第3章 リリス(5)

 かつてサラとリリスは、研究所クリニックという場所に売られ、被験体となった。

 それぞれは同郷の村出身ということもあり、互いをかばうようにして過ごしていた。

 最初は老若男女、さまざまな人がいた。しかし直にもっともよい実験データを採取することができるのは、十才から十八才までの少女という結果が積み重なり、研究所クリニックには少女だけが集められていった。

 もっと回数を重ねれば、少年や大人からもいいデータが取れていたのかもしれない。しかし人類には時間が足りなかった。

 危険度が高い実験が繰り返され、少女たちは数を減らした。そしてすぐに補充がかかり、またすぐいなくなる。その繰り返しであった。

 そうした中で、サラとリリスは生き長らえた。

 研究所クリニックでは絶望した少女から弱り、先に死んでゆく。そんな噂が真実であるかのように蔓延まんえんしていた。

 互いを支え合い、希望を抱き続けているふたりは、もっとも実験データのよい被験者であった。

 やがて薬の開発に着手ができるほどの段階になった頃、サラの体には大きな負担がかかっていた。

 その時点で手も足も動かなくなり、寝たきり状態になっていた彼女に代わり、リリスが最終被験者として申し出る。

 生還率は2%。そのような施術であった。

 だが、全人類が生存できる可能性が2%だ。すべての研究所を含めても、もっとも高い数字である。

 リリスは感覚を失ったサラの手を握り、意識のない彼女に別れの言葉を残した。

 今までずっと守ってきてくれて、ありがとう。

 これからは、あたしがあなたのために生きるから。

 そして手術は行なわれた。

 ――結果、リリスの手術は失敗。

 だが、彼女はその身に魔物化という代償を背負い、生き残った。

 サラもまた、生き残ることができた。生き延びたサラは『素体』と呼ばれ、薬の開発のためにさらに体を切り刻まれ続けた。

 サラをいたぶり続けたのは、英雄医師と呼ばれる男たち。だがその正体は、下卑たマッドサイエンティストの集まりであった。

 そして――。

 手術から生き延びたサラは四肢の働きを取り戻し、意識を回復させ――。

 ――代わりに、記憶を失っていた。

「自らが作りだした薬がなければ、生きてはいられない体か。滑稽だな、どうしてそこまでして生きることを望んでいるというのか」

 マルケドの言葉に、リリスは思いきり壁を叩く。

「サラは全人類のために、その体を犠牲にしたのよ!」

「だからといって、僕たちを恨まないでほしい。確かに施術したのは僕たちだが、主導したのは国家だ」

「そんなことを言いたいんじゃない!」

 リリスは叫び、そして今度はか細い声でつぶやいた。

 神にすらもすがるように。

「サラの体を治して……。もう、薬を作る必要はないんでしょう……。サラの役目が終わったのなら、彼女を普通の女の子に戻してあげてよ……」

「ほう」

 マルケドは片眉を吊り上げた。

 なぜリリスがここに来たのか、その理由を知ったのだ。

 それは薬が目的などではなく。

 自分たちの体をいじりまわした彼ら英雄医師であれば、サラの体を完治させることができるかもしれないから、と――。

「これは驚きだ。そんなことのために英雄医師ぼくたちを探していたのか。この娘を治すとなると、どれほどの時間が必要となるかはわからないぞ。それを僕に頼むのか?」

「……この子はもう、一生分苦しんだわ。あたしの体が必要なら、なんでもするから……」

「それが母心というものか」

 理解ができないとばかりに、マルケドは吐き捨てた。

 うなだれるリリスに。

「――髪の色も違う同い年の女に、『自分は母親だ』と言い聞かすお前は、もはやあのときから狂っていたのだろうよ」

 ああ。ああ。

 確かにそうだ、そうだろう。

 リリスは力なくその場に膝をついた。


 母親になれるはずがない。

 だが、それでも自分はサラの母になりたかった。

 リリスは姉に嫌われて、そうして売られた。だから姉ではだめだった。

