第四話 ウリアツラの正体
「オリズスが連れて行かれたって?」
呉服屋ベドの店内。ゾロイの上げた大声に、周囲にいた客の視線が向けられる。
「そんな言い方しないでください、人聞きの悪い。妻がお嬢さんを連れて、若い人向けの着物の市場調査をしに出かけたってだけです」
客の間に妙な噂が立つのを危惧したのか、ベドは慌てた様子で言い繕った。ゾロイもそれくらいは理解していたが、黙って見送った呉服屋の亭主に対して文句のひとつでもぶつけてやりたい気分であった。
先ほど、ゾロイはこの店から通りを挟んだ向かい側でリックと話をしていた。オリズスの依頼にとっても、ゾロイ自身にとっても重要な内容であったため、見張っていた呉服屋の店内にウリアツラの姿が見えないことに気がつくのが遅れた。
集中力を欠いたことが招いた失態だったが、今は反省するよりもオリズスたちを追跡することが先決だ。
「で、どこに行ったんだ?」
苛立ちを隠さず、ゾロイはベドに訊いた。「ゾロイさん、僕だって馬鹿じゃあありませんよ。それくらいは把握してますってば。何せ僕は、彼女の夫ですからね」
キシシシ、と笑うベド。それを見てゾロイは不快さを訴えるために、眉根を寄せた。ここ数日で幾度か目にしている笑い方が、ゾロイは好きではなかった。しかしゾロイの匂わせる不快さをベドは一切感じていない様子で、薄気味悪い表情のままある。
「……その美人妻の行方は?」
ふっとため息をこれ見よがしに吐いてみせるゾロイ。ベド相手に効果がないのは重々承知だが、自分の気持ちを発散しないと気が済まなかった。
ベドから差し出された紙を受け取る。開いてみると、そこに件の店の地図が描かれていた。ここから歩いて行ける程度に近い距離である。この通り沿いに店を構えているところを考えると、それなりに賭けているものがあるのだろう。
「ここです。ここのところ人気の出てきた店で、うちとしては商売敵の関係です。着物の他にも、若い人が興味を惹きそうな品物を盛んに仕入れているみたいですが、僕はどうにも好かない」
一転、ベドは頬を膨らませ、丸い輪郭がさらに膨張した。不満を表しているようだ。
「あちこちに手を伸ばす商売のやり方が気にくわないのか?」
代々続く老舗の呉服屋としては、地に根をはる商売でないことが、浮き草のように腰掛け気分で手を出した商売に思えるのかもしれない。単に、業績を伸ばす同業者に腹を立てているだけかもしれないが。
「そうですよ。本来、店とはそういうものでしょう。専門的に品物、あるいは技巧を扱うからこそ、お客さんは足を運んでくださるわけですから。方々に手を伸ばすことで、その質を下げてしまっては本末転倒です」
どうにも腹を据えかねるらしく、ベドは不満を漏らし続ける。
「お宅でも、髪飾りや指輪みたいな装飾品の類は扱っているみたいじゃないか」
ゾロイは店内の棚に目をやり、見つけた着物以外の品物を指して言った。
「これは着物に関連した品です。たとえば、うちは近隣にお住まいのお客さんもいますが、遠くからお越しになるお客さんもいらっしゃいます。その方たちがこの街を知らないことだってあるでしょう。ニヒサスムは大きな街ですから、一日ですべてを見て回るのは体力的にも精神的にも難しい。そこで、うちとしてはささやかではありますが、ちょっとした装飾品を陳列しているってわけですよ」
意地の悪い質問にも誠実に応えるベド。ゾロイは、好きにはなれないが、少なくとも商売については信頼できる相手だと改めて感じた。
「じゃああんたの妻が向かった店ってのは、そういう装飾品を置いているわけじゃないんだな。いったい、なにがそんなに不服なんだ」
「煙草や香草、それからお香といった嗜好品ですよ。お客さんの中にはそれをとても嫌う方もいますし、第一、売り物に匂いが移ったらせっかくの着物のほのかな香りが台無しじゃないですか」
正論である。それについてベドに反論するつもりは毛頭ない。しかし、ゾロイには気になることがあった。
「香り、か……」
オリズスが最初にゾロイの店に来たとき、ほのかにさわやかな香りが鼻をくすぐった。その原因は、もしかしてウリアツラが向かった店に置いてある品物ではないか。
ゾロイはオリズスの部屋を思い出す。しかし、記憶の中の風景から、同じ香りを見つけることはできなかった。室内をくまなく探しておけば良かったのだが、黒い獣の出現によって調査は断念せざるを得なくなってしまった。
「どうかしましたか?」
ベドは怪訝な顔を見せる。が、今の時点では確証もない話を、ゾロイは披露するつもりはない。
「いや、何でもない。俺はウリアツラとオリズスの向かった店に行ってくる。入れ違いになったり、何か気がついたことがあれば、後で教えてくれ。夜には戻る」
「わかりました。良い報告を期待して待ってますよ」
