第2章 戦士

 新しい私の家は、城下町のはずれにある小さな一軒家だった。町の中心からは遠いけど、近くには物を売っているお店も何軒かあったし、人通りも少なくなくていい所だった。私の元いた大きなお屋敷は王城を挟んで城下町の向こう側だったから、私はあそこを出て以来お屋敷を目にしてない。きっとゼリュトックが気を遣ってくれたのね。そういうゼリュトックの優しさが感じられる家だったから、私はすぐに新しい家を好きになったの。


 城下町のはずれなのに、それなりに人でにぎわっていたのには理由があってね。その近くに戦士ギルドがあったの。それもゼリュトックがそこを家にした理由だった。


「シノリア様、我々はこれから戦士として生きていくことになります。そこで、改めて戦士の何たるかを私がご説明いたしましょう。戦士の仕事は、簡単に言えば未開の地に分け入って植物や生物、時には鉱物などを狩り、その収穫物を以て人々の生活や国の発展に寄与することです。収穫物の買い取りは基本的に戦士ギルドが行ってくれます。また、戦士ギルドでは個人の依頼も受け付けており、そうした個人の依頼を受けるには手数料や契約料が必要となりますが、戦士ギルドの買い取りや依頼よりも利益をあげやすいのは個人の依頼です。もちろん、達成できるだけの力量があることが前提です。時折、国から依頼が来ることもあります。割りはよくありませんが、国に仕官し兵士となる道が開けますので、安定した生活を望む者が受けることが多いです。我々には最早関係のない話ですが。」


 戦士ギルドは、戦士にとって生活を支えてくれる大事な施設であるとともに、一般の人たちにとっても物流の中心なのね。だから、戦士ギルドの近くに住むのは戦士ばかりだけど、戦士ギルドに出入りする人や戦士ギルドの近くで商売をする人の数は多いの。戦士は仕事柄家を空けることは多いから、人通りが多くて戦士ギルドに近いところに家を持つのが一番いいんだけど、その分すっごく人気があって。ゼリュトックが顔をきかせてくれたからなんとか家を借りられたの。お屋敷とは別の意味で、すごくいい所に住めることになったのね。


「そして、我々の目標は、最終的に魔物を狩ることです。シノリア様は元々物語がお好きでしたから、魔物や眷属についての知識は今更確認する必要はないでしょう。しかし、これからは物語の中の崇高な存在ではなく、狩るべき獲物としてそれらを認識していただきます。いいですか、眷属は生物としては規格外の身体を持っており、その血肉は人々の体に良い影響を与え、骨や皮は鉄に負けるとも劣らない強度を誇り、身体の構造の研究は人間の技術の発展に大きく貢献してきました。ですが、魔物の身体はそれらを遥かに上回る性能を持ちます。薬にすれば不調や怪我がたちどころに治り。骨や皮は並みの金属では傷一つつかないゆえに最高の腕を持つ職人以外には加工すらできず。その身体の構造を解き明かせば一つの時代が終わり新たな時代の幕開けとなる。それが魔物なのです。」


 私は物語が好きだったから、これはちょっとショックだったね。私が特に好きだったのは、神話と冒険譚。共通してるのは、神様や魔物みたいな人間を遥かに超えた偉大な存在が、人間と敵じゃなく味方…とまでは言えないか、協力者として交流するってところ。だから、一度でいいから魔物に会ってみたいなあ、なんてことを言ってゼリュトックに渋い顔をされることもよくあった。その夢は、後々意外な形で叶うことになるんだけどね。


「しかし、魔物を狩るということは簡単なことではありません。私は若いころ、キリンの討伐に参加したことがありました。お恥ずかしい話ですが…生き延びるのに精いっぱいでした。ですが、例えば五剣王が万全の状態で全員揃えば、十分に勝機はあるものと考えております。現に、キリンは当時の五剣王のお二人と、その後に五剣王となったお二人によってしとめることができました。その際、当時の五剣王のお二人は命を落としましたが、キリンの体のおかげで電気の発生と貯蓄の仕組みが解明されました。キリンの様に破壊力を持たせるほど強い電気は依然として起こせませんが、そのおかげで夜の家や町が明るく照らされることとなったのです。魔物殺しは最高の栄誉、全ての武に生きる者の夢。ゆえにシノリア様、我々がまず目指すのは腕を上げること。その過程で金や素材を貯め、眷属や魔物にも通用する装備を手に入れること。そして、いずれは魔物を狩ること。長く険しい道のりとなりますが…お覚悟はよろしいですか?」


 一度なくした生きる意味を、ゼリュトックがくれた。

 空っぽになった心に力が満ちていく感覚…うーん、言葉じゃ伝えられないかも。

 確かなことは、私がもう一度前を向いて歩き出せたってこと。


 でも、この時元気よく「はい! よろしくお願いします!」って言っちゃったのは今でも少しだけ後悔してる。

 ゼリュトックの本気の訓練…すっごくきついんだよねえ…。

 せめて最初だけでもゆっくり慣らしてくれるようにお願いしてればなあ…。




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 日の昇らないうちにゼリュトックに起こされる。日が昇るまで走り込み。体を拭いて食事。筋力訓練と弓の訓練を交互に。体を拭いて食事。筋力訓練と動くゼリュトックに矢を当てる訓練を交互に。日が傾いてきたら日が落ちるまで走り込み。体を拭いて食事。倒れるように眠る。これを半年。