 自分が絶対の味方だと伝えるために、母親でなければならなかったのだ。

 無茶だと思ってはいた。だが、言葉を尽くした。

 せめて想いだけが伝わればいいと、そう願いながら。

 もし彼女の母親になることができたのなら、ずっとずっと一緒にいられると思って。

 うまくいくはずがないことなんて、わかっていた。

 自分はまだ十六才で、サラも同い年で。

 顔だって髪の色だってぜんぜん違う。

 ふたりはただの幼馴染で。

 そんなこと、サラも本当は、とっくに気づいているのだろう。

 でもサラは優しいからきっと、自分のために付き合ってくれていただけなのだ。

 こんな歪んだ愛情を抱くリリスは、恐らくなによりも醜いだろう。

 だがそれでも、リリスはサラを守りたかったのだ。

 サラに生きていてほしかったのだ。

 彼女の病気が治り、どこかで誰か素敵な人を見つけて、ふたりで幸せになってほしかった。なんの心配もなく、ただ笑っていられるような、時には喧嘩して、ワガママを言い合いながらも、許しあえるような、そんな人と暮らしてほしかったのだ。

 だから――。

「だから、お願い……。あたしはいいから、その子を助けてあげて」

 その言葉に、マルケドは。

 ただ一言。

「いいだろう」

 快諾した。

 その次の瞬間、びくりとサラの体が跳ねた。


 ゆっくりとサラが起きあがってゆく。

 彼女は剣を持つマルケドを見て、そして透明な檻の中に閉じ込められたリリスを見て、驚いたように目を丸くした。

「え、あの、ここは……?」

 歩き出そうとしたサラは、己の手足に鎖をついているのを知り、「いたっ……」と顔を歪めた。

 顔をマスクで覆った大男はマルケドに命じられ、手を放す。

 サラは縛られた手足を不自由に動かしながらもリリスのほうに駆け寄った。

「リリ、どうしてそんなところにいるの……?」

 サラ越しにマルケドの視線がリリスを刺す。

 余計なことは言うな、という目だ。

 わかっている。

 サラを危険に晒したくはなかった。

 こんなところまで来させておいて、今さらか。

 リリスは立ち上がり、口元にほのかな笑みを作った。

「サラ、来てしまったのね」

「あ、う……。ご、ごめんなさい」

 サラは目を逸らして、頭を下げた。

 素直で聞き分けのいい、いつものサラだ。

 彼女は上目づかいでこちらの様子をうかがう。

「……リリ、怒っている?」

「怒っていないわ」

 リリスは静かに首を振った。本当に愚かなのは自分だ。

 ずっと彼女を騙してきた。

 世界で一番大切な彼女に、これからも嘘を吐き続けるだろう。

 なにが母親だ。なにがあなたのためにだ。

 すべて自分のためにやっていたことなのに。

 本当に最低だ。救われない。

 だから、もういい。

 世界を救った彼女に、自分はふさわしくない。

「安心して、サラ。ついに出会えたのよ」

「え?」

「あなたも聞いたことがあるでしょう。伝染病の薬を開発した英雄医師の話を。それがこの人よ」

 振り返るサラ。マルケドは厳粛な目で静かにうなずく。

 リリスに向き直るサラは、なぜだか不安げな顔をしていた。

「それって、わたしの病気の……?」

「ええ、この人に見てもらえれば、治るかもしれないわ。少し時間がかかるかもしれないけれど、きっと大丈夫よ。伝説の人なんだから」

「……」

 サラは透明な壁にそっと触れた。

 まるで母親に手を伸ばす子供のように。

「……リリは、どうするの?」

 サラの目がすがるように、そして責めるようにリリスを見る。

 銀髪の少女の近くには、首のない死体が転がり、そして透明な壁には血がへばりついているのだ。普通のはずがない。

 だが、リリスは首を振った。

「あたしは平気よ。このお医者さんに、少し協力をするの」

「……協力?」

「ええ、魔物を倒すためにね。伝染病が治りつつある今、あとは魔物を退治するだけだわ。それだけで、人類は平和になる。世界は救われるのよ。その手助けができるなんて、光栄だわ」