良い報告というのは、浮気の証拠を見つけてくることなのか、それともベドの思い過ごしである証拠を持ち帰ることなのか。浮気調査を依頼する客の中には、一度疑いを持ったがゆえ引き下がれない、もしくは自分の正しさを貫くために事実をねじ曲げて受け取ってしまう者も少なくない。
判然としないまま、ゾロイは件の店に向かって歩き出した。
「ゾロイさん、どうしてここにいるんですか?」
素っ頓狂な声を上げて、オリズスは目を丸くしている。
夕方に差し掛かり、通りには行き交う人々の熱気が漂う。陽が落ちて夜になれば、いっそうの賑わいを見せるに違いない。
ゾロイとオリズスは、人の流れを分断するように、通りの真ん中で相対していた。
「それはこっちの台詞だ。おまえ、俺の忠告を聞いてなかったのか? ひとりで危険な行動は取るなと言ったはずだが」
腕を組み、ゾロイはオリズスに睨みをきかせた。事前に交わした約束を破ったオリズスに対して説教をするつもりだった。
「ひとりじゃないですよ。奥さんも一緒でしたし、それに夜ならともかく、この時間なら危険なんてないと思います。まだ夕方じゃないですか」
しれっと応えるオリズス。どうやらゾロイの忠告の意味を履き違えているようだ。
「俺から離れるなって意味だ。調査対象の人間と行動を共にするなんて言語道断だぞ。なにを考えているんだ、まったく」
元々オリズスに仕事をさせるつもりはなかった。その気分だけを味わわせて、後はすべてゾロイひとりで調査を行う予定だったのだ。面が割れてなければ昼間の尾行も指示していたかもしれないが、ウリアツラがオリズスを認識できる事実を知った今、それも難しくなった。
「ゾロイさんこそ、昨日はわたしに内緒であちこちに足を運んでいたじゃないですか。結局、宿に帰ってきたのは朝になってですよ。それまでどんな気持ちでわたしがひとり過ごしていたか、わかりますか」
憤慨した様子で、ずずい、と詰め寄るオリズス。ゾロイはその剣幕にたじろいだ。
「落ち着け。たしかに昨日の単独行動の行き先を告げなかったのは悪かった。でもなあ、この商売はその場その場の臨機応変な行動が必要不可欠なんだ。連絡してから行動するんじゃ、追跡するんだって遅れてしまう。対象を逃がしてしまったりしたら元も子もない」
どうにか宥めようと、ゾロイはよろず屋稼業のありのままを述べた。
しかしオリズスは首をぶんぶんと横に振る。
「そういう意味じゃありません。そういうことを聞きたいわけじゃないんです」
頬を膨らませてオリズスはむむむ、と怒りを表している。
「じゃあどういう意味だっていうんだ?」
オリズスの怒りの原因がわからず、ゾロイは困惑して訊いた。理路整然、とまではいかなくとも、誠意を持って説明したつもりだったが、どうやら互いの焦点が合っていないらしい。
素直に訊ねたゾロイだが、その質問は怒りを増長させるだけだった。
「ど、どういう意味って……それは、その……じ、自分で考えてください!」
顔を真っ赤に染め、大声を上げるオリズス。
収拾を着ける案も思いつかないので、ゾロイは強引に話を元に戻すことにした。
「わかった。それについてはじっくりと考えさせてくれ。……で、本題だが、おまえはどうしてウリアツラについて行ったんだ」
話題を変えたが、オリズスの顔は赤いままである。ゾロイはまたしても彼女の尾を踏んでしまったのかとげんなりした。
「……奥さんから話しかけられたからです。でも、わたしだってほいほいついて行ったわけじゃないんですからね。ちゃんと仕事をしてました」
「なにか怪しい動きでもあったのか?」
「いえ、それについては特に感じませんでした。ぴったり傍に張り付いていたわけじゃありませんけど、それでもわたしはずっと観察してました」
それについては。その断りが引っかかり、ゾロイは訊ねる。
「質問を変えよう。怪しい点はなにも見あたらなかった以外の、仕事の成果を聞かせてくれ」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、オリズスはえっへんと胸を張った。
「お香です」
オリズスは短く簡潔に答える。言葉を多く並べ立てるよりも、それが却って真実味を演出しているようだとゾロイは感じた。
ベドからも聞いていた話ではあったが、ここはオリズスの入手した情報を黙って聞くことにした。
「お香がどうかしたのか」
「詳しいんです、奥さん。若者の流行りに、という意味ではなくて、その成分に」
オリズスの言葉に、ゾロイは鋭く反応する。
「成分だと?」
ゾロイは無意識に、全身に力を入れて身構えていた。記憶が身体を支配する。
オリズスはびくっと仰け反り、驚いた顔でゾロイを見つめた。
「は、はい。といっても、わたしにはちんぷんかんぷんですけどね。ここに来る道中、流行りについてウリアツラさんから話題を振られて、わたしが好きなお香の話をしたら、名前だけでどういう効果があるのか当ててしまったんですよ」
