第3章 リリス(4)

 王の間は贅を尽くしたような場所だと勝手に思っていたが、しかしそこは単なる豪勢な私室でしかなかった。

 四人の娘たちは神に差し出される羊のように、王の前に並んだ。

 色とりどりに、香りもさまざま。それぞれ、顔の下半分を隠した美しき女たちだ。

 さて王はいったいどのような男か。

 遅れて幕の裏からやってきたのは、ゆったりとした上質な服を身にまとった貧相な男であった。

 神経質そうな顔をしている。昔のままだ。なにも変わっていない。ただ年を取った。

 そう、――すっかりと老人になってしまっている。

 遺跡の荒廃具合から予想はしていたが、そうか、やはりか。

 静かな納得を胸の中に染み込ませながら、リリスは背を正した。

 他の娘たちは、王が発する不気味な威圧感に身をすくませていた。それでも気丈に見栄を張り続ける中、王の視線が娘たちを順にまさぐってゆく。

 最後に、リリスの番だ。

 王、マルケドが発する眼光は、あのときと変わらない。

 あのときと――。

 ――リリスの脳内に、映像がフラッシュバックする。

 色のない部屋だ。

 強い光がすべてを塗り潰している。

 リリスはベッドの上に寝かされていた。全身の感覚がないのに、頭だけがやけに冴えている。太陽のように眩しい白色灯に目を細めるリリス。

 彼女を複数の男が覗き込んでいた。

 医師たちは口々に言い放つ。

 これは不良品だ。これは失敗作だ。これは不要だ。これは破棄するべきだ。

 だが、ひとりの男が四人の言葉を遮った。

 マルケド。彼は言う。いや、これはまだ使い道がある。これは保存しよう。あのくすりの隣に寝かせ、いつか役立てよう。

 リリスの全身にメスが突き立てられる。

 なのに、痛みは感じない。それが恐ろしくて、リリスは悲鳴をあげた。

 うるさいと一蹴され、リリスの意識が刈り取られる。

 ――いつの間にか、そのマルケドがリリスの正面に立っていた。

 リリスは我に返る。

 おびただしい汗が流れ落ちていた。

 ここは王の私室。立ち並ぶ美女に紛れ、リリスはいた。

「お前」

 声帯を握り潰されたような、しゃがれた声であった。

「今夜、お前が部屋に来い」

 口には出さず、周りの女たちが色めいた。

 この日、王から夜伽を命じられたのはリリス。その名誉への、純粋なる羨望の念だ。

 隣に立つミアなどは、あからさまに親指を突き立てた。やったね、という意思表示だろう。

 いまだ動悸が収まらない。

 リリスはゆっくりと王の目を見返し、布に隠された唇を小さく開いた。

「……はい」

 こんなにも早くチャンスが巡ってくるとは。

 己を美しく産んでくれた母親に、リリスは感謝をした。



 四人の娘たちは命じられ、部屋を去る。

 約束の時間まで、差し出された香り立つ紅茶で喉を潤しながら、リリスはひとりサラのことを思っていた。

 彼女はひとり宿で大人しくてくれているだろうか。

 あるいはカシムに遊びに誘われていたりしないだろうか。

 もし買い物がしたいのならと、リリスは手持ちの貴金属を両替屋でこの国の通貨と交換し、サラに渡しておいたが。しかし、サラはああ見えてそそっかしいところがある。道に迷ってはいないだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えると、別れ際のサラの涙が思い出された。

