第3章 そして出会う

 周りの人からの印象が悪くなって、私たちはとっても困って、父の思惑通りに王国に飼われるしかなくなった…なんてことは全然なかった。

 確かに人からの視線や向けられる感情は割ときつかったけど、もともと人とはあんまり交流してなかったし。狩りの成果自体はそれまで以上に充分に出してたから、戦士ギルドそのものが私達を邪険に扱うことはなくて。戦士ギルドやその他のお店なんかは、私達との取引に普通に応じてくれたから、生活そのものに困ることはなかった。ディナーが仲間になってくれたおかげで、戦力的にも困ることはなくなったしね。


 ドラゴンウルフはゼリュトックにかかれば全然大した相手じゃなかったけど、私じゃ全然かなわないくらいには強い。大きな体も鱗に覆われた四肢も強力だけど、やっぱり一番強いのは尻尾だね。体と同じくらい長くて、鱗に覆われて堅くて頑丈で、それでいてものすごい力で自由自在に動かせる。普通の狼なら真横や真後ろへの攻撃手段はないんだけど、ドラゴンウルフに限っては正面よりも真横や真後ろの方が危険なんだよねえ。尻尾で刺されちゃうから。

 そんなドラゴンウルフのディナーが前衛のゼリュトックと後衛の私のちょうど中間に入ってくれたから、私に近づいてくる相手がいたらディナーが守ってくれるようになったし。ゼリュトックに苦戦はないけど、獲物が多くて手数が足りないってときはたまにあるから、そういう時はディナーが前衛に出て手伝ってくれるようになったし。はっきり言って、ディナーの加入でパーティが完成しちゃったんだよね。もう人の助けなんて必要なかった。


 ドラゴンなんかと戦うのは流石に無理だったと思うけどね。ドラゴンウルフの鱗の頑丈さを見るに、たぶん普通の剣や矢じゃ攻撃が通らないよ。でも、あとは武器と連携でどうにかなるかもしれないって思えるくらいには私達は強かったし、バランスがよかった。


 実は、もしかして私は生物の仲間を増やせるのかな? って思って、いろんな生物と交流しようとしたことがあったんだけど、全然ダメだった。私の意識を送りつけても、知能が低いと複雑な考えは理解してくれないし、相手からの返事もいまいちまとまりがなくて要領を得ないんだよねえ。

 ロファセットの森で一番知能が高いのはたぶん熊だけど、それでも単語レベルのやりとりしかできなかった。しかも、私が「ご飯あげるよ」「敵じゃないよ」「殺さないで」って言ってるのに、大喜びで襲いかかってきたり、満腹だったらそもそもこっちも見向きもしなかったり。やっぱり眷属って単純な身体能力とかだけじゃなくて知能も高くなるみたいだね。結局、ディナーさえいてくれれば充分だったけど。

 まあ、せっかくわかった私の力が全然使い物にならなくて、ちょっとだけがっかりはしたかな。結局本当の「野獣姫」にはなれなかったんだよねえ。


 そんなわけで、父の狙いに反して私達はあんまり困ることもなかったんだけど。それでも困ったことが、二つあってね。


 一つは装備の問題。武器や防具を扱ってるお店の人は、私達のことをそこまで邪険に扱ったわけじゃなかった。でも、私達のことをよく思わない人もいたから、そうなってくると私達がお店に行くだけでも迷惑をかけちゃうことになるんだよねえ。

 だから、私達は自分の装備を自分たちで作ることにしたの。そうだよ、私とゼリュトックで作るの。ゼリュトックは昔、自分の狩った獲物を自分で加工してたことがあったみたいでね。ゼリュトックは専用の道具を持ってたし、顔見知りの職人さんもいた。その職人さんに頼み込んで、私達と個人的な関わりを持ったことがばれないように、人目を盗んで色々教えてもらったの。ゼリュトック様には昔お世話になりましたから、って。人々に疎まれて、人間がどんどん嫌いになってたあの頃の私が「いい人だ」って思うくらい、いい人だったよ。


 私が教わったのは加工の基本で、ゼリュトックが教わったのはもう少し高度な技術。あとは二人でたくさん練習して技術を身に付けた。設備を準備できなかったから二人とも金属の類は扱えないんだけど、それ以外だったら自信があるよ。例えば防具とか…あと弓矢とかね。私の弓矢はお手製なんだ。よくできてるでしょ?