専門に扱う業者ならまだしも、呉服屋の妻がそらで答えられるなど、通常は考えにくい。
「ウリアツラ自身の、特に過去になにをしていたのかを匂わせるような話は耳にしていないか?」
「思い切って直接聞いてみたんですよ、実際。そうしたら、ウリアツラさんのお家は代々、医術を生業としていたらしいんです。さすがにそれ以上込み入った話はしてくれませんでしたけどね。人を家柄で判断するのもされるのも好きではないですが、医術師の家系なら、信頼しても良いような気がします」
医術師になるには、それに特化した才能を、患者にではなく、まずは国に対して発揮する必要がある。免許の取得が義務づけられており、またその肩書きを手に入れるためには難関な試験に合格しなくてはならず、才溢れる者であっても多くの時間を勉学に費やす。そうして狭き門を潜り抜けた者のみが医術師として認められる。
オリズスが言いたいのは、つまり、勉学一筋できた人間は正しい道を歩んでいる、ということだろうとゾロイは理解した。
「ウリアツラ自身は医術師の免許を持っているのか?」
「それは聞いてないです。でも、あれほど詳しい知識があるんだから、きっと免許を持っていなくても、かなりの勉強をされてきたと思います。浮気なんて遊び癖をつける暇なんて、なかったはずですよ」
オリズスの私見には、多分に幻想が含まれているとゾロイは感じていた。家が医術師をしているというだけで、正しい道を歩んでいるとは限らない。豊富な知識にしても、才覚を持つ人間ならば、短い期間で修得することも可能だろう。時間に余裕だってできる。むしろ、ゾロイは、医術師というだけで信用ならない印象さえ持っている。国に直結した機関に通じているなら、表沙汰にできない物事もたくさん抱えているだろうと思う。
とはいえ、それらはゾロイの経験からくるもので、アジネに言わせればこれもまた思い込みによる幻想だと注意されるだろう。仕事をする上で、偏った考えは不要である。
自分を戒めながら、ゾロイはふと、先ほどオリズスが怒った理由がわかった気がした。
「ご苦労、よく調べてくれた」
ゾロイは労いの言葉をオリズスに向けた。
仕事の成果としてはあまり芳しくはない。ゾロイは誰かと組んでこうした調査を行った経験はないが、これがもし同じ稼業の人間が持ち帰った成果ならば、叱り飛ばしているところだ。
しかし、相手はただの少女である。それもこの稼業を志す者ではなく、依頼者だ。ゾロイが頼んだことではないにしろ、オリズスは懸命に手伝ってくれている。それに対して、感謝の意も示さず、たとえゾロイの指示を無視して単独行動を取ったにしても、なにかしら労いの言葉をかけるべきだった。
オリズスはゾロイの言葉に驚いているのか、ぽかんと口を開けている。
「もっと褒めてくれても良いんですよ? 伸び盛りですから」
いたずらっぽくそう言うと、オリズスは笑顔を見せた。
「さっきは悪かったな。どうして怒っているのかさっぱりわからなかったんだ」
ゾロイは軽く頭を下げ、オリズスに非礼を詫びたつもりだった。
「えっ……どういうことですか?」
八の字に眉を寄せるオリズス。
ゾロイが示した感謝の意は、しかし、先ほどのオリズスの怒りを鎮めるものではなかったらしい。
「いや、だから、俺の言葉が至らなかったってことだ。せっかくオリズスが調べてくれたのにさ」
改めて言葉にするのも恥ずかしさがあったが、ゾロイは己の心境をオリズスに伝えた。
「そうじゃないです。やっぱりわかってなかったんですか」
そう言うやオリズスは俯いた。両手で着物の袖に触れ、落ち着かない様子である。
「わかってなかったって……教えてくれ、オリズス。さっきのおまえの怒りの原因は、俺のどんな言動がもとなんだ?」
考えてわからないものは、直接訊ねるしかない。オリズスには自分で考えろと言われたが、これだと思った理由がまるで見当違いだったのだから。
「や、宿……」
オリズスは小さく呟いた。顔がまた赤みを帯びていく。
「宿? 宿がどうかしたか?」
ゾロイは昨晩泊まった宿について考える。ニヒサスムの中では平均的な宿をとったはずだが、オリズスはそれが気にくわなかったのだろうか。しかし、数日かかるだろう調査を踏まえての料金や、いざという時に駆けつけられる範囲にある立地の安全面からいっても、あの宿屋は最適な店だった。
「なあオリズス、黙ってないで教えてくれよ。宿のなにがいけなかったんだ」
わなわなと全身を振るわせるオリズス。またしても尾を踏んでしまったとゾロイは悟った。
「言わせないでください! もういいです!」
オリズスはぷいっと背を向けた。
その瞬間、地面に何か落ちる音がして、ゾロイはそちらに視線を向ける。
「おい、これ……どこで手に入れたんだ」
オリズスが落としたと思しきそれは、ゾロイの見覚えのある物だった。
「えっ? ……ああ、これはあの店で買ったんです」
オリズスが指さした先には、ウリアツラと共に訪れていた呉服屋がある。