 半年だよ!? しかも休みなし!! …まあ、あの頃はゼリュトック以外の人のことは信じられなかったし、信じたくなかったし、関わりたくもなかったから。ちょうどいいと言えばちょうどよかったし、ゼリュトックもそれをわかってて、物を考える暇がないくらいに訓練をさせようとしたのかもしれないね。

 …いや、やっぱり嘘! 絶対死ぬか死なないかってところまで追い詰める訓練法しか知らないね、ゼリュトックは。他人に優しく、身内に厳しく、自分にはもっと厳しくって感じの人だから。


 とにかく、ゼリュトックのおかげで、私は半年を少し過ぎたあたりで狩りに出られるようになった。ああ、私も早すぎると思ったし、ゼリュトックも戦闘ができるくらいまで鍛えるのには一年かけるつもりだったって言ってたんだけどね。

 私の「魂の力」のおかげなの。


 訓練を始めて半年が経って、その日はいつもみたいに先を丸くした刺さらない矢で訓練をしてた。だけど、ゼリュトックに矢を当てる訓練の時に、ゼリュトックが少し考えてから真剣な目でこう言ってきたの。


「シノリア様。今日はいつもと少し違う訓練をしてみましょう。私は今日、100歩離れた距離からシノリア様との距離を詰めます。いつもは的しか持っていませんが今日は剣を持ち、シノリア様の矢を弾きながら、シノリア様を切るつもりで距離を詰めます。シノリア様は私から逃げつつ、私に矢を当ててください。 …よろしいですか? シノリア様。」


 突然だったから、すっごくびっくりした。びっくりして、ちょっとだけ考えた、けど。私はうなずいた。なんとなくだけど、できそうな気がしたの。おかしいよね、元五剣王が殺すつもりで距離を詰めるって言ってるのにだよ? でも、できそうな気がしたの。


 そんな私を見て、ゼリュトックは私に背を向け、一歩一歩踏みしめて歩いていく。

 その背中からは…これは、喜びと、緊張…かな…? が、「伝わってきた」。


 この感覚に気づいたのはその一ヶ月くらい前だったかな、戦士ギルドに初めて行った時。体力や技術がそれなりに身についてきたってことで、半人前だけどとりあえずギルドに登録だけはしておくことになって。久しぶりに人の多い所にいったんだけど、すぐに気持ち悪くなっちゃって。

 最初は昔のことを思い出しちゃったかな、人に見られると体が強張っちゃうな、って思ってたんだけど、心を落ち着かせても深呼吸しても、変な感覚がなくならない。今まで感じたことのない何かを、ぼんやりではあるんだけど、確実に「感じている」のね。視覚でもなければ聴覚でもなくて、触覚でも味覚でも嗅覚でもない、もう一つの感覚があることに気づいたの。


 それが人から感じる何かだと気づいたのは戦士ギルドを出る時。戦士ギルドを出たらあんまり感じなくなって、その後も人がいなければ感じないし、人が増えればたくさん感じて。で、さらにその後家畜や犬猫なんかを相手にしててもやっぱり何か感じたから、これは生物から出ている何かを感じてるんだなって。


 私が感じているのは、「魂の様子」なんだなって気づいたのは、その二週間後。戦士ギルドに行ってから、ゼリュトックからもずっとそれを感じててね。私がゼリュトックから感じとってるのは何か確かめようと思って、しばらく観察してたの。


 私が感じとれるのは、相手の大体の気分と、相手の大体のやりたいこと。両方とも大体わかる、ってくらいだから大したことがわかるわけじゃないの。嬉しいとか悲しいとかがわかっても、理由がわかるわけじゃない。何か食べたいと思ってることがわかっても、何が食べたいと思ってるかはわからないし。でも、気分もやりたいことも、その気持ちの大きさはわかる。

 そして、もし相手が強い気持ちで、具体的に、はっきりとどういう行動をとるか意識していたら、その時に限って相手がどういう行動をとるつもりかがわかる。これも、やっぱり大体しかわからないんだけど、どう動くつもりかが大体わかると、戦闘における相手の動きの予測の精度は格段に上がるのね。

 それで、この力に気づいてから急に動き回るゼリュトックに矢が当たるようになってきて。

 私に何かが起きてると思ったゼリュトックが、急激に変化した私の実力をきちんと測ろうとして、半ば真剣勝負みたいな形で訓練が始まったのね。


 いつもの調子ならいけるかも、そう思ってたんだけど。

 100歩歩いて振り返った時のゼリュトックからは、一本の剣の様に研ぎ澄まされた殺気が伝わってきて。

 私の認識がいかに甘かったかを、すぐに思い知った。


 決着はあっという間についた。

 私はまず、相手の出方を見ようとして矢を三本立て続けに射た。いつもなら、ゼリュトックが右か左かどっちかに避けながら私との距離を詰めようと近づいてくるから、私はゼリュトックの前進や回避行動を先読みしてゼリュトックの移動先に矢を放っておけば、そのうちしのぎ切れなくなって矢はもろに命中する。この日だって、ゼリュトックの動きをよく見てよく読めば、最終的に矢の一本くらいはあてられるだろうと思ってたのね。


 ゼリュトックは右にも左にも避けず、まっすぐ突っ込んできた。剣で矢を弾きながら。

 いつもの訓練のイメージが強すぎて、防御しながら直進って選択肢を思いつかなかったんだよねえ…ゼリュトックは確かに「今日は的じゃなくて剣を持つ」「剣で弾きながら近づく」って言ってたんだけどね。


