挿話 紅の魔術師 その二
イアネルクは学術研究施設の書庫で、あるものの記録を探していた。
この書庫には国内のありとあらゆる書物が集められている。膨大な記録の海の中、目的の書を見つけるのは至難の業である。個人的な理由も含むため、人の手を借りるわけにもいかず、折りを見てこの書庫に入っていた。
(どこに保管されているのだ。あれほどの貴重な実験の記録だ、まさか抹消済みということもあるまい)
探している書は二つ。
一つは魔術に関する記録である。国の密命を受けて、イアネルクがまとめ上げている最中だ。魔術という学問はまだ認識されて日が浅く、最新の情報が入る首都オウイコットであっても、その内容を知る者は少ない。表向きは医術の一分野で、主に人々の病の治療にを目的とした学問だが、その実は武力としての使用が想定される危険な代物だった。
もう一つは過去に行った実験結果を記した書だ。これこそイアネルクの真に探し求めるものである。
端から順にひとつずつ手にとって目的の書を探すという行為を、イアネルクはもうかれこれ数ヶ月続けているが、未だ発見できずにもどかしい思いを抱いていた。それでも止めるわけにはいかない理由が、自身を動かし続けていると自覚もある。
古い書の埃を吸い込んだせいか、それとも己の身体の変化の兆しか、イアネルクは強くせき込んだ。クート経由で入手した薬を飲んでいても、最近は症状を抑えられなくなってきていると感じている。
(私の身体が保つ間になんとしてでも見つけなくては)
日々の疲労の蓄積が胸の中、澱のように横たわるのを感じながら、イアネルクはただひたすらに書の捜索を進める。
願いが通じたのか、イアネルクは手にした書の中に、見過ごせない文字を発見した。
《リヒサコニの森 疫病に関する考察》
叫び出したいような気分だった。目的の書を数ヶ月がかりでようやく捜し当てたのである。
書の題名を見て、どうして今まで発見できずにいたのか、イアネルクは理解した。
(なるほど、そういうわけか)
ここには膨大な数の書が保管されているため、索引には実験記録や地方文化といった区分けがなされており、目的に応じて探すことができるようになっている。イアネルクが探していたのは前述の区分けだったが、今手にしている書が陳列されているのはそれらとは違う棚だった。
(まさかこの棚にあるとは。気が付かなかったわけだ)
それは医術学校の学徒による卒業論文であった。
医術に関する書にはすべて目を通しているつもりだったイアネルクだが、知識も経験も未熟な学徒の論文は見るに値しないと決めつけ、手に取ることを怠った。中には優れたものも存在するが、それはほんの一握りにすぎない。皮肉なことに、イアネルク自身が書いた論文が認められて魔術師の肩書きを手に入れたわけだが、自分のことを除外して考えていたがために発見が遅れてしまった。
自身の失態に思わず苦笑しつつ、イアネルクは足下に注意せねばと気を引き締め直そうとした。
その時、論文の著者の名前が目に留まり、全身に寒気が走るのを感じた。
(どういうことだ? どうしてあいつの名前がここにある)
よく知った名前を見つけ、イアネルクはひどく動揺した。
狼狽しながらも、論文の内容に視線を走らせる。
それはおおよそ二十年も前の出来事。
リヒサコニで起きた、いや、起こした事件の顛末がそこにあった。
森から程近いニヒサスムで疫病が流行し、患者がそこに建設された施設へ運ばれ監禁された。各自治体には、そう教えるように国からの通達があり、誰しもがそれを事実と信じて疑わなかった。イアネルクもまたそうした知識しか持っていなかったが、この論文を偽りのものだと切って捨てることはあまりにも危険過ぎると感じた。
(もしもここに書かれていることが真実ならば、あいつの目的は一体何だ)
それに、とイアネルクは疑問に思うことがある。
どうして後世に残るような形を取ったのだろう。処分されてもおかしくない内容だ。
検閲の対象にならなかったのも不思議だった。
罪の告白にも等しい論文の内容は、しかし著者の興奮と歪んだ喜びが見え隠れするようで、ただ目を通すだけでも著しく疲労する。
まるで、自分のおもちゃを自慢する子供のようだった。
そら恐ろしく感じたが、考えてみればイアネルク自身がこれから行おうとしていることも、人の所業ではない。自分のためだけに他を食らう、それは何らこの著者と変わらないのかもしれない。
ベネッド800の人体への投与がもたらした結果には満足していた。被験体の経過にもよるが、おそらくイアネルクの計画は達成できるだろう。
どこかから笑い声が漏れていた。それがイアネルク自身が発したものだと気が付いたのは少し後だ。自嘲か哄笑か、己でさえ理由の説明できない笑いが、腹の底から湧いてきたのを感じる。
(もはや後戻りはできない。このまま計画を進めるだけだ)
イアネルクは成果を手に、暗い決意を新たにした。
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