「これを売っていたのか」
拾い上げたのは、かすかに青く光る小さな石だった。
「はい。以前、ゾロイさんが煤を撃退するときに使った石と似てますよね。色は違いますけど、輝きが同じというか。いざというときに使えるかもと思って買ったんです」
ゾロイは石を握りしめ、改めてオリズスに労いの言葉を述べた。
「よくやった、オリズス」
「この石を買ったことが何かの役に立ったんですか? ウリアツラさんが浮気なんてしていないという証拠になる、とか」
オリズスの質問には答えず、ゾロイはただ、青く光る石を見つめていた。
空で輝く星が見えないほど、軒を連ねた店の灯りが通りを照らしている。呉服屋ベドも、その明るさの一翼を担っていた。
オリズスに、ベドを呼んでくるように頼んで、ゾロイは少し離れた場所で待機している。
少しして、ベドがオリズスに連れられてやってきた。
「ゾロイさん、妻が明日、また出かけると言ってきました」
春の夜は冷えるはずだが、ベドは額に汗を滲ませている。開口一番、不満を表すことの多いベドが挨拶もなしに報告をしてきたのは、ウリアツラに動きがあって慌てているせいだろう。
「場所はわかっているのか」
昨日の調査でわかったことは、ウリアツラは亭主であるベドに対して、少なくとも行き先を偽ることはしていない様子である。絶対とは言い切れないが、ベドに行き先を告げているのならば、そこに訪れる可能性は高い。場所を聞いておいて損はないはずだとゾロイは踏んでいた。
「ここに行くと言っていました」
ベドから差し出された紙を広げる。簡易的な地図を眺めながら、ゾロイは疑問に思ったことを言葉にする。
「結構離れているな。街外れに呉服屋なんてあったか?」
よろず屋のような商売であれば、あまり場所柄を考えて店を構える必要はない。無論、限度はあるが、よろず屋に依頼する内容がある人間は、必要にかられて店を訪れる。したがって、どんなに人里離れた場所に位置する店であっても、やってくる人間は確実にいる。
しかし、呉服屋はそうはいかない。衣食住のうちのひとつではあるものの、暮らしが安定しない者が、職や住処よりも衣服を優先することは希だ。確かな地盤あって初めて求められる商品である。より人の目につく場所に店を構えていなければ、経営も危ぶまれる。
「ああ、この店はちょっと他とは違うんですよ。売り物もありますが、主に着物の直しを行う店なんです。お客さんからお買い上げいただいた品の直しを依頼された時、僕ら呉服屋の人間が直接足を運ぶ場所ですから」
「なるほど。一応、研修の理由としては違和感のないものだってわけか」
ゾロイの言葉に頷きながらも、ベドはどこか晴れない表情をしている。
「そうですね。ただ普通は商売の系統が違いますから、呉服屋の人間が直しの研修に行くことはあまり聞いたことがありません。どちらかといえば、服職人寄りの立ち位置です。直しの技術を僕ら呉服屋が取り入れたら、向こうだって商売上がったりですよ。長年培ってきた技術を、おいそれと伝授するとは思えませんね」
「しかも呉服屋の人間に、というわけか」
「職人は通常、自分の子供にのみ、その技術を伝えます。もしくは跡取りとして迎えた信頼の置ける人物、でしょう。少なくとも僕ならそうしますけどね」
キシシシ、と不敵に笑って見せるベド。
自分ならそうするだろうか。ゾロイは考える。想像したこともないことだったが、もしも自分に子供ができたとしても、よろず屋稼業を継がせることには反対するだろう。わざわざ危険の多い商売に手を出さずに済むよう、その時にはゾロイも鞍替えしているかもしれない。
「そう……でしょうか」
ゾロイが考えに耽っていると、横で黙っていたオリズスが疑問を呈した。
「ん、なんだ?」
話そうかと迷っているのか、オリズスは言いよどんでいた。
「わたしは技術を広く世に伝えた方が、より長く商売を続けられる気がします」
「どういうことだ?」
「むしろ秘技にしておく理由が、わたしにはわかりません。だって、最終的にはお客さんの手元に渡る同じ品物を扱っている、いわば同士のような存在じゃないですか。あけっぴろげにしておけば、同業の人たちが切磋琢磨して、技術の向上があるように、わたしには思えます」
オリズスの言わんとしていることがわかった。
「それは……一理あるな。技術の向上があれば、質が上がる。質が上がれば、目の肥えた客が買い求める。固定客の心を掴めば、長いこと商売を続けられるだろうな。競争相手がいればこそ、それが実現可能になる。結局は、正直さが勝利するってことなのかもな」
ゾロイは素直に頷いた。横を見ると、ベドも納得しているのか、ゆっくりと首を縦に振っている。
「な、なるほど……。し、しかしですね、そうは言ってもすぐには難しいことですよ。同業の者は皆、互いの店を出し抜こうと、日々考えていますから」
