第三話 遅れてきた情報屋


 ゾロイが宿で目を覚ますと、書き置きが机にあるのに気がついた。

『ゾロイさんへ ゆっくり休んでいてください 昼間はわたしが見張ってます オリズス』

 寝起きで働かない頭で、ゾロイは状況を整理する。

 昨日は結局、ウリアツラは何の動きも見せず調査は徒労に終わった。夜通し見張っていただけで、得たのはだるく身体を重くする疲労だけである。

 今朝方、ゾロイはベドが店から出てくるところを捕まえて、今日のウリアツラの予定を聞き出した。ベドによると、今日は夫婦とも一日店番があるということなので、とりあえず宿に行って休息をとることにした。

 動きがあるとすれば、また研修の名目で店を出るはずだと、ゾロイは考えていた。

 昼間はベドの目が光っているだろうし、夜はゾロイが夜通し見張っている。見張りに気づいていたとしたら、そこで動くのは浅い考えであると向こうも理解しているはずだ。陽動でもない限りは。

 賑やかな声に気づき、ふと窓の外に目をやる。一瞬、眩しさに目を細めたが、すぐに慣れて辺りの景色に輪郭が戻り始めた。

(もう陽が昇ってるな。少し早いが、昼飯でも差し入れに行ってやるか)

 大きな欠伸をしながら、ゾロイは穏やかなひとときを味わっていた。



 ニヒサスムの中心に位置するナス中央通りは、他の街でも見られないほどに広く、そして昼夜問わず行き交う人々でごった返している。

 呉服屋ベドはこの中央通りに店を構えており、この場所に相応しい賑わいを今日も変わらずに見せていた。

 ゾロイは昨日オリズスが張り込んだ場所と同じところまで来ていた。辺りを見渡してみても、オリズスの姿はない。

「ったく、どこ行ったんだ、あの強情娘は」

 ひとりごちたゾロイだったが、目の前の人混みの中に以外な人物の姿を発見して、思わず駆け出していた。

「おい、リック。どうしてこんなところにいるんだ」

 唐突に掛けられた声に、情報屋のリックはぴたりと歩みを止め、きょろきょろと首を左右に振っている。

「こっちだ、こっち」

 手を振って、もう一度呼びかけると、ようやくリックの視線がゾロイを捕らえたようだ。

 ゾロイは好意的な感情を持って呼び止めたが、リックはどうやらそうではなかったらしく、眉を逆八の字にして怒りを表している。

「馬鹿ゾロイ。ちょっとは学習しなよ。あたしは別に遊びにここへ来ているわけじゃないんだから」

 言われてからゾロイはようやく気がついた。昨日のベドと同じく、軽々な行動をとってしまった自分の失態に。

「す、すまん、つい嬉しくなって……。じゃなくて、どうしてここにいるんだよ」

 先ほどよりも声を潜め、ゾロイはリックに訊ねた。

「仕事だよ。それ以外どんな用事があるっての」

 ゾロイは腕を組んで考える。

「遊びに来ているんでないとしたら……たとえば見合いとか? 適齢期はとうに」

 瞬間、ゾロイは腹に重く鈍い痛みを感じて、背を丸めた。息が詰まる。

「よく聞こえなかったなあ。ゾロイ、なんだって?」

 涙目で顔を上げると、リックはにっこりと笑顔を張り付けてゾロイを見ていた。

 息を整えてから、ゾロイはリックの怒りを鎮めるために言葉を探す。しかし適当な内容は見つからなかったので、改めてここにいる理由を訊ねることにした。

「いや、なんでもない。それより仕事って? 情報を仕入れるにしても、なにかきっかけがなけりゃニヒサスムまで足を延ばしたりしないだろ」

 基本的にリックはカーチムで情報屋をしている。だからゾロイは彼女が遠出することが不思議な感覚があった。情報屋の細かな仕事内容を把握してはいないが、主に町から町へと移動する旅芸人や行商人などから、その町の現在の噂や情勢等の情報を得ているはずだった。同業者の間でも、一定の決めごとや共有する情報もあると聞いているので、ゾロイが知らない繋がりもきっとあるのだろう。

