事実確認

「しばらくは来ない」

『かの地』からの侵略を心配するおれに対し、ディトワはそうきっぱり回答した。

「……なぜ、わかる? 向こうから連絡でもあるのか?」


 おれはいらだっていた。


「火竜は……呪いをかけた本人自らが憑依してこちらまでやって来ることは珍しい。むろんこれまでになかったわけじゃないが、五年や十年経っても、自分の呪いの本体に出会えるわけじゃない。おれでさえ、まだだ」

「話がずれてるぞ。そういうことを聞きたいわけじゃない」

 包帯のせいで声がくぐもり、自分でも聞き取りづらいその声にいらだちは募るばかりだ。

 自然、声は大きくなり、炎と煙とに蝕まれたおれの咽喉はずきずきと痛み出した。


「そうだな、それを連絡というなら……連絡は……ある」

 意表を突く答えだった

「……向こうから? 連絡がある?」

「そうだ」

「だが、向こうに行ったものはいないと……」

 ディトワは沈黙した。

 そう言えば、それは彼の口から聞いた話だった。


 とすれば、真実はひとつしかない。


「でたらめ……か。まだ隠し事があるのか!」

「うそをついたつもりはない。向こうに行くことは禁じられていると言っただけだ」

 思い返してみると、確かにそう聞いたようにも思う。

 しかし、勘違いを誘発させるような言辞であったことは間違いない。

「やはり向こうに渡った人間がいるのか。そいつら……彼らも『竜減』なのか?」

 ディトワはうなずいた。

「具体的なことばの形ではない。……が、予感めいた確信が沸いてくる……そんな伝わり方だ」

「なんだよ、意味がわからないぜ」

「意味はわからなくてもいい。なにが来るか、いつ来るか正確な時間まではともかく、やつらが来るときにはわかるんだ」


 ドゥルフェン村のあの夜たしかに、ヒルガーテは火竜の襲来を予感し、怯えていた。原理はわからないが、つまりはそういうことか。


「洞窟の穴みたいに、超常的なことなんだろうな」

 勝手に納得しかけたおれのつぶやきは、すぐに否定された。

「どういう仕組みかはわからないが、どうしてそうなったかはわかる」

「……どうしてなんだ?」

「おまえはもう知る必要はない。……使命を継ぐ意思のない者が知ったところで、どうなるものでもない」

 にべもないディトワのことばに反論することはできなかった。

 それは事実だったからだ。


 ドゥルフェン村まで出かけていたヒルガーテは、夕方過ぎに戻ってきた。

 おもにおれの包帯として使う長布と食料品を調達しに行っていたのだ。

 彼女は疲れた様子ながら食卓のベンチに腰を降ろし、新しい長布を細長く裂き始めた。

 上半身の大やけどのみならず、おれは大量の血液を失っていたため、貧血を起こし、まだ寝床を離れられない状態だ。

 包帯づくりの作業を手伝おうにも、立ち歩くことすらままならない。

 なにからなにまで他人の世話にならなければならないのは赤子の時を除けば、生まれて初めてだった。

「疲れているのに、済まない」

「気にしないで」

 しわがれたおれの声にこちらを見ることもなく、彼女は頭を横に振り、作業に没頭し続けていた。

「……なあ、ヒルガーテ。頼みがある」

 布を裂く手は止まった。

 頭を振り上げおれを見る。

「なに?」

「包帯を取り替えるとき、鏡を見せてくれ」

 答えはなく、ヒルガーテはおれを見つめたまま口を開いた。

「ここに鏡はないわ」

「桶に入れた水でも何でもいい。おれの顔がどんな状態になっているか、見たい」

「薬をしみ込ませた薄布しか見えない」

「薄布を取って、薬も取り替えればいいじゃないか」

「薬の効き目が無くなる。まだ取れない」

 彼女は再び手元を注視し、作業を再開した。

 やけどを負った顔の痛みはとうになくなり、いまは治癒時特有の耐え難いかゆみに、ときおり猛烈に苛まれる程度になっていた。


 ゴルエでの戦闘から二週間も経っている。


 薬を塗り込んだ薄布を貼り付け、漏れ出す血膿に汚れる包帯を取り替えてくれても、ヒルガーテは治癒の時期までは語らない。

 いつ包帯を取れるのかというおれの問いにまだだというばかりで、いっこうに答えないのだ。

 自分のことだから、おれの顔がどうなっているかは大体想像はつく。

 火炎に焼けただれ、見るも無惨な有様であることは間違いないだろう。


 だが、それももう覚悟の上だ。


 そう話してみても、気弱そうな笑みを口元に浮かばせ、彼女は黙ったままになる。

 気遣いはわかるし、うれしいが、哀れまれるのはやりきれない。

 血膿の沁みだし湿った包帯をはずし、たったいま作ったばかりの包帯を取り替えようとするヒルガーテの上腕部をつかんだ。

「なあ……」

「やめて、いくら言われてもまだはずせない」

「ひどい状況だっていうのは、よくわかってるさ。でも、見たいんだ」

 彼女は腕をひねった。

 おれの手はあっさりとはずされる。

 握力すらこれほどにも衰えているという現状を知らされ、呆然と自分の手のひらを眺めた。

「……男の人は多量に出血すると深刻。体力が完全に回復するには数ヶ月もかかる」

「女はそうじゃないみたいな言い方だな」

「ええ、月のものがあるから、出血には慣れてるというわけ」

 ……なるほど、確かにそうかも知れない。

「おとなしく包帯を巻かせてちょうだい。でないと晩ご飯の支度が出来ないわ」

 知的欲求……というのとも違うのだろうが、自分の顔を確認したいという欲求と食欲とのせめぎ合いは、後者が勝利を収めた。

 おれはおとなしく包帯を取り替えさせ、せめてもの願望を彼女に伝えた。


「次に村へ行くときは、鏡を調達してきて欲しいな」

「村でも貴重品だから、あるかどうか……」


 あくまでおれの頼みは拒むつもりのようだった。

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