終 章 転勤

後任審査

 ゴルエの天井に空いた穴から振り込む雪は、洞窟内の気流に乗り、あたりの空間をゆるやかに舞っていた。穴の下の石畳には薄く積もった雪が、外気との温度差に溶け、湿った塊となっている。

 外界はしんしんと降り積む雪で白一色だった。


「やり方は簡単だ」

 ディトワの声は残響を残し、重々しく聞こえた。

「剣を持って闘う。どちらかひとりが斃れるまでな」


 この二週間というもの、おれは体力を回復させ、肉体を元の状態へ戻すために最大の労力を払っていた。

 竜の血のおかげでそれは十二分に達成された。


 短期であろうと、目的を持って日々を過ごすのはいいことだと思う。


 事実おれは今日を目標として身体の調整に励んできた。

 それだけに、その日数の最中、人生の充実を感じている。

 が、おれは本日、人生そのものを失うかも知れない。


「ふたりとも、ここへ」


 洞窟内の広場中央にはすでにヒルガーテが立ち、おれたちを招いた。


 彼女は剣士にとっては正装の代わりになる上半身のみの金属製軽甲冑をまとい、腰に剣を携えていた。

 その剣先がわずかに膨張しているのを見て、それは膂力に劣る女性向けのドゥーリガンなのだと予想した。


「少しだけ準備をさせてくれ」

 洞窟に入っていきなりだったので、おれはまだ準備が出来ていなかった。

 ふたりに断ると、身繕いをはじめる。


「なんだそれは?」


 数日前から包帯はすっかり取れており、おれはやけどを負った頭部を隠すこともなかったが、先日ヒルガーテから調達してもらったなめし革を使って、頭部をすっぽり顔まで覆う革製の頭巾を作っていた。


 頭の形状に合わせ、なめし革を細かく切り、縫い合わせたもので、お世辞にも出来の良いものではない。

 けれど、かぶり心地と実用性を重視した結果、激しい動きにもずれることはなく、自分では結構気に入っていた。

 もちろん、呼吸のため、口元は大きく開口させている。


 もうひとつ準備したのは利き手の手袋だった。

 手袋といっても、完全に手を包む形状ではなく、剣の柄と手に巻き付ける革帯を縫い合わせ、戦闘中、万一剣を手放してしまっても、完全に取り落とすことのないようにしたものだった。