「それを知りたければ、そうだなあ……これくらいのお値段は頂戴しないとね」

 にやりと悪い笑みを作り、リックは指を二本立ててゾロイに向けた。かなり重要度の高い売り物であるらしい。

「また俺からむしろうってのか。そうだ、この間の飲み代だって、俺が立て替えたんだぞ」

 先日のことを思い出して、ゾロイはリックに不満をぶつけた。それで得た情報といえば、クートなる人物には近づくなという忠告だけだ。他に益のある買い物はできていない。

「むしるなんて人聞きの悪い。いっとくけど、あたしは人の良い情報屋だよ? 独り言とはいえ、あんなことまでしゃべっちゃうんだからさ。安いもんじゃない」

 立てた指を一本にして、リックはゾロイの鼻をぐいっと押した。

「まああれに関して今更請求する気はねえよ」

 背を反らしながら、ゾロイは支払いを要求する目的で言ったわけではない旨を述べた。

「ところでゾロイこそ、なんでニヒサスムに? この間の一件は片づいたんじゃないの?」

「どうしてそう思うんだ」

「ゾロイがすぐにカーチムに戻ってきていたからね。今までの仕事ぶりからすると、なんらかの成果を上げるまでは、あんた家に帰ってこないことが多かったし」

 さすが情報屋だとゾロイは感じた。オリズスの件はリックに伝えてはいない。にも関わらずリックは、ゾロイの行動から正確に推察をしてみせた。

「リックには隠し事はできねえな。でも、完全に片づいたわけじゃないんだ、あの件は」

「じゃあ今回のニヒサスム入りは、その依頼の調査ってことか」

「いや、それも違う。俺が今ここに来ているのは、別の依頼があったからだ。本音を言えば、前の依頼を完遂していないから、そっちが気になっているがな」

「ふうん……まあしっかりと働いてきなよ。あとくれぐれもクートには近づかないこと」

 リックはなぜかいぶかしんでいる様子で、ゾロイの目を見た。見透かされているようで居心地が悪く、ゾロイは目を剃らして頷いた。

「わかってるって。……ああ、ちょっと聞きたいことがあったんだ。その件で、一昨日もリックを探していたんだが、見つからなくってな」

 話題を変えようと言葉を探していたとき、ふとオリズス関連の情報を聞こうとしていたことを思い出し、ゾロイはリックに訊ねる。

「一昨日はすでにニヒサスムに来ていたからね。で、なんだい、訊きたいことって」

「煤とか、黒い獣の噂とか、そういった情報は耳にしてないか」

 ゾロイの質問に、リックは目を丸くして驚きの表情を見せた。

「それを今から調べ……いや、それよりも、どうしてゾロイがそれを知っているの?」

 意外な反応だとゾロイは思った。リックは様々な情報を取り扱っているが、幽体に関してはその範疇にはない。というのも、以前リックに幽体について訊ねてみたところ、国家機密に相当する情報だから入手は困難なうえ、商売としては効率の悪い情報だから仕入れはしないと言っていたからである。どうして今になってそれを入手しようとしているのか、ゾロイは疑問を抱いたのだった。

 アジネが見えていないことから、リック自身は恐らく幽体使いの才能を持ってはいない。しかし、今思い返せばその態度は、ゾロイを危険な目に遭わせたくないという考えからきていたように感じられる。

 つまり、幽体についてかなり深く知っていたのではないか、ということだ。

「まさかリックが手に入れようとしているのって、その手の情報なのか」

 きな臭さを感じずにはいられない。ゾロイは、オリズスの依頼の向こうに、自分の歩いてきた道を連想する。

 リックは肯定も否定もせず、ただ黙ってゾロイを見つめる。

「ゾロイの成長に免じて、少しだけあたしの調査内容を教えてあげる。ニヒサスムに来たのは、黒い獣の噂を耳にしたからだよ。カーチムの知り合いから、冗談話として聞いたんだ。これを話してくれた情報屋は信じちゃいなかったみたいだけど、あたしは信じて……いや、知っていたんだ」

 憂いの色を帯びるリックの顔に、ゾロイは胸がざわつくのを感じた。

「見たことが、あるんだな」

 リックは躊躇っていたが、ややあって、ゾロイの問いに首肯した。

 互いに、素性を訊ねたりはしたことがない。従って、ゾロイはリックの過去を知らないし、その逆もまた然り。現在のゾロイについてのあれやこれやは訊ねても、昔の話には一切触れようとはしなかった。

