第八章 引継
継続申請
目を開けると、逆さまになったヒルガーテの顔があった。
彼女は石床に横たわるおれの頭を膝まくらに載せ、おれの顔を見下ろしていた。
「竜は?」
「……死んだ」
頭の角度を変えてもらい、洞窟の広場を見回した。
まだ消えていない炎に照らされ、まるで雪のように舞い落ちる灰が石床に薄く積もっていた。
火竜の頭部は、肉片をあちこちに飛び散らかし、爆散していた。
おれのドゥーリガンはやつの左右の頬袋を同時に貫いていたらしい。
火炎のもととなる液体は、その口腔内で混ざり合い、頬袋に逆流して暴発し、やつの頭部を吹き飛ばしたのだろう。
呪いの根をも含めて。
「よくおれも吹き飛ばなかったもんだ」
「ええ、そうね」
身体にはまったく力が入らない。
手を動かそうとしたとき、身体中に激痛が走った。
「……くそ、痛いな」
「呪いは……解けたみたい」
「なんだって?」
「見て」
あのどろどろした黒い液体ではなく、傷から流れ出した血が、おれの衣服と、周囲に積もった灰を赤く染めていた。
血は石床一面に広がっている。
「あなたを中心に、まるで大きな
「そうなのか?」
雪中で花開く雪花は、ウーケの山岳地帯ならどこででも見かける植物だった。
放射状に開いたその赤々しい花弁と花びらを思い起こした。
血と共に身体中から力が抜けたようで、指一本動かせず、ただ彼女に話しかけるしかできなかった。
「なあ……あいつが呪いの元凶だった?」
「火竜に取り憑いた『かの地』のだれかが、たまたまあなたにかかった呪いをかけた本人だっただけ」
よく分からないが、呪いの解けたのはおれだけということだろうか。
「ディトワは?」
彼女は首を動かした。
その顔の向いた方向から声が聞こえた。
「目覚めたか?」
「ええ」
おれの両頬にそっと手を添え、ヒルガーテはおれの顔を傾けた。
「やあ」
顔中すすけたディトワははにかんだような笑顔で、間の抜けた挨拶をしてくる。
「なんだか……呪いは解けたんだそうだ」
話しにくい。
だんだんと意識のはっきりしてきたためか、口元からしゅうしゅうと空気の漏れるような音がしていることに気づいた。
「そうみたいだな」
「これで……お役ご免かな、おれは」
呪いが解けたということは、不死性も失われたということだろう。
不死身でなければ『竜減』になることはできない。
ディトワは答えなかった。
返答をためらっているようでもあった。
「……残るつもりはないんだろうな」
少しの間をとり、彼はひとりごとのように小声で言った。
今度はおれが答えに窮する番だ。
おれとディトワは見つめ合いながら、おそらく、互いにその瞳の奥の真意を探ろうとしていた。
「とりあえず……ケガを治して、話はそれからだ」
話の間を遮ったのはディトワの方からだった。
おれもそれに異存はなかった。
選王ディラスの訪問は、数日後、おれの回復を待って行われた。
護国では一地方領主扱いだとはいえ、地域を統治する立場の人間がわざわざ辺境のゴルエまで足を伸ばしてきたことに、おれは驚いた。
護衛の衛士隊を率いて来たエドゥアルトや、火竜の襲撃から一命を取り留めたシグルトを外に待たせ、彼は車いすを押す従者ふたりのみを共に連れ小屋に入ってきた。
「よい、起き上がる必要はないぞ。剣士マーガル」
ディトワの寝台から身体を起こそうとしたおれを制し、おれの雇い主は座ったまま、礼のことばを述べた。
「ありがとう。『かの地』の使者を食い止められたのは、貴殿の活躍あってこそと聞いた」
全身にやけどを負ったおれはヒルガーテ謹製の塗り薬を全身に塗られ、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
特に肌の露出していた顔面から胸元にかけては、相当ひどい有様のようだった。
「いえ、ディトワがいなければ、無理でした」
やけどで口元が引きつるのと、包帯によりおれの声は存外にしわがれていた。
まるで自分の声とも思えない。
左目のまばたきも思うようにいかず、右目だけを閉じた。
「マーガルの呪いは解けた。従って、後継者の話は白紙に戻った」
ディトワはことば短く端的に状況を説明する。
ディラスは眉間のしわをさらに深めた。
「……しかし、それでは」
「あんたなら、残るか」
主従が逆転したかのような選王と守護剣士のやりとりを、どこか泰然とした気持ちで聞きながら、おれ自身、今後どうするか、考えあぐねていた。
不死身性を失ったこの身体で、化け物の相手を務める自信はない。
今は塗り薬で押さえられているが、脈打つたび、じんと響く、焼けた顔部周辺への痛みに、もはや自分が普通の人間であることを否応なく知らされる。
――では、どうするか。
だからといって、他にどこへ行こうというのか。
何をしようとしているのか。
その答えも、いまは、ない。
「マーガル。貴殿の気持ちを聞きたい」
気づくと、ディトワとなにやら話し終わった選王は、再びおれへと視線を移した。
「おれは……」
『雇用の儀』によれば、主従の契約を結んだ以上、一介の剣士にとって、よほどのことがない限り選王の命令は是非もない事柄だ。
ディラスは王としての特権と権威により、ただおれに命じればいい。
――後継者となれ、と。
だがこの場合、相手方にはおれに対する負い目もあるらしい。
すなわち、多くの隠し事をしつつ、後継者に仕立て上げようとしていた、ということについて、珍しくもそれを契約違反だと考えているのだろう。
口をつぐんだおれをおもんぱかったのか、ディトワは補足する。
「おまえの意思を確認するのは、そうでなければ、これ以上、この努めを果たせないからだ。おまえばかりではなく、子孫にまでそれを課すことになるからな」
そう言ったところで、おれは良くても、結局『子孫』には、強制的に課すことになるじゃないか。
それに、もし後継者になるなら――
そこまで考えて、後継者になることを選べば、最初に課せられるのは子孫を残すことだと気づいた。
相手は……
ディトワの背後に無言で立つ女従者を見てしまいそうになる。
おれは自分の心の傾きにあらがい、虚空を見つめ直した。
「後継者になるなら、また呪われなければならないんだろう?」
「……いずれは」
おれの問いに、ディトワは答えた。
おれは選王ディラス・ヴァイゼルヴェルトに向き直ると存念を語った。
「正直に申し上げて……意思の問題以前に、務まらないだろう……としかわかりません。おれ……私は剣士です。もし、剣が振るえないなら、ここにいる意味はありません。単に……その……し、子孫繁栄のためだけになら、ますます」
それほど長くしゃべっているわけでもないのに、言いづらいことばを発したせいか、急な疲労を感じる。
顔や首まわりの筋肉もぴりぴりと攣り、その動きに合わせ、顔中がちくちくと痛み始めた。
「そうか。……もっともじゃな。……が、わしたちは判断を急ぎすぎているかも知れん。貴殿が火竜とまみえてから、まだ数えるほどの日数しか経っておらんからな」
おれのたどたどしいしゃべり方に容態を気遣ったつもりなのか、選王はそれ以上、後継者の話題に触れることはなかった。
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