第二話 情報屋の女


 カーチムの町が夕日を受けて赤く染まった頃、ゾロイはやっとのことで情報屋のリックを掴まえることができた。

 ここは居酒屋である。一日の疲れを癒そうとする人々でごった返す店内の奥に、リックの姿を見つけることができた。

 リックは一見するとただの町娘だ。情報屋に多く見られる流れ者然としてもいないし、強面でもない。顔の造形が整っているわけではないものの、人懐っこい笑顔の持ち主で、関わった人に悪い印象を与えない人物である。それこそ居酒屋の看板娘としてでもいた方が情報屋よりもよほど似合っているとゾロイは思っている。ゾロイの記憶では、初めて出会ったときに二十歳と言っていたが、それからゆうに五年の月日が流れているというのに、リックが自ら口にする年齢は変わらず二十歳だった。実際にはゾロイよりもずっと年上だ。

 付き合いの浅かった頃は気がつかなかったが、笑顔の裏に見え隠れする狡猾さを知るようになってからは、ゾロイはある種の信頼を置いていた。きっと修羅場を幾つもくぐってきたのだろう。

 リックの商品はどれも信頼度が高く、ゾロイはそれもあって他の情報屋ではなく彼女を探し回っていた。

 情報屋の扱う品は様々である。秘密を売るというその性質上、危険なものも多い。そのため、リックは定住先を持たず常に居場所を変えている。得意先にだけ明かされる印が壁や地面に刻まれており、それを辿れば会えるのだが、今日に限ってゾロイはその印を見つけるのに手間取ってしまった。

 理由は二つある。

 ひとつは午後からやってきた馴染みの年寄り連中の話がいつも以上に長引いたこと。

 もうひとつは、依頼者のイレスが宿を取っておらず、探し回ったことだ。しかし運悪くどの宿も空きがなかった。野宿させるわけにもいかないので、ゾロイは仕方なく店に置いてやることにしたのである。客の応対をする部屋の奥には二つ部屋があるので、イレスにはその片方をあてがった。

 いつもならもう少し早い時間帯で、印を発見しやすい明るさなのだが、今日はそうした事情から夕日が差し込む頃合いに差し掛かってしまい、眩しさから捜索が困難になった。

「珍しいね、こんな健全な時間にゾロイを見るなんて。何か起きる前触れじゃないの」

 リックに言われてゾロイは言葉に詰まった。アジネの「いつでも歓迎」案を実行してからは店が繁盛しているが、それ以前はからきしだった。そのゆえに真っ昼間からリックのところに情報を買いに出かけることができていたのである。つまり、ゾロイは暇人と小馬鹿にされていたというわけだった。

 ぐいっと豪快に酒をあおるリックを見て、ゾロイは言い返す。

「おまえこそ平気なのかよ、そんなに呑んで。情報屋が記憶を飛ばすほどに酔っぱらったら本末転倒だろう」

 机の上にはとっくりが十本ほど並べられており、ゾロイは試しに二、三本持ち上げてみたところそれらからは容器の重さしか感じられなかった。

「平気だってば。あたしはざるだからね。とっくりの十本や二十本、どうってことないよ」

 ひっく、としゃっくりをしながらリックは呑みかけのとっくりを摘んで振ってみせた。言葉とは裏腹に、正真正銘酔っぱらいのそれである。

「大体なあ、こんな人の多い場所で仕事の話なんてできるわけないだろう。なんで今日はここなんだよ」

 ざっと店内を見渡してみても、空いている席はないようだ。ゾロイがリックと会うときはいつもどこかの路地だったので、ひどく落ち着かない気分だった。

「まあまあ、そう言わずにゾロイもどう?」

 ゾロイの苦言も何処吹く風で、リックはとっくりをずいと差し出してくる。

「いらん、酒はあまり好きじゃない。それよりもなにか良い情報はないか? できればここ二日くらいの新しいやつを頼みたい」

 リックの勧めてきた酒を断り、ゾロイは首をすくめ小声で仕事の話を切り出した。

「大丈夫だって、そんな声を絞らなくても。秘密の話はむしろこういう賑やかなところの方が向いてるんだよ。周りを見てごらんよ。みんな自分たちの話や酒に夢中さ。もしあたしたちを嗅ぎ回っているやつがいるんなら、他の客と毛色が異なるはず。浮いて見えるから発見もしやすいってわけよ」