 すぐには諦めなかったよ。全力で引き絞って、何本も矢を撃って、相手の魂が揺らがないか、どこかつけいる隙はないか、って探ってはいたんだけど。ゼリュトックの魂は、私の首に剣を突きつけるその瞬間まで、一本の研ぎ澄まされた剣だった。


 まるでかなわなくてうなだれた私に、ゼリュトックはこう言った。


「シノリア様の弓の腕は相当上がりましたね。早撃ちもできれば狙いも正確、長く打ち続けても狙いがぶれない。牽制の矢を放ちつつ敵の隙や弱点を探り、そこを狙おうという作戦も見事でした。技術と経験の差で私は防ぎきることができましたが、あれではそう簡単には近づけないでしょう。素晴らしい成長だと思います。さらに、本気で迫る私に相対しながらも、最後まで冷静さを失わなかったその胆力。やはりシノリア様は文の才だけでなく武の才もおありだ。」


 久しぶりに褒められて、ちょっと嬉しくなった。我ながら単純だねえ。


「さて、そのうえで申し上げたいことが一つとお聞きしたいことが一つございます。まず、弓について。弓は距離を詰められればおしまいです。そのため、相手に見つからない場所から一撃で、もしくは仲間に守られながら隙を見て、相手を行動不能にするのがセオリーです。しかし、実戦ですと不測の事態が起き、近い距離の敵と一人で戦わねばならないこともございます。今後、時間稼ぎができる程度には剣が扱えるように訓練していただきます。」


 褒められたと思ったら次の瞬間には訓練を増やす宣言をされた。上げて落とすとはゼリュトックは本当に鬼だなあ…って思ってたんだけど。

 これ、後からよく考えるとそろそろ実戦に出るから準備を始めますよってことで、力がついてきたって認めてくれてたんだよね。あの時気づいてればもっと嬉しかったかも。


「それで、お聞きしたいことなのですが…シノリア様、何か不思議な力が身についているという感覚はありますでしょうか。私の見立てでは、相手の心を読む系統の力とお見受けしますが…いかがでしょうか?」


 まさかばれてるとは思ってなかったよ。だって相手の気持ちがわかるなんて思わないでしょ? そもそも、説明しても信じてもらえるかわからなかったから言うのをためらってたくらいだし。でも、別に隠す気はなかったから、全部説明したよ。

 もっとも、今はなるべく人には言わないようにしてるけどねえ。それで不利になると困るし。アキラ様にも「相手の気持ちがなんとなくわかる」って話をしたのは初めてだよね、たぶん。


「なるほど…いいですか、シノリア様。我々は…戦士たちはそれを『魂の力』と呼んでいます。死に瀕し、魂が脅かされた経験を持つ者の中で、魂が強い力を持っている者に限り、発現することのある力です。その使用にはかなりの集中と精神力が必要となりますが、他の者には再現できないような現象を引き起こすことができるとされています。もっとも、シノリア様の魂の力にはあまり負担はないようですが。『魂の力』を扱える者は多くありませんが、その多くは発現条件の関係から死に瀕することの多い戦士であり、また死線を幾度も潜り抜けた経験を持つ実力者が殆どです。シノリア様、是非そのお力を生かしてください。」


 「魂の力」。勉強はたくさんしたけど、聞いたのは初めてだった。きっと普通の人が学んでも仕方ないからなのね。犯罪に使われても、それでもし不思議な現象が起きてたら、今回のゼリュトックみたいにわかる人は「魂の力」の可能性を疑うわけで。「魂の力」が使える人には「魂の力」が使える人が対抗すればいい。広く知られていないのはそういうことで、必要がないからだと思ってる。

 …あんまり広く知られちゃうと、子どもの多い貴族なんかは意図的に子どもを死の淵に追いやったりするかも知れないしね。「魂の力」を引き出すために。


 でね、この訓練でゼリュトックの出した結論は、準備を整えれば充分実戦で戦えるだろうって。この日から、私たちは少しずつ実戦に向かう準備をしてね。

 20日後…くらいかな? 初めての狩りに出かけたの。


 初めての狩りの時の話? 省略だよ、省略!

 すっごく緊張したけど、ゼリュトックもいるし、「魂の力」もあったんだから、失敗なんてするわけないよね。

 …最初の一矢は緊張しすぎて足元に落ちたけど、それ以外は完璧だったんだから。緊張もすぐ解けたしね。


 あ、そうだ。それまでの私はずっと訓練漬けで人と関わることなんてほとんどなかったんだけど、狩りに行ったり戦士ギルドに行ったりすると人と関わる機会も増えるのね。でね、ゼリュトックがこう言うの。


「シノリア様…失礼を承知で申し上げますが、あなたはまだ若すぎる。女性であることを活用できるような年齢ではございません。今のシノリア様のような、あまりにも女の子らしい容姿と言葉遣いのままですと、悪目立ちするうえに相手に軽んじられることが多々あると思われます。ゆえに、できることなら髪を短く整え、一人称を変えて男の子のものに変えていただきたいと考えているのですが…いかがでしょうか。男の子であればさほど珍しくないため、幾分マシになるかと思うのですが…。」


 うん、アキラ様に会った時には、ゼリュトックの言うことを聞いてそういう風に振る舞ってたの。だから、今は「変わった」んじゃなくて「戻ってる」のね。もっとも、髪を切るのも男の子のふりをするのもそんなに嫌じゃなかった。そもそも、もう女の子に戻るのは諦めてたからねえ。

