引継完了

 ヒルガーテの膝に上半身を載せ、洞窟の石床に寝転がったディトワは、苦しげな息のもと、おれに語りかけた。

「ふうん……やはりたいしたもんだな、おまえは。……あの『誘い』を見破った剣士はいないってのに」

「一度見たんだ。……そうでなきゃ躱せなかったよ」

「……そうか、デュルケスだろ?」


 ディトワはにやりと笑った。

 頭頂から、見覚えある白いもやのような煙が薄く細く立ちのぼっていた。

 陥没した側頭部の傷口から、粘る黒い液体を顔に滴らせている。


「実はこの誘い技の本家さ。おれたちの血筋でもある」

「なあ、この煙……やはり、おれはまた呪われるんだな」

「いやか?」

 ディトワはいたずら坊主のような目になった。

「……覚悟はしていたが、あんたじゃなく、化け物相手であれば……」

 不思議なことに、例の託宣は脳裏に響いてこない。

「俺からのは呪いと思うな、祝福と思ってくれ」

 ディトワは再び笑顔を作った。

 それきり、動かなくなった。


 ディトワの亡骸を抱いたヒルガーテは、彼の手を組ませ、開いたままのまぶたを閉じた。

「もし……あなたが勝ったら礼を言ってくれって頼まれた。ゴルエからも……仲間殺しからも解放してくれてありがとうって」

「仲間殺し……」

「残された日数の少ない守護剣士には、城からノヘゥルメが送られてくる」

「ああ……知ってる」

 彼女は壁際に積み上がった例の木箱に顔を向けた。

 おれも首を傾け、それを見る。

「守護剣士は、仲間たちを永遠の呪いから解き放つ代わり、彼らから生きる日数をもらうわ……ここは彼らを肉体から解放し新たな世界へ送り出す場、だから『祭壇』と呼ばれる」


 ディトワは、『死せる生者』で日数を埋めることを潔しとせず、怪物から受ける呪いだけで、百年もの長きにわたり、なんとか生き延びてきたという。

 最近では、日数を伸ばせる呪われた生物に恵まれず、いよいよ、仲間を屠るしかなくなっていたそうだった。

 マチウスたちがゴルエまで例の木箱を運んできたのも、万が一の場合に備えての事だった。


「見て」

 ヒルガーテの指さす先にディトワから出てきたらしい白い煙が漂っていた。

 それは洞窟内の微風にもかき消されず、意思でも持つかのように洞窟奥に向かっていた。

「『かの地』にいくのよ」

「向こうに? あれはディトワの……魂?」

 ヒルガーテは首を振った。

「本当はわからない。けど、魂というよりは『意思』といったほうがふさわしい気もする」

「意思……の形なのか」

「でも、これであなたがディトワの呪いを受け継がなかったことがわかった」

「どういうことだ?」

「ディトワの呪いは彼の意思と共に『かの地』へ渡る。……呪われた者をノヘゥルメになる前に解き放つなら、意思の力で日数の呪いを抑えることも出来る、と伝承で言われてきた。 ……でも、これまで知られている限り、ドゥーリガンの遣い手を斃せた、呪われていない剣士はいない。実際、あなたくらい。……それで、あなたに呪いはかからず、呪いの結果である不死身性だけが残った。……ディトワの言ったとおり、これは祝福」