 大きな声で言い終えると、リックはとっくりの底を天井に向けた。飲み干したようで、リックは注文係に追加の酒を頼んだ。

「わかったわかった。だからせめてもう少し声を絞ってくれ。それでどうなんだ?」

「ここ二日ねえ。あるにはあるけど、新鮮だからどれもちょいと高いよ。他に絞る条件はないの?」

 昔から世話になっているとはいえ、リックに懐事情まで案じられるのは少々悔しい。ゾロイは見栄を張って答える。

「俺を甘く見てもらっちゃあ困るな。新しい情報の二つや三つ、どうってことないぜ」

 先ほどのリックの真似をしてゾロイは自分の胸を叩いた。

「ふうん。でもこれくらいは取るよ。平気?」

 リックは指を三つ立ててゾロイに情報の値段を示す。

「げっ、そんなにすんのかよ。幾ら何でもぼり過ぎじゃないか」

 ゾロイは思わず素で返してしまった。リックの提示した料金は、指一本でこの辺りの商売人ひと月分の稼ぎなので、三ヶ月分もの超が付く高額な代物だった。

「でしょ? だからお姉さんの優しさに素直に従ってなさいってば」

 新しいとっくりが運ばれてくるや、リックは直接口をつける。

「じゃあ、ニヒサスム近辺というので絞ってくれ。勘違いするなよ。買えるけど、無駄な出費は控えることにしたってだけだからな」

 ゾロイはしゃくだったが、素直にリックの言う通りにした。少しは成長した姿を見せたいところだったが、その機会はまだ先のことのようだと思った。

 ゾロイが条件絞りのために言った内容が引っかかったのか、リックの動きが止まっている。

「どうした?」

「ゾロイ、今どんな依頼を受けているの」

 唐突にリックはそうゾロイに尋ねてきた。

 通常はあり得ないことだった。情報を買うという意味ではよくあることだが、それでもリックは分を越えて相手の仕事内容を尋ねたりはしない。特によく知るゾロイ相手の場合、余計なことを他人に話して依頼主の信用を落としてはいけないと教えたのがリックだった。謂わば師匠のようなものである。たとえ親しい間柄であっても、軽々しく顧客の情報を口にするなど、後々互いの首を絞めかねない。そういった風評が広まれば信用を落とし、客足が途絶えてしまうことを、リックが考えないはずはなかった。

 おかしさに首を捻りながらリックを見ると、いつの間に彼女は笑みを消し、ゾロイを見つめていた。その表情からは酔いのかけらも感じられない。

「それは言えない。リックだってわかっているはずだろう。どうしてそんなこと訊くんだよ、ちょっとおかしいぞ」

 不文律だと理解していた互いの境界線。それを越えてまで、リックが確かめたいことがあるのだろうか。ゾロイは身構えてリックの出方を見る。

「もしも、だよ。もしもそれがマニグスで起きている件と関わっているのなら、やめておいた方が良い」

 リックの言葉に、ゾロイは思わず身体をびくつかせた。ニヒサスム近辺とは言ったが、マニグスの他にも町はある。リックがどうして場所をマニグスと限定しているのか、ゾロイはよくわからなかった。

「なんだよ、マニグスで起きている件て。確かにニヒサスムの隣で近い町ではあるけど、俺は場所を特定して離した覚えはないぜ。あくまでも俺の仕事には関係がないと断りを入れておくが、一応聞かせてくれよ、その話」

 苦しい言い訳だとは思ったが、ゾロイはそれでもリックの表情の理由を知りたかったので、話の続きを促した。

 しかしリックはゆっくりと首を横に振り、答える気がないことをゾロイに示す。

「ここから先は別料金が発生するよ。今のは思わず口走ったわたしの失態だから。独り言だと思って」

「そんなんじゃ気になって眠れねえよ。続きはともかく、せめてその忠告の理由だけでも教えてくれないか?」

 正直にゾロイは胸のうちを吐露した。馴染みだとはいえ、情報屋と相対しているというのに、ゾロイはそのことを忘れて無防備になった。リックに対してそれだけ信頼を寄せているという証でもあるが、それはそのままゾロイの心をかき乱す原因でもあった。

「ごめんね、ゾロイ。じゃあひとつだけ教えておくよ。マニグスに行くというなら、クートという金髪の男には絶対近づかないと約束して」

 まっすぐ見つめるリックの視線に気圧され、ゾロイはたじろいだ。首を縦に振らないことには帰してくれそうもない。

「ああ、わかった。クート、だな。そいつには近寄らないようにする。これで納得したか?」

 了解の意を示したつもりだったが、リックはゾロイの言葉を額面通りには受け取っていない様子だ。しばらく沈黙が場に横たわった後、ふっと息を吐き、リックはいつもの笑みを湛えた顔に戻った。

「よろしい。素直なお兄さんはモテるよ」

「褒め言葉として受け取っておくよ。この家業で素直なままでいるのは致命的だけどな。俺、ちょっと便所に行ってくるわ」

 リックの笑顔を見てようやく全身の力を抜くことができた。今まで緊張していたことさえ気が付かずにいたゾロイは、安心感から急激に筋肉を弛めたことで猛烈な尿意を覚えたのだった。