 嘘だ。

 リリスにとってサラ以外に大切なものなど、ない。

 だが、言葉を発するごとに、リリスの胸の中は落ち着いてゆく。

 よどみなく語ることができた。

 リリスは嘘つきだから。

 嘘をつくことなんて、お手の物だから。

「お母さんは、強いでしょう。だから、その力について、少し研究に協力してあげるの。皆があたしのようになったら、どう思う? それこそ、人類の時代がもう一度やってくるのよ。今みたいに怯えながら暮らすことなんてない。草原に白いお家だって建てられるようになるわ。あなたが夢見ていた、あのお家よ」

「……」

 サラはなにも言わない。

 ただ、リリスの穏やかな微笑みを見つめていた。

「それに、あなたの病気が治ったら、ちゃんとふたりで暮らしましょう。ねえ、サラ。大きな浴室を作るんでしょう? 馬を飼って、ね、他にはどうするの? 今のうちにたっぷりと、考えておくといいのよ。それがすぐに夢ではなくなるんだもの」

 サラは額を透明な壁に押しつけた。

 もっともっとリリスの近くに行きたいと、そう願うように。

「ママ、またわたしに嘘をついている」

 その言葉も、リリスは甘んじて受け止めた。

 胸を張ることすらできた。

「そうよ、あたしは嘘つきだもの。本当はあなたを捨てて、どこかへと旅立つのかもしれないわ。だいきらいなあなたのママはね」

 しかし、サラは首を振った。

 それがリリスには意外で。

 目を丸くするリリスに、サラはしっかりと言い放った。

「ママは絶対にわたしを傷つけるような嘘は言わない。だから、すぐにわかる」

 サラの瞳に光が灯る。変わろうとした少女の勇気の光だ。

「……そんなことはないわ」

「ママはどこか遠くにいってしまうの?」

 サラの強い視線がリリスを見つめる。

 リリスが目を逸らす番だった。

「あたしはどこにもいかないわ。ずっとあなたと一緒よ、サラ」

「わたしは病気が治るよりも、ママと一緒のほうがいい」

「ワガママを言わないで、サラ」

「嫌だ。わたしはママと一緒にいたい」

 リリスは首を振った。

 あと一息でなにかが決壊してしまいそうで。

 だから、振り絞るように笑顔を見せた。

「あたしはあなたが大切なの、サラ。あなたが幸せになってくれればいいのよ。だからほら、もういきなさい。またすぐに会えるから。ね」

「ママ」

 リリスはうつむき、そして――。

「愛しているわ、サラ」

 その真実の言葉を聞いた、次の瞬間。

 サラの全身から、赤い蒸気が浮かび上がる。

 赤く、紅く、血よりも濃い魔力が。

 それと同時に、ゆらりと十本の魔手がサラの背から出現した。

 木端微塵に――、サラを拘束していた鎖が破壊される。

「――そいつを殺せ!」

 鋭い叫び声はマルケドのものだ。

 リリスは目を見開く。

 サラは――、この世ならざる美しき顔で、微笑んでいた。

「だいすきだよ、リリ。だから今度は、わたしがママを守ってみせる」

 サラの命を現世に繋ぎ止めるための楔。

 それが今、解放された。

 束ねられた十本の魔手が、透明な壁に打ちつけられる。

 たったの一撃で、完膚なきまでに砕かれる檻。

 凄まじい震動と轟音。

 破片が細かく割れ、白色の光に照らされて、まるで星々のように散った。

 茫然と立ちすくむリリスの体を、ふわりと――。

 ――サラが、抱きしめた。

「ほら、リリ。いこ。今すぐここから出よう」

 それはまるで、あのときのサラのようで――。



 だが、リリスは真っ青な顔で、サラを突き放す。

「あなた、十本の手を使うだなんて、なにを考えているの!」

「怒らないでよ、リリ! わたしはリリを助けたくて」

「でも、あなたの体が――」

 サラは息を荒げていた。

 一瞬だけとはいえ、伝染病の感染を食い止めていた楔が外されたのだ。

 サラの体は今、相当に辛いだろう。熱も一気にあがってしまって、立っているのも厳しいはずだ。

 以前は七本の腕を使っただけで、ずいぶんと寝込んだ。それも、今度は十本だ。