ベドの言うことに、間違いだと指摘するのは簡単だ。根本的にはオリズスの述べた考えの方が正しいだろう。しかし、その考えを現実に持ち込んでみるのは容易ではない。それぞれが独立した考えを持つ人間相手の商売である。目先の儲け話には乗ってきても、長期的な利益についてはなかなか納得はしないのではないか。
「友達や、仲間になるって、そんなに難しいことですか?」
オリズスは不満げな顔をしてゾロイを見ている。
幼い正しさが、ゾロイの胸を締め付けた。
「商売ってのはそう簡単なものじゃない、残念ながらな。けど、おまえの言うことが実現できたら、今よりも街全体が活気づくだろう。そうすれば、怪しげな薬なんかを扱う業者も見かけなくなるかもしれない」
それはゾロイの願っていることだ。自分のような境遇の子供が、今もどこかにいることを考えると、やりきれないような気分になる。
「子供が安心して暮らせるような、治安の良い街づくりを、僕ら大人がしなくちゃいけませんよね。お嬢さんには大切なことを教わりました」
ベドがオリズスに向かって深く頭を下げた。商売人としてではなく、一人の大人として、守るべきものはしっかりと胸に刻んでいるようだ。オリズスをやくざ者から助けたというのも、ベドの生来の優しい気質から来ているのだろう。
褒められていることに気づき、オリズスは顔を赤く染め、戸惑っている様子である。
「い、いえ、出過ぎた真似を……。わたし、すぐに熱くなっちゃう癖があって……その、ごめんなさい」
オリズスは慌てて身体をくの字に折り曲げた。
「知ってるよ、おまえがそういう性格だってことは。もう何度も目撃しているからな。今更そのことで謝られても、どう対応したものかわからん」
「ちょっと、ゾロイさん、聞き捨てなりませんね。そういう性格って、わたしのなにを知っているっていうんですか」
「そう突っかかるなって。別に俺はなにも知らない……あ、そういやあ、宿の襖を蹴って破いただろ。おまえの寝相が悪いのは昨日知ったけど」
「なっ」
オリズスは言葉に詰まって、わなわなと拳を振るわせている。
キシシシ、と笑う声がして、ゾロイはベドを見た。
「いやあ、ごめんなさい。お二人のやり取りが微笑ましくって、つい。僕も、妻と喧嘩のひとつでもと思っているんですが、なかなか実現しませんね」
「喧嘩がないなら、その方が良いんじゃないか? 夫婦仲が良好ってことだろう」
その分、他に気が向いているということかもしれないが。
しかし、夫婦の関係について、他人があれこれ言うものではないとゾロイは考えていた。第三者から不仲に見えていても、案外にうまくいっている二人というのは存在する。
「わかってないですね、ゾロイさん。女の子は、喧嘩だって大好きな人としたいものです。喧嘩がしたい、とは違いますよ。気持ちの行き来があるのが良いって意味です」
「わからん」
短く言い放って、ゾロイは旗色の悪い話題から逃れようとした。が、ベドが口を挟んだことによって継続される。にやついた笑顔を浮かべながら。
「あれれ、本当にわからないんですか? 鈍感にもほどがありますよ。だってお嬢さんはゾロイさんのこと」
「わわあああ! ちょ、ちょっとベドさん! それよりも明日の予定を決めた方が良いんじゃないですか。ね、ゾロイさん?」
大慌てで両手をぶんぶんと振っているオリズス。
「いや、明日はこの紙に記された店に出向いてみるってことで決定しているから、それ以上話し合うことは別段……いや、ひとつだけ疑問があるな。立ち入った話だから訊きにくいのが正直なところだが」
「えっ、な、なななななにが疑問だって言うんですか」
オリズスはしどろもどろになって訊いてきた。
「おまえにじゃない。ベド、あんたに訊きたいんだ。さっき、技術の伝授は子供にのみって言ってたが、あんたは妻にもそれを伝えるつもりはないのか?」
自分に触れた話題ではないと知ってほっとしたのか、横でオリズスがため息を吐いているのがわかった。
「先ほどまでは、そう思っていましたね。でも今はちょっと考えを改める必要があると思ってますよ。子供にだけっていうのは、狭い考えだなあって。とはいえ、それも大分先の話になりそうではありますけどね」
ベドはそう言うと俯いた。
「それは仕方がないだろう。正しさってのは、現状を判断するものでもあるが、目指す方向を示す指針みたいな意味合いだってある。すぐには到達しなくても、方角さえ間違わなけりゃいずれ辿り着く」
ゾロイは正論を述べた。そのつもりだったが、ベドは困惑した様子で額の汗を拭った。
「いえ、そういうことではなく……その、僕、妻と一度も寝ていないんですよ。今は仕事を覚えたいって理由で拒まれてまして」
「わっ……」
ベドの思わぬ告白を聞いて、オリズスはびくっと身体を震わせた。
「……そうか」
短く答え、ゾロイは話題を打ち切ってその場を後にした。
ニヒサスムの街外れ、ベドの言った通りに件の店はあった。
