺は、悲鳴を上げて逃げようとして、つまずいて床に転んだんだ! それで、それで……起き上がってからもう一度見た時には、消えてた……消えてたんだ…………それで……今度も夢であって欲しいと思ったけど、違った……それからは、全く目を覚まさずに……今まで時間が経ってるんだよ……なあ……今って夢の中か? そうだろ? ペータ、答えてくれよ! 夢の中なら夢の中だって言ってくれよ!」

 桐谷は、ようやく一平太と正面から向き合って、涙声で訴えた。

「だから、カーテンを外したのかよ……サッシとカーテンの間に誰も立てないように……」

 一平太は、あくまでも冷徹に桐谷に語りかけた。

「いや、残念だけど桐谷、今は現実なんだよ。てことは、今朝起こったことも、あくまでも実際に起こった出来事ってことだ」

 胸に溜め込んだものを一気に吐き出したためか、桐谷の表情を見ると、精神状態が幾分落ち着いてきたようだった。

「そうか……じゃあ、やっぱり出たんだ。バリアント・ヘッド……と言うより、カムロミサが……」

「え? カムロ……何だって?」

「カムロミサ……」

 桐谷の口から発せられたその「名前」が、落雷のように佳子の身体を突き抜けた。

 目が眩み、一瞬自分がどこに立っているのかも判らなくなった。

 しかし、一体その感覚、恐らくは「恐怖」が、何から起因するものなのか、佳子には全く判らなかった。桐谷が朝に体験した出来事を恐ろしく感じた、という事とも少し違っているような気がする……

「おい、何だよそれ……人の名前か?」

「『V.H.最終章』に出てくる……幽霊だよ……」

 桐谷は、切羽詰まった声を、やっとのことで絞り出した。

「お、おい! やっぱりお前『最終章』の事知ってたのかよ!」

「え……? お前こそ『最終章』を知ってるのか? 何で?」

 一平太と桐谷は、驚愕の表情を、互いに共鳴する音叉のように見せ合った。

「ちょ……ちょっと待て桐谷。それは後で説明するとして、俺はそのことについて……『V.H.』の事で、一つ大きな疑惑を持ってたんだよ。正直に白状してくれ!」

 桐谷は、にわかに神妙な顔つきになった。それは、一平太が切り出した意味深な言葉に、思い当たる節があるからなのだろう。

「『V.H.』の?」

 それを言われた瞬間、桐谷は大きく目を見開いてから、ばつが悪そうに一平太から視線を外し、消え入るような小声で答えた。

「ああ……そうだよ」

「ええ?」

 比呂、佳子、由利の三人の声がほぼ同時に発せられた。それは、彼らが全く想定していない事実だった。

「その通り、俺が書いたんだよ……何でわかったんだ?」

「簡単だよ。お前が文芸部の活動で書いた別の作品……あれはホラーじゃなかったけど、前に読んだからな。文体が全く同じなんだよ。初めに『V.H.』読んだ時からそう感じてたんだ」

「そ、そうだよな。お前、本を沢山読んでるからばれるよな……」

「だったら『最終章』もデータはお前が持ってる訳だろ。見せてくれよ」

「いや、そうじゃない。そういう事じゃなくて……俺が書いたのは、あくまでも『十二章まで』なんだ。。少なくとも書くって言っていた。だから、俺はそっちの方は読んでいないし、細かい内容までは知らないんだ!」

「はあ? どういうことだよ、それ」

「実は……そもそも『V.H.』はアキラの最初の構想では『最終章』の内容だけしか無かったし、題名も違っていたんだ。そして、そのストーリーには、登場キャラクターが書いたという設定のホラー小説が存在していたんだよ。構想の段階で、アキラが俺のアドバイスを色々と受けるうちに、どうせならその「小説内小説」を、別個の作品として、実際に俺が執筆したら面白んじゃないかって話になった。それと、アキラが書く『本編』とをセットにして、一つの作品にすることになったんだ。それで、俺は自分が好きなアメリカンホラー映画のテイストを盛り込んだホラー小説を、コラボレーションとして書いた。その題名の『バリアント・ヘッド』が、アキラが書く『本編』と合わせた、作品全体の題名にそのままなったんだよ……」