 斑紋が全身に浮かび上がりつつある。今すぐにでも安静にしなければ命にかかわる症状だ。

「ごめんなさい、ママ。追いかけてきて……。でも、わたし」

「まったくもう」

 リリスは大きなため息をつき、もう一度サラを抱きしめた。

「……ばか、ありがとう、サラ」

「うん……。うん」

 背中をさすられながら微笑むサラの声を聞いて、リリスは満ち足りた気持ちになる。

 だが、サラに触れたその体もまた少しずつ発症しつつあった。

 薬が必要なのは、リリスも同じだ。

 しかし、その前に立ちふさがる者がいるのなら、排除せねばならない。

 リリスは肩越しに、立ち並ぶマルケドと大男を見た。

 寄り添う少女たちに、マルケドが吐き捨てる。

「バカな娘だ……。こんなところで伝染病をまき散らすつもりか。治す手段などないというのに……!」

 リリスはサラを抱いたまま、顔を歪める。

「……治す手段など、なかった……?」

「ああ、そうとも。最初から言っていたではないか、僕は薬を開発する専門ではなく、伝染病を研究していた者だ。薬の精製もできん。他の医師ならわからんがな」

「あなたは……」

 傲慢な老人の言葉に、リリスは怒りを禁じえない。

 透明な壁の破壊を防げなかったマルケドは、近くに立つ大男の顔のマスクをもぎ取った。

 まぶたのない片目が見開かれている。もはや理性を失っていることは明白であった。だが、もう片方の目は人のまま。口は張り裂けて、常に唾液がしたたり落ちる。だというのに頬から顎へのラインはいまだ美しく、その非対称性がおぞましさを助長する。

 首が丸太のように膨らんでいながら、しかしその上に乗っているものはどう見ても女性の顔である。すなわちこれは、原型をとどめないほどに変質した女だった。

 そう、魔物のように異形と化してしまったのだ。

 彼女もまた、なりそこないの魔人であった。

「やれ、アビゲイル。リリスを再び捕らえるのだ。命を奪うのではないぞ」

 いったいどうやって命令を届けているのはわからない。あるいは記憶だけは残っているのかもしれないが、アビゲイルは指示に従った。

「離れて、サラ」

「……うん、ママ」

「心配いらないわ。だから、見てて。一緒に帰りましょう」

 剣を持った魔人が近づいてきて、リリスはサラから離れて立つ。

 アビゲイルは急に止まった。そして不快感を剥き出しにして、自らの口の中に指を突っ込んだ。それは恐らく、これまで感じたことのないような脳からのシグナルを受け取ったからだ。

 ――魔人と化したアビゲイルが立ち止まるほどの危険信号にがみとは、どれほどのものなのか。

 それを今から、その魔人は味わうことになる。

「サラがそばにいるのなら、あたしは誰にも負けない」

 リリスは血に濡れた両手で髪をかきあげ、その銀髪に赤い色を混ぜた。

 その目――魔物だけが発する眼光と等しき、真っ赤な色を。

「そうね。邪魔するというのなら、あたしはあなたにとっての悪魔と化すわ」


 アビゲイルは剣を振りまわしながら、こちらに向かってきた。

 リリスはその魔人を見やる。

 膂力りょりょくは先ほどの少女とは比べ物にならないだろう。二メートル級。一般的に魔物は、体が大きければ大きいほどに強力だ。ならば魔人とて変わるまい。

 銀髪の少女は己の拳を見下ろす。

 そして、小さくため息をついた。

「アビゲイル、ね。さぞかし無念でしょう。そんな姿にされて」

 マルケドのかき集めた被験体の少女は、夜伽という名目であった。ならば、この娘もさぞかし美しかったのだろう。

 アビゲイルが斬りかかってくる。リリスの拳の届かぬ位置から振り下ろされるその剣は、目にも留まらぬ速度であった。

 アビゲイルのまぶたのない瞳と、リリスの視線が交錯する。

 刹那、リリスは真っ二つに斬り裂かれた。――かのようにアビゲイルの目には映っただろう。だが、その感触があるはずもない。

 リリスは魔人が振り下ろす刃よりも速く。右前方に足を踏み込み、魔人の懐に入ることでその斬撃をかわしていた。アビゲイルが見たものは、赤い蒸気によって作りだされた残像でしかなく。