辺りを見渡してみると、ぽつんぽつんと畑の間に家が点在している。ベドの店がある地域とは違い、この辺りでは建物自体が軒を連ねている風景を見つける方が難しい。
早朝だということもあって、吸い込む空気も涼やかだ。行き交う人もあまり見かけない。時折聞こえる鳥の羽音以外には、静寂を破る存在もないようだ。
この気持ちの良い晴れやかな朝とは裏腹に、ゾロイの気分は良くなかった。というのも、己の判断の甘さで、ウリアツラを逃がしてしまったからである。
昨日の夜、明日の朝に出かけると言ったベドの言葉を信じ、翌日の尾行等を考えると今夜は眠っておくべきだと判断して宿に戻った。しかし、今朝方ベドの店に出向くと、すでにウリアツラが出かけた後だと聞かされた。
悔いても仕方がないので、すぐにウリアツラが向かったとされる店へと出発したが、その道中でも彼女の姿や痕跡は発見できなかった。
(くそっ、ばれていたのかもしれないな)
ゾロイが苛立ちながら歩いていたせいか、道々オリズスは話しかけてはこなかった。悪いとは思ったが、今は少しでも手がかりを集める必要があった。ウリアツラの痕跡について思考を集中させる。
目的の店が視界に入ると、ゾロイはまっすぐには向かわずに、円を描くようにぐるりと店の周りを歩いた。尾行に気がついた可能性のあるウリアツラが隠れているかもしれないので、その確認のためである。
しかし結果から言えば、その姿も痕跡も発見はできなかった。仕方なく、ゾロイは聞き込みをするべく店に近づく。なにかしら得るものはあるはずだと思いながら。
地図が指し示す店の前に立ち、ゾロイはおもむろに扉に手を伸ばした。
「ちょっと、ゾロイさん。いきなり過ぎますよ。中にウリアツラさんがいるかもしれないじゃないですか」
オリズスが小声で注意を促す。
「いや、いいんだ。もしウリアツラがいたとしても、店から離れるわけにはいかないベドに頼まれたって言えば納得するだろう」
おそらく、ウリアツラはこの店の中にはいない。足跡も見あたらないので、来店はしていないだろう。もしも足跡を消しているとしたら、ウリアツラが警戒しているのは浮気の発覚ではなく、別の何かだ。浮気程度、と表現すればオリズスは怒るかもしれないが、そのくらいで足跡を消す必要などないように思える。第一、その技術を身につけていること自体、一介の呉服屋としては違和感がある。
「そ、それはそうかもしれませんけど……だったら事前にわたしにも伝えておいてくださいよ。びっくりするじゃないですか」
ぶつぶつと文句を口にしながらも、オリズスの表情は生き生きとしている。案外、この状況を楽しんでいるのかもしれないとゾロイは思った。
「ま、ベドから頼まれているのは嘘じゃないしな。内容はともかくとして」
「内容が違うなら嘘ってことじゃないですか。よろず屋家業には憧れもありますけど、嘘はいただけませんね」
「嘘も方便って言葉、聞いたことないか?」
「失礼なことを言いますね、ゾロイさん。わたしはこう見えても、施設ではいちばん頭が良いって言われていたんです。だいたい」
その時、がらっと音を立てて扉が開いた。
驚いてそちらに目を向けると、そこには初老の男がひとり、後ろに手を組んで立っていた。
「おまえさん方、うちの店の前でなにを言い争いしているのかね。騒がしくて作業に集中できんから、他でやってくれんか」
初老の男は顎に蓄えた白髭を撫で、ゾロイを睨みつける。横ではオリズスが固まっているようだ。
「すまねえな、じいさん。作業を中断させちまって申し訳ないが、そのついでにちょっと訊きたいことがある」
「す、すいません!」
オリズスは自分の行動を詫びて、深く頭を下げた。
ぴくり、と初老の男の眉が動く。
「はて、こんな辺鄙なところまで来て、ひっそりと家業を営む老人に訊ねたいことがあるとは」
「ここに女が訪ねてこなかったか? 大層美しい顔立ちの」
訪問の理由は付け加えなかった。ゾロイの見立てでは、おそらく研修の目的ではなく、別の理由がある。昨日の調査でも、研修先と夫に偽った店では、流行りの着物について話しただけで、研修には来ていなかったのだ。
初老の男はしばらく考え込んでいた。その間、ゾロイから目を離さなかったことから、思い当たる人物はいるが、それを話すべき相手なのかどうか見定めているのかもしれない。
「そちらのお嬢さんが久方ぶりに見たおなごだな。でなければ、思い出せん。そんなべっぴんが来たら、この老いぼれの記憶にも留まっているはずだが。ここへ来るのは、決まって男、それも呉服屋の人間だけだな」
言葉を額面通り受け取るつもりは毛頭ない。しかし、ゾロイは貴重な情報を得ることに成功した。
オリズスも同じ結論に達したらしく、老人の言葉を耳にするなりゾロイの顔を見た。
「ゾロイさん、これって」
「ああ、どうやらこのじいさんは幽体が視えるらしい」
