来客対応

 ヒルガーテとのやりとりの数日後、突然、ヨツラが小屋を訪ねてきた。


「何の用だ」

「ご挨拶じゃねえか。見舞いに来たとは思わねえのかよ」

 ヒルガーテは薪の木を切りに行って留守をしている。

 ディトワは洞窟内に寝泊まりしていて、飯時以外はここへ降りてこなかった。


「まあ、おまえには助けられた礼も言えなかったし、あの後、おれにもいろいろあって、……そんな報告も兼ねてってな」

「一度斡旋した剣士には用はないんじゃないのか」

 言いながら、寝床の中に用意してある短剣の柄を手探りに探す。

 こいつ相手には用心に用心を重ねたほうがいい。


「金にはならねえからな」

 そう言ってヨツラは朗らかに笑った。

 何というか、こいつにそんな笑い方は全く似合わないはずだった。


「今度はなにを企んでる」

 笑い止めるとやつは寝床脇の椅子に腰かけた。

「今までの経緯からすると信じろって方が無理かも知れねえが、俺は改心したのさ」

 なるほど、それは確かに無理だ。

「というより吟遊詩人としての使命に目覚めた、って言う方が早いかも知れねえ」

 ほら、早速わけのわからない理屈で煙に巻こうとするじゃないか。

「呪われた剣士だけじゃなく、巨大昆虫やら、火を噴く竜やら……ってことは、おまえ、おれたちの知っている剣王ドゥールの伝説はみんな正しいってことだろ?」

「そう考えた方が……歴史のつじつまは合うのかもな」

「俺は、今回のことも含め、一連の話を吟遊詩や歌にして後世に残してえ」


 ヨツラは剣士斡旋専門の吟遊詩人だから、詩や歌は苦手のはずだ。

 こいつが作る詩や歌がどの程度の出来になり、それがどう歌い継がれるのか、ちょっと想像もできない。


「……と、そう考えてもよ、この地域のことや、おまえらのやっていることは、国家機密、いや、いや、全世界規模の秘密だから、おいそれと形には出来ねえ」

 ヨツラは護国各国から緊急で呼び出された担当官たちに、相当堅く口止めされたという。

「だから、それまでは俺の経験を書きためて、死後に発表してやろうと思ってる」

 吟遊詩人本来の努めを思い出したことは結構だが、その後やつから聞いた話に目を剥いた。


「ところでな、マーガル。おまえをこの地に紹介したことで、俺の仕事が各国の担当官に相当好意的に評価されちまってな、で、結果として、護国中の優秀な剣士を見つけ出し、ここに斡旋する仕事を請け負うことになっちまった」

「なんだって?」

「護国各地をまわりながら、おまえみたいな優秀な剣士を捜し、豪剣ドォーリガンの遣い手を増やすのさ」

 目の利かないこんな男に、そんな重要な役割を任せる各国の担当官とやらにあきれかえってしまう。

 大体ドォーリガンではなく、ドゥーリガンだ。

「もちろん、俺ひとりじゃできねえ、色々なやつらの手を借りなきゃならねえがな」

「……農道盗賊団も連れて行く気か?」

 ヨツラは肩をすくめた。

「まあ、もともとこの界隈のやつらだ。腐れ縁ってのもあるが……」

 ガリエリの悪相を思い浮かべた。

「それにな、あいつらは盗賊だったから、隠密的な行動には向いているんだよ」


 内心首をかしげた。

 やつらはその隠密的な行動とやらに失敗し、ドゥルフェン村の、しかもただの村人に取り押さえられていたのだが。


「この活動はおおっぴらには出来ねえ、だから俺は一見、ただの吟遊詩人だが、実は秘密任務を請け負う大使扱いってことで、いろいろと、外交上の特権ももらえることになった」


 出生国の本人証が無くても、特別の証明書により、護国の各国を自由に行き来できる、各国の施設に自由に出入りできる、関税や検閲なしに物品の持ち込みが許されるなど、通常の大使権限と同様か、もしくはそれ以上に優遇されるとのことだった。