 …いや、やっぱりちょっとは嫌だったけど。


 でね、狩りに出るようになってからは大活躍だったの! もうみんなびっくりしてたんだから、あんな子どもがまさか!って。戦うのも苦手じゃなかったけど、一番得意なのは生物探しかな。「魂の力」を使ってね。


 そうだなあ、わかりやすく言うと、魂を感じるっていうのは「目で物を見る」のとあんまりかわらないのね。普通に目をあけてれば物が見える、一点に集中すれば細かいところまで見える、隠れられたら見えづらいし、目を凝らせば見つけやすい。だから、いつでも何となく生物の気配…というか魂の様子? は感じてるんだけど、目の前の相手に集中すれば動きを予測できるし、魂を探ろうと集中したら気配を殺してる生物でもどこにいるかくらいはわかるの。

 この力のおかげで、隠れてて見つけにくい貴重な生物も見つけられるし、相手に発見されるより先に相手を見つけられるし。ゼリュトックがもともとすっごく有名だったのもあって、高い実績を上げて注目されるようになったのね。私の名前は偽名を使ってたし、まさか顔に傷のある王女が血みどろで戦ってるとは誰も思わなかっただろうから、有名になっても王女だってことはばれなかったんだけど。格好は男の子だし。


 まあ、それで調子に乗りすぎちゃって、ロファセットの森で一回死にかけたんだけどね…。ゼリュトックが前衛、私が後衛で大きな熊二頭を狩ってた時に、熊に集中し過ぎて後ろの気配になかなか気づけなくて。

 私と同じくらいの大きさの猫が私を狙ってるのに気づいたのは、猫が私に飛びかかろうと身構えたくらいだった。そのままゼリュトックは熊二頭と、私は猫と接近戦で戦うことになっちゃってね…。剣の扱い方を知らなかったらどう考えても死んでた。猫は群れないけど狼より素早くて強いんだよね。先読みしても防御するのに精一杯で。一人で熊二頭を倒したゼリュトックが割り込んでくれなかったら、そのまま食べられちゃってたかも。


 実は、その時の大きな傷が脇腹に残っちゃってるんだよね。

 もう女の子には戻れないなあ、ってずっと思ってはいたんだけど。

 体に傷がつくと、やっぱりなんだか悲しくなっちゃうんだよねえ。

 ふふ、アキラ様にはわからないでしょ?

 人間の女の子って、そういうものなんだよ。

 我ながら不思議なんだけどねえ。




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 たくさんたくさん狩りをして。


「あの元五剣王のゼリュトック様が手練れの子どもを連れて素晴らしい成果を上げているそうだ」

「それにしたってゼリュトック様の連れている子どもはどこの子だ? 彼に家族はいなかったはずだが…?」

「なんでも王族の子だって話を聞いたぞ、親戚に詳しい奴がいるんだ」

「嘘つけ、王族があんな傷だらけで狩りばっかしてるわけないだろ?」

「いやでも俺はそう聞いたんだって!」


 こんな感じで、私たちのことが噂でどんどん広まっていってた頃。私が九歳になるくらいだね。王国がね、ドラゴン狩りの計画を立てたの。立案者は第1王子のジークピニア・エルゴイ・ミシアフォン。顔も知らない私の兄。すっごく有名だったの…考えなしの夢見がちな若造って評判で。その時のドラゴン狩りも、ドラゴンの姿を見てみたい、ドラゴンを自分が倒してみたい、ってことで計画されたんだって。本人には戦う力なんてないはずなんだけどね…。

 父は保守的で身分主義の思想が強い王だったんだけど、ドラゴンが狩れたら王国の繁栄に繋がるのは確かだったし。可愛い跡継ぎのご機嫌取りも兼ねて、一度出兵してみるのも悪くはない、って思ったんだろうね。今回はあくまで様子見ということで、ドラゴンの居場所や眷属の素材の利用価値を確かめて以降の作戦を立てるための情報収集を中心とするのであれば、って条件をつけて了承したんだって。


 あ、ドラゴンのことは全然知らないよね。

 王国は北が海に面してて、あとの三方は森と山に囲まれてるの。そのなかでも、西にある起伏が少なくて広い道をコートドライエットの道、王国のすぐ南にある大きな森をロファセットの森、そして王国から東に少し進んだ先にある岩山地帯をラゴディンド山脈っていうのね。そのラゴディンド山脈で確認されたのがドラゴンっていう魔物。

 伝承によると、見た目はちょっとした山くらいの大きさのトカゲで、表面は岩みたいな鱗に覆われてて、尻尾にはいくつもの鋭い棘がついてるんだって。怒らせると、尻尾を振って辺りの物を薙ぎ払いながら口から火を吐くんだとか…。この時の調査ではなんにもわからなかったんだけどね。


 でね、こうなってくると王国としても手が足りなくなるから、戦士ギルドに大掛かりな募集をかけるの。でも、実力の足りない人がたくさん来ても困るから、条件はこんな感じ。


「ドラゴン狩りを行うゆえ、腕に自信のある戦士を多数募集している。王国からの報酬としては、作戦中の移動や食事の経費の支給のみに留める。ただし、獲物や収穫物に関しては、その三割を王国に収め残りの七割を自身の物としてよい。なお、負傷や生死に関して責任はとらない。」