目の前に立つ初老の男とオリズスが、どこかで接点を持っている可能性も否定できない。しかし、これまでの調査で得られた情報を元に考えると、それとは違う可能性が色濃く感じていた。
「なんのことかね。年寄りをからかいに来たのなら、帰ってくれんか」
不機嫌さを露わにして、初老の男は扉に手をかけようとした。
「ちょっと待ってくれ。からかいに来たわけでも、騒がしくして仕事の邪魔をしに来たわけでもない。ただ訊きたいことがあるだけだ。この人物を見かけたことはあるか?」
扉を閉めさせまいと、ゾロイは言葉を連射する。そしてもう一度、今度は紙を取り出して、それを老人に差し出す。
「ああ、この人なら見かけたよ。うちに買い物に来た客だ。客なら大歓迎だね」
差し出した紙には、ウリアツラの似顔絵が描かれている。それを見るなり、老人は顔を綻ばせ、頻りに首を縦に振っていた。どうやら買い物をしていく客にだけは愛想を振る舞うらしい。
「買い物って、一体なにを買っていったんだ?」
ゾロイは店内を覗き込むが、ここからでは外の明るさが強くてよく見えない。
老人はゾロイの視線の意味を理解したのか、一旦店の中に入っていった。
「ゾロイさん、あのおじいさんはどうして最初は思い出せなかったんですか? ……もしかして、ウリアツラさんは幽体、とか?」
オリズスが訊ねてきた。当然の疑問だが、それに答えようとした時、老人が何かを手にしてゾロイたちの前に戻ってきたので後回しにすることにした。
「これだよ、これ。その客が買ってくれたのは」
そう言って老人が広げた手の中には、丸く小さな石があった。
「なるほど」
半ば予想通りの答えではあったが、こうして裏が取れたことで、ウリアツラへの疑惑が確信に変わりつつあった。
礼を言ってその場を後にすると、しばらくしてオリズスが先ほど口にした疑問について聞いてきた。
「ゾロイさん、どういうことか教えてくださいよ。おじいさんの答えって、どこかちぐはぐというか、こういうとなんですけど、ちょっと変です」
表現に困りながら、それでも自分の考えを述べるオリズス。
「ぼけてるって言いたいのか? まあ、気持ちはわからなくはないがな。けどあのじいさんは、少なくとも目利きは大したもんだと思うぞ」
ゾロイは素直に答えた。若者と比べて老人の場合、幽体を感じ取ることはままある。自身が幽体に近づくことで、あるいはそうなるのかもしれないとゾロイは考えていた。
「この石がですか? こんなの、そこらへんに落ちてるような石に思えますけど……これのどこが目利きが良いって言うんですか」
オリズスが広げた手の中に、老人から買い取った石がある。
「それはおまえが昨日、ウリアツラに連れて行かれた店に置いてあった物と同じだ」
「全然違いますよ。あの石は光ってますけど、この石は少しも光ってません」
「光っているのは職人の手が入っているからで、元々はそのへんの石ころと見た目は大して変わらん。成分が違うから見分けるにはそれなりの目利きが必要なんだ。俺が前に使っていた石も、元々はそれと同じだ。まあ器のような物だな」
「器?」
「幽体ってのは、基本的に使用する者の身体とくっついていなけりゃならない。この剣だってそうだ。俺が柄を握っているからこそ、幽体が刃の形に変化する。ちぎって投げるわけにはいかないんだ。けど例外もある」
鞘から剣を抜いて、ゾロイは折れた刃を見せる。
「あの、煤を撃退した時に投げた石ですか」
ゾロイは肯いて、説明を続ける。
「普通は、どんな物体にも幽体が満杯状態というか……ひとつの椅子には一人しか座っていないだろ? それと同じようなことで、ひとつの物体には相応の量の幽体がすでにそこに存在しているんだ。あの石が例外なのは、中身の幽体を出すことができるからだ。とはいえ、それを知っていて扱う店はさほど多くはないし、第一、見つけること自体が難しいがな。大抵は、見た目の美しさを演出するために磨き上げるだけだろう。俺みたいに、幽体の入れ物として扱う人間は少ないはずだ。あれを発掘できるってだけで、かなりの目利きの証拠だな」
磨き上げることで、その石は輝きを帯びる。装飾品として扱われることも多いが、ゾロイは攻撃する武器としてそれを購入している。光石すべてが幽体を込められる条件を通過しているとは限らないので、店で見かけた場合、店主がその実体を知らないということもある。
「それで目利きが良いって言ったんですか。でも、ウリアツラさんのことは気がついていませんでしたよね。最初聞いた時は思い出せないと言っていたのに、似顔絵を見た途端に気がつくなんて」
「それは俺が、女を見なかったか、と訊ねたからだろう」
ゾロイの答えに納得できない様子で、オリズスは食い下がる。
「綺麗な人を見かけたら覚えてるって、あのおじいさんも自分で言ってましたよ? それとも、わたしたちに答えるつもりはなかったってことなんですか?」
