8:クロノグラフ
カララララ。
青年は、庭に面した窓を開け、灰色猫を出迎えた。
「ニューロン、おかえり。
灰色猫は、タイヤの付いて無いバイクのカウル部分に、またがっている。
ウウウウ、ウウン。
ガゴン。
それはゆっくりと、庭の一角にある駐車場へと着陸した。
「ニャガ♪」
しゅたり。
ネコは、満足げな鳴き声と共に、エアバイクから飛び降りる。
「大変ご苦労さまでし……た?」
青年は、軒先に出しっぱなしのサンダルを履いて、エアバイクまで歩いていく。
エアバイクには、空飛ぶ台車が牽引されていた。
ソレには、エアバイクが納められていた大きな黒いケースと、
「このイスまで持って帰ってきたんですか?」
「ニャニャニャーガ、ニャン」
「
ピピピッ♪
ヘルメット前面に表示されていた光輪が、ねじれて何かの図案に変形した。
ロゴが3回点滅して消え、―――カシュッ。
ネコは、フルフェイスのメットを脱いで、プルプルと首を振った。
その顔はとても満足げである。
「ひとまず、
「ニッ? ニャッ!」
「なんですか、その含みのあるお返事は?」
青年は、荷台から黒いケースを取り出して、エアバイクを格納していく。
「まあ、良いです。帰る途中でニューロンに会わなかったら、筋肉痛の
青年は、灰色猫から小さなヘルメットを受け取り、ケースへ詰めた。
バタム。
バチン、バチン。
彼はケースを閉じて、留め金をかける。
その手首には、繊細な作りの
文字盤の下の方に、表示部分があり、日時と曜日が表されている。
その上には、同じくらいの表示部分があり、日時が表されている。
その手首から、リリリリリリリリン♪
たいそう優雅なベルの音が鳴り響いた。
彼はあわてて、3つも付いているリューズの1つを押した。
なぜか上下に二つある、機械式のカレンダー表示の下の部分。
設定されていたアラーム時刻と思われる、それが、パタパタパタと回転しだした。
「基本的な、機能と操作方法は、もう理解できていますが、……詳細は、
それは、一つの単語を示して停止した。
彼は、それに眼を止め、微笑んだ。
『C A T』
「猫?」
青年が、アラーム表示部分に現れた謎の文字を読み上げたとたん、―――。
「ニャニャニャガッ!」
ドガッ!
「痛った! コラッ、危ないですよ!」
青年の膝に激突したネコは、そのままドタドタと、事務所兼仕事部屋に入っていく。
とても慌てているようだ。
部屋の奥の方から、「ニャーーーッ!」と返事が聞こえてくる。
そして、キッチン兼リビングから聞こえてくる、―――銃声。
「おや、もうこんな時間でしたか。ニューロンが欠かさず見てる、……なんとかっていうTVドラマの再放送」
「じゃあ、これ片づけたら、お昼にしましょう」
ちょっと待ってみたが、返事はなく、大爆発音。
残響に混じって、台詞よりも大きな大爆笑も聞こえてくる。
どうも、ネコが見ているのは、コメディー色が強いアクション物のようだった。
青年は、リューズの横に付いている短いボタンを押した。
C/A/Tと描かれていた、文字盤が、R/O/O/K/I/Eに変化した。
「は?」
直後、ジリリンッ♪
とベルを鳴らす
「……のーう? ……、……のもーうぅ? どぉーなぁーたぁーかぁー、いーらぁーっしゃぁーいーまぁーせぇーんーかぁーあぁー?」
間延びした声。人の良さに見合った、優しい声。
彼には、この声に聞き覚えがあった。
彼はエプロンを外し、事務所の来客用ドアを開けた。
ドアをよけた弾みで倒れそうになる彼女の腕をとる青年。
「おっと、先ほどはどうも」
青年はバランスを取り戻した新任研究員から手を離す。
そして、優雅な音色を奏でだした腕時計を押さえる。
余所行きの、柔らかい声で応対する。
灰色猫は、キッチンから、事務所を覗き込む。
そして、鼻息を一つしてから、キッチンのドアを閉めてしまった。
「ありがとぉーござぁいますぅー。良かったぁー! いらっしゃってぇー!」
「どうされましたか?」
「あのう、こちらに、主席研究員は、いらっしゃってませんでしょうかぁー?」
「さっき、ウチのニューロンが、ちゃんと送り届けたはずですが?」
「えー? そうなんでぇーすーかぁーあぁー?」
「じゃあ、入れ違いになったのかもしれませんね」
「なにか、彼女に急ぎの用件でも?」
「はぁい。そぉれぇがぁーでぇーすねぇー。主席研究員宛に、こんなものが、所内便で送られてぇーきまぁーしてーねー」
「クッション封筒? でも、なんかえらく古い感じ……」
「そぉなんですよぉう。そのわりにー、『緊急』ってぇ書かれてるからぁ。判断に困りましてぇー」
「それで、ウチへ持ってきたと?」
「はいぃー。連絡付かないし、所員検索にも引っかからなくてぇー」
「じゃ、遅くても、どうせ明日のお昼には、顔を出してくれると思いますので、お預かりしましょうか?」
「ほんとぉーでぇすーかぁー?」
たぁーすーかーりーまーすーと。どこかへ、行ってしまう声。
青年が声を追いかける。
事務所の前には、空飛ぶ台車。
積まれている特大のコンテナ。
「こんなにいっぱい? これ全部同じものですか?」
「中身は分からないけどぉー、封筒の大きさは全部一緒でしたぁー」
「じゃあ、庭から運び込みましょう」
キュルルルッ、―――プツン!