 つまり、きちんと狩りの成果を上げて自分の力で利益を出せる自信のある者だけ募集します、もし儲からなくても命を落としても自己責任です、ってことね。


 私とゼリュトックはこれに参加することにしたの。

 応募する時に、もしかするとばれちゃうかなあ、って思ってたけど。

 勉強ばっかりの私にそういうイメージがなかったからなのか、それとも母が私の存在自体をなかったことにして顔の傷やゼリュトックと一緒にいることが知られていなかったからなのか。両方かな? ほとんどお屋敷を出なかったのも大きかったのかも。


 とにかく、王国の兵士は誰も私に気づかなかった。ちょっと寂しかったけどね、好都合だったよ。


 目的は、眷属を狩ってお金を貯めること。

 でも、もしも武器の素材としてすっごく優秀そうな物が手に入ったら手元に置いといて、お金を貯めてから自分の武器として加工してもらう。

 そして、ドラゴンと直接対決する人員として採用してもらうため、私たちの力をアピールする。


 実は、目的は全然達成できなかったんだけどね。


 正規の兵士部隊と傭兵扱いの戦士部隊は、ラゴディンド山脈の入り口までは一緒に向かった。

 そこから戦士部隊は解散して散策、後に状況や収穫物を報告する。兵士部隊は固まったまま周囲を索敵しつつ調査。戦士部隊の定時報告を元に、地形の実態や危険な場所を割り出していく。これをドラゴンの生息地がわかるまで、もしくは七日経つまで繰り返す。だいたいこういう手はずになってたのね。

 だから、定時報告があるせいで、私とゼリュトックみたいに少人数でパーティを組んでるところは兵士部隊からあんまり離れられなくって。大きなパーティだとメンバーを分けて役割分担して動けるから、ちょっと遠出してても定時報告はできるんだよ。おかげで、最初の四日間はパッとした成果が得られなかったんだよねえ。


 でも、このペースではドラゴンの生息地の特定には到底至らない、ってことになって。兵士部隊による固まったままの調査を本命にするのはやめることになったの。兵士部隊は三つに分かれてそれぞれで調査、それに伴って定時報告がなくなって戦士部隊も自由行動、三日後に全ての調査結果を総合する。こんな感じに作戦変更したのね。


 ここからの三日間は相当な成果を上げたよ。私とゼリュトックのコンビネーションはかなり凶悪なんだから。アキラ様にもうまくいけば一矢報いるくらいはできたよ、きっと。

 まずは私の力で索敵して、相手に気づかれないように近づいていくのね。で、ゼリュトックが視認できる距離まで近づいたら、ゼリュトックの力で…あれ?


 そっか、ゼリュトックの「魂の力」の話はしたことなかったっけ。

 ゼリュトックはね、「指定した空間を切る」ことができるの。遠距離から斬撃を放てるんだよ、すごいよね! だから、ゼリュトックの「魂の力」のことを知ってる人は、ゼリュトックのことを「空断ち」って呼ぶんだって。「魂の力」の存在を知ってるってことは、その人もかなりの手練れってことだから、よく知れ渡ってる二つ名ってわけじゃなかったみたいだけど。


 でもちょっと使い勝手が悪いみたいでね。空間の指定には遠ければ遠いほど時間がかかるし、精神も消耗するし、見えてるところじゃないと指定できないし、しかも指定した「空間を」切るから激しく動く相手には当てられないんだって。だから、相手に気づかれない位置から必殺の一太刀を浴びせるのが一番なのね。普通はよっぽど運がよくないとそんなことできないんだけど…そう、私の力ならできちゃうんだよねえ。


 相手が一匹だけなら、どんな大物でもゼリュトックが首を落としておしまい。ゼリュトックのすごいところは、魂の力なんて使わなくったって剣士として最高の技術を持ってることなんだよねえ。堅い鱗に覆われたドラゴンリザードの首を一太刀で落とせる人なんて、「魂の力」抜きならゼリュトックくらいしかいない。「ゼリュトックの斬撃」の射程が伸びるからこそ強いんだよね、ゼリュトックの魂の力は。


 もしも相手が群れでも大丈夫。その時は私が群れのリーダーや実力者を探って、そこをゼリュトックの力と私の矢でさっさとしとめちゃう。あとは群れが混乱しているところにゼリュトックが突っ込んで、逃げていくやつや私に向かってくるやつに私の矢を当てていけば殲滅できちゃうんだよねえ。


 実は、ゼリュトックが一番得意なのは一対多の接近戦なのね。

 ゼリュトックの力は「空間を指定して切る」ことで、「遠いと消耗する」けど「近いと消耗しない」から、例えば「地面から高さ1m、自分から2mの距離の空間を、自分を中心に円を描くように切る」ってことはかなり素早く、しかも消耗少なめでできるみたい。しかも、場所が近ければ一振りで複数の空間を切ることもできるんだって。それだと消耗は結構激しいみたいなんだけど。

 ゼリュトックは近距離限定で空間指定のパターンをいくつか決めてて、そのパターンの斬撃なら一瞬で繰り出すことができる。だから、囲まれても別々に襲いかかられても、決めてある範囲に入った相手から順に、もしくは同時に、一瞬で切り捨てられるのね。まともにやりあっても負けはしませんが、自分を囲んだ相手が油断したうえで突っ込んできてくれるのが一番やりやすいですね、だってさ。