「それはそうだろうな。けど答えは、もっと簡単に考えれば自然と出る。似顔絵を見て合点がいったのは、ウリアツラのことをよく覚えているってことだ。つまり」
一旦言葉を区切って、ゾロイはオリズスを見る。瞬間、真実を口にするのを躊躇ったのは、やはりオリズスはただの依頼者で、よろず屋の助手ではないから、危険に巻き込みたくないからである。
「つまり……なんですか?」
「ウリアツラはたぶん、女じゃない」
ゾロイの言葉に、オリズスはぽかんと口を開けて呆気に取られているようだ。
ややあって、オリズスはくつくつと笑い声を漏らし始める。
「いやいや、幾ら何でもそれは飛躍し過ぎですよ。だってベドさんの家に嫁入りしてるじゃないですか」
言葉ではそう言いつつも、オリズスの口元が歪んでいる。自分の言葉に感情すべてを乗せられないもどかしさを感じているようだ。
「昨日ベドが言ってただろ、妻とは寝てないって」
それはすなわち、ウリアツラの身体を見てはいない、確認していないということに他ならない。夫婦だから必ず、というわけではないが、少なくともベドは子を欲している様子である。であるならば、それ以外で身体を見る機会は少ないのではないか。
「でも、だからって女じゃないっていうのは言い過ぎに感じます。もしもそうだとしたら、ウリアツラさんが研修に行っていたお店には、浮気相手の女性がいたってことですか? 証拠もなしにその決めつけは受け入れられません」
憤慨した様子でオリズスは言い放った。
「証拠、か。たしかにそれはない。だが、夫に疑惑を持たれているって時点で、なにかしらの妙な行動を取っているんじゃないか? 俺が言いたいのは、ウリアツラが男かもしれないってだけじゃない。身分を隠しているかもしれないってことに、大いに疑問を抱くんだ。俺もオリズスも孤児院出身者だから後ろ暗いことには覚えがあるが、この場合は全然違う」
「どう違うっていうんです?」
「あちこちでの不貞を目的にしている場合に、そもそも結婚する必要があるか? 中には変わった性格の人間もいるから完全に否定はできないが、おおよそそうではないだろう。遊び人は決まった相手を持たないのが常だから、結婚なんてしない。自らが檻に入っていくようなものだからな」
「世間体というのもあります。幾ら遊び人だとしても、孤児院の……家族への配慮、あるいは周りの近しい人々への見栄から、結婚という制度を利用することも考えられるんじゃないですか」
オリズスの本意ではないらしく、その弁には不快さが滲んでいた。
「たしかにな。もしくは暮らしのためって理由もある。しかし今合わせるべき焦点はそこじゃない。誰に対して身分を隠すのか、疑問はこの一点だ。たとえば、おまえが結婚するとして、家族同然の孤児院に対して何か嘘を吐きたいと考えるか?」
「……いえ」
「基本的に身分を偽るのは、そうしなければ衣食住を手に入れられないからだろう。親しい友人や家族に向けて吐く嘘はその類じゃない。国の法から逃れるために仕方なく身分を偽るんだよ、多くは」
「それについては……あくまで現段階ではゾロイさんの仮定の話ですけど、ウリアツラさんも同じじゃないですか。国に対して嘘を吐くのは、わたしも一緒です。心苦しいですけど」
嘘が嫌いだと公言するオリズスは、自分の行動を完全に肯定できずにいるのか、俯いてしまった。
「同じじゃないだろ、国に証明できる自分の存在を手に入れるのと、国の目を欺くために偽りの身分を手に入れるのは。俺が思うに、ウリアツラは自分の戸籍というものを、別に持っている」
「なにを根拠にそんなことを思うんですか」
「勘だ」
身も蓋もない表現を口にするゾロイだったが、実際は根拠があった。
ウリアツラがオリズスを連れて訪れた店にあった光石。あの石には幽体が存在しいていたのである。輝きを放つ状態にあるのは職人が磨き上げたからだが、それのみの場合には幽体が入っていないはずだ。しかしあの店にあった石には、たしかに幽体が含まれていた。
それが意味するのは、石に幽体を注入した人物が介入しているという事実である。無論、その人物が幽体を使う才能がなければならない。
ウリアツラという名前。
光石に幽体を注入できる人物の存在。
身分を偽っている可能性のある、ベドの妻。その疑惑の行動。
それらが単体であれば見過ごしていたかもしれない。しかし、ゾロイは自身の経験と結びつけることで、ある人物の像を頭の中に思い描いていた。
リヒサコニで共に暮らした兄のような存在が、この件の裏に見え隠れする。
「とりあえずベドの店に戻って報告だ。それでこの件に関しての調査は完了する」
ゾロイの答えに不満げな顔のオリズスは、頷くことなく、ただ黙って歩き出した。
とぼとぼと歩くオリズスの後ろ姿を見ながら、ゾロイはかける言葉を見つけられないでいた。
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