 結局、仲たがいのような形でここに来てしまった。

 最後になにを言えばよかったのだろう。

 愛していると告げて、抱きしめてやればよかったのだろうか。

 恐らくきっと、それは正解だったのだろう。

 でも、リリスには選べなかった。

 なぜだろう。わからない。彼女以上に大切なものなどないはずなのに。

 離れた場所にいると、サラに逢いたくなってしまう。

 自分がこんなところにいるのが、とてつもない過ちに思え、リリスはため息をついた。

 サラはどうだろう。案外、自分がいなくなってせいせいしているのかもしれない。

 今までの報いだ。彼女をそのように扱ってきたのだから。

 だとしても少し、悔しい。

 まあ、いい。今は当面の問題に集中しよう。

 妙齢の使用人に呼び出され、リリスは控え室を出た。

 その際にミアが「がんばってくださいね」と声をかけてきてくれた。

 さらに耳打ち。

「王様をたっぷり気持ちよくさせられたら、きっと気に入ってもらえますよ。そうしたら、しばらくは安泰ですね。あ、でもちゃんと恥じらいは忘れないように」

 思わず顔が赤くなった。

「なにを言っているの」

 ミアは無邪気に笑っていた。まったくもう。

「私の村の幼馴染が、ここに来ているはずなんです。私と同じ栗色の髪をした素朴ないい子です。もし後宮に囲われて、困ったことがあったら彼女を尋ねてみてください。きっとよくしてくれるはずです」