ゴドン!
彼が、空飛ぶ台車に触れた途端、操作パネルの表示が壊れ、浮力を失った台車は地面に激突した。
「あー! しまった! これ秘匿回線経由で操作されてるんですよね!」
「
「すみません。どーしましょうかこれ?」
「うーん。……いつもわぁ、どうされていらっしゃるのでぇーすぅかぁ?」
「30分くらいすると自動的に復旧するので、それまでさわらずに待ちますね」
「じゃあ、ここに置いておいても問題ないと思われますよぉ?」
「ほんとにすみません。天気が怪しいので、上にシートでもかけておきます」
「しかし、これは、本当に
「は? なんですって?」
不穏なキーワードに振り返る、顔をこわばらせた青年。
「
「なんですかそれ!
「うふふふふ。でもだいじょうぶですよぉ。あの、悪名じゃなかった、あの高名な主席研究員
「それなら安心……はできませんねぇー。どっちにしろなんか、
「それもぉ、きっとへいきですよぉう。わたしもぉー、新参者だぁかぁらぁ、主席研究員の子守……じゃなかった、マネージャーみたいなこともーさせられてますけぇーどぉー、そのぉーおかぁげぇでぇー、所員のみなさんとっても、腫れ物をさわるというかぁ、優しくしていただけている上に、なんとぉー
「えっ!? それ、初耳ですよ! いいなあ、僕も申請できないかな?」
「あっ、じゃあこれぇ、差ぁしぃ上ぁげぇまぁすぅ」
印象に反して、スタイルのよい新任研究員が、白衣の内ポケットからA4サイズの書類を取り出した。
一応貰っておいたのですが、私は電子書類申請して使わなかったのです。
そういって彼女が差し出した2枚綴りの申請用紙の最上段には、こう書かれていた。
『
二枚目をめくると、こうかかれている。
『
「わたしはちゃんと、所員IDとは別に、カード型証明書を携帯していますよぉう?」
首から下げられていた、所員IDの裏側を彼に見せた。
『
なぜか、テンガロンハットを目深にかぶり、手にはおもちゃの拳銃を持った、彼女の写真が貼られている。
「それ、かっこいいですね。……うちのニューロンも取れますかねぇ?」 IDカードを引っ込める分析補佐官#17。
屈み込みジロジロとIDケースを眺めていた青年と、彼女の視線が交差する。
「えへへぇっ。ニューロンちゃんに、日当がでるかはわかりませんがぁ、カード型証明書の方なら電子書類申請すればぁ、即時発行されますよぉ、たぶんー」
「面白い情報、ありがとうございます。ニューロンこういうの大好きですから、喜びますよ」
それぇわぁーよかったぁでぇすぅー。じゃあー、それぇ、お渡ししておいてぇーくださいねぇー。うふふふふぅー。
と、
彼女を見送っていた青年にどこからともなく、声がかけられる。
「……おーい、君? ……ヒソヒソ……
「
周囲を見渡すが、白衣を着た少女の姿はない。
ガラガラガラララッ!
「ここだ、ここ」
主席研究員は、クッション封筒の山を崩し、
「呆れてものも言えないところでしたよ?」
青年は近寄り、
「つかぬ事を聞くが? 私は訪ねてこなかったかね?」
「は? 何言ってるんですか?」
「だから、
主席研究員と同じ声、同じ口調が、背後から届く。
「わぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
声のした方向を振り返ると、真っ赤なクッション封筒を抱えた、主席研究員その人だった。
「なっなっなななななっ!?」
青年は前後を振り返り、あわてている。
まるで化け物に遭遇した、払い屋の如き俊敏さで、事務所のドアまで後ずさる。
「やっぱり来たな、私」
「ご挨拶だな、私」
「か、
ふるえる青年の声色に、振り向く主席研究員ズ。
「「どうした、君?」」
「ニャーーーーーッ……」
連続ドラマを視聴し終わった猫が、専用の小さなドアを開けて、出てきた。おおかた飯の催促にでも来たと見えるが、目の前の状況を確認するためだろう、両手の肉球で、何度か目をこすった。
そして、こぼれ落ちそうなくらいに、両目を見開いて見直すが、状況変化はない。
―――ばたん。
猫は、リアクションなしで、即座に引っ込んでしまった。
『
ジリリンッ―――♪
そしてまた、腕時計の表示が切り替わった。
かがみ込んで文字盤を見た、青年の目にその文字が写る。
『
「「大丈夫かね?」」
かがみ込んだ青年の体調をおもんばかり、歩み寄る
青年の両肩に、
対峙する主席研究員は、瓜二つの格好で、シンメトリーな動きをする。
青年を心配するように伸ばされた、各々の左右の手を、彼は叩き落とすように振り払う。
♪ジリリリリリリリリリリリリッ―――
「(痛い!)」
「(何て事するんだね!?)」
手を叩かれた主席研究員ズが、抗議の声を上げるが、優雅―――、いや騒音と化したな腕時計の音色にかき消される。
その優雅な
コロン。地面に落ちる円筒。カシン。ピピッ♪
ミストパイプに新しい
その色は、ラベンダー色で、
その目には、緊迫した表情が色濃く表れていた。
まるで、夜更けに出会った化け狸を見るかのような表情。
そして、主席研究員たちは、
「「わ、待て待て、そんな物騒なもので、
初めて、出会ったと見える
それは彼女たちが、この状況を、正確に把握し、的確に行動している結果だと推測できる。
但し、―――ルーシー(左)は右手を、ルーシー(右)は左手を彼につきだしている。
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