 でね、もう一つ困ったことがあって。私達が狩りや買い出しで留守の間に、家にいたずらされることが増えたのね。落書きされたり、壁が一部壊されたり。一回その辺りに駐在してる兵士に訴えたことがあったんだけど、軽く流されちゃってね。たぶん取り合わないように言われてたんだろうねえ…偉い人から。


 狩りに行く以上は長く家を空けるのは日常茶飯事だし、近所の人たちだって「出ていけ!」とは言わないけど、かといって友好的ってわけでもなかったから頼れなくて。このままじゃいつか泥棒に入られることもあるよね、ってことになって。

 結局、買い出しに行ったり家で休憩する時以外は家に帰らずに、貴重品や道具なんかはいつも持ち運ぶことにしたんだよね。ちょっと重かったけど、ディナーが力持ちでかなりたくさんの物を軽々運んでくれたから、そこまで大変でもなくて。そのせいで、狩りがどんどん野宿前提の遠征みたいになっちゃって。

 それで、気づいたらロファセットの森にいくつか作った野営地で過ごす時間の方が長くなってたんだよねえ。


 これはね、装備を私達だけで整えられるようになったのも大きな理由だった。私達が生きていくのに必要なもののほとんどは、ロファセットの森で揃っちゃうんだよねえ。水もある、食べ物もある、料理もできる、装備も整えられる。日用品だって作れるし、時間と手間さえかければ簡単な小屋だって作れちゃう。だから、どんどん家に帰る必要もなくなっていって。たまに帰ったら、家はやっぱりところどころいたずらされてるのね。それでうんざりして、またロファセットの森に籠るの。


 人から疎まれて森に籠る生活。それでも私は全然平気だった。人間のことは結局好きにはなれなかったから、人間から離れること自体は嫌じゃなかった。

 私には、ゼリュトックとディナーがいてくれたから。人々が私達に向ける感情にもやもやしながらあそこにいる意味なんて、私にはなかった。それに、私には目標があった。武で名を挙げて人々に認めてもらうこと。それが、王城での一件を経て、もっと具体的なものに変わってた。


 私はね、五剣王を目指すつもりだった。武だけで人の世は生きていけない。せいぜい権力者の役に立つ道具になるだけ。顔に傷がつく前の私なら、母のための道具になることに抵抗はなかったかもね。でも、もう偉い人たちのくだらないやりとりに巻き込まれて、嫌な思いをしたくなかった。

 だから、権力を手に入れようと思ったの。誰よりも強くなって、正式な決闘の場で五剣王の誰かを倒して、実力で五剣王になる。そうすれば、誰にも邪魔されずに、思い通りに生きていけると思ったの。ずっと王族の事情や都合に振り回されてきたけど、力があれば自由になれるって思ったの。

 ロファセットの森に籠ることは、夢の実現に近づくってことだと思ったから。ロファセットの森での暮らしは、確かに家での暮らしより快適とは言えなかったけど、それでも我慢できたのは私に夢があったから。あの頃の私は、強くなることしか考えてなかった。


 まあ…こうなった以上は、五剣王にはもうなれないんだけど。そのおかげで今こうしてアキラ様の役に立ててるんだから、あの頃の頑張りは無駄じゃなかったと思ってるよ。

 謝らないでよ、アキラ様の側にいるのは私自身の意思でもあるんだから。不自由なんて思ったことはないよ。


 そうやって、強くなることを一番に考えながら、人から離れて暮らして一年が経った頃にね。私達の野営地の中で、一番王国に近い野営地が荒らされたことがあってね。

 置いてたのは幸いにも全部の野営地に買い置きしてあった調味料だけで、被害は大したこと無かったんだけど。今後、本当に貴重なものはなるべく誰も来られないような所で保管した方がいいって話になってね。ロファセットの森の奥の奥の方まで、取り敢えず行けるところまで行ってみようって話になった。