 そんなわけで、私とゼリュトックは二日で大量の獲物を手に入れて。

 あんまり多かったから、私たちの野営の拠点に運び込んで保管してたんだけど。

 最終日、撤収の準備をしている最中に、思いもよらなかった場面に出くわしたの。


 最初はドラゴンウルフの群れが近いな、ってくらいにしか思ってなかったんだけどね。

 なんだか私の嫌いな…相手を痛めつけて悦ぶような、汚い感情が感じられて、いやだなあって思ってて。でもこういう汚さを持てるってことは、ドラゴンウルフは頭がいいんだなって思ってたんだけど。途中で気づいちゃったのね。


 ドラゴンウルフに痛めつけられてるのは、同じドラゴンウルフだってことに。


 他のドラゴンウルフが、全然止めようとしないってことに。


 突然姉の顔が頭に浮かんできてね。私を睨みつける姉の顔。困る私を見て嗤う姉の顔。

 胸の奥がぎゅって締めつけられて、苦しくなって、どうしても放っておけなくて。

 ゼリュトックに少しあっちの様子を見てくるねって言い残して群れの方に向かったの。


 身を隠しながら移動して、群れが見える所までたどり着いて。そしたら、やっぱり一匹のドラゴンウルフが同じドラゴンウルフによってたかって虐められてるところだった。

 ドラゴンウルフの特徴は、鱗に覆われた頑丈な尻尾と足、それから頭に生えた二本の角なんだけどね。虐められてるドラゴンウルフには角がなかったの。


 その子の体には生傷がいくつもついてて、日常的にこういう目にあってるってことが嫌ってほどよくわかった。

 私は姉たちに直接的な攻撃をされたことはなかったけど、その様子を見て自分のことを色々思い出しちゃって。狼は鼻が利くから必死に我慢したけど、だんだん気持ち悪くなってきて、我慢できずに少しだけ吐いちゃった。


 そうだよ、その子がディナー。私の友達で、狩りのパートナーのディナー。

 ディナーにあとから聞いた話だとね。痛めつけられるのはいつものことだったみたいなんだけど、その日は人間の…私たちの侵略のせいで、狩りが何度か失敗して、食べるものも少なくなって。ディナーは八つ当たりされるだけされた上に、口減らしのために群れから捨てられるところだったんだって。


 ボロボロになったディナーを、特に大きいドラゴンウルフが蹴飛ばすのを最後にして、群れは移動を始めた。

 ディナーはボロボロになりながら、それでも群れについていこうとしてた。傷ついた体を引きずって、おぼつかない足取りで。


 その様子がどうしてもいたたまれなくって、でも群れが完全に去るまでは飛び出していくわけにもいかなくて。もう念じるしかなかったのね。


(お願い、もうやめて! あいつらを刺激しないで、そのままそこでじっとしてて…!)


 その瞬間、ディナーの体がビクッって跳ねて、驚いた顔で辺りを見回し始めたのね。

 この時、私は思ったことが声に出ちゃったに違いないって思って、慌てて身を隠したんだけど。結局ディナーも群れも私に気づくことはなくて。そうこうしているうちに群れは岩山の奥の方に走り去って行ったの。


 私はディナーに近寄った。ディナーは警戒してたけど、それでも逃げ出す様子はなくて。私はもう一度念じてみた。


(怪我は大丈夫…?)


 そしたらね。返事があったの。


(…シナナイ)


 この辺りで大体わかった。

 私はこの時まで自分の力を「生物の思いを何となく感じられる」ことだと思ってたんだけど、そうじゃなくて。私の力は「相手に思いを届けたり、相手の思いを受け取ったりすることができる」ことだったのね。

 もう少し別の言い方をすると、私には生物の魂の様子を感じられて、感じられた魂の中から選んだひとつの魂と自分の魂とを繋いで意識を交流させられるの。私の意識を送るだけなら相手の了承とかはいらなくて、相手がその気になれば相手も私に返事ができるって感じかな。私がそれまでやっていたのは魂を繋ぐ前の段階までだったんだねえ。


(シナナイ、デモ)


 私の思念に反応して、ディナーは考えてた。


(ムレ、オイダサレタ…。モウイキテイケナイ…。)


 それまでも親近感を覚えてはいたんだけど、そこでディナーの姿が昔の私とぴったり重なっちゃってね。何もかも失くして、人生の終わりだ、なんて思っていた頃の私と。


(そんなことない! そんなことないよっ!)


 ディナーは驚いてた。私とコミュニケーションが成立していることと、私から強烈な思念が飛んできたことに。


(生きる道が一本しかないなんて、そんなことはないの!)


 もっとも、私だってゼリュトックが助けてくれなかったら別の生き方なんて選べなかったけど。それでも、私は結果として別の生き方を選べた。「~じゃないと生きていけない」なんてことはないんだって、私にはそれだけは言えるって思ったんだ。目の前の傷ついたドラゴンウルフに、あの頃の絶望していた私に、それだけはどうしても伝えたくて。


(…ムリ。ヒトリ、カリデキナイ。タベラレナイ、ウエル、シヌ。)

(じゃあ…! じゃあ、私と一緒にきなよ! 私の仲間になって!)