「……その子も買われて?」

「ええ、半年ほど前に。私、実はその子に会いたくて、ここに来ちゃったっていうのもあるんです。だから次は王様に見初められてみます。絶対」

 えっへんと笑うミアに、リリスは複雑な感情を抱く。

 ――こんなにいい子ばかり、売られてくるのだから、まったくこの世界は、もう。

 心の中に込み上げてきたやるせない気持ちを抑え、リリスは王の部屋に向かう。

 王の部屋は、意外にも簡素であった。

 ベッドもあり、普段自分たちが泊まる宿とあまり変わらない作りだ。

 ただ、奥へと続く扉がひとつ。そこから妙な気配を感じてしまうのは、リリスの警戒心の表れか。さすがに、誰かが控えているのかもしれない。

 部屋で待っていた王はかつてと同じように、ぶかぶかの白衣に袖を通していた。

 昔と違うのは、それがよれよれではないという一点に過ぎない。

 思わず「久しぶりね」と毒づいてしまいたい気分ではあったが、リリスは従順な仔猫を演じることにした。

 指一本触れさせるつもりはないが、まずは彼から必要な情報を聞き出してからだ。

 そう思って一歩を踏み出したそのとき――。

 リリスの視界がぐらりと歪んだ。

「え」

 おかしい。急速に体のコントロールが利かなくなってきている。

 いったいこんな、なぜ。

 先ほどに飲んだ紅茶になにかが混ぜられていた? だが、自分は見ていた。他の四人も一緒に紅茶を口にしていたはずだ。ひとつのポットから注がれる光景を。

 それに、仮に毒が混ぜられていたとしても、リリスにはそんなものは通用しない。リリスの体は常人のそれとはまるで違うのだから。

 しかし、マルケドは確かにこう言った。

「久しぶりだな、リリス」

 ――と。

 薄れゆく意識の中でリリスが思う。

 それは、あたしの台詞だわ。

 次に目覚めたそこは、牢の中であった。



 まどろみから浮上してゆく。

 前後の記憶が怪しい。本来ならばもう少し警戒しなければならなかったのだろうけれど、リリスは無防備に体を起こしてしまった。

 ぼんやりとした頭で周囲を見まわす。そこは暗い部屋だ。光がないから判別はつかないが、妙に広い部屋であるような気配を感じた。

 徐々に思い出してきた。

 そうだ、自分は確か、マルケドの部屋に招かれて、そして。

 首筋をさする。針で打たれたような感触はなかった。

 では自分はいったいなにをされたのか。

 怪しんで辺りを警戒していると、ふいに明かりがついた。

 眩しい。この光は電灯だ。まだこんな設備が残っている場所があったなんて。

 白色に照らされながら、リリスは目を細めた。

 なにかで光が遮られている。それは人影だ。誰かが少し離れたところに立っている。

「やあ、リリス。お目覚めか」

 声で気づいた。

 一瞬で記憶が覚醒した。

「マルケド!」

 叫ぶとともに、循環燃焼メディテーションを開始する。全身に満ちてゆく熱と魔力は、リリスの細胞に残っていたわずかな毒を燃やし尽くした。

「もう動けるのか、さすがだ。性能はまったく落ちていないどころか、進化の可能性すら見える。やはりお前を処分せずに良かった」

「あんたはあたしになにをした!」

 光に目が慣れてくる。すると、マルケドと自分の間に透明の壁があることに気づいた。周囲も天井も、その透明な壁に覆われている。

 石造りの無骨で広大な部屋の中、自分は平たい円柱の檻に閉じ込められているのだ。

「あれは僕が開発した毒だ。研究の副産物でできた新薬を、魔物を倒すために応用できないかと思って試してみたのだけど、今のお前の姿を見ると大した効果はないようだな」

「いったいいつの間に……」

 リリスは己の体を探る。しかし、やはり毒を打たれた覚えはない。

 マルケドは意外そうにつぶやいた。

「紅茶を飲んだだろう? こんなところまで追いかけてきたお前が、まさかあんなに不用心とは思わなかったよ」

「あれを飲んだのはあたしひとりではなかった!」

 そうだ、適当に注がれたティーカップの中からひとつを選んで、リリスは紅茶を口にしたのだ。室内にはリリスと三人の娘の他、使用人もいた。

 あの中からリリスひとりだけを狙って飲ませるのは、不可能だが――。

 ――そのとき、リリスは最悪の想像をしてしまった。

「まさか」

 マルケドは白髪交じりの髭をさする。

 失った言葉を振り絞るように、リリスは問い詰めた。

「紅茶に毒が入っていた、というの……?」

「お前はさっきからなにを言っているんだ。初めからそう言っているだろう」

 魔物に通用するかもしれない毒を飲まされた人間の末路など、決まっている。

 致死だ。