 王国から一番遠い野営地まで10日。そこにいったん大切なものを全部置いて、更に5日奥に進んで新しい野営地を作って、新しい野営地に大切なものを運び込んで。そこを拠点に周辺を散策してたのね。


 そうなんだよ、私達があの日、あそこにいたのはそういうわけだったの。まさか、魔物が出てくるとは夢にも思わなかったよ。しかも、その魔物とこんな関係になるとはねえ。




****************************




 新しい野営地から、更に5日くらい奥に進んだところで、遠くからたくさんの生物が飛んでくるのがわかった。最初は鳥かなと思ったんだけど、近づいてくるにつれて、飛んできてるのがもっと知的で統率された生物みたいだってことがわかってきて。

 最初は信じられなかったけどね。だって、そんなに知性の高い鳥がいるなんて見たことも聞いたこともなかったから。すっごく嫌な予感がして、ゼリュトックとディナーにそのことを伝えて、迎撃の体勢を整えているうちに、あっという間に囲まれちゃった。翼の生えた狼に。


 正直かなり焦ったよ。だって、どう見ても何かの魔物の眷属だもんね。しかも、鳥なら狩ったことあるけど、空飛ぶ狼と戦う想定なんてしたことないから矢もなかなか当たらないし、ゼリュトックもディナーもこっちからは攻められないし。


 空を飛べるってそれだけで強いよ、生まれた時から翼のあるアキラ様にはわからないかもしれないけどね。この森に鳥がいないのって、鳥は飛べるから生存競争で有利なのに、この森の生物…眷属はみんな飛べちゃうから生き残れなかったんだと思うんだよねえ。逆に言えば、飛べるってことはそれだけで生き残るための手段として有効だってこと。


 戦闘でも、狼は一斉に空中から襲いかかってきてね。私とディナーで牽制してるところをゼリュトックが近い順に切り捨ててくれて一度はしのぎ切ったけど、ゼリュトックの消耗がひどくて、剣も一本折れちゃって…もう一度数で押されてたら崩れてたかもしれない。でも、ゼリュトックの力を警戒して、狼たちはなかなか襲ってこなかった。


 アキラ様が来たのはその時だよ。

 グリフォンのことは伝承でしか知らなかったけど、一目見ただけでわかった。いや、伝承なんて知らなくても、見ただけで魔物だってことはわかっただろうね。全長4mはある生物が、片翼8mの大きな翼で暴風を巻き起こしながら現れたんだよ? しかも上半身は鷲、下半身は大きな猫…王国周辺には生息してないけど、獅子っていうんだよね。どう考えてもまともじゃないし、眷属の翼は見るからにその翼の影響を受けたものだったし。


 見た目がすっごく怖くて、これはもうダメかなって思った。狼もあっという間に逃げちゃったくらいだし、これはどうしようもないかなって。でも、よく注意してみたら、敵意とか殺意とかそういうのは全然感じなかったのね。どっちかっていうと、なんだか困ってる感じ。もしかしたら交流できるかもしれない、むしろ生き残れるとしたら話し合いしかない、って思ってね。


「ゼリュトック。」

「はい、シノリア様。到底勝ち目はありませんが、せめてシノリア様だけでも」

「ちょっとお話してみるね。この魔物と。」

「はい、私の合図で…なんですって? シノリア様!?」

「今のところ、敵意はないみたいなの。もしかしたら話したらわかってくれるかもしれない。」

「何を言っているのですか!? 仮に今敵意がなくても、魔物がその気になれば我々如きは木端も同然。わざわざ自分から相手を刺激するなんて自殺と同義です! あなたは魔物に対して夢を見過ぎだ!」