「マニグスの掟を破るのは、今でもちょっと抵抗あるけどね」

 普段見せないような、優しい笑顔。ゾロイは懐かしさを覚えた。リックのその表情を初めて見たのは、マニグスで出会ったときのことだ。

 マニグスの掟、というのは、労働者の町ゆえの決まり事である。ゾロイがマニグスで戸籍を買ったのと同様、そこで働く人々のほとんどは脛に傷持つ身だ。必然、互いの過去には干渉しないのが暗黙の了解となっていた。

 月日が経ち、流れ着いたカーチムの町で再び出会うと、リックはなにかとゾロイの身の回りの世話を焼いてくれた。その頃はすでにリックは情報屋として働いており、彼女の助言もあって、ゾロイはよろず屋を開くに至ったのである。

「話をしてもかまわないと判断した部分だけ教えてくれれば、それでいい。それにこれは掟破りじゃなく、仕事の取引だろ?」

 ゾロイは努めて明るく言った。

「昔……ゾロイと出会う前、あたしは黒い獣を見たんだ。リヒサコニの森でね」

 リヒサコニの森といえば、以前、疫病患者の隔離施設があった場所だ。

「もしかして、研究員だったのか?」

 思い当たる節があり、段階を飛ばして訊ねると、リックは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに納得がいった様子で話を続けた。

「そっか、あそこのことをゾロイに話したのはあたしだったよね。あたしはそこで、ある薬品の開発に携わっていた。といっても、主な仕事は運ばれてきた材料を指示通りの研究室に振り分けたり、運ばれてきた患者の看病をしたりで、あたしに医術の知識はないけどね。でも、そうした無知が、ある事件を招いてしまったんだ」

「ある事件……」

「信じてもらえないかもしれないけど、わたしはあそこが医術で人を助けていると思って入所したんだ。運ばれてくる患者の助けになれればって。ある日、搬送されてきた人の中に、子供の姿が目に入った。大人だってそうだけど、子供ならなおのこと気の毒に感じて、励ましてあげようといぱい話をした。あたしにできることって、それくらいだからね」

 当時のことを思い出しているのか、リックはそこでいったん言葉を切った。

 ゾロイは黙ったまま相づちも打たずに、リックの話の続きを待つ。

「でも、なんというか……その子は普通の子供じゃなかった。自分の身体の症状よりも、投薬に使用する成分をしきりに訊いてきた。その時点でおかしいと思えば……」

 俯いて口ごもるリックを見て、ゾロイは先ほど自分がやられたように、彼女の鼻を指で押した。

「後悔は後でするもんだろ。今は悔やむよりも、情報の伝達を優先してくれ」

「う、うん。その子供は、驚くべき速度で医術の知識を吸収していったんだ。最初はただすごいなあって思っただけなんだけど、日が経過するにしたがって、あたしや周りの人たちも怖くなってきた。だって、ひと月もしないうちに医術師と対等に話ができるくらいになったんだから」

「その子供はその後どうなったんだ?」

「患者であるにも関わらず、薬の開発にまで携わるようになった。賛成なんてはじめは誰もしなかったよ、当然ね。でも、その子の知識と発想は異常だった。医術師もうならせるほどの効果を、たったひとりで出してしまった。そして、いつしか最年少の研究員として迎え入れられた」

「それで、どんな事件が起こったっていうんだ。今の話じゃ、疫病患者を救った小さな英雄が誕生したってだけだろ」

「今思えば、その子は初めから疫病を治そうとしていたんじゃなかった。とにかく、自分の好きなものを見つけて、嬉しさや楽しさでいっぱいになっていただけ。頭はとにかく良かったけど、まともな倫理観はかけらも持ち合わせてはいなかった。……治すことに飽きたその子は、今度は自分の研究の実験体として、やってはならないことをし始めた」

「……投薬実験か」

 ゾロイは合点がいった。自分の過去と、こんなところで再会するとは、夢にも思わなかったが。

「そう。その頃には、医術師たちから絶大な信頼を得ていたその子を疑うことも許されない風潮になっていたんだよ。みんな信じ切っていた、というのが正確かな。それによって、その子は自由に人体実験をすることができた。結果、患者たちは大勢犠牲になってしまったんだ」