 微笑んでいたミアの顔が、瞼の裏でひび割れ、そして砕け散る。

 この男は、自分ひとりをはめるために、それ以外の全員を犠牲にしたのだ。

 ――あの頃となにも変わっていないどころか、その狂気はさらに増している。

「貴様――」

 叫ぶと同時に、リリスの全身から赤い蒸気が吹き上がった。

 四肢の魔手を解き放ち、跳躍する。四足のリリスは透明な壁に飛びかかり、そして振り上げた拳を叩きつけた。

 辺りが震動するほどの衝撃。膂力の波紋は広がり、天井や地面を駆け抜け、そして雲散霧消する。

 透明な壁は無傷。王塔を倒壊させる魔物ベリアルと正面から拳を交えても決して負けることのないリリスの魔手ですら、この壁は破れなかった。

 数メートルの距離に立つマルケドは眉ひとつ動かさず、慣れたような口振りでつぶやく。

「こちらは成功か。実験を繰り返したかいはあったな。やはり、何事も試してみないとわからないものだ」

「あああああああああ!」

 獣のように叫び、さらにリリスは拳を振るう。一撃、二撃。皮が割れて血が飛び散った。このままでは魔手が先に砕けるだろう。

 さすがのマルケドも両手を広げ、リリスをなだめにかかる。

「待て、待て。お前を殺すつもりはない。ただ、実験に協力してくれればいいんだ」

 リリスはその言葉に大きく息をついた。赤い火のような燐光の混じった息を吐き出し、男を睨む。

「ちょうどいいわ。あたしもあんたに用があってきたの。伝染病の特効薬を渡しなさい。あんたなら蓄えているのでしょう」

「薬? あんなものがほしいのか? 我らの創り上げたお前は今さら病に脅かされたりはしないだろう」

「持っているんでしょう!」

 今度は肘を叩きつけた。だが壁は沈黙を保ったまま。殴った感触では相当に厚い。メートルクラスかもしれない。

「少しは余っていたかもしれんな」

「だったら!」

「伝染病を治す研究には興味がなかった。それよりも、あの病は人類を進化させるための劇毒だ。お前もそれは知っているだろう、リリス」

 牙を剥く獣と、それを操る猛獣使いのように。

 老人は笑い、口の端を吊り上げた。

「あの病、滅病ペカトゥムは人類に恩恵をもたらした。魔法使いの存在。すなわち『魔手』だ」


 かつて世界に繁栄していたはずの人類は、奇病に侵された。

 その浸食速度は並の病気とは違い、あっという間に全世界に広まった。

 動物は魔物に成り果て、人類はその生活圏を脅かされた。

 では、人類はどうなったか。

 伝染病と魔手の因果関係について研究を続けてきたのが、英雄医師のひとり――マルケド=エリンツィであった。

 彼は数々の実験を繰り返し、魔手の発生率についての推論を立てた。

 伝染病の薬を与えながら育てた幼児と、一切与えなかった幼児について調べ上げた結果、薬を与えた幼児が魔法使いに育つ例はゼロケース。だが後者は二割を超えた。

 人体実験を重ねながら、マルケドはさらに確信を深めてゆく。

「伝染病は動物を魔物に変えた。だが、代わりに人間を魔法使いにもしたのだ」

 檻の中のリリスに、マルケドは語る。

「我々は、伝染病を治してはいけなかったのだ。あれは深く深く根づくほどに、人類をさらなる種に進化させる。滅病ペカトゥム不滅病エファンゲと名付けるべきだったのだ! 実験の最中、お前は突然変異として生まれた。皆は失敗作だと吐き捨てた。だが、僕だけが気づいていた。異常な魔力をもち、伝染病を克服したリリスという存在こそが、正解だったのだと!」

 マルケドの声に熱がこもる。

「僕はずっと後悔をしていた! お前を氷棺に閉じ込めて、あの研究所クリニックを脱出しなければならなかったことを! この地に流れ着いて、僕は国を興し、何度も何度も研究所に兵を派遣した。だが一度とて、戻ってくる者はいなかった。皆、魔物に食い殺されたのだ。だから僕は、自らの力で再びお前を造ることにした!」

 マルケドが両手を掲げた。

 そのとき一瞬だけ天井が開き、なにかが投げ込まれてくる。

 檻の中央に落ちたそれは、人型をしていた。それどころか、うら若き少女の姿だった。

 だが、その目はうつろで、焦点が合っていない。

 後ろでまとめた栗色の髪は美しく、着飾った少女は美麗である。しかし人間ではなかった。

 彼女は――人の形をした魔物だと、リリスは本能的に直感した。

 それは、もしかしたら自らが歩んでいたかもしれない末路だった。

「リリス、僕の研究に協力してはくれないか。全人類がお前のようになれれば、人は魔物を凌駕する。魔物とまったく同じメカニズムをもち、魔物とは異なる知能を有した新たなる種族『魔人』が生み出されるのだ!」