 ゼリュトックは私のことを、私よりもよくわかってた。

 私なりに現実的な打開策を提案したつもりだったんだけど、「魔物に対して夢を見過ぎ」っていう言葉には、完全に図星を突かれて。ついカッとなっちゃったんだよね。


「じゃ…じゃあ他に何か手があるっていうの!?」

「こちらより強い相手が様子を見ている場合は、その隙になるべく刺激せずに距離を取り、攻撃をしのぎながら逃げに徹するべきです。いいですか、私が注意を引きますので、私の合図に合わせてシノリア様はディナーとお逃げください!」


 ゼリュトックは、自分の命を使って私を逃がすことしか考えてなかったみたい。勝手だよねえ、私にはもうゼリュトックとディナーしかいないのに。


「それはできないよ、ゼリュトック。今ゼリュトックやディナーがいなくなったら、ボクの世界は真っ暗だから。全滅することはあっても、誰かを置いていくなんてできない。」


 はっきり言い放って、アキラ様と向き合った。うろたえるゼリュトックを無視して。この時のことは、あとでゼリュトックにすっごく怒られたけどね…でもアキラ様、あの時私達が逃げ出してたら殺してたでしょ? そうじゃなくてもフォン様から守ってはくれなかったんじゃない?


 ふふ、じゃあ私が正解だったね。結果論だけどねえ。


(この地の主とお見受けします。ボクはシノリア・エルゴイ・ミシアフォンと言います。もしよろしければ、お話を聞いてほしいのですが、いかがでしょうか…?)


 私が意識を送ったら、アキラ様はすっごく驚いてたよね。で、私が今まで感じたことのないような勢いで考えごとを始めた。そう、あの日のことは全部覚えてるよ。大事な思い出だもん、私にとっては。


(…。 ……。 ………。 おーい、もしもーし?)


 これね、本当にびっくりした。だって、それまでいろんな生物と交流してきたけど、言葉みたいにきっちり整理された思念が送られてきたことなんて、人間相手でしか経験したことなかったんだよ。あの時は、人間以外で一番頭のよかったディナーでさえ、送られてくる思念はカタコトの意識だったんだよねえ。最近のディナーの思考はどんどん整ってきてるからそうでもないんだけど。


(えー…驚かせてしまったならごめんなさい。俺は…えーっと…そう、この大森林の主の息子です。俺の考えていることは伝わっていますか?)


 しかも、敬語の概念まで理解してて。おかしいよね、アキラ様の方が明らかに立場も力も上のはずなのに、丁寧に敬意を払った意識が飛んでくるんだよ。

 この時点で、私の頭からはすっかり「魔物は敵」って考えが消し飛んでて、代わりに大好きだった神話や冒険譚のことを思い出してた。もしかしたら、このまま物語みたいにこの魔物と仲良くなれるかも知れない!ってね。ゼリュトックは夢見すぎって言ってたけど、むしろ物語が現実を描いたものだったんじゃないか、って思って。それで、慌てて返事をしたのね。


(あっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫、伝わってる…ますよ。今まで人間以外でこんなにも整った思考の生物は見たことなかったので、つい驚いてしまいました。大変失礼いたしました。)

(ああ、そうですか。いえいえ、お気になさらずに。 …おっと。ええと、これは…いったいどうなっているんでしょう? もしかして、今私が考えていることは全部筒抜けだったりしますか…?)

(え、いや、はい、これはボク…私の「魂の力」です。私は自分の意識と他の生物の意識を直接交流させることができます。といっても、相手に伝えたいことを伝えることや、相手が伝えたいと思っていることを受け取ることしかできませんが。)


 もうね、こっちも敬語を使って必死に返事したよ。敬語なんてお屋敷を追い出されて以来使ったことなかったから、全然上手に使えなくてね。戦闘訓練以外のお勉強もちゃんとしてればよかったって、この時ほど思ったことはなかったねえ。一人称が安定しないのが特に恥ずかしかった。いや、「ボク」のままでもよかったんだけど、やっぱり丁寧な言葉遣いにしたくって。


(そうですか、わかりました。それで、質問ばかりで申し訳ないのですが…その「魂の力」とはなんのことでしょうか?)