 ことを済ませて席に戻ると、そこにリックの姿はなかった。

 どこにいるのだろうと店内を見渡してみても、ゾロイの目がリックを捉えることはなかった。自分と同じで便所にでも行っているのだろうと、席に着いてリックを待つことにしたとき、机の上に先ほどはなかった紙が一枚置いてあることに気が付いた。

 瞬間、ゾロイの頭の中を不吉な想像が過ぎった。

 先ほどリックは、人混みにいる方が路地などの人気のない場所よりも秘密の話をするのに向いていると言った。しかしそれは、安全を約束するものではない。衆人環視の中で人をさらう方法に、ゾロイは心当たりがあった。

 さらわれたのかもしれない。そう思ったのは、リックの真剣な表情を見たせいだろう。ゾロイの心は俄にざわつき始める。

 しかしその心配が杞憂だったと、紙に書かれた文字を見て、ゾロイはすぐに理解した。次いで怒りが沸き上がってくる。

「あの女、人が心配してやってるってのに何だこれは!」

 ぐしゃりと書き置きを握りつぶし、ゾロイは立ち上がった。

 まだ遠くには行っていないはずだと踏んで、店を出ようとしたときゾロイは店員に声を掛けられた。

 二人分の会計を済ませ、ゾロイは急いで店の外に出たが、人の賑わいに阻まれて辺りにリックらしき姿を見つけることは叶わなかった。

 立ち尽くしたゾロイは、いつの間にかきつく握りしめていた拳を開き、くしゃくしゃになったリックの書き置きを眺める。捨ててしまいたい衝動に駆られたが、これは大事な領収書だと思い直してどうにか踏み留まることができた。

《忠告の料金は今晩の呑み代としてありがたく頂戴しました 美人の情報屋より》

 二十歳を気取るには少々年季の入ったきらいのある達筆で書かれた文字を見て、ゾロイは叫ばずにはいられない。

「くそっ、結局たかられただけじゃねえか。覚えてろよ、リック!」

 一筋縄ではいかないリックの強かさに舌を巻きつつ、ゾロイはまたひとつよろず屋として勉強になったと感じた。



「大丈夫なんですか、アジネちゃん一人お店に残してきて」

 ゾロイの横を歩くイレスがおずおずと話題を切り出してきた。

「心配するな。看板を引っ込めていりゃあ、じいさん連中も今日は諦めて帰るだろうよ」

 言い終えるや、ゾロイは大きな欠伸をした。

 辺りはまだ朝靄に包まれており、いつもならば店の前に馴染みの老人客が訪れ始める頃合いである。

「そういうことじゃなくって、あんな小さな子供を店に一人置いて心配じゃないのかなって思ったんですよ。強盗とか、暴漢とか、そういう輩が現れたらどうするんですか」

 俯き加減でイレスは言う。

 自分の依頼の解決だけを考える勝手な性格を持ち合わせてはいないようだとゾロイは少し感心した。しかしだからといって、イレスの言うようにするわけにはいかない。

「じゃあおまえはアジネと二人でニヒサスムに行くつもりだったのか? それこそ危険だろう。護衛も兼ねて俺が同行しているんだぞ」

 実を言えば、ゾロイもアジネのことが心配でないはずがない。けれどアジネをよく知るゾロイとしては、イレスが感じるような内容で心曇らせる必要はなかった。アジネが余程の窮地でない限り一人で乗り切ることができると知っているのだ。信じているのではなく。

「もう良いです。ところでどうして徒歩で移動するんですか? 何軒か馬車の置いてあるお店を通り過ぎましたけど、見向きもしなかったですよね」

 イレスの疑問は無理からぬ話だ。何せカーチムからニヒサスムまで歩いて半日かかるのだから。しかしこれには理由がある。

「高いんだよ、乗車料金が」

 短く簡潔に、そしてわかりやすさに重きを置いて、ゾロイは徒歩移動の理由を述べた。

「呆れた。それがこの早朝出発の原因だったなんて。昨日の夜、早く寝ろってゾロイさんが言ったわけがわかりましたよ。てっきりわたしはニヒサスムに早く着いて調査か何かするんだと思ってましたけど」

 これ見よがしに溜め息をついて、イレスはゾロイに不満をぶつけてきた。

 アジネの助力もあり、またイレスが元々社交的な性格であるからか、昨晩のうちにはゾロイと打ち解け心を開いてくれた。今もまたこうして感情を隠すことなく文句を言えるというのは喜ばしく、今後の捜索にも良い影響があるとゾロイは思った。