「伝染病で世界は滅びかけたのよ!」

「適合できなかった弱き人間たちだ。完全にその身に取り込みさえすれば、病は無限の力になるであろう!」

「狂っているわ……」

 リリスは唇を噛む。

 ――本質的に、リリスは魔物であった。

 体組織、血液の魔力内包量、あらゆる食物をエネルギーへと変える臓器、髪の毛の一片に至るまで、リリスが人間であった証拠はない。

 だからこそリリスは伝染病を治療するという過程において突然変異で生まれた失敗作であり、破棄されなければならなかった。

 振り向くリリス。そこに立つ少女は、こちらを見て、笑っていた。

 新たなる獲物を見つけたときの魔物と同じ、獰猛な笑みであった。

「やれ。性能テストだ。お前は失っても構わん。リリスが手に入るのなら、な」

 王の命に従い、少女は全身の魔力を活性化させた。

 栗色の髪を振り回し、少女は牙を剥く。

 亡きミアを思い、リリスは拳を握りしめた。

「やはりあたしは、あなたにとっても悪魔だったわね」

 少女の形をした魔物が四足で駆けてくる。

 なるほど、口の中には苦味が溢れてくる。力を発揮した自分とまったく同じように。

 リリスは地面を強く踏み、彼女と戦うことを決めた。

「まったくもう……まったくもう!」

 決して神を信じているわけではない。

 ――だが、せめて彼女を、ミアと同じ場所に送ってあげようじゃないか。


 彼女の右手の爪はひどく発達していた。まるで一本一本が刃のようだ。紛うことなき、人間の進化系と呼べる姿。肉体的には、だが。

 獣のように唸りながら爪を振りかざした少女から跳躍し、距離を取る。

 だが、すぐに追いついてきた。獲物を狙う本能もまさに魔物である。

「こんなものを人為的に作るだなんて……!」

 さらに引くと見せかけ、リリスは姿勢を低くし、魔物を迎え撃つ。

 間合いを外された魔物は爪ではなく、足刀を放ってきた。人間だった頃の名残か。リリスは右手でさばき、そのまま左拳を彼女の顔面に叩き込んだ。

 彼女は飛びかかった勢いそのままに撃ち落とされ、そのまま地面に背を打ちつける。

「悪いわね、でも――」

 リリスは陸に上がった魚のように痙攣する彼女の腹を、そのまま踏み抜く。

 彼女がかっと口を開く。そこから血が飛び散って床を汚す。

 だが、リリスにとっては誤算であった。いくらいつものブーツではないとはいえ、今のは肉を貫通させるつもりで踏みつけたのだ。それが、皮すらも突き破れなかった。

 通常の魔物にしては、固すぎる。内包する魔力の密度が極端に高いのかもしれない。だとしたら、この小さな体にベリアル級の硬度を秘めているのか。

「……やっぱり、刀がないと面倒だわ」

 しかし、打つ手はまだまだある。貫くのではなく、引きちぎることにしよう。

 リリスが足をどけて、その頭をねじ切ってやろうと手を伸ばしたそのときだった。

 血に満ちた鍋の蓋を開けたかのように、少女の全身から真っ赤な蒸気が吹き上がった。

 強烈な魔力の発動だ。リリスの全身に怖気が走る。

「くっ」

 慌ててその小さな体を蹴り飛ばそうとしたリリスの足が、掴まれた。

 足から体に巻きつくようにして、彼女が絡みついてくる。

 リリスは大きくのけぞって床に手を突くと、腕の力だけで勢いよく飛びあがった。全身を回転させ、それでも栗髪の少女は振りほどけない。

 彼女が渾身の力を込めてリリスの右の大腿骨をへし折ろうとするその寸前。リリスは魔物を天井に叩きつけた。

 ガツン、と。先ほど壁を殴りつけたよりも何倍も強烈な音がして、魔物は天井に張りつけられた。透明な壁がミシリと音を立てる。

 まだだ。落下してくる少女の体めがけて、リリスはその場で跳躍しながら全身をねじった。

 十二分に遠心力の乗った後ろ回し蹴りが、彼女の脳天を間違えなく捉える。

 リリスの肌の汗が蒸発するほどの循環燃焼メディテーションによる、最大威力の脚撃。垂直に落ちてきた少女は、水平に吹き飛んだ。

 少女は壁に背中を叩きつけられて、そのまま動かなくなった。

 刀がないから、苦労をしてしまった。リリスは疲労感を押さえながら、マルケドの元へと歩いてゆく。

「……これで、満足?」

 肺から吐き出す息は熱風のようだった。

 マルケドは手を叩く。

「ああ、さすがだ、リリス。お前の性能は素晴らしい。その体を一片残らず解剖すれば、なにかが見つかるだろう。僕の造り出したまがい物の魔人などとは違い、本物の魔人の製造技術が」