 (ああ、それはですね。ボ…ええと、私たち人間の魂や、おそらくあなたのような強い力を持つ生物の魂には、個性があります。全員がそうだというわけではないのですが、強い魂を持つ生物の中には、精神を集中させることでその個性に応じた現象を引き起こすことができるものがいるのです。ボ、あー、私の場合はそれが)


 きれいな言葉遣いが全然できなくてモヤモヤしながら一生懸命意識を伝えてたら。アキラ様、反応できないくらいの速さで突っ込んでくるんだもん。

 いきなりとびかかられて、本当に怖かったんだからね!? まあ、すぐに守ってくれたんだって気づいたから、結果的には怖さよりもむしろ安心感の方が強くなっちゃったんだよね。


(あっ…あ…ありがとうございます…!)

(下がってて。たぶん大森林の主に侵入者を許す気はないから。)

(は、はい、いや、でも)

(ああ、そうそう。勝手に逃げないでね。まだまだ聞きたいことがたくさんあるから生かしたいわけで、ここで逃げ出されちゃうと俺が君たちを守る意味ってあんまりないんだよね。)


 こう言われた時には、魔物にとって人間はやっぱり殺す対象でしかないのかなって考えが、ちょっとだけ頭に浮かんだけど。


(わ…わかりました…。)

(よしよし、話を聞かせてくれるなら危害は加えないしちゃんと帰してあげるから。)


 そう言って、私達では到底割り込めないような次元の戦いを繰り広げるんだもんね。私達をフォン様から守るためにだよ? 

 これはもうアキラ様には私達と仲良くする気があるに決まってる、そう思うのも仕方ないよねえ。


 …いや、ごめん。つまり、あの時の私は、物語に憧れちゃうような夢見る少女だったってことだね。

 や、やめてよ…別にちょっとくらい夢見たっていいじゃんか、もう…。




****************************




 アキラ様はフォン様に勝って、フォン様はどこかに飛んで行っちゃった。

 今はフォン様も私達が大森林で暮らすのを認めてくれてるけど、あの時は完全に殺す気満々だったもんねえ…。何が起きてるか私にはいまいちわからなかったけど、フォン様は無傷なのにアキラ様はどんどんボロボロになってくから、正直生きた心地がしなかったよ。

 それでもアキラ様は勝ってくれて、私なんかはすっかり安心しちゃった。ありがとうアキラ様!ってさ。


(お待たせしました。えーと、それでなんだっけ? シノ…?)

(あっ、シノリアです。この度は私たちの命を救ってくださいまして本当にありがとうございました、…ええと。主のご子息様には、お名前はございますか?)

(そうそう、シノリアさんだったね。別にお礼はいいよ、俺が自分のためにやったことだ。それと、今の戦闘で俺が大森林の主になったのでよろしくね。名前…名前かあ…。)


 ここで、今のが日常的に行われるような喧嘩じゃなくて、大森林の管理者としての権限を巡る親子喧嘩だってことがわかった。あまりにも激しい戦いだったから、途中からそんな気はしてたけど。


(いや、さんは要らな…ません。是非シノリアと、気軽に呼び捨てでお願いします。あと、なんだか親子喧嘩の原因を作ってしまったようで本当に申し訳ありません…。)


 なんだか名乗るのを渋ってる様子だったから、名前は聞かれたくないのかな、と思ったのね。だから、取り敢えず先に謝っておくことにしたの。そしたらね。


(いや、そこは気にしなくて大丈夫だよ。いずれ本気で戦うことにはなってたと思うし。そういうことなら呼び捨てにするけど、できればそっちもかしこまるのはやめてほしいかな。敬語は苦手でしょ?)


 これだよこれ! 言っていいことと悪いことがあるよ! 今でも敬語使おうとするとこの一言を思い出すんだからね! 気にしてたのに…恥ずかしすぎて本格的に敬語が嫌いになっちゃったよ、もう…。

 でも、アキラ様といる間はいちいちかしこまらなくていいっていうのは楽だし、それ自体は嬉しかったけどね。


(ええと…いや、そういうわけには…)

(じゃあせめて楽に話してよ、無理してものすごく丁寧にしなくてもいいからさ。)

(うーん…わかりました。)

(よしよし。あと、俺の名前ね。俺はアキラ・オトワ。アキラって呼んで。)

(アキラ・オトワ様ですね。アキラ様…ぴったりの名前だね! …ですね!)