「それで、アキラが執筆する『本編』部分は、そのまま『V.H.最終章』になったってことか……それで、さっき言った『カムロミサ』っていうのは?」

「『最終章』に出てくるキャラクターに『アキオ』っていうのがいるらしいんだ。そいつは小説内小説の『V.H.』を執筆した作者という設定になってる」

「ええ? アキオ~? 何だよ、それ。冗談みたいな名前だな」

「そうなんだよ……それで、『V.H.最終章』の小説内世界には、『小説内都市伝説』もあるんだよ。『カムロミサ』っていう名の、首を切断されて死んだ女子高生の幽霊が出るっていう話だ。『アキオ』はそれをモチーフにして、首を挿げ替える死霊の設定を思いつき、小説を書いたって『設定』なんだ」

 桐谷の話を聞いて行くうちに、佳子は、先ほど自分を襲った衝撃の正体が、徐々に浮かび上がって来たように思えた。

 カムロミサ……

 その名を耳にした直後、佳子は気がついたのだ。

 を。

 しかし、一体「いつ」「どこで」「何故」知ったのだろう……それは、やはり判らなかった。

 そんな佳子の思いをよそに、一平太は桐谷に話の続きを促した。

「それで? その『カムロミサ』は、『V.H.最終章』の中でどういう役割を果たすんだ?」

「自分をモチーフに、面白おかしく小説を書かれたことで、『カムロミサ』は怒るんだよ。それで、『V.H.』を読み終わった『アキオ』のクラスメートの女子生徒の元に『カムロミサ』が現れて、カッターナイフで滅多切りにして殺す……そういうストーリーらしいんだ……」

 この家に入って以来、始終口をつぐんでいた由利が、ここで初めて口を開いた。

「ちょ、ちょっと待って! そういう話だってのは、初めて聞いたわ! それどういうこと? V.H.?」

 一平太は、真剣そのものだが、同時に如何にも楽しそうな表情で由利に答えた。

「ああ、全くその通りだよな。しかも、『カムロミサ』まがいの殺人未遂鬼が現れているってことも含めてね」

 女教師が生徒を詰問するような口調で、由利がさらに追及した。

「で、桐谷君。それじゃ、その『V.H.最終章』の中で、結局、作者の『アキオ』はどうなるの? 筋から言えば、そのカムロ何とかの恨みを最優先に買うべき人間は、小説を読んだ読者達よりは、作者である『アキオ』ってキャラクターだと思うけど……?」

「それは……ええと……」

 にわかに桐谷の声が、か細く震え始めた。

 何かの影に怯えているかのように、身体をそわそわと動かし、目の焦点をうろうろと彷徨わせている。

 何らかの要因が、再び彼の精神を不安定にさせているのだ。

「た、確か……小説の最後で惨たらしく殺されるらしい……少なくともその結末だけは決まってるんだって……アキラは……言ってた……」

 桐谷の変調に気が付いた由利は、優しく諭すような声で彼に語り掛けた。

「じゃあ、仮にとするなら、今行方不明になってるアキラって子は、どこかでもう死んでる……? あるいは、これから殺されるってことなの?」

「いいや! 違う……! 違うんだ! 『V.H.最終章』の中での『アキオ』のポジションに、この現実で立たされているのは、アキラじゃない! そうじゃないんだよおお!」

「お、おい落ち着けよ、桐谷! 一体、何言ってんだよ!」

 再び取り乱した桐谷を、一平太はなだめにかかった。しかし、そう言う彼自身も幾分興奮気味だ。

「だって、『V.H.』の作者は俺なんだぞ! これまで、みんなに回し読みされてきた小説である、『V.H.十二章まで』を考案して執筆したのは俺なんだ!  !」

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