 そして、アビゲイルの胸には大穴が空いていた。

 リリスの一打。それは魔人の腹を突き破っていたのだ。

 拳を引き抜いたそのとき、心臓を貫かれたアビゲイルは、もはやうめき声すらもなく後ろにたおれてゆく。

「安心して、アビゲイル。死は何者にも平等に訪れるわ」

 それを与えるのは、リリスであった。


 顔を向ける。マルケドはリリスの性能に感嘆の声を漏らす。

「すごいな。アビゲイルは僕の造り出した中では二番目の傑作だったのに。よくあんなにもたやすく葬り去ることができるものだ」

「すぐにあなたも後を追うのよ」

 血まみれの手を振り、リリス。

 しかし、マルケドは臆さない。

「残念だ。本当に、残念だ。お前が手に入れば、僕の研究はさらに完全なものとなったはずなのに」

 彼の精神は、元より普通ではない。英雄医師は皆そうだった。頭のおかしいマッドサイエンティスト。そういう者だけが集まったのか、あるいは少女たちに人体実験を施し続けるうちに狂ってしまったのか。

 壊れたマルケドは、両手を広げ、笑う。

「だが、さすがのお前でも、僕の一番の作品にかなうはずがない」

 ずしんとわずかな地響き。どこかでなにかが動き出すような音がした。

 しかし、そんなものを悠長に待つ必要はない。

 マルケドを一撃で叩き潰し、混乱に陥った王城からサラを連れて逃げ出す。

 あとはそれだけだ。だが――。

 その前にひとつ。

「伝染病の薬が残っているのなら、それを差し出しなさい。そうすれば、命だけは助けてあげるわ」

「盗人猛々しいとは、このことであるな。お前こそ世界のために身を捧げる気はないのか。お前の細胞から人を魔人化するための薬が作れれば、魔物を駆逐できるかもしれないというのに」

「あなたはもはや信ずるに値しないわ」

 リリスは切り捨て、マルケドに指を突きつけた。

「あたしの望みは薬だけ。あなたを殺してから探しても、構わないのよ」

「ならばそうするがよい」

「わかったわ」

 リリスが足に力を込めて跳躍をしようとしたそのときであった。

 三つの影が現れ、奇襲をしかけてきた。

「――っ」

 一つ目は頭をかすめ、二つ目は右肩を、そして三つ目は見えざる力でリリスの心臓を貫こうと迫る。

 そのすべてを同時に体さばきでかわし、リリスはサラの元へと引く。

「リリ!」

「ええ、大丈夫よ、……まったくもう」

 睨む。

 立ち並ぶ三つの体は、不均衡。身長二メートルを超えた女と、一メートル未満と、その中間。

 巨大な女は下顎がなく、常に口からうめき声のようなものを発し続けている。真ん中の女はふたつに割った果物を無理やり接続したかのように顔に断面があり、そしてわずかにそれがずれていて、口はまともに開かないようだ。そして一番小さな女は枯れ枝のようにやせ細り、後頭部からは頭蓋骨が露出していた。