 頭巾と手袋を手早く身につけ、自分の用事を済ませる。


 おれは城であつらえた専用の皮鎧をまとい、手にはドゥルフェン村で入手したドゥーリガンを携えていた。

 対するディトワは、普段通り、黒っぽい色のざっくりとした布で作られた貫頭衣を身にまとっている。

 実はその内側にはおれと同じような軽装の皮鎧をまとっていることを知っていた。


「終わったか?」

 待ちかねたようなディトワの問いに、無言でうなずいた。


 広場の中央に間を空け、おれたちは互いにドゥーリガンを腰だめにかまえ、対峙する。おれよりひと回り大きいディトワから、体格の差以上の威圧感にも似た風格を感じた。

 ちょうどおれとディトワの中間に立っていたヒルガーテは、徐々に膨らむ場の圧力に押されるかのように、後ずさりをしはじめ、まもなくおれの視野から完全に姿を消した。


 場の緊張感は堪えきれないほどに高まっていた。


 力も経験も技術も相手の方が上だ。

 おまけに不死身と来ている。

 負ける理由はあっても、勝つ道理はない。


 ――ひとつだけ可能性のあるとしたら……


 初めてノヘゥルメと闘った時のことを思い返す。

 ディトワの流儀に巻き込まれては、ダメだ。


 おれたちは互いに身じろぎもせず、まばたくのも忘れ、ただ相手の動きに全神経を集中していた。

 無防備に身体のどこか一カ所でも動かせば、その隙を突いて鋭い打ち込みをかけられるだろう。


 豪剣ドゥーリガンの剣技は常に先の先をとる。


 人間相手なら仮に相手に先手を取られたとしても、神速の一撃に強力無比の威力を秘めた反撃で、先手の斬撃ごと相手をたたきのめすことも可能なくらいだ。

 力も動きも人間をはるかに超えた怪物と闘うためには、先手をとり続けなければ、絶対に勝てない。

 ドゥーリガンはそのために永年磨き上げられてきた剣であり剣技だから、対人間用の剣技風情で通用するはずもない。


 ――だが……そこにこそ、おれでも勝てる要素がある


 いまおれたちが立ちつくしているのは、同じ得物を持った人間同士の戦いだからだった。

 ディトワとおれとでは技倆に随分開きもあるはずだが、怪物とは異なり、人間は標的としては小さいから、より正確に剣を操らなければならない。

 おそらく彼もそれで慎重になっているのだろう。


 どのくらい構えているのか、時間の感覚はなかった。


 緊張による肉体の疲労のみがどんどん蓄積されていく。

 このまま限界まで消耗しつくして両者引き分けになる、などという結果なら……と少しばかり気を逸らしてしまった。


 ディトワはそれを見逃さなかった。

 爆発的な勢いでドゥーリガンをおれの頭上から振り降ろす。

 回避不能のまぎれもない一撃必倒必殺の攻撃だった。


 おれも自分のドゥーリガンを振り上げた。

 明らかに遅い。

 しかし、それは狙ってのことだった。


 ディトワの初手を防いだのは手製の手袋と柄を繋いだ革帯だった。

 剣先部分が落ちかかる寸前にぴんと張り、斬撃を跳ね返したのだった。


 ディトワの剣先はおれの頭上の空間で、あまりに強い斬撃の反動に自ら押し戻され、来た方向へ強烈に跳ね返った。

 ディトワは目を見開いたまま、戻ってきたドゥーリガンの勢いに身体の均衡を崩した。

 すぐ身体を回し、体勢を建て直そうとする。


 ――とどけ!


 一歩前に跳躍した勢いでディトワの左肩口に剣先を当てた。

 肩骨の砕ける手応えを感じ、その音も聞く。

 しかし彼の攻撃は止まなかった。

 右腕一本で横殴りの一撃を浴びせてかけてくる。

「ぐぅっ」

 なんとかそれを剣で受け止めた。

 威力は半減している。


「勝負はあった! 引いてくれ!」

「まだまだ!」

 おれの制止にも関わらず、ディトワはますます苛烈に攻撃を仕掛けてきた。

「このままじゃ、どちらかが死ぬぞ!」

「うぬぼれるな! 殺してみろ!」


 ――『竜減』としての矜持が邪魔をして、負けを認めさせないのか……


 しかしその判断は誤っていた。

 さっきの一撃で粉砕したはずの彼の左肩は盛り上がり、垂れ下がった左腕も少しずつあがっているように見えた。

 ――回復の時間稼ぎか!

 ディトワの攻撃はぴたりと止んだ。

 おれは大きく飛び退り、斬撃のぎりぎり届かない数歩後ろまで下がった。


「……皮手と柄を繋いだか。うまい手だ。が、そういう小手先の手はもう通用しない」

 言いながら、砕けたはずの左肩を回し、手を上下に動かす。

 完璧に元通りだった。


「マーガル、勘違いしているようだから教えてやる。この勝負はおれたちのどちらかが死ぬまで終わることはない。ふたりとも命のあるという選択は、ないんだ」


 たった一手の攻防でそれは十分わかった。

 一切迷いのない必殺の一撃だった。


「もし……マチウスが生きていて、後継者になる場合でも、あんたを斃さなきゃならなかったのか?」

 ディトワはうなずいた。

「いいか、俺を斃すことをためらうな。俺は死んでも死なない」

 またもよくわからないことを言われる。

 なに、今までだってそうだった。

 それより、おれはすっかり覚悟を決めなければならないようだ。

 死ぬか。生きるか。


 無言でドゥーリガンを構えなおすおれを見て、ディトワも臨戦態勢へ戻る。


 心は晴れなかった。

 ドゥーリガンの……いや、ディトワ最大の弱点を発見してしまったからだ。

 彼は長年の怪物との戦いで、大きく剣を回す癖をつけてしまったようだった。

 実践稽古の時には気づかなかったが、こうして命がけのやりとりをしてみると、その一瞬の隙が目立ち、はっきりわかる。

 刹那の瞬間が生死を分ける実戦だからこそ発見できたのだろう。


 ――勝敗の予想のつく決闘は、果たして決闘と呼べるのか


 それは単なる殺人ではないかという気もした。

 だが、いずれにせよもうおれたちは行くところまで行くしかないのだ。


 今度はおれから仕掛ける。


 肩に担いだドゥーリガンを振り上げ、下回りでディトワを狙う。

 彼は基本に忠実に上段からの振り下ろしでそれを受けた。続けておれに連続的な斬撃を放つ。


 ――やはり、隙がある


 自分の得物で斬撃のいくつかを受け止め、躱しながら、おれは誘いの一撃を放った。

 ディトワは剣を振り下ろすとき、なぜか一瞬力を溜める。

 そこがねらい目だった。

 おれの一撃を受け流し、すかさずドゥーリガンを振り上げた。


 ――いまだ!


 と、突如おれの脳裏にある光景が浮かんだ。

 飛び込もうとした足を一瞬ゆるめなければ、おれは確実に頭部を粉砕されていただろう。

 ディトワは全く隙のない一撃をおれの頭めがけ打ち降ろしたのだった。

 それは、ノヘゥルメとなったかつての最強剣士デュルケスの使った手でもあった。


 危ういところを踏みとどまりつつ、横振りしたおれのドゥーリガンは、ディトワの側頭部を直撃していた。

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