食卓争議
薪割りを終えて小屋に戻ってきたヒルガーテは、遮る物の何一つ無いおれの素の顔を見ても、表情ひとつ変えることはなかった。
彼女は黙って床へ投げ捨てられた包帯と膏薬の塗られた薄布を拾い始めた。
手を止め、声を出したのは、床に残った見慣れない足跡を発見したからだった。
「だれか来たの?」
「ああ……ヨツラが来た」
ヒルガーテは身体を起こして少しだけ考えるそぶりをした。
「だれ? ……ああ、あの吟遊詩人」
「護国連合の密命を受けたんだとさ。守護剣士になれそうなやつを見つけて、ここへ送ってくるんだそうだ」
彼女は首を振り、集めた包帯や薄布を丸め、厨房へ捨てに行った。
「シグルトも、どうかしてるわ」
戻ってくると新しい薄布に膏薬を塗り、包帯を持って、寝床に身体を起こしているおれのもとへとやって来た。
ことばもなくおれの顔へ薄布を貼ろうとするが、なぜか躊躇したようにその手は止まった。
おれは前を向いたままなにも言わなかったので、やがてその手はいつものように動きだした。
薄布を貼られた頬や額にひんやりとした膏薬の冷たさを感じ、思わずおれは身震いした。
努めて冷静を装い、彼女に尋ねる。
「治らないんだろ」
彼女は無言で作業を進めていくだけだった。
「なあ、治らないんだろ!」
大声を出した。
「傷は治る。けど、元通りにはならない」
包帯を巻き付けようとしたヒルガーテの手首をつかんだ。
「放して」
「たとえ……かりそめでも、おれの子を身ごもらなくて良かったな」
彼女は眉間にしわを寄せた。
目はおれと合わせない。
手も振りほどかれなかった。
「子どもがかわいそうだろうな。化け物を父親に持っちまうとな」
「やめて」
「哀れまれるのはたくさんだ。たとえ化け物だとしてもね」
「あなたが自分を哀れんでるのよ」
おれの中の何かが切れた。
「えらそうに!」
彼女の手を引き、寝床に押し倒す。
「なにがわかる。ええ? おれはもう死んだも同然だ! 見ろ、よく見ろ!」
貼られたばかりの薄布を引きはがし、おれはヒルガーテに顔を近づけた。
「こんな化け物のような顔をした人間がどこで暮らせるって言うんだ!」
彼女は答えなかった。
おれたちはしばらく見つめ合っていた。
それはドゥルフェン村でマチウスの棺をはさんでいたときのようではなかった。
強いて言えば、あのときより、もっとほの冥い情念に突き動かされていた。
ヒルガーテと目を合わせながら手を動かし、彼女の貫頭衣の首元から乱暴に指をつっこみ、それをそろそろと胸元に這わせていった。
彼女は身動きせず、おれのなすがままだ。
その目には何の感情も浮かんでいないように思えた。
「ばかにするな。やれないとでも思っているのか!」
「……ディトワに見つかるわ」
「やつを恐れると思うのか!」
彼女の表情は変わった。
必死そうな言い方になる。
「違う……そう言う意味じゃないの」
突然、おれは脱力した。
彼女の身体から手を放す。
本来、いまの自分に彼女を抑えつけておける力はないはずだ。
にも関わらず、まったく抵抗を受けないことで、抱えている感情の行き場を失ってしまったのだ。
口からひゅうひゅうと低く途切れた音が出た。
もし、涙腺が無事なら涙も出たはずだろう。
恥ずかしいことに、おれは嗚咽していた。
「だれかが来たらしいな」
小屋へ入ってくるなり、ディトワは気づく。
「小径に見慣れない足跡が残ってた。途中まで小グマラシに乗ってきたらしい」
辺りはすっかり暗くなっているというのに、地表の真新しい足跡に気づくとは大したものだ。
仕方なくおれは答えた。
「ああ、ヨツラが来た」
だれ、と言いかけ口を開いたディトワにヒルガーテは補足した。
「あの吟遊詩人」
「なぜ、知らせなかった?」
寝台の脇には、小屋で異変があったとき引くと洞窟で鈴の鳴るひもがしつらえてあった。