 どれも直視しがたく、まともな容姿ではない。ローブに包まれた中の体は、さらにおぞましきものであろう。

 まさしく人間の所業ではない。マルケドは彼女らの魂をも冒涜し尽くしたのだ。

「あとは任せたぞ」

 声だけを残して、マルケドはいつの間にか姿を消していた。

 あの用心深いマルケドが、なんの策も仕掛けずにリリスの前に立つはずがなかったのだ。ずっとどこかに魔人を潜ませていたのだろう。

 今度は三対一か。いや、サラをかばいながらだから、実際はもう少し分が悪い。さらにリリスは伝染病に侵されつつある。全身の動きが鈍ってゆくのを彼女は感じていた。

 まあ、どうということはないが。

 リリスは拳を握ると、それを軽く開いて魔人たちに向けた。

 そして、許可を取る。

「サラ。粉砕して進みたいけれど、構わない?」

「……あの子たちは、もう元には戻らないの?」

 横目に見やると、サラは悲しそうな顔をしていた。

 胸を痛めているのだろう、優しい娘だ。

 自分の頭にはもはや、相手を殺すことしかなかったのに。

 リリスは静かにうなずく。

「でしょうね。あれは魔物の細胞を植えつけられているのよ。でなければ、あそこまで体が変形するはずがない。そして、それを取り除くことはもはや不可能だわ。コーヒーにミルクを混ぜることはできるけれど、分離することはできないように」

「……そっか」

 サラは目を伏せた。

 そうして今度は泣かないで、小さく言った。

「じゃあ、お願い、ママ。あの子たちを、楽にしてあげて」

「任せて」

 向けた拳に親指を立て、そしてリリスはそれをはしたなく下に向けた。

「悪魔は悪魔らしく、やるとするわ」


 まず飛びかかってくるのは、一メートルの少女。魔物じみた動きで凄まじい跳躍をし、ほぼ真上から襲い来る。同時に、中間の少女が両手をこちらに向かって突き出してきた。

 魔手だ。ジグザグにこちらに迫ってくる半透明のそれは、相当な射程をもっているようだ。

 なるほど、コンビネーション攻撃を得意としている魔人か。

 さらに二メートルの少女も動きを見せていた。これは受けに回れば相当な苦戦が予想されるだろう。

 ならばまず――、リリスは先に仕掛けてきたその魔手を、右腕で掴んでみせた。

 魔手は魔法使いの奥義だ。人間がそれを防ぐ手立てはない。魔手に効果を及ぼすことができるのは、魔物と魔手だけである。

 だが、循環燃焼メディテーション中、リリスの体は、魔手と肉の両方の特性を併せもつ。世界で唯一リリスだけが魔手を摑めるのだ。

 魔手が解除されるよりも早く、渾身の力で引き寄せる。魔人である少女の顔が驚愕に見開かれていた。リリスは正面に飛び込みながら、左拳をその頭部に叩きつけた。ぐちゃりという音とともに、彼女の頭が潰れる。

 また、前方に跳んだことによって、上空からの襲撃は空振りする。

 リリスは方向転換、背後に向かって宙返り。一メートルの少女が振り返ったとき、そこには誰もいなかった。上を取ったのはリリス。

「悪いわね」

 欠片も思っていないような口振りで、リリスはその小さな魔人にカカトを落とした。

 美しい素足は弧を描き、死神の鎌のように魔人の頭を刈り取った。これで二人目。

 さて、二メートルの少女はというと、広範囲に散らばった透明な壁の欠片を持ち上げ、こちらに向かって投げつけてこようとしているようだ。

 リリスが避ければサラに当たる。打ち返さなければならない。

 リリスは拳を引き、迎え撃つ態勢を整える。そうしていると、数メートルクラスの破片が凄まじい速度で投げつけられてきた。

 光を反射するそれは、正確な速度と角度の計算を鈍らせる。リリスがいくらかのダメージを覚悟していると、銀髪の後ろから半透明に鈍く蠢く腕が現れた。

 これはサラの魔手だ。彼女が呼び出した二本の魔手が透明な壁を空中で叩き落とす。リリスは慌てて振り向いた。

「サラ!」

「だ、大丈夫、たった二本だもの」

 サラは首をすくめ、上目遣いにこちらを見上げる。

「わたしだってリリの力になりたい。守られているだけじゃなくて……、だめ?」

「……まったく、もう」

 リリスは諦めたようにため息をつき、残る魔人に駆けた。

 首をへし折り、その生命活動を完全停止させるのは、瞬く間のことであった。

 



 

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