 え、何がぴったりかわからないって? そっか、わからないのか。ずっと気になってたのね。ふふ、ごめんごめん。


 あのね、今の人間の信仰心はあんまり強くないんだけど、昔の人たちは色々な神様を崇めててね。昔の人が考えた神話に登場する神様の一柱に、あらゆる鳥の神「アクィラ」って神様がいるの。どう? アキラって名前、グリフォンの名前にはぴったりでしょ!


 …ねえ、本当に自分で適当につけた名前なの? いや、疑ってるわけじゃないんだけど、わざわざ「オトワ」なんて家名までつけてるなんて凝ってるなあ…ってね。


 そうそう、その後にアキラ様が自己紹介してくれて、私達のことも紹介したんだよね。その途中で、王女とか王国とか家臣とか、普通の生物だったら理解できるはずもない単語を使って自己紹介しちゃってることに気づいたんだけど、アキラ様は私の言ってることが全部理解できてるみたいで、すっごくびっくりしたんだよね。


(王女様だったのか! これはとんだ失礼を。 …敬語を使った方がいい?)


 こんな気の遣い方、魔物が知ってるとは思わないでしょ? というか、現にフォン様はこういう気の遣い方はしないし。

 フォン様の知性自体はアキラ様と同じくらいだと思うんだけどね、意識を送ってもあんまり返してくれないからちょっとわかりにくいけど。アキラ様はいつも「気づいたら知ってたんだ」って言って誤魔化しちゃうから、そういうところは相変わらず謎だよねえ。


 でね、私としてはね。アキラ様はきっと魔物というよりも神様に近い何かなんだ、全知全能とかそういうのなんだ!ってね。思ってたんだけどねえ。


(その子のことなんだけど…俺、ここから出たことないからよくわからなくって。もうちょっと詳しく説明してもらえるかな…?)

(はい、いいですよ。 ディナーはですね、ドラゴンの眷属でいわゆるドラゴンウルフです。)

(ふむふむ、それで眷属っていうのは…?)


 これだもん。なんかさ、アキラ様の知識って妙な偏りがあるよねえ。そういう冒険譚とかの中には絵本になってるのもあるくらいだから、魔物と眷属って言葉自体は子どもでも知ってるはずなんだけど。でも、私がアキラ様の知識について不思議に思ってることは伝えたくなかったから、適当に誤魔化しちゃった。

 そもそも、知識が多少変だとしても、その時の私にとってのアキラ様は、命を救ってくれた知性のある神々しい存在に思えてたから、多少の違和感なんて問題にならなかった。


 だから、そのすぐ後に現実を思い知らされた時には、すっごくつらかったよ。


(お礼はいいよ、こうしていろいろ聞かせてもらってるしさ。でも、いきなり襲われるとは大変だったね。眷属って普通の生物より強い…よね? 眷属と戦ったのは初めてかな?)


 今にして思えば、あからさまな聞き方。そして、大森林の管理者様がまさしく知らなきゃいけないことでもある。人間にとって魔物や眷属が…自分たちがどういう存在とみなされているかどうか。それ次第で、大森林の管理者として、今後人間たちにどういう態度をとるかを決めなきゃいけないもんね。


(いや、ドラゴン狩りに参加した時にドラゴンウルフと戦ったことがあるよ。でもグリフォンウルフの方が強かったかも…。あの時は結局ドラゴンを倒すことはできなかったけど、眷属は結構狩れたからいい素材が出回って、王国が…にぎわ、って…。)


 もうすっかりアキラ様と仲良くなれた気でいたから、本当のことを包み隠さず話しちゃった。バカだよねえ。王城の時にも本音を話して痛い目にあったくせに、今度は魔物の前で「あなたやあなたの眷属を殺すことは有意義です」って言っちゃうんだから。