「まあそう言うなって。ニヒサスムまでの全行程を歩きで敢行するわけじゃないから安心してくれ」

 不満顔のイレスを宥めつつ、ゾロイは説明する。

「カーチムの町中以外で、この辺りに馬車が置いてあるお店なんてありましたっけ? まさか通りかかった馬車を強奪でもするつもりじゃないでしょうね」

 ニヒサスムからカーチムへの道のりをよく覚えているのだろう。イレスはゾロイの言葉に懐疑的な様子である。

「あのなあ、俺はよろず屋であって、山賊でもなけりゃ泥棒でもない。経費を節約するってだけだ。この少し先に森があるんだが知っているか?」

 二つの町を繋ぐこの道は途中、緑が生い茂る森の横を通る。行き来するための舗装された道はひとつしかないため、必ず目に入る景色である。通常は馬車を利用して移動する者が多く、幌で視界を遮られてさえいない限りは目撃しているはずだ。

「知っているというか、勿論見たことはありますよ。中には入ってませんが。その必要もないですし、それに……」

 言い淀むイレスの代わりにゾロイは言葉を継ぐ。

「不吉の森だからな。一人で中に入らなくて正解だ」

「本当なんですか、あの噂って」

 カーチムにほど近い距離に位置する通称不吉の森には、リヒサコニという名前がある。そちらで呼ぶよりも通称の方が耳にする機会も多いのには理由があった。

「噂って、この世ならざる者が出るっていうあれか? まあ、本当だな。大いに誤解もあるんだが、今のところその方が良い」

「誤解? ニヒサスムでは、人生に行き詰まった人が訪れる場所として知られています。もしくは病発祥の地として、ですね。おおっぴらに話すことはしないので、誰しもがそう思っているとは限りませんけど、実際にあそこから帰ってこないという話も耳にしたことがありますよ」

「それこそが誤解なんだよ」

 カーチムでもニヒサスムでも、リヒサコニの森を恐れている人間は少なくない。それは今イレスが言ったように、終焉の地として知られているからである。

「もしかして、その森に入るっていうんですか?」

「ご明察。けど心配はしなくていい。何かあればこいつの出番だ」

 ゾロイは腰に提げた剣の鞘をぱんと叩いてみせる。

「この世ならざる者なんですよ。そんな普通の剣なんかで切れないからこそ、みんな恐れているんじゃないですか。そうでなければお役人の手入れが済んでますよ、きっと」

 イレスは得体の知れぬ存在への不安からか、あるいは剣技でどうにかしようというゾロイの単純さに腹を立てたからか、早口でまくし立てた。

 ゾロイは森に入る前に説明する必要があると感じた。

「噂ってのは一人歩きするもんだ。元々は疫病患者の隔離のために使っていたんだよ。それが人の口から伝って変化していったんだろうな。だから病発祥ってのはあながち間違いとも言い切れない」

「ほら、噂通りじゃないですか」

「話は最後まで聞けって。今はそうじゃない、使われていないんだ。かなり昔の話になるが、あそこの森を巡って役人と民の間で一悶着あってな。それ以降、不可侵の領域になった。だから今は安全な場所だよ。誰もいないんだから。そもそも一番危ないのは人間だろ?」

「それはそう、かもしれないですけど。でも、だとしたらわたしたちが入っても平気なんですか? 不可侵なんですよね」

「隔離場所としての、という意味だ。言葉は悪いが、役人はあの森を人間のゴミ箱として使っていた。廃棄物処理っつってな。そのことに怒った民が、通常の森に戻すべく立ち上がったってわけ。だから俺たちが入るぶんには何の問題もない」

「よくお役人が納得しましたね」

「落としどころを見つけないことには、互いに磨耗していくだけだろう。一歩も譲らない同士なんだから。ああ、それからこのことは人には話さない方が良いぞ」

「どうしてですか? わさわざ話たりはしませんけど」

「実際に悶着を起こしたり、そうでなくても何らかの形で関わった人ってのは、カーチムにもこれから向かうニヒサスムにもたくさんいる。昔話にしても、蘇るのは怒りだけだからな」

「それにしてもよく知ってますね、いつ頃かわかりませんけどそんな昔のこと。ゾロイさんもお役人との悶着に参加したんですか?」

「いや、俺は商売柄知っているってだけ。机に座ってお勉強するなんて行儀の良さを持ち合わせてはいないが、歴史を紐解いてみると思わぬ発見があって興味深いよ。毎日うちの店にやってくるじいさん連中から聞いた話もあるし、そのことは感謝しなくちゃな。お、そうこうしているうちに到着だ」

 ゾロイは話を中断して、今から向かう場所の方向を指し示した。

 視界の先に件の森を見つけたイレスは、完全に納得はしていないものの、ゾロイの提案をしぶしぶ飲むことを示すように、溜め息を一つついた。

「わかりました。ゾロイさんを信じて森に入ることにします」

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