「知らせるまでもないと思って。……やつひとりだったんでね」
おれはヨツラの来訪の目的と、話の内容をかいつまんでディトワに報告した。
「護国のバカどもめ、まだ理解していないのか」
ヒルガーテは食卓をはさんで怒りはじめたディトワをなだめた。
「でも、マーガルを見いだした吟遊詩人なら……」
「そういうことじゃない。本気でゴルエを守備したいのなら、各国選りすぐりの人間を送ってくるべきじゃないか!」
誤解を避けるために、おれも補足した。
「ヨツラはおれを見いだしたわけじゃない。ただ斡旋しただけだ」
「そうだろう。目利きの人間は少ない。おれは最初から吟遊詩人なんか当てにしなかった」
ディトワは憤懣やるかたないといった風情に、鼻息も荒くおれに応えた。
「『かの地』からの使者が来ないいま、多少の時間は稼げるかも知れない。が、いつまたやつらの侵攻が始まるかも知れないからこそ、素早い対応が必要なんだ。ここの護りも、昔のようには行かないのに」
マコロペネスや火竜が今度一度に出てくれば、やはりディトワひとりでは対処しきれないに違いない。
と、そのとき、おれは根本的な解決策に気づいた。
「……なぜ塞がない?」
「なんのことだ?」
話を止め、ディトワはヒルガーテと目配せし合った。
「あの穴だよ。塞げばいいじゃないか」
大岩を転がして穴のまわりを塞いだり、土砂を積み上げ、完全にあの横穴を埋め立てる方法も考えられる。
それにしても、なぜ今までそんな簡単なことを誰も考えつかなかったんだろう。
食卓を沈黙が包んだ。
「……それはできないんだ」
「なぜだ? それにも掟があるのか?」
「そうだ」
「理由は?」
ディトワは天井を振り仰ぐ。
それ以上の会話はしたくないという意思表示だ。
話題を変える必要があるのと、自身の必要のため、おれは仕方なく、食後にとっておいた話を持ちかけた。
「話したくないならそれでいい。……ところで、頼みがあるんだが」
「……なんだ?」
「おれを従者としてここへ置いてくれないか。竜減の後継者としては無理でも、あんたの戦いを助けることなら、何とかできそうだ」
一転、ディトワは厳しい目となる。
「そういうことなら……断る」
「なぜだ?」
予期していた答えがあっさり覆され、おれは驚いた。
「何とかできそう程度では、守護剣士の従者は務まらんよ」
「言い方が悪かった。命がけで当たるつもりなんだが」
「マーガル……この仕事に失敗は許されない。呪われていないおまえには、怪物たちとの戦いは無理だ。たとえ従者でも普通の肉体ではすぐにやられてしまう」
おれは唇をかみしめた。
「だ……が、それじゃおれはどこへ行けばいい? もうどこにも居場所がない」
「やはり動機はそれか。自分の身の置き所を第一と考えるなら、ここを去って、どこか平和な土地で暮らすべきだろう」
「……こんな化け物みたいな顔になったおれが、どこで暮らせるって言うんだ!」
「情けないな。骸骨にわずか肉のついた顔じゃ、もう行く場所もないというわけか」
「ディトワ!」
ヒルガーテは大声を上げる。
「なんだよ、呪われてなければ、手のひらを返したようになるんだな! つまり、血縁でもないおれはやはり『後継者』という道具に過ぎなかったわけだ!」
一方的に拒否され、バカにされた怒りにまかせ、思わず立ち上がり、食卓を叩いて怒鳴った。
ディトワも立ち上がり食卓上の骨付き肉をいくつか取ると、小屋の出口へ向かう。
「しばらくここへ留まり……ケガを治し、血が増えたら、どこへ行こうと構わん」
出がけにそう言い残して小屋を出て行った。
おれはその後ろ姿に向かい、思い切り大声で捨て台詞を吐いた。
「そうかい! それじゃすぐにでも出て行かせてもらうよ!」
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