 この世における不死身が、果たして祝福となりうるかどうか、いささか疑問ではあるが、結果的にまた『竜減』となる第一の資格を取り戻したことになるのだろう。

 もっとも、いずれは呪いを持つ巨大生物を斃すことになるなら、再び呪われてしまうのだろうが。


「う……」

 上半身に強いうずきを感じた。

「回復ね」

 落ち着いたヒルガーテの声もあまり耳に入らない。

 うずきは特に頭部へ集中し、おれはあまりの不快感に革製の頭巾を脱ぎ捨てた。

 手で顔面をかきむしりたい衝動に駆られる。


「掻かないで!」


 きついその指示に、爪を立てかけた指を顔面から意思の力で引きはがした。

「……もう少しの辛抱よ。大分回復してる」

 ヒルガーテのことばを信じ、おれは歯を食いしばりながら、強烈な痛みとかゆみの入り交じる耐え難い試練をこらえ続けた。


「……終わったわ」


 その瞬間は実感できた。

 あれほど激しかった不快感は、波が引いていくように、急激におれの顔面から去っていった。

 おそるおそる指で顔をなぞる。

 指にはなめらかな人肌や、産毛らしいざらりとした感触が戻っていた。


「ん……濡れてる」


 おれの涙腺から頬を伝って涙が流れているのだった。

「すっかり元通りよ」

「ん、む……そうか、ありがたい……」

 抑揚のないヒルガーテのことばを聞いて、跳び上がりたいほどの喜びを感じていたのに、彼女の前で涙をこぼしている気恥ずかしさから、おれは上空を仰いだ。


 例の煙は洞窟の奥へと入っていったらしく、もう肉眼では捉えられない。

 ヒルガーテはおれの視線に気づき、例の穴のある方向を見た。

 つぶやくように言う。


「人間は生身の身体で向こうには行けない。……呪いの力を借りて、あの白い煙のようになって……それだけじゃない、なにがあっても変わらない、強い意志の持ち主だけが、ようやくあの穴の向こうに行けるのよ」


 ヒルガーテの視線が外れているうちに涙をふく。

 終わると、彼女の傍らに腰かけ、尋ねた。


「だが、向こうからは肉体を持った怪物が自由に来られるじゃないか。向こうには一体なにがある。だれがいるんだ?」

「『かの地』の使者も生身では直接来られないはず。自分の意思を人間よりはるかに強い肉体を持つ生物に乗り移らせてしかここには来られない。でも、本当は『かの地』のことは確かにはわからない。私たちと同じような世界があるのかも知れない」

「ディトワは……向こうには他の剣士たちもいるのか?」

「ええ。ここは最後の砦。前線は『かの地』にあるわ」


 なんということだろうか。


 守護剣士たちはこの地を出で、向こう側の世界で、侵略からこの世界を護っていたのだ。

 異界に繋がるこちらのあの穴は、侵略者だけでなく、魂魄に身を変えてまでも向こうへ渡り、世界を守る剣士たちの補充を行う、唯一の補給線だった。


「そうか……どうりで。……あの穴は塞げないはずだよな」

 ヒルガーテは首を動かし、おれを見上げた。


「もうひとつディトワから言伝よ。あなたはもう立派な『竜減』になった。ゴルエで後陣の守備をよろしく。そのうち手伝いに来てくれ。立派な後継者を育てて。……って」

「……後継者を育てて?」

「ええ。立派な後継者を育ててくれ……って」


 ことばの一部だけをことさら大きな声で強調する。


 なんてこった。

 先の展開が読めそうな言い回しじゃないか。


「だがな……おれは彼から、この仕事のことをまだなんにも教わってない。出会ってまだひと月も経ってないんだぞ? それに第一、君は平気なのか? こんなおれと一緒で……」

 その発言の意味するところに気づき、おれは言葉を濁す。

「大丈夫よ。あなたならできる」

「どうしてそんなことがわかる? 君だっておれのことをろくに知っちゃいないはずだし」

「知ってるわ」


 ヒルガーテはにやりと笑う。

 怜悧で大人びている普段の彼女には似つかわしくないほど、子供っぽい笑顔だ。


「誰が呼んだか……天才マーガル、ここにあり……」

 彼女は低い声で、あの吟遊歌を口ずさんだ。


「それはやめてくれ、なぜそれを!」

 甲高い裏声でそれを歌うヨツラの姿を思い出した。


 彼女はその子供っぽい表情のまま、おれを見返した。

 その笑顔がとてもまぶしくて、おれはつい、する必要のない質問をしてしまう。

「……おれたちは、どうなる。きみはどうしたいんだ?」


 ヒルガーテは快活そうにことばを発した。


「新しくはじめましょう、なにもかも。……最初から」

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