「なんだっていいけど……」

 気絶した少女の頭をねじ切り、それを捨て、リリスは大きく息をついた。

「……あんたにこれ以上構ってあげる理由は、ないわ。魔人の製造なんて、勝手にやればいい。あたしを巻き込まないで」

「そうはいかないな」

 マルケドが指を鳴らした、そのときであった。

 鎖につながれ、それを大男に担がれながら、ひとりの少女が姿を見せた。

 自らの目を疑った。

 だが、見間違えるはずがない。

 美しい金髪の少女。

 可憐で、神聖で、清廉な乙女。

 リリスがこの世界でもっとも大切な人。

 その名を呼ぶ。

「サラ、どうしてここに……?」

 ――それはまるで眠り姫のように瞳を閉じていた。


 一瞬にして、リリスは己の鎧をはぎ取られてしまった。

 無防備な表情を見せてしまったリリスに、マルケドは付け込む。

「知らなかったのか、四人の女のあとから、さらに四人の女が運ばれてきた。すべて実験体として使おうと思っていたのだが、そこにこの娘が紛れていたのだよ。この美貌だ。僕は一目でわかったとも。これがサラであるとな」

 マルケドの言葉は半分も耳に入らなかった。

 リリスは再び檻を叩く。

 今、彼女の目は、仲間を奪われたベリアルのようだった。

「その子になにをした!」

「なにも。ただ眠ってもらっているだけさ。あとはお前の返答次第だろう」

 リリスは檻の中から手を伸ばす。

 だが、床に寝かせられたサラに届くはずもない。

「……サラ、あなた、どうしてわたしを追いかけて……」

 あれほどひとりで待っているように言ったのに。

 彼女がカシムと密会していたというのも、このためにだったのか。

 リリスには黙っているように頼んだのだろう。カシムとしては断るはずもない。美少女を売り払えば、彼は金が手に入るのだから。

 サラはリリスのことが心配だったのだ。

 リリスをひとりで行かせたくはなかったのだ。

 でも言葉で言っても無駄なことを、彼女は知っていた。

 だからついてきたのだ。

 自分がサラの信頼を勝ち取れなかったから。

 これは自分ははおやの責任だ。

 ――サラはたったひとりで、勇気を振り絞って、ここにやってきたのだ。

 マルケドは絶対勝者のような顔で腕を組み、たたずんでいる。

 嫌だ、これ以上は聞きたくない。

 だが、詰問せずにはいられない。

「……その子を、どうするつもりなの」

「わかっているだろう」

 いつの間にか、マルケドは大男から一本の剣を受け取っていた。

 魔手抜刀剣ではない、普通の剣だ。

 それを引き抜いた彼は、床に刃を突き立てながらつぶやく。

「お前次第だよ、リリス」

「……」

 リリスは壁に爪を立てる。

 指先が割れ、血が涙のように壁を滴った。

「お前が実験に協力してくれるというのなら、僕はなにもしない。それどころか、この娘の具合を見てやろう」

「……っ」

 リリスは弾かれたようにマルケドを見た。

「重い伝染病を患っているはずだ。なぜ氷棺から出した」

 マルケドは無能を責めるように言う。

 リリスは力なくうなだれ、小さく首を振った。

研究所クリニックは魔物の襲撃にあって、すべての機能が停止したわ……。あたしはこの子を連れ出した。だけど、薬が足りなくて……」

 もはやリリスは抗する言葉をもたなかった。

 ただ罪人のように、とがを告白する。

 マルケドはそんなリリスを責め立てた。

「あの頃からお前は、これが誰よりも大切だったな。この娘に危害を加えると言えば、なんだってやってみせようとした。そして最終実験体の代わりになり、その力を手にしたのだ」

 リリスは透明な壁を叩いた。

 しかしそれは硬く、冷たい。

 届かない。

「懐かしいな。薬を作りだしたのも、もう三十年も前の話か」

 サラを見下ろし、マルケドは笑っていた。

「伝染病の特効薬『サラ』。その名を呼ぶ者はほとんど残ってはいないがな。だが、素体が伝染病に侵されながら外を歩くなど、物騒な話だ」

「――それを強いたのは、貴様たちだろう!」

 リリスの怒声が檻の中で響いた。


 

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