 あの時、私が泣いたのはね。別にアキラ様が私達のことを殺すんじゃないかって怖くなったから、ってわけじゃないの。むしろ、アキラ様に私達を殺そうっていうつもりがないのは感じられてたから、すぐに殺されることはないってことはわかってた。


 私はね、悲しかったの。私が人間だってことを思い出したから。

 私は、アキラ様みたいな知的できれいな魂を持つ生物の仲間じゃなくて、父や母や姉みたいな汚い魂を持った人間の仲間なんだってことを思い出したから。

 せっかく出会えたこんなに素敵な生物と私とは、敵対関係にある。物語は物語でしかなかったんだ。そう思ったら、みっともないとは思ったんだけど、涙が止まらなくなってね。


「…ねえ、ゼリュトック。」

「なんでしょう? どうなされたのですか、シノリア様? 戦闘になりそうですか…?」

「…聞かれたから、魔物殺しは人間にとって最高の栄誉だって、伝えちゃった。」

「なっ…!?」

「でも、ゼリュトック。戦いたくないよ。この魔物、すっごく頭がいいし、優しいんだ。人間は魔物の敵だってわかっても、問答無用で殺そうなんて考えてない。ボク…戦えないよ。ゼリュトック、ボクはどうしたらいい? 教えてよ…魔物と人間は戦うしかないの…?」

「シノリア様…。」


 いつ思い出しても、ほとんど八つ当たりみたいなこと言っちゃったなあって思う。こんなこと言われたって、ゼリュトックにはどうしようもないのにね。でも、ゼリュトックは答えてくれた。


「…我々に敵対の意思はないということと、この領土のことを他言しないということを伝えられれば…戦わずに済むかもしれません。この魔物がそれほどまでに知性的な存在であるならば、の話ですが。ですがシノリア様、この領土のことが他の人間に知られないということを保証してみせるには…おそらく人間を見限り全面的に魔物の味方になることになるかと。 …よろしいのですか? 後悔いたしませんか? 人の世に未練はございませんか…?」


 未練。私とゼリュトックが頑張る理由。武で名を挙げて人々に認めてもらうこと。五剣王を目指すこと。今は五剣王なんで目指さなくてもいいって思ってるけど、あの時の私にその夢をすっかり諦められるかというと、そういうわけにもいかなかった。五剣王になることだけを夢見て、ゼリュトックやディナーと実力を磨きながら、厳しい生活に耐えてきたんだからね。五剣王の夢は、私を強烈に支えてた。


 それでも、アキラ様とは戦えない、って思った。仮に私に…想像もできないけど、アキラ様を確実に倒す手段があったとしても、アキラ様とは戦えないって思ったの。この知的できれいで優しい生物と心を通わせたい。それだけは本当の気持ちだった。


「…未練、がどうかは、わからない。でも、ボク、この魔物の味方になって、後悔はしないと思う。 …ゼリュトック。ボクに…付き合ってくれる…?」


 短くため息をついて、ゼリュトックはこう言った。表情を和らげて。


「まったく、あなたという人は…まあいいでしょう。シノリア様がそれでお幸せになれるのでしたら、私はそれでかまいません。これまでの訓練も、ここに至るために必要な実力をつけるためであったと思えば決して無駄なことではありますまい。私自身も人間の…王族を始めとした権力者の在り方には不満を持つ身。もとよりこの身はあの日、シノリア様の境遇に我慢ならず国王に直談判をした日から、あなたの幸福のためにお使いいただく所存です。」


 この言葉のおかげで、何をしてでもアキラ様に信用してもらおう、人間の側から離れてアキラ様の隣に居させてもらおう、って決められた。ゼリュトックがこう言ってくれたから、私は今こうしてあなたの隣にいられるの。