「信じられるか? ついこの間まではしがない剣士の斡旋屋だったのに、いまや護国連合を後ろ盾に五カ国を飛び回る秘密大使になっちまった!」

 ヨツラは、いつものたくらみ深い陰惨な笑顔ではなく、素直な喜びを表す明るい表情となっていた。

「結局、これが俺の運命、俺の使命だったってことだ。しがない吟遊詩人になったのも、それに巡り会うためだったってことさ」

 やつは興奮し、いつまでもしゃべり続ける。

「とまあ、そんなわけで、俺も異界の侵略からこの世を護るおまえたちの手伝いができるってわけだ」

 ヨツラはいきなり手を差し出してきた。

「なんのまねだ」

「これからもここの護りをよろしく頼むぜ。守護剣士の後継者を続々見つけてくるからな」

 仕方なく、すっかり善人きどりのその手を軽く握り返す。

 そのとき思い出し、尋ねてみた。

「そう言えば、あんた、手鏡を持っていたよな」

「ああ。……なんでだ?」

「ちょっと貸してくれないか」

 いぶかしげな表情になりながらも、ヨツラはふところから手鏡を取り出し、手渡してくる。

 おれは受け取った手鏡を顔の前にかざし、大きく深呼吸した。


「包帯を取ってくれないか」


 ヨツラはぎょっとしたような顔つきとなった。

「で、でもよ。お、俺はケガの手当なんてしたことないぜ」

「別に治療で取り替えてもらおうってわけじゃない。ただはずして欲しいだけだよ」

「そ、そうなのか?」

 寝床から起き上がったおれの背後に回り、おずおずとした手つきで包帯を解きながら、やつは再びしゃべりはじめた。

 その話を適当に聞き流しつつ、手元に構えた手鏡を注視していた。


「……実を言うと、俺は淫売宿で生まれた、卑しい父なし児さ。ずっと俺の人生に価値なんて無いと思ってたぜ。お袋は戦火に焼かれちまったってのに、仕事といや、お袋を殺した戦争に行きたがるばかものどもを……おっと、おまえのことじゃねえぜ? ……まあ、そんなやつらをこれまた戦争好きの王さまたちへ斡旋するなんて、ろくでもねえことしかできねえ」

 厚く、しっかりと巻かれた包帯は、首元へ次々ととぐろを巻いて落ちていく。

「けどよ。やっと運が巡ってきた。下賤な生まれのこの俺が、なんと、この世界を動かしている権力者どもの一部しか知り得ない、神話や伝説の領域へ入り込んで行けるんだぜ」

 包帯がすべてほどけると、手鏡の中に、膏薬と血膿とに染まった薄布で包まれている、おれの頭部が少しだけ写っていた。

「……マーガル、おまえ……」

 ヨツラはおれの背後で絶句した。

 手鏡の角度を変え頭部を見る。

 ヨツラの怯えたような目とともに、まばらに焼け残った頭髪や、やけどで引き攣れた赤々しい頭皮が見える。


「ひどい有様だな……」


 手鏡をいったん膝上に置くと、人ごとのようにそう言って、おれはうつむいたまま顔面に貼り付けられた薄布を一枚、一枚ゆっくりと剥がしていった。


 痛みはない。

 薬のせいか、皮膚にまとわりつくような粘着感はあったが、かまわず薄布を剥がし続けた。

 背後にいたヨツラがおれの正面に回り込む気配を感じた。


 顔面に張り付いていた薄布の感触はすっかり無くなった。

 膏薬の匂いは遠のき、圧迫感のない状態で呼吸できる開放感を強く感じた。

「お、おい……マーガル」


 声の方向に向かって顔を上げる。


 ヨツラは声にならない叫びを上げ、飛び退くようにして数歩後方に下がった。

 予期していたよりも大げさな反応だったが、ヨツラのことだ。


 おれは膝上の手鏡を取り上げた。


 はじめに目に飛び込んできたのは白い色。

 続いて白色を取り巻く鮮烈な赤と黒のまだら模様。


 白いのは頬骨だった。


 皮膚も肉も焼けこげ、絵画の下地のように白い骨が透け出ていた。

 赤は焼けただれた皮膚や筋肉のようで、いま見ているのがそのどちらかは判別不能だった。

 赤い色を取り巻く黒は炭化したそれらのなれの果てらしい。

 

おれは手鏡を動かし、努めて冷静に小さな鏡面に映る光景を記憶に止めていった。

「これで話せるのが不思議だな」

 その台詞に合わせ、左頬に空いた数個の穴から、生暖かいおれの吐気が漏れ出し、しゅうしゅうと音を立てた。

 手鏡で穴を確認しながら言う。

「食事のたびに、口から血膿の出るような感覚もあったけど、メシがここから出てたのか」

 まだ治りきらない傷が外気にさらされたせいか、表面はぴりぴりと痛み始めた。


「頼みがある」

「えっ?」

 ヨツラの返事はすっかり裏返り、甲高い声になっていた。

「あんたは、その秘密の任務とかで諸国を回るんだろ?」

「あ、ああ」

「なら、ちょっと寄り道してウーラに寄ってくれないか。おれの両親に言付けて欲しいんだ」

「そ、そりゃいいが……いったい」


 おれは目を閉じた。

 左目のまぶたは焼けてなくなりかけていたから、右目だけを閉じ、ふた親の顔を思い浮かべようとした。


「雪花の剣士……」

「ゆきばな?……」

「マーガルヘルト・コディンは蛮族と闘って死んだ。そう伝えてくれ」


 火竜を斃した後、ヒルガーテに聞いた話をかいつまんで説明した。

 ヨツラは落ち着かない様子であたりをきょろきょろと伺いはじめた。


「ただ死んだってだけじゃ納得しないだろうから、死んだあと、この地域では雪花の剣士とかなんとか……そう呼ばれるようになってたって言っといてくれ」


 あの両親のことだ。

 おれが手柄も立てず、名も挙げずに犬死にしたとでも言おうものなら、それ見たことか、と他の兄弟たちのすることにますます口出ししていくだろう。

 かといってこの姿のまま戻るわけにも行かない。

 外部の評判を気にする商家の連中に、顔中焼けただれたお化けのような人間を置いておく気持ちの余裕などないからだ。


「とうとう、化け物になっちまった」

 自嘲気味に言ったおれのことばに、ヨツラは声も失いその場へ立ちつくしていた。

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