 いやあ、今でも勢いだけでうかつなことを言ったなあとは思ってるよ。

 でもね、時間が巻き戻ってあの場面にもう一度立ち会うことになったとしても。いや、何度あの場面に戻っても、私は同じ選択をする。

 私と似た境遇のディナーを救うことは、私にとってそれほど大事なことだったから。

 他でもない、私自身の心を救うために。




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 他に生きる術を思いつかなかったみたいで、ディナーは結構簡単についてきてくれた。


 ディナーを連れて帰ったら、思った通りゼリュトックにはすっごく怒られた。でも、ディナーの置かれていた状況と、私のディナーを救いたいって気持ちを伝えたら、ゼリュトックも私にとってそれがとっても大事なことなんだってわかってくれたみたいで、一応納得してもらえた。それはよかったんだけど。


 問題は、眷属をどうやって生かしたまま連れて帰るか、ってことだった。すっごく大変だったよ…。


 まず兵士部隊の部隊長を説得したよね。私には生物と意識を交流させる力があります! って言って、その場にいた何人かと実際にやってみせて。この子とも交流できるんです! 敵対の意思はありません! って言って、ディナーに腕を甘噛みさせたり、木の棒を食いちぎらせたり、仰向けに寝転んでもらったり(これはディナーにすっごく嫌がられたけどね…)。

 そのうえで、殺すより生かして連れ帰った方が王国にとって得になるはずです! この子には戦力として私たちと戦う意思がありますし、生態の観察だってできます! って言って。あとの細かい具体的な相談はゼリュトックに任せちゃった。とりあえずその場はそれで何とかなったのね。


 大変だったのは、王国に帰ってから。

 沙汰は王国が正式に下す、って話になってね。偉い人と直接話して今後どうするか決めることになったんだけど…さすがに偉い人は王族の事情なんかも知ってたみたいで。私の身分がばれちゃったんだよねえ…。


 でね、私達と話す相手が偉い人じゃなくて父になったの。そう、国王。物心つくかつかないかってくらいに一度だけ会った、私の父。

 これはまずいって思ったね。父は保守的で身分主義で、大きな変化を嫌う人だったから。そんな例外を王の名の下に許すとは到底思えなくて。


 だけど、会ってみたら父は上機嫌だった。後から聞いた話だと、調査の成果ですっごく儲けが出たみたいでね。それこそ、味を占めて第二、第三の調査、それからドラゴン狩りを本気で検討しちゃうくらいにね。保守的で有名だった父をそんなに変えちゃうなんて…欲の力ってすごいよねえ。


「シノリア、我が娘よ! 話は聞いたぞ、色々と大変であったようだな! しかし、逆境を跳ね除けて今は一流の戦士だと聞いておる。此度も素晴らしい成果を上げたというではないか! お前の活躍が聞けて我は嬉しいぞ!」


 ってね。私には、娘に対する親愛の情じゃなくて…例えるなら、金の卵を産む家畜を見つけた時の喜びっていうの? そういう汚い気持ちが、私にはなんとなくわかっちゃうんだけど。態度としてはすっごく好意的だったかな。


「しかも、なんでも特別な力に目覚め、眷属を従えたとか。素晴らしいことではないか! しかし、それほどの力を個人に持たせてしまっては不満も出るというもの。そこでどうだ、お前とゼリュトックを兵士として特別な職に就け、眷属は王国の所有物として扱うこととし、その管理はお前に任せよう。これならば全て丸く収まるというもの、そうであろう?」


 私達を丸ごと配下にしたかったみたいだけど、それは嫌だった。気持ちの問題だね。もう王族に振り回されるのは嫌なの。


「お言葉ですが、国王陛下。我々がここまで力をつけることができたのは、やはり在野で命を懸けた戦闘を繰り返したからこそでございます。この老いぼれは当然として、シノリア様にもまた既に一流の戦士の血が流れております。我ら二人、これからも戦士として王国の発展に貢献していきたい所存でございます。眷属を個人が所有するということについてですが、それにつきましては提案がございます。」


 兵士に頼んで、私達の獲物を全部持ってきてもらった。ゼリュトックと相談してこうするしかないって結論になったのね。


「我々が上げた成果の全てでございます。本来、戦士は自身で手に入れた素材を金にし、武器や防具に変えて装備を整えるものです。我々もそうするつもりでしたが、この度我々の新たな仲間を認めてもらうにあたり、こちらの成果は全て王国に献上しようと考えております。そのかわり、この眷属を我々の剣となし、盾となすことを、どうかお許しください。遠征の正当な報酬としてであれば文句も出ないものと思いますが、いかがでしょうか。」


 父が忌々しそうな表情を浮かべる。思い通りにいかなくてイラッとしてる、魂の力なんてなくても誰にでもわかるね。


 ここで国王として命令されたら割とどうしようもなかったんだけど、それはなかった。私達は優秀な戦士だったし、雇った戦士から無理に成果を奪ったら、今度から戦士たちが味方についてくれなくなっちゃうもんね。


「…貴様に話しかけたつもりではないのだがな、元五剣王よ。王国に直接仕えるのがそれほどまでに嫌か? シノリア。」


 確かにゼリュトックは煙たがられてたから嫌な顔されるかなとは思ってたんだけど、私にこういうこと言ってくるとは思ってなくて、かなりうろたえちゃって。

 一瞬まずいかなって思ったんだけど、咄嗟のことで踏みとどまれなくて、本音で答えちゃった。


「…いい思い出があまりありませんので。」


 これは完全に失敗だった。その場で捕えられても、切り捨てられても、文句は言えなかったと思う。王国のことが嫌いだって、いい印象はないんだって、他でもない王城で言っちゃったんだから。