 あ、そうそう。結局ね、後悔はしたことないんだ。ゼリュトックがいて、ディナーがいて、アキラ様がいて。私はそれだけで、すっごく幸せだよ。


(今のところ、人間たちに大森林や眷属、それに俺の命を狙われないようにするためには、君たちをここで殺してこの場所のことを誰にも知られないようにするのが一番なんだよね…それはわかる? でも、できれば俺は君たちを殺したくはない。そこでなんだけど…君たちをあえて殺さないことで、俺にどんないいことがあると思うか、考えてみてほしいんだ。)


 こう言われた時に、やっぱり私は間違ってなかったと思った。アキラ様は私達を殺すべきだって気づいてて、その上で殺したくないって思ってくれてたんだから。こんなにも知的な生物が歩み寄ろうとしてくれてるんだから、ちゃんと話せば絶対にわかってくれるって思ったの。


 もう王国に戻れなくなってもいいから、もっとアキラ様と一緒にいたいなあ、って思ったのは、この時かな。自分のために相手をだます、なんてことは人間なら誰でもする。でも、お互いにとっていい結論を出すために、自分の考えてることを全部正直に話してから相談するなんて、私の知ってる人間にそんなことする人はいなかった。

 真摯とか、誠実とかっていうんだよね、そういうの。そんな人、物語の中にしかいないと思ってたよ。だから憧れた。この魔物のことをもっと知りたい、この魔物の隣にいられるような存在になりたい、って思ったの。


 そんなことを考えてたから、ゼリュトックと二人で何ができるか一生懸命探した。頑張った甲斐があって、アキラ様は私達の提案に喜んでくれたよね。でも、最後の最後にどうしても人間を信じきれないみたいだった。「君たちが裏切らない保証がないのが少し怖いんだ」って。わかるよ、アキラ様。私だって人間に「こういういい話があるよ」って言われても、絶対に信じられない。


 …ねえ、アキラ様。確かに気持ちはわかるんだけど、結局アキラ様がどうして人間にそこまで詳しいのかはわからないんだよねえ。「気づいたら知ってた」なんて本当は嘘で、実は何かちゃんとした理由があるんじゃないの?

 うーん、どうも納得いかないなあ…まあいいや。今はそれで納得しておいてあげるよ。でも、私だって、アキラ様が聞きたいって言うから自分の話をたくさんしてるんだし。いつか気が向いたら話してよね?

 …あーっ! 今「うん」って言ったね!? やっぱり理由があるんだ! いつか絶対教えてよ!? きっとだからね!?


 えーと、ごめんごめん。つい盛り上がっちゃった。どこまで話したっけ…?

 そうだ、アキラ様が私達を信じるかどうか悩んでたのを見て、私はミシアフォンの紋章を使うことにしたんだよね。荷物にしか思えなかった紋章、王族だっていうしがらみの証が、まさかこんなところで役に立つなんて思わなかったよ。よく考えたら小さい頃のお勉強だっていろんなところで役に立ってるし、何が役に立つかなんてわからないよねえ。


 そうそう、この時にはもう大森林で暮らすつもりしかなかったから、ひそかに憧れてた結婚の時の約束をしちゃおうって思ったんだよね。どうせ人間とは結婚できないし、アキラ様が相手ならいいかなって思って。あー…うん、物語のシチュエーションにもそういうのがあって…まあ、そういうのの影響もなくはなかったというか…な、なんでそんな目で見るの!? 


 と、とにかく! その場の勢いに任せて約束しちゃおうと思ったの!

 ゼリュトックに言ったら絶対に止められると思ったから、ディナーに頼んでゼリュトックを押さえてもらって。

 案の定、その後はゼリュトックにすっごく怒られたけどね…。


 え? …ふふ、さっきも言ったじゃない。

 私はね、後悔なんてしてないよ。今、すごく幸せだから。


 ねえ、アキラ様。私、あなたのことが好きだよ。

 奥さんにしてとか、そこまでは言わない。アキラ様にその気がないのはわかってる。でも、だからせめて、これからも私を側にいさせて?

 魔物の寿命がどれくらい長いのかはわからないけど、私達が死ぬまでの、ほんのちょっとの時間を、私達と一緒に過ごしてほしいの。


 一生のお願い、いいでしょ? アキラ様!

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