「蠢く煤や黒い獣は、投薬実験の結果だったのか」

「そう、その通りだよ。煤については視える者と視えない者がいて、最初は幻覚だと捉えられていたんだ。幽体って呼称があるのは、そういう理由。けど、実際は違った。黒い獣が現れてから……ううん、煤の影響で新たな疫病が流行りだしてから、誰もが信じざるを得ない状況になった」

 さもありなんとゾロイは思った。幽体が視えない者にとっては、与太話にしか聞こえないだろう。

「ある日、黒い獣が突然に施設内に出現して、患者も医術師も、もちろんあたしみたいな使いっぱしりも、みんな混乱して慌てふためいた。襲いかかる黒い獣から逃れるために、施設にいた誰もがそこを後にした。あたしはなんとか逃げ延びて……情けないかもしれないけど、誰かを助けるって考えが頭にちらりとも浮かばなかった。とにかく逃げて逃げて、力の限り走ったよ。それからしばらくはリヒサコニには近づかなかったけど、数年経ってから、あの森にあった施設は廃棄されたって噂を耳にした」

 言葉にできないような複雑な気持ちが、ゾロイの顔を歪ませる。

「その頃か、俺とリックが出会ったのは」

 首肯して、リックは話を続ける。

「研究所に勤め始めたときは、取り立ててなにも考えていなかった。でも、時が経つにつれて、罪悪感に苛まれて、眠れない日々が続いた。直接手を下してはいないけど、それでもあの場にいた者として何かできたんじゃないかってね。今更取り返しがつくわけでもないけど、せまての罪滅ぼしに、あたしは情報屋になったんだ。ある情報を流して、あの森を、国に対して封鎖するために」

「不吉の森の噂は、もしかしてリックが流したものだったのか?」

「とにかく、あの森のことを細かく調べようと思ったのが最初。でも、森の周辺には兵士がいて、近づくことを禁じられた。だから、その噂を流せば、一般の民の認知度が上がると踏んだ。これだけじゃただの与太話の域を出ないから、もちろん付け加えたけどね。国が隠そうとしている事件がある、と」

「国が何か事件を隠蔽しているとなれば、自警団や、俺みたいなよろず屋稼業が動き出す。それを読んでいた、というわけか」

 自警団は治安を守ろうと、よろず屋稼業の人間は稼ぎ時と、各々理由は違えども、闇に葬られせまいと事件解決に乗り出すのは自然んあ流れに思える。

「あたしは非力な一般市民だ。だから、どうしても人の手が必要だった。それも大勢の。……ゾロイを巻き込んだのは想定外だったけどね」

「それで、幽体の件は取り扱っていないと俺に言っていたのか」

「まあ、ね。ゾロイがよろず屋稼業を始める前には事態は収束していたから、もう煤や黒い獣の噂を耳にすることはないと思っていたんだけど……」

「先日この街で起きた黒い獣の噂を聞きつけて、今ここにいるってわけだ」

「そういうこと。あの事件と同じことが、この街で起きた。決めつけは良くないけど、この事態はきっと、リヒサコニの森で起きた事件を知っている人間が関わってるんだと思う」

「首謀者であるその子供の、その後の行方はわかっているのか?」

「残念ながら。それもあって、あたしはこの件について情報を得るために、ニヒサスムに来ているんだよ。勘だけど、たぶんその子の仕業じゃないかな」

「一応、その子供の名前を教えてくれ。俺にとっても、無関係な話じゃない」

 名前が変えられるのは、ゾロイが自身の経験から知っている。その子供が今でも事件当時と同じ名前を使っているとは限らない。しかし、たとえ名前を変えているとしても、足跡を辿る手がかりにはなるはずだ。

 オリズスから依頼された件についても、この情報を入手してくべきだろう。蠢く煤や、黒い獣が現れたのは、きっと無関係ではない。

 そしてこれは、ゾロイ自身がよろず屋を続けている理由でもある。ゾロイがリヒサコニの施設にいて、被験者であった事実もそうだが、本当に追い求めるものはそれではなかった。

 リックはじっとゾロイを見つめ、しばしの沈黙の後、口を開く。

「その子供の名前は、クート。もし生きているなら、ゾロイと同じくらいの年齢になっているはずだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る