 隣でゼリュトックが身じろぎしたのがわかった。

 父が憤怒の形相を浮かべる。


 でも、兵士がとびかかってくることも、父が怒鳴り散らすこともなかった。父は苛立ちを全く隠さない口調でこう言った。


「…では、そのようにしよう。これらの成果は王国がもらいうける。貴様らには此度の報酬として、眷属を与えることとする。ただし…貴様らが眷属とともにあることで民からどのような非難を受けようとも、その件に関して王国がお前の味方をすることはないと思え。どうしても耐えられなければ王国に仕えるがよかろう。」


 私達を配下にできなかったことは不満だったみたいだけど、今回の調査に参加した戦士の中でも私たちは屈指の成果を上げたし、それを全部差し出すっていうんだから一応妥協してくれたんでしょう。よかったよかった。

 と、この時は思ってたんだけどね。父の汚さは想像を超えてたんだよねえ。


「それと、もう一つ渡すものがある。王族が成人したら持つことになっている、ミシアフォンの紋章だ。シノリアはまだ十にも満たないが、既に独り立ちしていると言ってもよいと判断した。先程、シノリアには戦士の血が流れておると申したが、王族の血も流れておることをゆめゆめ忘れるでないぞ。その血を引く者は、ある者は国を率いる者となり、ある者は王と有力者の間を婚姻関係によって取り持ち、またある者は国の敵となる者を排除する者となって、王国の繁栄に努める義務があるのだ。紋章を見る度に思い出すがよい。」


 使えなくなったらいらないけど、使えるようになったら手元に戻さないと気が済まないんだってさ。この人たちは自分さえよければそれでよくて、他人をどうやって蹴落とすか、どうやって利用するか、そういうことしか考えてない。アキラ様にも私が感じてる感覚をそのまま伝えたいよ。目も当てられないくらい汚れてるから。


 紋章なんて捨てちゃいたかったけど、そんなことしたら今度こそ王家への反逆だと見なされちゃうから、もう受け取るだけ受け取っておくしかなかった。私の気持ちとは裏腹に、ミシアフォンの紋章はきれいに輝いてた。


 王城から帰ってきて、私とゼリュトックが住んでる家の外にディナーが暮らせる小屋を建てた。この時にディナーに名前をつけたんだよね、表札を書いてあげようと思って。


 由来? 大した理由はないよ、ラゴディンド山脈からとったの。女の子だって教えてくれたから、ラゴとかラゴディとかディンドとかそういうのはちょっとかわいくないかなあと思ってね。色々悩んだけど、結局ちょっといじってディナーにしたんだよねえ。


 でね。小屋が完成した辺りからだったから…王城から帰ってきて二週間後くらいだったかな? それくらいから、私達のうわさが広まってきてね。いい噂かな、調査での活躍で名が広まったかな、って思うでしょ? どんな噂かって言うとね。


「第11王女は性悪の乱暴者で傷だらけ、あまりの素行の悪さに実家を追い出された」

「元五剣王のゼリュトックは実は幼女趣味で見捨てられた王女を囲っているらしい」

「第11王女は獣の言葉がわかり竜の眷属を従えている、正真正銘のけだもの娘」

「第11王女は先日王城で王に不遜な態度をとった、挙句の果てに暴れて負傷者を出したとか」

「第11王女は獣を集めて、王国ともめて五剣王をやめさせられたゼリュトックと共に、王国に復讐する計画を立てているようだ」

「一応王族なので簡単に処刑したり罰を与えたりできず、国王も手を焼いている」


 ざっとこんなものかな? 根も葉もない噂なんだけどねえ。


 噂を流し始めたのは、たぶん父だね。民の間から流れたにしては情報が細かい。特に二週間前のディナーを巡る一悶着についての情報が。かといって、王族全体の印象が下がる可能性もある噂だから、兵士の噂話程度なら流行る前か流行った後にでも弾圧されてなきゃおかしい。ということは、国王みたいな偉い人が意図的に流して黙認してると思った方が自然だよね。メリットもちゃんとあるし。


 きっと民の私達に対する印象を悪くしたら、我慢できなくなった私達が王城に泣きついてくるか怒鳴りこんでくるだろうと思ったんだねえ。で、だから言ったではないか、眷属などという脅威を国内へ持ち込んだために怖がられこんな噂が流れたに違いない、今からでも遅くないから全員まとめて王国の所有物となるのだ、って。たぶんこういう展開にしたかったんだと思う。そうすれば私達の眷属狩りの成果を全て回収した上に私達を駒にできるもんね。


「眷属とともにあることで民からどのような非難を受けようとも」って、まさか言ってる本人、しかも国王が直々に悪い噂を流すとは恐れ入ったよ。確かに私達は強いし、支配下に置いておきたいのはわかるけど、それ以上にたぶん私が気に食わなかったんじゃないかと思ってる。「王族の恥と呼ぶべき存在がいます」って噂をわざわざ民に広めて、自分たちの首を絞めてまで私を追い詰めたかったみたいだから、よっぽど怒ったんだねえ。


 それで結局、多くの人々は私達を避けるようになった。もともと積極的に交流してたわけじゃないんだけど、それまでとは違ってどこか遠巻きに、私達を見ながら、ひそひそ話してる人が増えた。私にはそういう人たちの思いもぼんやりと感じられたわけだけど、あれは結構きつかった。


 噂が流れてから一ヶ月も経たないうちに、私は「野獣姫」って呼ばれるようになった。


 色々ときつかったけど、このあだ名が一番きつかったかもしれない。

 絶対にそうはなれないってわかってても、やっぱり心のどこかでまだ「母みたいな女性」には憧れてたから。

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